要約
- 民主党を中心とする現政権は、2010年3月、年金制度改革の議論を予定より前倒しし、「新年金制度に関する検討会」を発足させた。現在のところ、議論は、民主党政権単独でスタートしているものの、今後は、超党派協議も視野に入ってくることが予想される。
もっとも、その際、障壁となるのが、民主、自民両党間の現行制度とりわけ年金財政に関する現状認識の大きな隔たりである。自民党は、2004年の年金改正時の国民向けアピールである「100年安心」の見解を崩していない。他方、民主党は、制度が破綻しているという認識に立っている。
かかる状況のままでは、仮に超党派協議が行われたとしても、生産的な議論は望みにくい。議論を実りあるものにするには、政治および国民の間で年金制度に対する認識を共有あるいは収斂させていくことが大前提になる。そのためには、公会計をはじめとした情報開示のツールが国民に分かりやすい形で整えられることが必要である。本稿はこうした問題意識のもと、先進事例と認められるアメリカの社会保険会計(Social Insurance Accounting)を紹介し、わが国への示唆を導くこととした。
- 議論の前提として、まず、「100年安心」というこれまでの政府見解とその根拠である厚生労働省の「給付と財源の内訳」の妥当性を検証した。「給付と財源の内訳」とは、公的年金の財政状況を示すため、現時点からおよそ100年間の年金財政の収入と支出のキャッシュ・フローの現在価値に積立金残高を加味したものである。ここで財源と給付がそれぞれ1,660兆円(厚生年金の場合)で等しくなっていることが、「100年安心」の根拠となっている。
しかしながら、こうした見解とその根拠は額面通りに受け止めにくい。まず、「給付と財源の内訳」には、「世代」への着目に欠けることが指摘できる。財源1,660兆円のうち保険料が1,190兆円を占めるが、このなかには、これから制度に加入する子どもが支払うであろう分が相当含まれているはずである。それは、現在の世代の将来世代に対する期待あるいは願望に過ぎず、「財源として確保されている」(社会保障審議会資料)わけでは決してない。そのほか、財源のうち国庫負担として330兆円が計上されているが、それはつまるところ国民の負担する税でしかなく、しかも、その大半は、赤字国債として将来世代へツケ回されている。財源として確保されているとは到底いえない。
- アメリカに目を転じると、公的年金の財政状況は、アメリカ社会保障庁の年金財政報告書のみならず、財務省の連邦連結財務諸表のなかでも詳細に開示されている(アメリカの公的年金財政も、賦課方式を基本としつつ、準備金として積立金を持つ点においてわが国の年金財政と似ている)。なかでも注目されるのが、貸借対照表などと並んで基本書類の一つとなっている社会保険報告書(SOSI:Statement of Social Insurance)である。なお、これらは、会計基準諮問委員会(財務省、行政予算管理局、GAOの下部組織)が公表した会計基準に基づいて作成されている。
SOSIは、わが国の「給付と財源の内訳」同様、年金財政の収入と支出の今後75年間のキャッシュ・フローの現在価値を示したものであるが、「世代」に着目して作成されている点でわが国と大きく異なっている。SOSIでは、公的年金の加入者が、現在の加入者(年金受給資格年齢到達)、現在の加入者(年金受給資格年齢未到達)、および、将来の加入者の三つの世代に分類されており、そのうえで、それぞれの加入者ごとに収入と支出の内訳が示されている。 そこから読み取れるのは、次のような点である。
(1)現在の加入者は、自らの給付を自ら支払う保険料(アメリカでは社会保障税)だけで賄うことが出来ず(この不足分がclosed group measureと定義される指標)、将来の加入者が支払うであろう保険料で埋め合わされることが想定されている。その規模は、2008年時点で17.2兆ドルに達している。
(2)もっとも、17.2兆ドルは、将来の加入者が支払うであろう保険料をもってしても埋めきれず、保険料率12.4%という現行法のもとでは、なお6.6兆ドル不足している(これがopen group measureと定義される指標)。
(3)加えて、世代に着目したSOSIからは、わが国の厚生労働省がいう「世代間扶養」という賦課方式の本質も数値を伴いつつ理解することができる。他方、わが国の「給付と財源の内訳」の場合、そもそも世代への着目に欠けることから、SOSIから読み取れるような将来の加入者から現在の加入者への所得移転の状況および規模を知ることはできない。
- アメリカの在り方を踏まえ、わが国の公的年金財政の在り方について提言を行えば、以下の通りである。
(1)そもそも、年金財政の在り方が改革の課題として銘記されなければならない。社会保険会計などの情報開示は、ツールである。それは、低成長経済への移行および少子高齢化が進むなかで、財政的持続可能性をいかに確保するかといった年金財政の課題を、一般会計も含め政府全体のなかで認識し、克服していくためのものである。必要なツールを作り、活用するには、そうした課題に取り組む意欲が大前提となる。ところが、昨今のわが国の議論では、年金一元化や最低保障年金導入など制度体系の議論に焦点が集中し、年金財政がおざなりになっている。年金財政の在り方の見直しが欠かせないことが今1度銘記されなければならない。
(2)「世代」への着目が不可欠である。わが国では、世代への着目とりわけその定量化は、厚生労働省をはじめとして「損得論」として切り捨てられることが少なくない。しかし、世代への着目は、損得といった狭小なものでは決してない。世代への着目は、SOSIがそうであるように、定量的に将来世代の負担を測り、将来世代に極力ツケ回しをしないという観点からはもちろん、賦課方式という財政方式の理解、および、賦課方式の年金財政を持続可能なものとするために欠かせないはずである。
(3)2004年の年金改正、とりわけその柱であるマクロ経済スライドの検証が不可欠である。マクロ経済スライドは、その仕組みから、現在の加入者の給付増(=closed group measureのマイナス幅拡大)を、将来の加入者の給付減でカバーし、ようやくopen group measure=0を達成している可能性が高いためである。よって、マクロ経済スライドという仕組みが導入されているもとでは、とりわけclosed group measure開示の重要性は増しているといえる。
(4)公的年金会計の基準作成作業を進めつつ、その基準のもとで、2009年財政検証のやり直しを行う必要がある。第1に、2009年財政検証は、野党時代の民主党が強く批判してきたように経済前提が現実と乖離し、信頼性が乏しいからである。第2に、「財源と給付の内訳」にみられるように、現行制度の理解や政策判断に必要な情報が分かりやすく提供されてはいないからである。その際、そうした作業を、民主党政権単独ではなく、与野党で行い、合意をしておくことが肝要である。そのようにすれば、数値そのものの解釈や信頼性を巡る与野党間の応酬で時間が浪費されるといったことも回避されるであろう。