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Business & Economic Review 1995年01月号

【OPINION】
金融システム活性化に必要な3つの透明性

1995年01月04日 調査部


このところ、各方面で金融空洞化の危機が叫ばれているが、わが国金融システムを活性化するためには、大胆な規制緩和を含む市場環境の見直しを行い、市場メカニズムが貫徹しやすい状況を作る必要がある。そのためには、次の3つの「透明性」向上が不可欠である。

第一は、行政の透明性向上である。たとえば、証券子会社の名前に「銀」の字を使えるのは長信銀のみで、他の業態には使わせないという大蔵省の指導はまさに行政の不透明性の好例といえる。ただし、問題はこうした線引き自体よりも、この種の指導の根拠が全く不明確な点にあり、銀の字の問題は氷山の一角でしかない。いくら法的規制が緩和されても、運用段階で行政の裁量が肥大化しては、かえって市場の不透明性が高まることになろう。こうした状況では、海外の金融機関が使い勝手の悪い東京市場から去っていくのも無理はない。

第二は、行政当局のみならず、中央銀行にも行動基準の明確化が必要なことである。この点、三重野前日銀総裁は「金融システムの安定と日本銀行の役割」と題した94年10月の講演で「全ての金融機関を破綻から救うのは、中央銀行の仕事ではない。個々の金融機関が破綻すべくして破綻することは、競争メカニズムに支えられた健全な金融システムを育成する観点からはむしろ必要」と述べ、これが破綻処理に関する日銀の姿勢を明確化したものとして注目された。

しかし、大きな反響を呼んだこのフレーズ自体は各国中央銀行首脳の常套句で、別に珍しいものではない。どの国の中央銀行も「金融システムを揺るがすような破綻」と「影響が限定的な破綻」とを区別し、前者の破綻は回避すべく努力しているが、後者にかかわる破綻先を救済することには懐疑的だからである。

真の問題は、両者の境界線を公浮キるか否かという点にある。もちろん、何もかも公浮キれば良いというものではないが、境界線が不明確だと救済されない先については取り付け騒ぎが起きかねないし、救済される先についてはモラルハザードが生じかねない。また何故あるケースは救済され、他のケースは放置されるのかが示されなければ、不透明性の問題に加えて、不公平性の問題が生じる。金融機関の生死のかかわる決定が、すべて金融当局の裁量的判断に委ねられるのでは余りに問題が大きいのではなかろうか。ちなみに、アメリカでは、自己資本比率が2%以下となれば、原則的に金融機関は閉鎖される仕組みが導入されている。こうした大原則が具体的に示されたうえで、救済された金融機関の経営者が更迭され、株主も相応の負担を負うという明確なルールが貫徹されれば、公平性も確保される。こうした透明な市場づくりに果たすべき中央銀行の債務は重い。

第三に、民間のメジャープレイヤーも市場の透明性を高め、市場メカニズムが働き易くなるよう、自主的に努力すべきである。とりわけ、重要な点は、市場参加者のディスクロージャーの一層の拡充である。

この点では、昨年9月にBISユーロ委員会が公浮オた「フィッシャーレポート」が参考になろう。すなわち、同レポートは、ディスクロージャーの意義を、市場機狽ニ市場の透明性向上としたうえで、「金融機関がリスクの測定や指標化のために実際に内部で使用しているリスク管理情報をディスクロージャーにも適用する」という点を強調している。同レポートの眼目は、(1)ディスクロージャーはもはや横並びで強制されるものではなく、規制でもない、自らのリスク管理迫ヘを独自の方法で自主的な判断に基づいて開示していくことである、(2)会計原則による「時価」の開示は大きな前進であるが、「デリバティブ時代」のリスク開示には時価の採用のみでは限界があり、会計原則を補完するリスクパラメーターを何らかの手法で開示していくことが求められている、の2点であろう。この意味で、東京市場の参加者は、国際的にも、自らの判断によって自らを開示し、これによって市場の判断を待つという「市場規律」に基づいたシステムに組み込まれていかざるを得ない。まさに、金融機関自身も、自らの透明性を向上させていくことこそが、そのプレイヤーとしての地位向上に結びつく時代が到来したといえよう。

以上のような3つの「透明性」向上こそが、1995年の日本の金融システム活性化の鍵を握っている。
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