Business & Economic Review 1995年10月号
【PLANNING & DEVELOPMENT】
地域主権へのフィージビリティ・パス-メニュー方式の提案-
1995年09月25日 社会システム研究部 奥原英彦
本年5月に、地方分権推進法案が国会を通り、我が国においても、地方分権による本格的な地域主権の時代が訪れようとしている。
しかしながら、その理念の達成には、いくつかの現実的な問題点を乗り越えた、実現プロセスの検討が必要である。
1.国と県の垂直的事務の解消
まず第1の問題点は、国、県、市町村の事務・権限の配分が、垂直化(上下関係化)していることである。
特に、国から県への事務委任の形態である「機関委任事務」の存在は、県の役割を曖昧にしてしまうばかりであり、「道州制」などの導入にあたっても、その事務の8割近くが機関委任事務で終始している現状(地方六団体報告)では、県などが地域特性を踏まえて独自性を発揮出来る余地は、残り2割でしかない。
つまり、この機関委任事務の比率を一気に下げ、国と県の関係を「水平化」する必要がある。さもないと、県庁職員の8割の意識は相変わらず「霞ヶ関」を向いてしまい、地元を向いているのは2割しかないことになる。これでは、地方主権と声高に叫んでも、相変わらず、中央に対する「地方公務員」であり、地域の発展のために働く「地域公務員」という意識は生まれてこないことになる。
この国と県における事務・権限の水平関係の概念としては、連邦制を採用している諸外国の例が参考になる。特に、ドイツでは、大学立地や地域産業政策の実施に当たって、連邦政府と州政府が対等の立場で協議し、かつその実施にあたっては、対等に負担する「共同事務」の概念を導入しており、わが国においても研究すべき重要なテーマと考えられる。
2.自治体財政の水平的公平性の確保
第2の問題点は、地域間で著しい財政的アンバランス(不公平)が生じていることである。
わが国においては、地域からの税収入(地方税)と地域での公共需要(基準財政需要)との差額を「地方交付税」として配分しているが、この地方税と地方交付税の比率が、自治体間で著しい差を生じている。
都道府県で比較すると、大都市圏と地方圏の格差があまりに大きいことに驚きを感じる。地方税1単位当たりの地方交付税は、高知県の3.46倍を最高に、東北、山陰、四国、九州地域に、その比率の高い県が多いことがわかる(図表1)。
これらの県は、地域からの税収入の数倍の交付税をもらっており、地方分権が進み、課税自主権が地方に移行したとしても、経済活動に応じた税体系を採用している限りは、大都市圏での税金を地方圏に配分する構造に、変化はないと思われる。
少なくとも全国平均を超えて地方交付税を配分されている地方圏の自治体(図表1では全国平均ラインより上の県)では、地域ワンセット主義的な行政サービスの提供をやめ、大都市圏への財政依存度を下げるように努力すことが求められる。
例えば、コンベンション施設や美術館などは、複数県の地域連携によって整備したり、高齢者の介護にあたっては、いたづらに施設を作らずに地域での介護を推進するなど、自地域の財政能力に見合った、メリハリのある施策を行うべきである。
3.地域産業振興と行政改革との連動
第3の問題点は、地方分権が自治体の地域活性化(地域産業振興)や効率化(行政改革)と連動していない点である。
地方分権の本来的な姿は、地域での生産を生かし、地域特性に合った、自立的で多様な生活を送ることであるとするならば、円高に伴う地域産業空洞化対策に際しては、東京からの企業誘致や国の産業立地政策の実施を待っているべきではなく、地域の資源を生かし、地域とともに生きている創造的地域企業と一緒になって、地域独自の活性化方策を打ち出すべきであろう。
また、地方分権が自治体の効率化(行政改革)に支えられないと、高齢化や低成長経済に対応できる社会経済システムが構築できない。例えば、1970年代のデンマークにおいて、福祉・教育の分野での地方への権限委譲に際しては、小規模人口の自治体を併合し、1,000以上あった自治体数を277に減らした。
このことは、自治体が効率的かつ自立的に運営できるように、地方分権を進めるべきであることを、我々に教えてくれるものであり、前項の機関委任事務や地方交付税の問題解決も、この地域産業振興と行政改革との連動があって、はじめて可能になると考えられる(図表2)。
4.米国での実験的取り組みに学ぶ
わが国における地方分権論の多くが、全国一律的にあてはまる「理論的」に「公平な共通解(画一解)」を求めようとして、前述した実情や現実の壁に突き当たっており、現実的な「実行プロセス」を求められずにいるのではないだろうか。
