Business & Economic Review 1997年01月号
【OPINION】
新政権の課題-わが国経済・社会の再生に向けて
1996年12月25日
1.新政権発足
平成8年11月7日、第二次橋本内閣が発足した。新政権は、発足後直ちに、「行政改革を不退転の決意で断行」するとの意気込みを表明したうえで、中央省庁再編等を検討する行政改革推進会議を首相直属機関として新設し、さらに、金融改革や財投改革の指示が首相から矢継ぎ早に出される等、具体的取り組みに向けた積極的姿勢を鮮明にしている。
加えて、行政改革推進には、現在、次の促進要因がある。
第1は朝野を挙げて行政改革の機運が盛り上がっている点である。行政改革の緊要性は、すでに、民間のみならず、政治家サイドでも与野党を通じての共通認識となっている。たとえ改革の手順や手法等の細かな点で食い違いがあるとしても、少なくとも、行政改革自体を不要と強弁する反対勢力は存在しない。さらに、官僚による一連の不祥事が、改革の必要性に対する国民の認識を強める方向に作用している。
第2は、新政権発足と前後して、様々な答申や意見が各種審議会から相次いで提出されている点である。例えば直近数ヵ月間だけをみても、10月には経済審議会の中間報告、11月は行政改革委員会行政情報公開部会の報告、12月には行政改革委員会の規制緩和小委員会や官民活動分担小委員会、さらに地方分権推進委員会の報告等、枚挙に暇がない。これらの動きを総括してみれば、数年来の改革論議を経て問題点の絞り込みや解決策の検討が進展し、改革のメニューが出揃う一方、改革に向けたコンセンサスも徐々に形成されてきた、との評価を与えることができよう。
第3は、景気の持ち直しによる改革を巡る経済環境の好転である。国民各層に、わが国経済崩落の端緒ではないかという深刻な危惧を呼び起こしたデフレ・スパイラルの危機が後退する等、わが国の景気は最悪期を脱出しつつあり、構造改革の着手には景気面からもフォローの風が吹き始めている。
2.成果は疑問
以上の点に着目すれば、多少の紆余曲折はあっても、今後、行政改革は着実に進展すると期待できるように見える。しかし、そうした見方に死角はないか。
そもそも今回の改革では、現下の閉塞状況、すなわち、わが国経済の非効率性や高コスト体質等の問題を克服し新たな活路を拓くことが、改革の最終目標である。しかし、次の点を勘案してみると、今後、進展が期待される一連の改革によって、わが国経済が現在の苦境からどこまで脱出できるか、すなわち、改革の成果にどの程度期待できるかは、依然として不透明である。
1)システムの強固さ
第1の壁は、政治・経済・社会システムをはじめとするシステム全体の強固さである。わが国のキャッチ・アップ型システムは、長い時間をかけて隅々まで定着してきた極めて堅牢なシステムである。その定着期間は、太平洋戦争に備えての戦時体制が維持されてきたとの観点からみれば半世紀にわたる一方、同システムが先進各国水準への国力昂揚を目指した富国型であるという観点からみれば、明治維新以来1世紀強に及ぶ。
2)危機意識の不足
第2は、危機意識の不足である。わが国経済は、国際競争力の強さを示唆する対外黒字が急速に減少している、あるいは、国内に残るべき産業・企業まで海外に流出する動きが浸透し始めている等の現象に端的に顕われている通り、すでに興廃の瀬戸際まで追い詰められつつある。しかし、こうした深刻な危機意識は、残念ながら、必ずしも国民全員によって須く共有されるまでには未だ至っていない。その結果、個別分野では、一部に依然として旧来型システムの温存を図る勢力が残存し、これが改革推進の障害となっているのが現状である。
3)改革自体の問題
第3は、現下の改革自体が孕む問題である。具体的には、(1)改革理念、(2)推進システム、(3)改革スピード、の3つの問題がある。
(1)改革理念の問題
改革理念の面では、大別して2つの問題がある。まず、第1の問題は、理念未整理ゆえの統一性のなさである。
