Business & Economic Review 2010年11月号
【特集 拡大する新興国経済と新たなビジネス展開】
新興国向け輸出生産拠点にシフトするタイ-国民和解による政治安定化がその前提
2010年10月25日 大泉啓一郎
要約
- 世界金融危機以降、先進国の景気回復が遅れるなかで、東アジア諸国の景気は大きく上向いてきた。タイも同様で、暴動事件を含む政治混乱があったものの、2010年4~6月期の実質GDP成長率は前年同期比9.1%と高い水準を維持した。輸出の急増は、国内の政治混乱の被害を埋め合わせるだけでなく、内需にも好影響を与えるという予想以上の回復力をみせた。これを受けて、8月、NESDB(国家経済社会開発庁)は、経済成長率見通しを3.5~4.5%から7.0~7.5%へ大幅に上方修正した。
- 輸出を国・地域別にみると、日米欧向けの回復が遅れるなかで、新興国・アジア諸国向けが急増した。製品別にみると、自動車が新興国向けに、電子電機製品がアジア諸国向けに順調に回復し、日米欧への依存度を低下させる動きが顕著になっている。新興国やアジア諸国への輸出の増加は、危機以前にタイが自動車生産の集積地となっていたこと、アジアにおける電子電機産業の分業体制で主要な地位を占めていたことが大きく寄与した。
- 今後、FTA(自由貿易協定)の進展を背景に、タイは、新興国向けの輸出生産拠点としての地位をさらに高めるものと考えられる。なかでも、日本企業は、伸びしろの大きい新興国市場参入の戦略拠点として、タイの積極的な活用を検討すべきであろう。実際にインドへの輸出生産拠点として注目を集め始めている。
- ただし、長引く政局不安がタイにとっての経済リスク、日本企業にとっての投資リスクであることには変わりはない。とくに政局不安を事業展開の課題とみなす日本企業が増えていることに注意したい。タイの持続的発展のためには、輸出生産拠点としての競争力強化に加え、その中枢機能を果たすバンコク首都圏の生産性向上が不可欠であることはいうまでもない。この点でバンコクにおける政治混乱の長期化は、金融や流通など付加価値の高いサービス業の発展を阻害し、長期的な競争力強化を妨げるリスクとなる。
- 政局不安の原因の一つは地域所得格差にあるが、それが近年になって政治混乱の深刻化、長期化に発展している背景には、①所得水準の上昇、②政治意識の覚醒、③情報へのアクセスの向上などから、地方・農村住民が「物言うマジョリティ」に変化したことがある。また、都市の低所得層の不満も高まっていることが、政治混乱を大規模化させる要因となっている。これらのことを勘案すると、反政府運動を抑え込むような解決策は望ましくない。この点でアピシット政権が国民和解のためのロードマップを示し、農村・地方住民の理解を得ようしていることは十分に評価できる。当面は、国民和解の議論にどれだけの国民を参加させることができるかが焦点となる。