Business & Economic Review 1996年10月号
【(特集 香港返還)寄稿】
一国両制度の下での報道の自由を展望する
1996年09月25日 日本テレビ香港支局長 高橋茂男
1.「中国の現実」から出発
中国返還後の香港-そこでの報道の自由はどうなるのだろうか。返還後の香港の「憲法」となる「香港特別行政区基本法」には次のように記されている。
「香港住民は言論、報道、出版の自由、結社、集会、行進、デモの自由、労働組合を組織しこれに参加し、ストライキを行う権利と自由を有する」(第3章第27条)
基本法の条文通り報道の自由を享受できるかどうかを知るためには、主権が返る先の中国でこの問題が現実にどうなっているかを見るのが参考になる。「一国両制」は未曾有の実験であり、他に参考とするに足る例はない。
中国の憲法にも公民の基本的権利として、言論、出版、集会、結社、行進、デモの自由がうたわれているが、権利として行使できるかといえば、実態は「ノー」である。私自身8年間特派員として北京で暮らしたことがあり、中国の報道機関が共産党、政府、軍の宣伝機関に過ぎないことや、外国の報道機関が当局の厳しい監視下に置かれていることは身にしみて知っている。国営通信「新華社」、共産党機関誌「人民日報」、「中央テレビ局」(CCTV)をはじめとする報道機関には他社に先駆けて報道するといった競争は存在しないし、権力に対するチェック機能など望むべくもない。もともと「官報」的機能しか持ち合わせていないところへ、党宣伝部などが常駐のスタッフを送り込み記事を審査している。そのうえ、論文の掲載、報道となると党の政治局の承認を必要とする。CCTVの場合、政治と軍関係の取材は「時政組」が担当する。例えばトウ小平の取材、あるいは直接取材しないまでもトウ小平関連の報道をする場合は、「時政組」責任者が「トウ小平弁公室」と連絡を取り支持を仰ぐ。まずニュースの枠(トップニュースとするか控え目に報道するか、さらに放送時間の長さ)、映像を使うかどうか、使う場合のVTRの選択(いつ、どこで撮影したものかを決める)、原稿の最終チェックなどが含まれる。
外国のメディアには「外国記者および外国常駐報道機関管理条例」なるものが適用される。この第14条には「外国記者および外国常駐報道機関は報道を職業とするものの道徳を守り、事実を歪曲したり、デマを造り出したり、不正な手段で取材をしたり報道をしてはならない」とある。つまり当局はその気になれば何時でも、公表されたもの以外はなんでも「不正は手段」で入手したとして、記者を拘留したりあるいは国外退去を求めることができる。香港記者は外国記者ではなく、準国内扱いだから、当局にとって好ましからざる報道をした場合の処分は格段に厳しい。93年「明報」の席揚記者が金融の機密情報を入手したとして、翌年懲役12年の刑が言い渡されたことは記憶に新しい。一罰百戒というか、これが香港メディアの自主規制の強化につながり、スターテレビは故毛沢東の女性関係などを暴いた英BBC製作のドキュメンタリー番組の放映を取り止めたし、ATVは天安門事件のドキュメンタリー番組の核心部分をカットさせようとして担当ディレクターらと対立、結局6人が会社に抗議して辞職するなどの出来事が相次いだ。
パッテン総督の言うように、報道の自由、言論の自由こそ香港の民主制度維持の絶対条件だろう。イギリスの影響力を残すための方便とはいえ、パッテン総督は香港のにわか民主化を進め、中国はこれにことごとく反対を唱えてきた訳だが、この一事を以てしても、中国が報道の自由に手を触れないと見るのは甚だ疑わしい。
2. 報道の自由への干渉-魯平発言
果たせるかな、香港マカオ問題の実務の最高責任者である魯平氏(国務院香港マカオ弁公室主任)が、5月末アメリカCNNテレビのインタビューに答え、返還後の香港における報道の自由は無制限ではないことを明らかにした。「香港独立、台湾独立『二つの中国』を支持するような言論は許されない」「中国批判は構わないが、体制打倒の行動につながるものはダメ」というのが発言の主旨。これだと、例えば両岸関係についての台湾からの報道は香港のメディアから消えてしまうのではないのか。台湾独立を主張する野党・民進党の報道は無論ダメだし、「統一」を求める李登輝総統の発言の報道にしても中国は李総統を“隠れ独立派”と決めつけている以上、逆に「二つの中国」「台湾独立」を鼓吹する報道とうけとられかねない。もの言えば唇寒しで何も書けず、李総統をこき下ろす新華社配信ニュースだけを載せることになったらどうなるのだろう。