そもそも今回の改革には、次の対立理念、すなわち、小さな政府と大きな政府、市場重視型システムと規制依存型システム、地方特色型システムと全国画一型システム、のいずれを選択するかという、改革の基本的方向性を定める理念の明確化が不可欠である。仮に、こうした理念の整理が放置されたまま改革が行われても、個別の解決策は折衷的なものにならざるを得ず、改革の効果は半減しよう。例えば、最近の具体的事例では、日本銀行法の改正問題がその典型である。
そもそも、同法改正の議論が強まってきた背景には、近年、一段と市場の役割が拡大してきたなかで、金融政策の有効性を確保していくためには、旧来型の規制依存型システムから市場重視型システムへの転換が不可欠となっている、との内外金融情勢の変化があった。この観点に照らししてみれば、今回の同法改正のポイントは、金融政策に対する国民および市場参加者からの信認獲得に向けて、アカウンタビリティー(説明責任)の充実と、政府からの独立性を2本柱とする市場型システムを確立することである(注)。しかし、改革の基本スタンスとして市場重視型と規制依存型のいずれが基本に据えられるかの問題が依然として棚上げされたままであるなかで、中央銀行研究会の報告では、対立する二つの理念が混交され、本来の改革案からは程遠いものにとどまっている。
改革理念の第2の問題は、改革を現実に推進していく段階で不可欠となる具体的なメルクマールが不足していることである。
例えば、中央省庁再編問題に則してみると次の通りである。
自民党は、今回の衆議院選挙での公約として、現在の中央省庁を政策立案部門と執行部門に分離し、執行部門はエージェンシー化を検討する案を提示した。こうした自民党案が今後どのように具体化されるかは依然予断を許さないものの、中央省庁の再編問題は行政改革の看板的存在であり、いかなるものにもせよ、その断行は新政権にとって不可避となっている。そこで、中央省庁の再編を当為としてみた場合、次の問題は、再編後の中央省庁について、その人員や経費、さらにヒエラルヒー等をどのようなものとして構築するのか、という点である。しかし、この問題の解答は、単に大きな政府か小さな政府か、市場重視型システムか規制依存型システムか等、理念によるテストだけでは得られない。さらに、この問題の解決が放置された場合には、省庁統合の結果、行政組織が肥大化し、組織の非効率化が進行する等、改革の目的から大きく懸け離れた事態を回避できないというケースすら想定することが可能である。
改革を推進するうえでの具体的メルクマールの必要性については、社会的規制と経済的規制の重複問題を指摘することもできよう。多くの規制は社会的規制の色彩を多かれ少なかれ帯有する。このため、現実に規制緩和を推進していくためには、経済的規制を廃止すれば良いといった単純な議論や、大きな政府と小さな政府といった単なる理念の確立だけでは不十分であり、次のようなロジックが不可欠となる。すなわち、まず、すでに時代の役割を終え、現在の状況にマッチしない規制であるといったロジック等、社会的規制を否定し、社会的痛みの発生を容認する論理が必要である。また、社会的規制を外すとしても、全否定でなく部分否定である場合には、否定される規制の範囲はどこまでか、規制が排除されていく手順やその手法はどのようなものか、さらに、当該規制はいつまでに廃止されるか、を決定する論理が必要となる。一方、社会的規制の否定によって失われた利益のなかで救済される利益がある場合には、その範囲はどこまでか、救済にはどのような方法が採られるか、いつまでに救済されるか、を決定する論理も必要となろう。
(2)推進システムの問題
理念に次いで、現下の改革が孕む第2の問題は、推進システムが未整備である点である。
まず、改革の推進母体の問題がある。すなわち、現下の改革推進システムをみると、必ずしも改革推進の主体が第三者機関に限定されず、改革を受ける当該主体が自身の改革問題を検討し実施するという、いわゆる「俎板の鯉が包丁を握る」やり方が許容されている。このため、改革遂行に一定の限界が生じることは不可避であり、徹底した改革は見込み薄である。
一方、政治家に対して、改革推進へのプラス作用が期待できるシステムとして、次回選挙で当落を通じたチェック機能の作動がある。しかし、次回の総選挙の日程が少なくとも近い将来ではないことが明らかであり、選挙民の忘却が懸念されるもとで、こうしたチェック機能の作動に過大な期待を寄せることは禁物であろう。
