アジア・マンスリー 2012年2月号
【トピックス】
タイの洪水と求められる新しい協力体制
2012年02月02日 大泉啓一郎
タイの洪水により日本企業の生産拠点は多大な被害を受けた。日本とタイとの深い経済関係を考えれば、これら生産拠点の災害リスクを軽減するための支援は国益とも合致する新しい協力といえる。
■50年に一度の洪水による甚大な被害
2011年タイでは、50年に一度という降水量による大洪水が発生した。10月以降、洪水によって7つの工業団地が浸水し、約1,000の工場が生産停止に追い込まれ、経済面の被害が急速に拡大した。製造業生産指数は10月前年同月比▲30.1%、11月同▲48.6%へ落ち込み、輸出は10月に同3.0%増とプラスを維持したものの、11月には同▲12.5%と大幅に低下した。
世界銀行の試算によれば、12月初旬の時点での被害・損失額は1兆4,250億バーツ(約3兆6,000億円)、必要な復興資金は7,980億バーツ(約2兆円)とされている。
浸水した工業団地で操業していた日系企業は400社を超えたことから、わが国経済への影響も少なくなかった。とくに浸水した工業団地は電子電機産業の集積地であったため、グローバル・サプライチェーンにも影響を及ぼした。タイにおいて輸出競争力がある工業製品は、すでに労働集約的製品ではなく、HDD(ハード・ディスク・ドライブ)や自動車(ピックアップトラック)、デジタルカメラ、エアコン、冷蔵庫などの高付加価値製品にシフトしている。また近年、これらの部品メーカーの進出が増え、生産拠点の集積が進んでいた。
乾季になった11月半ばから排水作業が始まり、12月半ばにはすべての工業団地で排水が完了している。ただし、本格的な生産再開は4月以降になる見込みである。
■災害リスクをいかに回避するか
今回の洪水の直接的な原因は例年の1.4倍にも達した降水量であった。加えて、北部や中部の降雨の多くがチャオプラヤ川に流れ込むこと、下流に広がるデルタ地域の高低差が小さく水はけが悪いことなどが、洪水の被害を拡大、長期化させることになった。また、気象衛星を使った監視体制、ダムの治水管理、洪水に対する警戒態勢などの不備が被害拡大をもたらしたとの指摘も多い。
タイの洪水は、東日本大震災と同様に、世界中に張り巡らされたサプライチェーンを災害リスクからいかに守るかという課題を浮き彫りにしたといえる。
世界的に気候変動が議論されていることを考えると、タイだけでなく海外進出する企業は、発生する災害リスクを考えた立地や被災した場合のサプライチェーンの代替策を事前に検討しておくことが重要になる。
■求められる新しい国際協力
今回の洪水被害を望ましい方向に向かわせるには、タイ政府が生産再開の支援と洪水予防対策を実施することが必要であることは間違いない。
タイ政府は、「水源管理委員会」と「復興委員会」を立ち上げ、包括的な対策の策定と実施を急いでいる。2012年1月4日政府は、3,500億バーツ(約9,000億円)の建設国債を発行し、治水インフラ整備を急ぐことを決めた。また、BOI(投資委員会)は、税制軽減措置や生産代替の規制緩和、政府系金融機関を通じた低利融資などで生産再開を支援する計画である。
これらの取り組みは評価できるものの、タイのような中所得国に、洪水防止を含む治水管理計画や災害リスク管理の強化のすべてを期待するのは現実的ではない。工業団地が広範囲に立地することや、人材や財政面などの制約要因を考えれば、わが国からの技術協力や資金協力が重要な役割を果たす。また、タイには多くの日本企業が進出していることを考えると、これら生産拠点の災害リスクを軽減する支援は、わが国の国益に合致する支援といえる。
実際に、わが国は、いち早く排水ポンプ車を送り、工業団地の救済に乗り出し、12月には治水マスタープランの策定に技術者を派遣するなど迅速に対応してきた。
国際協力銀行が発表した「わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報告(2011年度版)」によれば、タイは、有望な投資国として中国、インドについで第3位に位置づけられている(右上図)。「第三国への輸出拠点」としての魅力と回答した企業の比率はアジアで最も高く、「世界の工場」と呼ばれる中国の2倍の水準にある。
また、日本の対タイ直接投資資産残高は1兆7,806億円と、東アジアでは中国の3兆8,526億円に次いで多い。わが国は、タイにもうひとつの工業地帯を有しているともいえる。災害リスクの軽減は、タイや日本の経済だけでなく、世界経済の持続的な成長に資する施策ともいえる。
タイに在住する邦人数は、登録ベースで約4万人と東アジアでは中国に次いで多い。そのほか、世界第2位の規模を有する日本人学校や、日本人向け医療施設、日本と変わりない衣食住サービスが提供できる環境も魅力的である。この点では円高が続くなか、初めての海外進出となる中小企業にとっても重要な投資先といえよう。
今回の洪水は50年に1度という降水量に原因があったとはいえ、タイでは毎年雨季には相当の雨量が見込まれる。したがって、タイと日本政府の協力体制をいっそう強化するとともに、迅速な政策実施が求められるのはいうまでもない。