全国一律的な対応では、理念とプロセスの間のギャップがありすぎて、無理が多い。 一昨年、米国でベストセラーになった本に、行政コンサルタントのデビット・オズボーンらによる「REINVENTING GOVERNMENT 」がある。この本の中では、1980年前後からの低成長時代の到来と税収低迷による財政逼迫を背景とした連邦政府による補助打ち切りの嵐の中で、各地方団体がいかに創意工夫を重ねながら、地域主権を確立していったかのケーススタディ成果が述べられており、クリントン大統領も必携の書として絶賛したと伝えられている。
わが国における、現在の経済ならびに行財政の状況をみると、当時の米国に酷似しており、地域主権の確立に向けた具体的方法論として、学ぶべき点が多い。
同書の中では、成功パターンを10通りに分類しているが、注目すべきは、どの成功例も地方団体が考え出した独自の方法論によって実施されており、連邦政府や州による一律的な押しつけの下でなされたものでないことである。
低成長と財政逼迫の中で登場したレーガン大統領も、「民間部門と公共部門は、同様の経済変数、経営原則によって判断される必要がある」とし、地方団体の自由な判断と実施を認めたため、「民間的発想」によるユニークな制度が、数多く創出されている。
このような米国における取り組み成果から言えることは、地域経営や行革遂行に関する能力・意識の違いによって、地域主権に取り組むプロセスは異なるのが当然であって、同一の枠組みで行えることの方が、不自然であるということである。
5.地域主権へのフィージビリティ・パスに向けて
(1)メニュー方式の考え方
現実的な経路(フィージビリティ・パス)を選ぼうとするならば、各自治体の政策立案能力、財政能力、行革遂行能力などに応じた「メニュー方式」で実現していくことを提案したい。
このメニュー方式は、今までの、政令指定都市、中核都市、パイロット自治体などの「点」の分権化ではなく、全国を「面」として分権化するに際し、各々の自治体の現状に応じた選択肢を選んでもらうもので、その基本的考え方は、次の通りである。
・自立的財政基盤の現状に応じて、国、県、市町村の間の、垂直的な役割分担のあり方を柔軟に変化させる。(財政能力の高い自治体へは、積極的な権限委譲と財源配分を行うとともに、国と自治体間の共同事務的連携を強化する。)
・政策立案能力、行革遂行能力の現状に応じて、財源再配分を柔軟に行い、自治体財政の水平的公平性を担保する。(立案・遂行能力の高い自治体には、「将来への投資」として交付税を増額し、低い自治体に対しては、「効率的」財政運用の見地から減額する。)
(2)実情に応じた分権の道を つまり、今までの一律的分権論では、高知県・鳥取県・島根県などのグループと、東京都・大阪府・愛知県などのグループを、同じ方法論で対処しようするところに無理があり、それ故に非現実的であると言えよう。従って、全国一律的な制度改革を導入するよりは、それぞれの実情に応じた分権化への道を用意することの方が、地域主権実現への近道であると考えられる。
例えば、前者グループにとっての地方主権とは、地域産業を振興し、行革を実施しながら効率的自治体運営が出来るように基礎体力を強化することであり、交付税依存体質から脱却した「等身大の地域自立」を図る道を選択することである。
また、後者にとっては、都市計画などの都市づくりや教育・文化などの人づくりに関して、国から事務権限と財源の大幅な委譲を受けることにより、国際化・個性化などの潮流に対応できる「自立的広域行政」への道を選択することである。
従って、メニュー方式による地方主権では、全国一律的に道州制などの同一制度をあてはめるのではなく、各自治体が、それぞれの能力と責任の範囲内で、地域自立への現実的な道(パス)を選択することになる。この選択肢は、理論上無限にあるが、現実的には、個性化が進んでいない我が国の自治体では、いくつかのパターンによる「メニュー方式」の形態を採ることになろう。
(3)痛みを分け合う覚悟で
この方式の採用により、自治体にとっては、地方分権が、地方主権を実現する現実的な手段になるとともに、周辺の自治体との競争が促進され、必然的に行政能力が高められる効果も期待できる。
もちろん、現行の地方交付税制度を通じた、国土の均衡ある発展の歴史を否定するものではないが、戦後50年間に培われた、中央と地方の「もたれあい体質」、地方の「霞ヶ関詣」「官々接待」などの悪癖を一掃するとともに、今後予想される更なる財政悪化、国民の高負担などを少しでも軽減するためにも、一部地方自治体に見られる、大都市への「甘えの構造」は是正すべきであろう。
21世紀に向けた健全なる行政体質の実現のためには、わが国の全自治体が痛みを共にする「自己責任と自己選択に基づいた地域主権」の確立が急務である。