さらに、現行の改革システムでは、制度上、上からのルートは開かれているものの、下からの改革ルート、すなわち、国民が、改革推進過程に直接参加するルートは遮断されている。その結果、国民には、いかに失業や倒産等の危機に晒されようとも、上からの改革が成就し、その成果が顕在化するまで、それらの痛みにひたすら耐え忍ぶ以外、自発的行為という観点からみる限り、採るべき方策は残されていない。もっとも、本来わが国に残るべき基幹産業や有能な人材等、競争力のある企業や個人には、幸いにして、唯一、海外流出の選択肢が残されている。
(3)改革スピードの問題
第3は、改革遂行のスピードの問題である。
すでに、英米等アングロ・サクソン系諸国は、80年代以降、「小さな政府」の実現を目指して一連の改革を断行し、効率的かつ魅力的な国内市場の実現に成功しつつある。一方、独仏等欧州大陸諸国でも、かつては、市場経済システムに対する不信や懸念を背景に「小さな政府」、さらにいえば英米型システムの導入に対して消極的な姿勢が強かったものの、「大きな政府」による自国経済の深刻な停滞に直面するなかで、近年、軌道修正が行われ、英米型の改革に着手する動きが広がっている。
このように欧米先進各国で行われ始めている一連の改革には、ほぼ同様の方向性が看取される。これは、改革の根底に、資本主義の危機ともいうべき事態に対する次のような厳しい認識が共通して存在することに起因するとみられる。すなわち、(1)「大きな政府」等を背景にした高コスト体質を温存したままでは、雇用や実質賃金の減少、失業増加の悪循環から脱却することが困難であり、この問題を放置すれば、社会の崩壊を招来することは不可避であるとの懸念、あるいは、(2)人口高齢化が進行するなかでの「大きい政府」の維持は、不可避的に世代間の所得分配問題を惹起し、さらに、財政赤字の拡大を通じて、金利高止まりによる国内投資の低迷、自国通貨高に伴う企業の海外シフトの強まり等、国内経済の弱体化に作用するとの判断である。
さらに、国民国家概念を離れ、経済主体のサイドからみると、現代は、企業や個人が、国際的な視野で、それぞれの経済活動にとって相対的に魅力の多い国・地域はどこか、という観点から国や地域を選択する時代であり、いわば、世界的なシステム競争の時代と位置づけることができよう。こうした観点からみると、改革は、先送りされる場合だけでなく、断行されても他国対比でみてそのペースが緩慢な場合には、国内市場の魅力が海外市場に比べて相対的に減退する結果、単に海外の企業・個人から無視されるだけでなく、国内の企業・個人も見捨てられ、改革が徒労に終わる公算が大きい。
このようにみると、現下の構造改革に、これまでわが国で問題解決に多用されてきた漸進的アプローチを適用することはもはや禁じ手である。一刻も早く、メガ・コンペティションや情報化等、世界的な政治・経済・社会システムの構造変化を先取りした改革を断行し、他国に先駆けることが不可欠である。
3.打開策
以上のようにみてくると、改革推進に当たっての諸問題を克服して改革の成果を引き出していくためには、次の手順で改革が遂行される必要がある。すなわち、まず、政治力を背景にスピードを重視した改革に直ちに着手し、次いで、改革理念の確立を図る一方、政治情勢の如何によらない強力な推進システムを確立する、という3点セットである。具体的には以下の通りである。
1)改革の即時断行
今回の改革では第1のポイントはスピードであり、その意味で、改革の即時断行、すなわち、着手可能な分野から直ちに改革を断行することが必要である。具体的には、まず、各種審議会等からの答申や意見を最大限活用することが、最も有用な方策であろう。例えば、経済審議会が提示した6分野での規制緩和、地方分権推進委員会の示した機関委任事務の改革等がその代表である。首相は、直属の行政改革推進会議で、中央省庁再編問題について、97年度中に成案を得た上で、98年度に法案化し、2001年度までの実施を目指しているとされる。しかし、これら審議会答申の具体化を突破口として、実質的に中央省庁の改革に着手することは十分、可能である。