「一国両制」「港人治港」は「基本法」を貫く原則であり、国防と外交以外は特別行政区政府に任せられることになっている。にも拘わらず、報道の自由といった体制の根幹に関わるような問題については、北京がコントロールして行くことを魯平発言が確認してくれたともいえる。
魯平主任が、「香港独立」「台湾独立」「二つの中国」支持の言論は許さないと発言したのは、報道の自由に対する直接の干渉である。直接の干渉があれば、間接的締め付けもあり、そちらのほうが怖いという人もいる。
3. 広告を通じての締め付け
魯平発言の出る少し前(5月9日)にインタビューした民主党党首のマーチン・リー氏(李柱銘、立法評議会議員)は、中国は広告面から香港のメディアに圧力をかけていると次のように述べた。
「数年前香港のメディアがパッテン総督の民主化案に賛意を示した時、香港の中国銀行は中国系のすべての銀行に覚書きを送り、パッテン支持の10紙を名指ししてこれらの新聞に広告を出さないよう支持しました。中国系銀行は沢山の中資企業に影響力を持っていますから、効果はてきめんです。新聞経営者たちは共産党に擦り寄らざるを得なくなり、新聞の自主規制がひどくなりました。北京はこれに味を占めたのです」
マーチン・リー氏によれば、中国当局がメディアをコントロールすることは手易い。中資企業や中国と取り引きのある企業に広告の自粛を求めることで、メディアの息の根を止めることができるという。広告を通じての中国によるメディア・コントロールはすでに始まっており、その対象は新聞雑誌など活字メディアから、テレビ、ラジオの電波メディアまで網羅され、効果をあげているとマーチン・リー氏は言う。「以前は私が会見すればTVBもATVも必ず取材に来たのですが、今はめったにしか来てくれません。ここ1、2年で明らかに変わりました。北京の圧力がかかっているのです。.....現存する香港のメディアには返還後もそのまま残ってほしいと思いますが、私は悲観的です。なぜなら、世界の何処の共産党も報道の自由を許しませんから。そして、当然のことですが、いったん報道の自由がなくなれば、他のどんな自由も安全ではあり得ません」
マーチン・リー氏の言葉を裏付けるように、いわゆる民主派人士の会見や中国当局に対する抗議行動(例えば、臨時立法会反対のデモ、集会)が行われる場合、新華社、CCTV等の関係者が取材にきている香港のメディアをチェックしていることは事実である。
4. メディア側は97年後を楽観?
それでは、メディアの側は香港返還と報道の自由の問題をどのように受け止めているのだろうか。現在香港には62種類もの新聞が発行されているが、中国に遠慮なしに書きたいことを書いているのは「リンゴ日報」(蘋果日報、昨年6月創刊)、「信報」(林行止、駱友梅夫妻、長女、次女と家族ぐるみでつくっている経済紙)の二紙を数えるのみだといわれる。その「リンゴ日報」のオーナー、ジミー・ライ氏(黎智英)に聞いてみた(5月1日)。ジミー・ライ氏は、中国は必ず香港のメディアを支配しようとすると懸念しつつも一口で言えば楽観論者である。
「中国大陸ではメディアは完全に当局の支配下にあります。それは中国のメディアの技術やシステムが先進国や香港より30年も40年も遅れているから可能なのです。今やメディアはリアルタイムで地球を結ぶグローバル・ネットワークの時代に入っています。香港のメディアも世界のメディアと24時間つながっており、全世界が香港を注視し、香港も全世界を注視しています。これだけ透明度が高くなってくると、政府がメディアを宣伝の道具にすることは難しいでしょう」
広告の問題についてもジミー・ライ氏は楽観している。ジミー・ライ氏によれば、中国の改革・開放政策は後戻りできないところに来ているが、これは香港の繁栄にとって有利であり、消費は拡大しそれに伴って広告も増える。こうした状況の下では、企業はいろいろな種類のメディアに広告を出そうとし、メディアの生存空間も広がることになる。香港が企業の中国進出の拠点となっている理由の一つは中国情報が質、量ともに抜きんでているからだが、ここに当局の干渉や規制の手が伸びれば、たちまち香港はシンガポール、台湾等の後塵を拝することになり、「二番手の都市」に転落する。それは「香港の死」を意味し、中国もこれだけは避けるだろうというのがジミー・ライ氏の楽観論の根拠となっている。
