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Business & Economic Review 1997年10月号

【INCUBATION】
畑作地帯の地下水が危ない-環境保全型畑地整備事業の提案

1997年09月25日 西村実


1.進行する硝酸性窒素による地下水汚染

本年3月に地下水の水質環境基準が告示された。地下水の水質環境基準が設定される過程の中央環境審議会における議論では、一部の委員から現在要監視項目として指定されている硝酸性窒素を環境基準項目に加えるべきとの意見が出された。硝酸性窒素は、体内に入ると体内の嫌気的条件下で亜硝酸性窒素に還元され、酸素を運ぶ赤血球のヘモグロビンと結合し、特に乳幼児に一酸化炭素中毒にかかったときのように酸素欠乏症いわゆるチアノーゼ症状を引き起こす原因物質となり得る。また、強力な発癌性物質であるニトロソアミン類の生成にも関与するといわれている。このように人の健康に影響するため水道水の水質基準では、水道水中の硝酸性窒素の濃度は10mg/リットル以下と定められている。

結局、先の審議では、地下水中の硝酸性窒素濃度に関する実態把握が進んでいないことや硝酸性窒素汚染地下水の対策技術に関する情報が不足しているとの理由から時機尚早とする意見が大勢を占めたため、水質環境基準項目に加えることは見送られた。

しかしながら、その後環境庁が1994年度から96年度にかけて全国の6割の都道府県を対象に行った水質調査の結果が明らかになると、要監視項目に指定されている硝酸性窒素を含むいくつかの項目について指針値を超える検出事例が相当数見られたことから、本年5月にはこれらの項目を環境基準項目に加えることについて中央環境審議会に諮問された。来年夏を目処に答申が示される予定である。

地下水中の硝酸性窒素濃度が高まる主な要因として、農業活動があげられる。本稿では、農業と硝酸性窒素汚染問題との関連を整理し、農業現場において地下水の水質保全を推進するための新たな事業制度の提案を試みる。

2.農業における硝酸性窒素汚染の現状

近年、消費者の健康志向や安全志向から無農薬野菜や有機栽培に対するニーズが高まっている。すなわち、農作物の安全性や農薬の使用の環境への影響についての関心が高まっているわけであるが、農産物だけでなく農業の生産基盤である土壌や地下水が農業活動によって汚染されている可能性のあることを見落としてはならない。前述のとおり土壌・地下水に関わる実態調査や環境基準設定の動きにあわせて、大きな問題となってきたのが硝酸性窒素による地下水汚染である。

農林水産省が、農業用井戸について全国297ヵ所の調査地点を設定し、年間60地点ずつ87年度から91年度の5年間に水質調査等を実施した結果、硝酸性窒素濃度は最高で77.4mg/リットル、平均で4.83mg/リットルという数値が得られている。これを井戸周辺の主な土地利用に分類すると水田では平均で1.9mg/リットルであるが、畑地など水田以外の土地利用では平均で8.26mg/リットルの高濃度を示しており、特に普通畑では平均で8.88mg/リットル、施設園芸では平均で9.06mg/リットルと、高濃度の値が報告されている。環境庁が公表している硝酸性窒素による地下水汚染事例(岐阜県各務原台地、沖縄県宮古島、熊本市およびその近郊地域、鹿児島県鶴田市、茨城県稲敷台地等)も畑作地帯と重なっているのは偶然ではない。このように畑作地帯の一部では、地下水中の硝酸性窒素の濃度が高まる傾向がみられ、その主な要因として、集約的農業に起因する窒素肥料等の多投入や不適切な使用、家畜糞尿の不適切な処理等が指摘されている。

このような問題を受けて農林水産省では、数年来、「環境保全型農業の推進」という施策を展開している。これは窒素肥料の施肥量抑制や堆肥等の有機性肥料の利用促進を柱とするものであり、営農の面から過剰施肥による地力の減退や肥料由来の硝酸性窒素の地下水への浸透を防止しようとするものである。しかしながら、地下水中の硝酸性窒素濃度の推移を見る限り、この施策だけでは十分な効果が上がっているとはいえない状況にある。