大胆かつ意欲的な改革を短期間のうちに断行していくためには、こうした緊急避難的措置に加えて、首相のリーダーシップ発揮や、改革推進に対する国民世論の支持が不可欠である。衆参両院とも過半数を確保していない自民党が主軸となって、今後、構造改革を強力に推進していくためには、改革自体のみならず、その推進の長たる首相に対する世論の後押しが唯一の拠り所となるためである。
2)改革理念の確立
第2は改革理念の確立である。
そもそも、今回の改革の目標が、現下の閉塞状況から脱却し、世界的なシステム競争に打ち勝つ効率的システムを実現することにある、との観点からみれば、採られるべき理念に選択の余地無く、さらに、理念の折衷は全く無意味であることは明らかである。
(1)小さな政府
具体的には、まず「小さな政府」の理念が打ち立てられる必要がある。政府は、市場の失敗を補完する役割に徹し、競争力や創造力等、民間活力の発揚を阻害する公的負担は最小限度に抑制されるべきである。これによって、特殊法人問題や税制改革問題では、その解決の枠組みが自動的に規定される。
(2)市場重視型システム
次に、規制依存型システムからの脱却に向けて、市場重視型システムの原則を確立する必要がある。具体的には、市場のチェックが働く分野は須らく市場原理に委ねる一方、中央政府は全国共通のルール作りを主たる守備範囲とし、アンパイヤとして市場の撹乱者を摘発・排除する役割に特化する。この原則が確立されることによって、日本銀行法の改正問題、さらには、大蔵省改革のうちの金融庁問題や、財政投融資問題のなかの郵貯問題等での不毛な議論は自然解消され、解決の骨格が固まる。
(3)地域特色型システム
最後に、地域特色型システムである。すなわち、全国一律を唯一最大のメルクマールとするナショナル・ミニマム型システムから脱却し、地域特色型システムに移行する。その結果、地域の住民・企業は、それぞれの自己責任において各地の状況に適合した資源や資金の配分を行うことが可能となり、地域間競争の喚起を通じて地域の活性化が推進されよう。いわば、地方行政への競争メカニズムの導入である。この原則の確立によって、機関委任事務問題と補助金問題(地方の自主財源問題)という、わが国地方自治システムが長年抱えてきた根本的な矛盾が一気に氷解するうえ、中央省庁の再編問題に対する重要な指針が付与される。
3)改革推進の具体的メルクマールの設定
第3は、改革理念に裏打ちされた改革推進の具体的メルクマールの設定である。ここでは、まず、具体的な改革推進に必要なメルクマールを導出する公準として「効率性、公正性、透明性」の3原則を提示したうえで、それぞれについて改革推進の具体的メルクマールを示すと以下の通りである。
(1)効率性…コスト&ベネフィット・テスト 公的機関とは、租税等、財政資金という費用をもとに、国民に対して、その対価たるサービスを提供する機関である。それゆえ、国民サイドからみれば、享受するサービスに比べてコストが過大ではないか、そもそも現状のサービスは不要ではないか、民間へのアウトソーシングを図る余地はないか等、効率性のチェックが可能なシステムであるべきである。さらに、改革推進に当たっては、可能な限り、定性判断が排除され、定量的アプローチによって一つ一つの判断が行われるシステムとなっていることが望ましい。こうした観点からみると、効率性を確保する基準として、コスト&ベネフィット・テストの導入が必要である。もっとも、同テストの円滑な適用のためには、まず、政府の活動について企業会計原則同様の厳格な会計制度の導入が不可欠である。加えて、同テストの機能を最大限活用するための基盤として、会計制度導入によるコスト&ベネフィットに関する詳細な計数については、過去・当年度のみならず、今後の計画や偶発債務をも含め、相手方の限定無く国民一般に対して開示されるシステムの整備も必須要件である。
こうした見方に対して、現在の行政には、薬務行政等、高度に専門的な判断を要する分野があり、少なくともそれらの分野には、コスト&ベネフィット・テストは不適合との批判が有り得る。しかし、専門性等、高度の判断を要する分野は、本来、行為のひとつひとつが法律に基づいて行われるべき行政にはなじまない。むしろ、公正取引委員会や日本銀行にみられる通り、専門スタッフの揃った独立機関が、行政府や立法府の政治的影響力から距離を置いて政策の一貫性や専門性を堅持する一方、アカウンタビリティーや情報開示責任、あるいは第三者機関の監視等を通じて公正性を確保することによって、取り扱うべき分野である。
