Business & Economic Review 1996年10月号
【OPINION】
望まれる生保の積極的ディスクロージャー
1996年09月25日
保険業法の50年ぶりの改正を受け、今年度から生命保険会社はいわゆる「区分経理」を導入することになった。従来、生保の運用資産は、原則として一般勘定に個人保険と団体保険を集中し、まとめて運用する「どんぶり勘定」方式であった。しかし、商品ごとに運用成果の還元方法が異なるうえ、経理処理の不明朗性に対する批判も多く、区分経理導入の必要性が指摘されていたためだ。個人保険や年金保険などの保険商品別に資産を分けて運用を管理する「区分経理」方式への移行は、この点で一歩前進したものと評価できる。
ただし、この移行においては、株式等のいわゆる「含み益」を保険間でどのように分配するかという問題があった。この含み益の形成に最も尽力してきたのは長期にわたって契約を維持してきた個人保険契約者であり、本来、含み益の大半はここに帰属すべきものである。ところが、実際の資産配分計画をみると、含み益の約5~10%は団体年金保険に振り分けられ、残額は個人分野に振り向けられるだけではなく、全体の4~5割を個人・団体の双方に属さない「会社勘定」を設けて、プールすることになっている。
「会社勘定」の存在意義は、株価沫獅ネどで個人及び団体保険の勘定に大幅な損失が発生し、配当が不可能になった場合に対する準備金機狽ノある、と生保側は主張するが、これを額面通り受け取る向きは少ないだろう。会社勘定の存在意義は、団体年金契約に対する補填原資としての役割にあるように思われる。
ここ数年の運用環境の悪化で、団体年金保険の運用は生保の経営に深刻な影響を与えている。昨年度までは団体年金契約者に提示した保証利率を実際の運用利回りが下回り、大幅な逆ザヤの発生に生保は苦しんできた。今年度は保証利回りの大幅な切り下げ(年4.5%→2.5%)を実現したため、逆ザヤ問題は解消したが、今度はより高利回り運用が期待できる信託銀行や投資顧問会社への資金シフトが発生し、生保各社は危機感を強めているという。会社勘定による補填を前面に押し出すことで、こうした団体年金保険の解約を少しでも押しとどめようというのが生保の戦略のようだ。
これだけでも、個人保険契約者には納得しにくい話だが、さらに問題なのは、こうした経理処理の内容が一般契約者にはほとんど情報公開されない点だ。一方で、大口団体保険契約者に対しては、契約維持の必要性もあって、生保から詳しい状況説明が行われているという。
機関投資家は、家計から資金運用の委託を受け、忠実なその代理人として、委託者に帰属する運用成果を最大化するように行動すべき存在である。その意味で、自己都合で、本来、個人保険契約者に帰属すべき運用成果を団体保険契約者に振り替え、しかもそうした行動に関する情報を何らディスクロージャーしない生保を、純粋な機関投資家と呼ぶことは難しい。
もっとも、生保の個人保険新規契約者数は頭打ちとなっており、逆に最近では解約者数が増加傾向にある。個人所得の伸び悩みは、個人の金融商品に対する選別志向を一層強めている。もはや「GNP(義理と人情とプレゼント)」による個人保険契約の獲得は困難になりつつある。こうした個人の生保離れが進行すれば、いずれ会社勘定による運用成果の付け替え自体が成立しなくなるのではないか。
今年1月、アメリカの大手格付け機関スタンダード&プアーズ社が、初めてわが国生保大手8社の財務格付けを行った。内容は非常に厳しいもので、最高がダブルA、トリプルBに満たない「ジャンク」格付けも2社あった。低格付けを受けた生保にはS&Pにクレームをつける動きもあったやに聞くが、これも生保が経営情報公開に消極的であることが一因となっている。格付けの大原則はリスク回避性にあり、リスクを判断すべき十分な情報公開がない場合、格付けランクを下げるのが一般的となっているからだ。
以上を踏まえて、以下の3点を提言したい。
まず、生保は区分経理への移行に当たって、自社の含み益や平均予定利率等の運用に関わる情報を広く一般にディスクロージャーすべきである。第二に、含み益の配分に当たっては、各商品区分への振り分けを原則とし、不明朗な「会社勘定」への組み入れは極力回避すべきである。第三に、「区分経理」移行後も基本的にどんぶり勘定に近いラフな商品別勘定が温存されることを考えると、性格の異なる個人向け保険と年金保険を同一の勘定で運用するのは好ましくないという「区分経理」導入のコンセプトが活かされているとはいえないし、また年金の健全な運用を図るうえでも好ましい現象ではない。年金資金運用の一般勘定による受託(団体年金保険契約)は極力圧縮し、運用リスクおよびリターンが委託者に直接帰属する特別勘定あるいは傘下投資顧問会社等の手に委ねていく方向性が望ましいと考えられる。