Business & Economic Review 1997年05月号
【OPINION】
決済システムの安全性の向上を
1997年04月25日
近年の金融環境の変化のスピードにはめざましいものがあるが、それと同時に、「決済リスク(取引約定後、決済が予定通りに行われないリスク)」も、近年大きく変化している。すなわち、(1)金融の自由化、グローバル化の進展を映じた金融取引の増大を受け、決済ボリュームは近年急速に拡大しているほか、(2)決済システムのエレクトロニクス化、ネットワーク化、グローバル化の進展によって、決済の効率性が顕著に向上した半面、万一決済リスクが顕現化した場合の、その伝播のスピードも速く、かつ広範囲に及ぶ可能性が高くなっていることも事実なのである。
わが国における決済システムは、主として民間銀行を担い手とするネットワーク((1)全国銀行データ通信システムによって事務処理される内国為替決済制度や(2)外為円決済制度)を中心に運営され、それらによる日々の集中計算の結果は、各銀行が日本銀行に対して有する日銀当座預金の振替によって最終決済される(実際には日銀ネット上で事務処理される)形になっている。このように、わが国における決済は、主として民間銀行が提供する預金通貨を決済手段として行われているといえよう。
こうした決済システムの安全性を、われわれ一般国民はこれまで全く疑うことなく、無条件に信頼してきた。しかしながら、近年、そうした信頼はほころび始めているといっても過言ではない。すなわち、決済リスク、とりわけ決済システムの一参加者の決済不履行の影響が、連鎖的に当該システム全体に拡大するという意味の「システミック・リスク」を顕現化させるトリガーとしては、(1)決済システムに参加している金融機関のデフォルト、(2)システム・ダウン等が考えられるが、それらの中で、過去においてはまずあり得なかった(1)金融機関のデフォルトの実例が国内でも散見され始めているため、システミック・リスクの可能性が、一般国民にとっても少しずつ現実性を帯び始めてきているのである。
決済システムの安全性を高めるための方策
では、決済システムの安全性を高めるためには、どのような方策を採ればよいのであろうか。具体的には、(1)決済リスクそのものの削減に努めること、(2)万一決済リスクが顕現化した際のシステムとしての流動性確保のために、制度的な枠組みを構築しておくこと、の双方が必要であろう。このうち、(1)決済リスクの削減については、決済リスクとはそもそも、取引金額が大きくなればなるほど、また、取引の約定から最終的な決済が完了するまでのラグが長くなればなるほど、大きくなるものと理解できることからすれば、その削減のためには、(1)未決済残高そのものを削減する、(2)決済に要する時間的なラグを短縮する、という2つの方向が考えられよう。
こうした考え方に則り、わが国においても、例えば全銀システムにおいて、(1)(1)の方向での対策として、仕向超過額管理制度の導入(90年7月導入、94年1月改定)や、(2)の方向での対策として、同日資金決済方式の導入(93年3月実施)、(2)の方向での対策として、加盟銀行の日本銀行への担保差し入れの義務化(95年度以降仕向超過限度額の50%)を基本に、その処分でカバーしきれないロスについての業態別共同責任制度の採用等、安全性確保のため、かなりのレベルでの対策がすでに採られていると評価できよう。
日銀当座預金決済のRTGS化をめぐる問題
これに対して、近年では、決済リスクの削減のために、(1)未決済残高そのものの削減にはこだわらず、(2)決済に要する時間的なラグをゼロにすることによって、決済リスクをゼロにしようという、RTGS(Real Time Gross Settlement、即時グロス決済)化の動きが各国に拡がっている。わが国においても、日銀が日銀当座預金の受け払いについて、このRTGS方式を2000年を目途に導入するという提案を96年12月に行い、これに対して全国銀行協会連合会が97年2月に意見書を提出する等、具体的な議論が開始されている。
ただし、ここで注意すべきは、決済システムの運営に当たって求められる(1)安全性と(2)効率性の2つの側面は、トレード・オフの関係になり得るということである。例えば、上述のRTGS方式は、決済リスクをゼロにし得るという意味では、確かに安全性はきわめて高い半面、支払指図を入力する都度決済資金を手当しなければならないことを考えれば、全銀システムにおいて採られているようないわゆる時点ネット決済方式(各行から発出された支払指図を順次蓄積し、同日の決まった時点にそれらを集中計算した結果をネット・アウトしたうえでまとめて決済する方式)よりは、資金効率性の面で劣ることは明らかである。したがって、決済リスク対策を講じるに当たっては、当該システムが包含するリスクの内容を的確に分析したうえで、当該システムにかかる決済の性質(1日当たりの発生件数、1件当たりの金額等)を考慮しつつ、安全性と効率性のバランスをとるようにすることも必要であろう。