さらに、専門性等、高度な判断を要する分野でなく、企画立案の権能については、本来、立法府が行使すべき権能である。その権能が現在のように中央省庁に集中している場合、国民の眼前で行われるべき議論や判断、選択といった政策決定に係る一連の政治過程が秘密裡に行われる懸念が大きい。まさにこの問題こそ、これまで、各種審議会が行政の隠れ蓑的存在として批判の的となってきた根本原因である。こうした歪みを補正してみると、本来、行政主体に残るべき権能は執行機能が大宗であり、コスト&ベネフィット・テストの有用性に対する疑念は小さなものとなろう。そこで、同テストが活躍する典型例のひとつとして、公共事業を取り上げてみると、次の手法を導入することによって、血税を浪費する利益誘導型公共事業は確実に排除される一方、今後のわが国を支える情報インフラ投資等未来型社会資本投資への優先配分が可能になる。 まず、公共事業関係費と、それによって得られる景気浮揚効果とを対比する。次いで、公共投資の対象事業を、例えば景気浮揚効果が投入される公共事業関係費より大きいもの、すなわち、乗数効果が1を超えるものに限定する、あるいは、事業費総額を決定したうえで乗数効果の大きい案件から順に公共投資の対象とする、等のスクリーニングの網を掛け、景気浮揚効果の小さい事業を除外する、という手法である。なお、公園等、需要創出効果は限定的であるものの、住民の効用増大に寄与する投資に関しては、公聴会等、住民の直接参加等を通じて総合的に判断されるべきであろう。もっとも、地方特色型システムの原則に立脚してみれば、こうした地元密着型投資に関しては、中央政府ではなく、各地方政府の管轄となる。
(2)公正性…デュー・プロセス・テスト
第2の公正性を担保する基準としては、デュー・プロセスのテスト、すなわち、決定や計画等一定の結論に至る過程が公正な手続きによるものであったかどうかの観点から審査する方策が適切である。
具体的には、次の3点が主柱である。
まず、審理・判断・決定等、一定の結論に至るまでの全過程における議論・議事・資料等、一切の情報が公開されていることである。
次に、判断・決定等についての説明義務(アカウンタビリティー)が十分果たされていることである。
最後に、こうした手続きの公正さに関する審査、すなわち行政監察が、内部調査ではなく第三者機関によって行われることである。
このデュー・プロセスのテストは、公正な結論には公正な手続きが不可欠である、という思想を下敷きにしている。逆にいえば、決定や計画等、政府の行為のなかで、公正な手続きが採られていないものは、外見上、どれほど結論として正しいように見えても否定されることになる。
こうした結論の内容を度外視し、手続過程の態様のみ重視する考え方に対しては、一部に、やや教条主義に偏り過ぎるとして有効性に関する疑念を持つ向きが有り得よう。すなわち、結論が正しい場合には、手続きの公正性のみに固執する結果、執る必要の無い余計な手続きを改めて行う必要が生じ、その分、社会的コストや時間的ロスが発生するではないか、という批判である。
確かにキャッチアップ型経済発展期のわが国であれば、目標、手順ともに明らかなだけに、結論を得るための議論は無用との受け止め方も一面では十分根拠のあるものであった点は否定できない。しかし、そうした経済発展が終焉し、成熟経済期に突入した現在の日本では、価値観や目標が多様化するなかで、国全体としての正しい結論はもはや単一ではなくなっている。こうしたなかで政治的正統性を確保するには、国民意思が正しく反映されたかどうか、というメルクマールに依拠する以外ない。
さらに、こうした公正な手続きの持つ有用性について、先日、極めて示唆的な出来事があった。経済審議会の成功である。すなわち、同審議会が、従来に無く画期的かつ斬新な改革案を作成できたことである。その根因は議論の公開性にあった。その公開性ゆえに、理不尽な主張や政治的横車は否定され、審議会参加者のみならず国民にも納得できる議論と結論が確保された。このように手続きの公正性は公正な結論を得るための有力な武器となる。と同時に、審議会等、諮問機関は、従来、行政の隠れ蓑的存在として、改革の遂行のみならず、国民の政治参加や国民への情報公開に対しても、その推進を妨げるものとしてマイナスの評価が与えられてきたものの、使い方によっては、逆に情報公開や行政改革を進めるうえで、有用な機関であることが証明されたといえよう。