3.農業の環境問題に関する外圧

農業の環境的側面については、これまで主として経済開発協力機構(OECD)において活発な議論がなされており、そこでの議論が国内の政策に少なからず影響を与えている。85年にOECDの環境政策委員会において農業と環境の関係についての検討が開始された。その後、92年には農業大臣会合において農業と環境の関係の分析を深める必要性が指摘され、93年9月には農業委員会と環境政策委員会の合同作業部会である「農業と環境」の第1回会合が開催された。この会合は、96年12月までに7回開催されている。

OECDにおける検討のポイントは、概ね次の2点である。

・農業活動が環境に及ぼす正の影響と負の影響を明らかにすること
・農業政策が環境に及ぼす影響を明らかにすること

主な検討事項は次のとおりである。

(1) 農業環境指標の開発

農業が環境に及ぼす正・負の影響を定量的に示す13の指標の開発について検討。わが国は、「農業の土地利用と保全」、「農業の肥料使用」および「農業の農薬使用」の3指標についての取りまとめを担当。

(2) 農業政策の環境に与える影響の検討

農業保護政策の削減および貿易自由化が環境に及ぼす正・負の影響を明らかにし、環境を保全するためにとるべき施策について検討。

(3) 各国の環境関連農業政策の分析

各国が実施している環境に関連した農業施策が、その目的、効果、コストの面からみて適切か否か、汚染者負担原則との関係等を分析。

OECDにおける検討の最終的な目的は、農業施策が環境保全のために適切か否かを判断するための指標を開発し、各国の農業施策を分析することであるものの、他方で主要農産物の輸出国が貿易交渉の道具として環境問題を利用している側面があることも否定できない。各国の主張は次のとおりである。

アメリカやオーストラリア等の主要農産物輸出国は、価格支持および国境措置等の農業保護は、農業の投入・産出を人為的に高めることを通じて環境破壊をもたらしており、農業保護・支持を抑制することにより農業の環境負荷が改善されると主張している。すなわち、農産物の輸入国に対して、自国の農業の保護をやめて自由化することを環境保護の名のもとに主張しているのである。

EU諸国は、農業保護・支持が農業の環境負荷を助長している面があることは認めているが、農業が環境に与える正の機能として景観維持や生物多様性の保全等についても正当に評価すべきと主張している。

わが国は一貫してアジア・モンスーン気候下の水田農業は、洪水防止、水涵養、土壌浸蝕防止等の環境保全機能を有していると主張している。この主張には、アメリカやオーストラリア等の主張に対抗する意味合いが含まれていると考えられる。わが国は水田農業を前面に押し出して、その環境保全機能を主張してきたわけであるが、その半面総耕地面積の45.5%(95年時点、農林水産省耕地及び作付面積統計ベース)を占める畑作農業については前述のとおり、硝酸性窒素汚染の問題があることが明らかになってきた。

畑作農業が原因で、地下水中の硝酸性窒素の濃度が高まっているという問題は、わが国の農業は環境に対して正の影響を与えているというこれまでの一貫した政府の主張を揺るがすものであり、貿易交渉の場でもアキレス腱となる可能性がある。したがって農業政策上も硝酸性窒素による地下水汚染の実態を十分に把握したうえで、早急に有効な対策を講じる必要がある。

4.硝酸性窒素の地下水浸透機構と農業形態

土壌に供給される窒素化合物には、図表1に示すとおり植物に固定された有機態窒素、肥料や畜産廃棄物を起源とする有機態窒素およびアンモニア性窒素、降水により供給されるアンモニア性窒素および硝酸性窒素等がある。

有機態窒素は、すべて有機物中に固定されているが、昆虫や微生物の作用を受けて徐々に無機態窒素へと変化する。無機態窒素は、土壌中で微生物の作用を受け、アンモニア性窒素、硝酸性窒素、窒素ガス等の形態変化を繰り返しており、硝酸性窒素は窒素化合物が様々な酸化反応を経た最終生成物と考えることができる。

畑地に肥料として供給されたアンモニア性窒素や硝酸性窒素は作物により吸収される。作物に吸収されずに畑地に残存したアンモニア性窒素は、その大部分が土壌粒子や土壌有機物に吸着している。一方、残存した硝酸性窒素は土壌粒子にはほとんど吸着せず雨水や潅漑水に溶脱し、水とともに次第に深層へと浸透し、地下水の層まで到達して地下水汚染を引き起こす。図表2に硝酸性窒素の地下水への浸透機構を示す。

