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Business & Economic Review 1997年11月号

【OPINION】
他人にリスクを取らせる前に-本年度「経済白書」批判

1997年10月25日  


いささか旧聞に属するが、あまり指摘がなかったようなのであえて発言しておきたい。本年度の「経済白書」の第2章「日本経済の長期発展への構造改革」についてである。

「白書」曰く、経済発展にはリスクを恐れず積極的に未来を切り開いていく企業の存在が不可欠だが、家計が極端にリスク回避的な資産選択行動を行っているので、こうしたリスク・マネー供給が隘路となって日本経済の成長が阻害されている。経済環境の変化に伴って、家計はもはや「規制に守られた安逸な世界」に戻ることはできない。今や、家計も運用リスクに自己責任で対処し、それによって低金利下での効率的な資産運用を図らねばならない。リスクとの正面対決は「決して容易なことではないが、前に進むしか途はない」と、リスク・テイクの必要性をいささか感傷的なまでに高らかに謳い上げ、章を締めくくっている。

官僚の文章に自己反省が含まれないのは「白書」に限ったことではないが、規制に守られた「安逸な世界」に安住する無知な国民に対して、お上が「それはあなたのためにもならないから、もっとリスクを取りなさい」と諭すような(来るべき大変革に対応するには、個人も「個性や創造性を磨いていくことが不可欠」だそうだ)白書の筆致は不愉快極まりないだけではなく、経済理論的にも誤りである。国民のリスク回避志向は大部分、過去の政策への合理的反応として生じたものだからである。

わが国家計のリスク資産(ここでは「白書」と同様に有価証券を念頭に置く)投資比率が急速に低下し始めたのは1960年代後半以降のことである。一方、家計の負債額がこの頃から急速に増加し始める。持ち家購入目的で年収の数倍もの住宅ローンを組むのが一般的となったためであり、事実、わが国家計負債の大宗は常に住宅ローンで占められている。

長期にわたって確実に返済し続けなければならない固定負債を抱えた経済主体が、手元資金を無リスク運用するのは標準的な経済理論のもとでは合理的な行動である。万が一、運用に失敗してローン返済に窮すれば、唯一の資産である持ち家を失ってしまうからである(この点、家計負債の大宗が流動負債で占められているアメリカとは事情が異なる)。リスク投資が長期的にはより高い平均収益率をあげるとしても、以上の結論は変わらない。近年、まったく同じ問題が年金運用に関して「時間分散効果論争」の名で蒸し返されているが、家計はずっと以前から標準的な経済理論の結論を正しく把み、それに基づき合理的な行動をとってきたと考えられる。

行政は住宅の購入や所有に種々の税制的特典を与える一方、旧態依然とした借地・借家法を温存して良質の借家供給を阻害し、結果として家計が持ち家購入に傾斜せざるを得ない状況を作り出した。いまだに景気対策というと住宅投資減税という連想が働くくらいだから、こうした持ち家優遇の裏にある行政の意図は明らかである。

借金漬けの家計にもっとリスクを取れというだけでも相当なものだが、「白書」は家計や金融機関に運用スキルの向上を求めるだけで、行政側がなすべき政策対応についてはほとんどといっていいほど言及していない。そもそも、新金融商品の開発に口を挟み、金融機関の運用能力向上をスポイルしてきたのは行政自身だ。株式の売買には諸外国に類を見ない0.3%(時限措置で現在は0.21%に減免されてはいるが)もの有価証券取引税が課せられ、売買損の損益通算も売買益の枠内で1年間しか認められない。他に売買益がなければ売買損は丸々投資家負担となる。売買益をあげれば、これまた諸外国に例のない高率の所得税負担が待っている。ならば、配当でということになるが、ここでも1銘柄につき年間50万円を超える配当金については強制的に総合課税扱いとなり、法人税・所得税の二重負担問題も一向に解消される気配がない。リスク負担には何ら措置を講じず、リスクの報酬についてはあの手この手で収奪しようというのだから、家計が無リスク資産運用に逃げ込むのは、節税対策という面でもきわめて合理的な行動といえる。

国民にリスク・テイクを説く前に、家計がリスクを負担できるだけの政策的配慮が必要だ。証券税制の改革はもちろん、勤労世代の負担を減少させる大幅な所得減税や限界税率の引き下げ、借地・借家法の全面改革による極端な持ち家優遇政策の是正、等が急務である。家計にリスク判断能力の向上を求めるなら、金融知識の学習に向けた労働時間の削減や新たな勤労者向け財産形成プランの創設等への言及もあっていい。お上からのリスク・テイクの勧めはそうした政策が実現してからの話である。
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