(3)透明性…情報公開テスト
第3の透明性を担保する基準としては、情報公開のテスト、すなわち、審理・判断・決定等、一定の結論に至るまでの全過程における議論・議事・資料等、一切の情報が公開されるかどうかの観点から審理することが有効である。
そもそも行政過程には、市場への影響力から一定期間は秘密にしておく必要がある、あるいは、緊急性を要するため審議過程に時間を割く余裕が無いものがあり、その結果、全ての行政行為に完全なデュー・プロセスを要求することは非現実的と言わざるを得ない。しかし、その場合でも、一定期間の経過等の条件のもとに情報の公開性が完備されることが必要である。事後的手続きにとどまるものの、徹底した情報公開制度の完備によって、恣意・不当・無責任な裁量が入り込む余地が極小化されるためである。さらに、このシステムは司法制度を通じた過誤是正にも大きく寄与しよう。逆に、こうした透明性を担保するシステムが不備の場合、恣意・不当・無責任な裁量が皆無であるかどうかについて、国民から重大な疑義が提示されても何等おかしくない。この点については、現在議論されている日銀政策委員会の議事公開の問題が典型例として指摘できる。すなわち、一部には、議事公開はわが国になじまないとする有力な意見があるものの、これは、政府機関の国民に対する責務を忘却した暴論以外の何物でもない。
4)推進システムの確立
第4は推進システムの確立である。これには、ルート別に、上からの改革と下からの改革の2つに大別される。
〈I〉上からの改革システム まず、上からのシステムについてみると、次の3点が柱となる。
(1)行政改革の第三者機関化とタイム・スケジュールの公示
第1は、行政改革の第三者機関化とタイム・スケジュールの公示である。
まず、行政改革の推進が、政権交代やその他重要課題の発生、あるいは行政サイドの抵抗等によって頓挫することを回避するためには、国会の下部組織として推進機構を新たに設置する等、推進母体の第三者機関化が必要である。これでようやく「俎板の鯉が包丁を握る」事態が回避されることになる。
一方、改革推進のグランド・デザインとして、大まかなタイム・スケジュールを明示し、国民各層の協力と監視を得る必要がある。
(2)外からのチェック・システム
第2は、外からのチェック・システムの確立である。本来、政治情勢の国民への伝達はジャーナリズムの責務である。こうした観点からみれば、新聞やテレビ等のマス・メディアは、各政治家の行政改革に対する姿勢や方策の主張等、選挙前での公約をはじめとする言動と、各政治家が現実にどのような政治行動を行ったか、との関係、すなわち、各政治家の政治的言辞と政治的行動との間に齟齬があるかどうか、に関する厳正な評価システムを確立し、これを国民に周知することに一段の注力が望まれる。こうした外からのチェック・システムが確立されることによって、選挙を通じた国民意思の反映という民主主義の基本メカニズムが活性化されることが期待できよう。
(3)内からの改革へのインセンティブ
第3は、内からの改革へのインセンティブ付与である。すでに時代の要請を終えた制度の改革や規制緩和に積極的に取り組み、成果を上げたセクションに対しては、必要とされる新たな権限や予算枠の拡大を優先的に認めることで、改革のインセンティブを付与することも有用である。ちなみに、こうしたインセンティブ付与型の改革推進手法は、改革先進国であるニュージーランドで採用されている。
〈II〉下からの改革システム
次に、下からの改革システム、すなわち、企業や個人等の国民がプレーヤーとして改革推進に直接関与するシステムを用意するという観点からは、直接民主制の導入と司法制度との拡充がポイントとなる。
(1)直接民主制の導入