一方、水田の土壌は田面水に覆われているために還元状態にあり、肥料として供給された窒素成分の多くはアンモニア性窒素として土壌に吸着され、溶脱されにくくなっている。また土壌表面に有機物が比較的多く含まれており、かつ還元状態にあるため脱窒菌による生物的脱窒が活発に起こり、硝酸性窒素は窒素ガスとなって空気中に放出される。いわゆる水田の窒素浄化機能が働いているため地下水まで硝酸性窒素が混入しにくくなっている。このことは前述の農業用井戸の水質調査においても、井戸周辺の土地利用が水田のところでは硝酸性窒素濃度の平均値が1.9mg/リットルと低くなっていたことからも説明できる。

5.未然防止が求められる硝酸性窒素の除去

窒素肥料と硝酸性窒素の地下水への浸透機構との関係についてはほぼ解明されているわけであるが、農業生産においては今後とも窒素肥料を使い続けなければならないという点がこの問題の解決を複雑にしている。

同じく地下水汚染問題として大きな社会問題となっているトリクロロエチレン等の有害化学物質による地下水汚染と硝酸性窒素の地下水汚染では、その性格が大きく異なっている。有害化学物質の地下水汚染では、調査によりA事業場やB工場といった具合に汚染源を点源として特定でき、汚染責任者を特定することが可能である。また、89年の水質汚濁防止法の改正により、環境基準項目に指定されている有害化学物質を含む排水の地下浸透が禁止されたため、一部の例外を除くと法律の施行以前に漏洩・排出された汚染物質による蓄積性の汚染である。現在も継続して汚染物質が漏洩・排出されているわけではないので、基本的には地中に蓄積された汚染源を除去することによって浄化することが可能である。有害化学物質の地下水汚染対策については、汚染者負担原則を基本として本年4月に施行された改正水質汚濁防止法により、いくつかの要件を満たせば都道府県知事が汚染責任者に対して浄化命令を下せるようになったことから、問題解決に向けて大きく前進したと考えることができる。

一方、硝酸性窒素の地下水汚染は、硝酸性窒素の供給源が面的に広がっている畑地であることから点源としての汚染源を特定することが困難である。また、農業活動が続く限り、ある程度の硝酸性窒素は不可避的に供給され続ける。営農指導により施肥量の抑制や施肥方法の改善等を指導することはできても、有害化学物質と異なり窒素肥料の使用を全面的に規制することはできない。すなわち将来にわたって継続的に汚染物質が地中に供給され続ける継続性の汚染と考える必要があり、有害化学物質の地下水汚染と同様の論理で解決することは難しい。

しかしながら、硝酸性窒素による地下水汚染については、もはや看過できない状況になっており、何らかの手を打たないと手遅れになるという判断から中央環境審議会に対して環境基準項目への追加について諮問されたと見るべきであろう。

硝酸性窒素の地下水汚染については、継続性の汚染であるという性格を考慮すると、現在すでに汚染されている地下水の浄化ももちろん必要であるが、それ以上に将来に向けての恒久的な対策としての未然防止という考え方に立った施策が重要だと考える。

地下水は一旦汚染されると地下水そのものの流動が遅いことから、浄化に非常に長期間を要するといわれているが、水への溶解度の小さいトリクロロエチレン等の有害化学物質と溶解度の大きい硝酸性窒素ではその点の考え方も異なるであろう。すなわち、水への溶解度の小さい有害化学物質は、しばしば汚染源として有害化学物質の原液の固まりが地中に存在しており、それが徐々に地下水に溶け出して汚染を引き起こしているため、汚染源を除去しない限り地下水への汚染物質の溶出を止めることはできない。

一方、溶解度の大きい硝酸性窒素は、地表からの供給が直接的に地下水中の濃度に反映されると考えられるので、地表からの硝酸性窒素の供給を抑えることにより、比較的早く地下水中の硝酸性窒素濃度を低下させることができるのではないだろうか。ちなみに、高度成長期における河川の水質悪化にはすさまじいものがあったが、その後水質環境基準が定められ、環境基準項目の排出基準値が設定されたことから、各事業場に排水処理装置が設置され、その結果として今日では見違えるほど河川の水質は改善された。場所によっては鮭が戻ってきた河川すら報告されている。