日銀当座預金決済の性質が大口(1件当たりの金額が大きい)・少量(1日当たりの決済件数が少ない)型であることを勘案すれば、これのRTGS化を図ることは適当といえよう。しかし一方で、その実現のためには、制度的な手当が必要である等、まだ乗り越えられるべき課題も多い。例えば、日銀は、RTGS化により、銀行にとって追加的に必要になる決済資金としての流動性を供給するために、日中の当座貸越制度の創設を提案している。そのために参加銀行が日銀に対して差し入れる適格担保の範囲として、全銀協は今般提出した意見書で、株式をも含めるように要望している。確かに、適格担保の範囲の設定いかんは、RTGSシステムに参加する銀行サイドの資金効率に大きく影響するとみられるため、これはまさに、決済システムの安全性の確保と効率性の向上がトレード・オフになる典型例といえよう。しかしながら、国債等に比して価格変動リスクの大きい株式を担保として中央銀行が信用を供与することは、通貨価値の安定という見地からすれば問題が大きく、欧米諸国でもほとんど例をみない。RTGS方式を実行に移すうえで、参加銀行の資金効率面にいかに配慮するかという点については、適格担保の範囲の拡大によってではなく、他の方法によって解決が図られるべきであろう。例えば、日銀が提案している「有担・無料」方式での日中流動性供給にこだわるのであれば、全銀協も提言しているような与信ごとに異なる既存担保の共通化等の方策を講じること、もしくは「振替待ち行列(支払指図入力時に資金が不足している場合、当該指図をリジェクトするのではなく、他行からの受取等によって所要資金が確保できるまで、支払指図の実行を保留しておく仕組み)」制度を併用することも、参加銀行の負担軽減のための一策となろう。このほか、諸外国で採用されているような、「無担・有料」方式による日中流動性供給の部分的な併用や、全く別の方法としての「日中レポ方式(中央銀行が日中の決済資金の不足分に対応して、国債等を現先方式で買い上げる<当該日の市場クローズまでには反対売買により金融機関は資金を返済>ことにより、流動性を供給するという仕組み)」の導入も、選択肢の一つとして検討に値しよう。
外為円決済制度の問題
このほか、わが国の決済システムには、外為円決済制度のように、まだ安全性の確保が不十分なものも存在する。この問題に関しては、96年3月のBIS報告(「外国為替取引における決済リスクについて」)を受け、わが国においても東京銀行協会で対応策が検討されているようであるが、外為円決済制度においても、(1)(1)未決済残高の削減や、(2)決済に要する時間の短縮(現行の慣習では、決済日は取引約定の4営業日後)、(2)万一決済リスクが顕現化した際のシステムとしての流動性確保のための制度的な枠組みの構築、という各側面において、少なくとも全銀システムにおいて採られているのと同レベルの対策が早急に講じられることが望まれる。また、外為円決済制度もまた、大口・少量型の決済システムであることに鑑みれば、将来的にはRTGS方式への移行を図ることが望ましいといえよう。
ヘルシュタット・リスクへの対応
ちなみに、わが国の外為取引をめぐる環境を考えれば、(1)円ドル取引への依存度がきわめて高く、また、(2)主要国との地理的な関係(時差)からすれば、たとえ外為取引にかかる債務の履行期限が同日としても、実際の期限は時差の関係で相手国よりもかなり前(例えばドル資金が決済されるアメリカ<わが国にとっての最大の外為取引相手国>の場合には十数時間前)に到来することが多い、という点が特徴として指摘できる。このような時差に起因する外為決済リスク(いわゆる「ヘルシュタット・リスク」)は、91年に発生したBCCI事件の際に実際に顕現化し、邦銀が数千万円の損害を被るに至ったことは記憶に新しい。このような「ヘルシュタット・リスク」に、わが国としていかに対応するかも、今後の課題であろう。
上述のBIS報告も指摘しているように、この「ヘルシュタット・リスク」の削減のための方策としては、(1)未決済残高そのものの削減と、(2)決済に要する時間的なラグの短縮、という2つの方向が考えられる。わが国としては、(1)の方向での対策として、バイラテラル、マルチラテラル・ネッティングの導入を積極的に進めることもさることながら、より根本的な対策として、国内決済システムの稼働時間の延長によるPVP(Payment Versus Payment、2つの通貨について、時差に関係なく、決済当事者がいずれも受け渡し可能であることを確認したうえで、同時にこれを決済することによって、一方の通貨の取りはぐれを回避する仕組み)の実現に向け努力する必要がある。折しも、わが国の主要な外為取引相手国であるアメリカにおいては、本年12月より、中央銀行の決済システムであるFedwireの稼働開始時間を大幅に繰り上げることが決定されており、これが実現すれば、わが国の外為円決済制度の事務処理を担っている日銀ネットの現行の稼働時間との間でも、2時間半~3時間半のオーバー・ラップが実現することになる。わが国としても、外為円決済、日銀ネットの稼働終了時間をさらに繰り下げることにより、欧米主要国のシステムと同時に決済が可能な時間帯をさらに広げるなどの努力が必要であろう。
決済システムの安全性向上は国民全体の利益 決済システムとは、経済活動全体を支えるための重要な社会的インフラの一つであって、まさに人体内における血液の循環系のようなものである。
決済システムの安全性を確保することは、金融機関にとって利益となるばかりではなく、まさに国民全体の利益になる。とりわけわが国の場合、その安全性の向上が今日ほど求められている時はないといえよう。これまで決済システムの安全性を無条件に信頼できた時代とは異なり、今日では、われわれ一般国民もその安全性に高い関心を持たずにはいられない。金融機関や当局は、こうした社会全体への重い責任を肝に銘じて、その安全性の向上に努めるべきであろう