まず直接民主制についてみると、次の通りである。 そもそも、議会制民主主義、あるいは間接民主制は、単なるフィクションに過ぎず、正統性の源泉は国民意思にある。それにもかかわらず、従来、直接民主制ではなく、間接民主制が各国で採用されてきた背景には、直接民主制の導入が物理的にもコスト的にも困難ないし不可能であったという事情があった。しかし、インターネット等、情報化技術が急速な進展を続けるなかで、国民意思の確認や提示は、少なくとも電子情報に馴染む分野に関してみれば、物理的にもコスト的にも可能になりつつある。このようにみると、直接民主制の導入が可能な分野について、それを阻む理由はもはや見当たらない。
(2)司法制度の拡充
そもそも、わが国の公的システムでは、国民の不利益を救済する制度として、新たな立法を通じて不利益発生の根本問題を解決する立法制度とともに、個別事案に対処するシステムとしての司法制度、の2つの制度が用意されている。しかし、わが国の現状を省みると、これら2つの救済システムが十全の機能を発揮しているとは必ずしも言い難い。
まず、立法府では、貧弱な立法・政策立案能力のもと、省令・規則への白紙委任や行政指導にみられる広範な裁量権の容認等を通じて、行政府に対する、実質的かつ大幅な立法権の委譲が行われている。
一方、司法府は、専門性の美名のもとに行政の裁量権を広範に容認するなかで、行政訴訟においては、訴えの権利を持つ国民の範囲(訴訟適格)や訴訟対象(訴訟物)の認定を極めて厳格に行い、国民の救済に対して消極的な姿勢がみられる。この結果、事実上、行政府、とりわけ中央政府は立法府にも司法府にも容喙されないフリーハンドを得る一方、少なくともその部分において、国民は不利益救済の制度的保障を喪失しているのがわが国司法の現状ではなかろうか。
本来、わが国司法システムは、戦後、英米法系にシフトし、違憲立法審査権を獲得した。この点に着目してみれば、法律上明文で確立された権利以外は司法の場では救済され難いとする現行の司法スタンスは時代錯誤である。むしろ、国民の不利益状態の排除や予防は、明文の規定がなくても、憲法の精神に照らし合わせることで執行可能であろう。ちなみに、米国行政訴訟の実態をみると、数十年以前には、わが国同様、訴訟適格や訴訟物の認定の面で極めて限定的かつ厳格な判例もあったものの、現在では、そうした掣肘はほぼ取り払われ、国民からの不利益の訴えは幅広く司法のチェックを受けるものとなっている。米国司法府のこうした姿勢の基盤には、国民の不利益状態の排除・是正こそ、司法の最終的な目的であり、レゾン・デートルであるという使命感の存在を指摘できよう。
さらに、司法府での審理過程での挙証責任については、それぞれの能力を勘案し、次のような取扱いが望ましい。まず、原告たるべき国民サイドからは、自身が規制等によって不利益を被っていることの事実上の証明のみが必要とされる一方、行政行為や行政計画、さらに規制といった行政の作為・不作為と、国民の不利益との間の因果関係の有無や、作為・不作為に至る行政サイドの判断・裁量の正当性についての挙証責任、および判断の根拠となったデータの提出義務等は、訴えを受けた被告人たる機関が負うべきであろう。
〈III〉補足システム
こうした上からの改革や下からの改革システムを補足システムとして、社会政策による救済システムの拡充も有用であろう。
一連の改革によって調整コストの発生は不可避である。この種のコストは改革遂行には必然であるとして放置する選択も有り得るものの、その場合、個別の改革推進に対する抵抗が強まり、改革全体の推進力が減殺される懸念がある。とりわけ、今回の改革ではスピードが極めて重要である点に鑑みれば、多少のコスト増に撥ね返るとしても、全体としての改革スピードを確保する観点から、救済システムを用意しておくという配慮がなされる意義は十分あろう。
改革の必要性が指摘され始めてから、すでに幾星霜が過ぎ去った。振り返ってみれば、自民党単独政権を基軸とする55年体制が93年夏に崩壊した折、改革に対する期待は未曾有の高まりがみられたものの、その後の3年間は権力を巡る離合集散に過ぎず、国民の期待は見事に打ち砕かれた。改革のための時日は、もはや僅かしか残されていない。新政権の課題を一言に集約すれば「責任と実行」以外に有り得まい。橋本内閣の実行力に強く期待したい。