硝酸性窒素の問題についても同様の考え方ができるのではないかと思われる。すなわち、硝酸性窒素が環境基準項目に追加されれば、環境を望ましい状態に維持するために遵守すべき濃度が定められることになるだけに、農業の分野においても工場における排水処理装置に例えられるような公害防止装置の設置が促進され、環境基準値を維持する努力の広がりが期待できるという考え方である。窒素肥料は農業活動にとって今後とも不可欠であるのならば、窒素肥料が原因となって地下水へ浸透する硝酸性窒素によって、地下水中の硝酸性窒素濃度が環境基準値を超えないような予防措置を農業の生産システムに組み込むことが必要である。

筆者らは肥料や家畜糞尿等により供給される硝酸性窒素を地表付近に設置した暗渠によって雨水や潅漑水とともに回収し、浄化施設に引き込んで硝酸性窒素を除去する地上集積処理法(図表3)や土壌中に浸透した硝酸性窒素が地下水の層に到達する前に脱窒菌が活発に生息する浸透バリアで無害な窒素ガスとして除去する地中遮断処理法(図表4)などを畑作地帯や畜産地帯に組み込む構想を提案している。

ヨーロッパ諸国やアメリカにおいては、公共の飲料水源として利用する地下水が硝酸性窒素で汚染された例が多数あり、飲料水用に揚水された大量の地下水をバイオリアクターに通して硝酸性窒素を除去してから利用している事例が報告されている。図表3の浄化施設内における硝酸性窒素除去装置としては、イオン交換樹脂(樹脂に結合している塩素イオンと水中の硝酸性窒素イオンを交換することにより硝酸性窒素を除去する樹脂)を用いた装置、逆浸透膜(水は透過するが、硝酸性窒素イオンを透過しない膜)を用いた装置、あるいは生物的脱窒用のバイオリアクター(脱窒菌が吸着した担体を充填した反応槽)等があげられるが、筆者らは海外における実績や経済性評価などの結果を踏まえるとバイオリアクター方式が最も有望と考えている。また、図表4は地中に脱窒菌が活発に生息する担体層(浸透バリア)を設置することにより人為的に生物的脱窒を行わせる方法であり、水田土壌において自然に起きている生物的脱窒を模倣した自然のメカニズムにかなった方法であると考えている。

7.環境保全型畑地整備事業の提案

ここで提案した地下水の保全システムの農業現場への導入を実現するためには、技術的な問題もさることながら、誰が費用を負担するのかという問題を解決しなければならない。農業生産者は零細な経営状況にあるため、地下水の保全システムを独力で導入することはおそらく不可能であろうと思われるため、設置を義務づけることは難しい。また、農業生産に直接結びつく投資ではなく、環境改善が何らかの便益を発生させるものでもないので農業生産者に受益者負担の論理を適用することも不適切と思われる。その一方で地下水の水質を保全するという目的を持った保全システムは、清浄な水資源としての地下水を量と質の面から維持するものであり、農業生産者だけでなく地域の住民すべてに利益をもたらすきわめて公共性の高い事業といえる。

環境費用を内部化するという方策や汚染者負担原則の適用等が、環境問題解決のための望ましい姿ではあるが、先にみてきたとおり硝酸性窒素の問題にはそれらの適用は難しい。しかしながら、好ましい環境に国土を保全するための社会的基盤としての重要性を鑑みると、環境保全型畑地整備事業(仮称)と呼べるような公共事業としての新たな事業制度を創設してでも実施されることが望まれる。昨今、公共事業に対する見直しの議論が行われているが、環境費用を特定の受益者や汚染者、さらには市場価格等に転嫁できず、かつ公共的で優先度の高い事業については、財源を税金に求める公共事業として取り組む必然性があると考えられる。筆者らは、すでに具体的なモデルを設定して本事業のコスト試算に着手しており、本年度末を目標にとりまとめる予定である。

21世紀を睨み、国際的な競争のなかでわが国の農業を振興するうえでも、環境保全は切り離せない問題となっており、既存の農業農村整備事業において環境保全型畑地整備事業(仮称)を適用することを提案する。
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