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Business & Economic Review 1995年09月号

【戦後50年特集 OPINION】
「官」から「民」へのバトンタッチ-はじめての「近代」-

1995年08月25日  


戦後50年を経て、日本の既存システムのあの方そのものが改めて問い直されている。その問いかけとは、戦後50年をかけて築き上げてきた既存システム全体が、経済・社会の成熟化や国際化の進展など時代の大きなうねりのなかで、深刻な制度疲労を起こしていることにある。さらに掘り下げれば、この問いかけは明治以降一世紀以上にわたって踏襲されてきた日本が抱える体質自身への総点検といえる。50年前、敗戦と共に「追いつき追い越せ」的成長第一主義に対する全面的な再検討を加えることが必要であった。しかし、残念ながらその後の高度成長・冷戦構造の下にあって、半世紀にわたりそうした体質が温存される結果となった。この意味で、今回の苦境は、50年遅れで到来した難関・総点検ともいえる。

今までに経験したことのないこうした難関を乗り越え、新世紀の新たなステップである「活力ある高齢化社会」、「国際社会に開かれた日本」を実現していくためには、これまでの既得権保護・課題先送り型体質から脱却し、新たな枠組みを自ら構築する「創造的自己改革」に取り組んで行く必要がある。戦後50年を総括し新世紀を展望するにあたりまず、この基本認識を強く持つことが必要となる。

明治以降の近代化政策の中で培われ、とくに戦後顕著化した生産者・供給者指向の経済・社会システムやそこでの成長第一主義、官僚機構や財政システムの制度疲労、さらにそれらを支えてきた画一的・統一的な教育・地方行政・地域政策の展開など、日本のシステム全体があまりに平衡状況に進みすぎた。この平衡状況を打ち破り、個人・企業・地方も自由競争社会を造り上げる努力が必要となっている。そうした自由競争の揺らぎの中で、初めて新しい芽を求めていくことが可能となるからである。この意味から、日本は戦後50年を経て、歴史上はじめて日本固有の「近代」を経験しつつあるといえる。

日本においては、「改革」の二文字はややもすると「革命」同様マルクス主義的イメージを持ち、そこで抱かれる意味は破壊に近いものがあった。しかし、ここでいう「改革」とはけして戦後50年を否定するものではなく、これまで培った制度や経験の上に立って、新たな日本のステップを生み出そうとする取り組みである。ただし、そのことは既存の制度・政策をそのまま温存し積み上げることを意味しない。これまで世界有数の経済大国を生み出し、支えてきた日本の体質が大きな転換点を迎えていることを正面から受けとめ、次の新たな枠組みによる日本経済・社会の建設に取りかかることである。その新たな日本経済・社会の建設への取り組みこそが「創造的自己改革」なのである。

その実現に向け、まず求められるのは「官」と「民」の領域の徹底した見直しである。これまで半世紀、日本経済・社会は「官」あるいは「官」と「民」の依存によるいわゆる「鉄のトライアングル」の下で発展してきた。この図式は、日本が発展途上段階にあり、成長第一の時代には大きな役割を発揮した。しかし、経済・社会が成熟期を迎えた現在、こうした発展途上の体質を断ち切り、民間が官への依存・横並び意識を脱却すると同時に、「官」の担ってきた領域の徹底した見直しを実現することが求められる。とくに、準公共財を中心とした「官」の領域の拡大は、特殊法人や一般財政の肥大化を生じさせ、日本経済全体の活力を失わせつつある。「公共性」・「市場の失敗」の名の下で、拡大してきた「官」の領域を見直すことで、日本経済・社会を活性化させることが、唯一現在の閉塞的状況を脱する手段といる。もちろん、「官」と「民」の協調あるいは競争関係により成り立つ「揺らぎの領域」も存在する。しかし、「官」の領域の肥大化に対する積極的なチェックが行われておらず、そのチェックを通じ「官」と「揺らぎの領域」を明確化することが求められる。「官」から「民」へのバトンタッチ、そのリレーゾーンに戦後50年をへてやっと日本は辿りついたのである。次のランナーにバトンタッチし、国際秩序の自己組織化へ積極的に関わっていく、「進化と共生」志向の新しい国家社会システムを構築する、近代国家形成の歴史的課題に直面している。

その課題を乗り越えられるか否かは、既成概念や既得権益を断ち切り自ら創造的自己改革に取り組めるかにかかっている。
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