ここでジミー・ライ氏の言葉を検証するために、台湾のメディアを例に引く。周知の通り、外貨準備高は世界第2位、GNPは20位(94年)という数字が示すように台湾経済の発展は目覚ましいものがあり、一方政治も3月に行われた史上初の直接民選による総統の誕生が民主化の仕上げといわれるように、台湾に対する国際社会の評価は大いに高まっている。総統選挙の際には、29の国と地域から600人以上の報道陣が台湾を訪れているし、台湾ではCNNなど多くの外国放送を視聴できる。これだけ開かれた台湾にして、3大テレビ局は依然として公営のままである。すなわち、台湾テレビは台湾省、中国テレビは国民党、中華テレビは国防部の経営である。ニュース番組が政府、与党(国民党)一辺倒なのは当然で、市民は民営テレビの誕生を待望している。民主化の進んだ台湾で、大テレビ局がそろって当局の支配下に置かれているという現実をみると、「政府がメディアを宣伝の道具にするのは難しい」というジミー・ライ氏の言葉は説得力を欠くことになる。
ジミー・ライ氏が2年前、自分の発行する週刊誌「壱」に書いた随筆の中で李鵬首相を揶揄したことから、中国当局は同氏が創立したアパレルメーカー、「ジョルダーノ」に“報復”するだけでなく、「リンゴ日報」も目の敵にしている。中国系企業は創刊以来同紙に広告を出していない。新聞経営にしめる広告収入の割合が日本より大きいといわれる香港で、中国系から“総スカン”を食いながら、「リンゴ日報」が発行部数30万部を維持しているのは「奇跡」と言ってよいほどの健闘ぶりだが、台所はやはり赤字だという。
ジミー・ライ氏が「ジョルダーノ」の資産を注ぎ込んだからここまでやれた訳だが、97年を跨いで続けられるかどうか予測の限りではない。
5. 楽観論の由来は“中国しらず”か
「香港の報道の自由について言うならば、共産党独裁批判につながるものは許されないが、それ以外の批判は構わない」
これは中国系香港紙の有力幹部の言葉である。その有力幹部は、具体的な例として中国情報月刊誌「開放」を取り上げ、「中国批判が強すぎるから、返還後の生き残りは難しい。編集長が交替しない限り、存続は無理だろう」と言う。これに対して、「開放」編集長の金鐘氏自身、「香港特別行政区準備委員会の最高幹部の一人から、返還後も『開放』は香港で発行を続けられるとのお墨付きを貰っている」と楽観的である。ジミー・ライ氏にしても、金鐘氏にしても大陸から香港に逃れてきた人で、多かれ少なかれ大陸での生活を経験しているはずなのにこの楽観論は何処から来ているのだろうか。総じて、香港のメディアの経営者や編集幹部たちの発言は、そこに願望が込められているとはいえ、楽観的に過ぎるのではなかろうか。それらの楽観論は、香港人が、分かっているようで実は中国のことをそれほど分かっていない、ということに由来しているように思われてならない。
昨年、香港法曹界のトップ、首席大法官の楊鉄 氏が新華社香港支社の副社長に私的な会話の内容を暴露され、それが公の席での発言とまるで異なっていたため、すっかり信用をなくしてしまうという事件があった。楊氏はあとで、「中国側との私的な会話では、もう花鳥風月以外は語らない」と言ったそうだが、これなどは、香港人が中国のことをいかに分かっていないかの好例だろう。
6. 中国の体制の変わるを待つ
返還後の香港の報道の自由を占うならば、私もマーチン・リー氏のように悲観的にならざるを得ない。「一国両制」とは社会主義を資本主義の共存ではあるが、魯平氏の言うように飽くまで主体は社旗主義である。となると、報道の自由が極めて制限されたものになることは明らかだからだ。しかし、10年先、20年先というやや長い目で見た場合は一転して楽観論者になる。その根拠は、中国の体制そのものが変わってくると確信しているからである(この問題を論じるのは本稿のテーマから外れるので省く)
「一国両制」下の香港における言論の自由、報道の自由を考えるうえで、前新華社香港支社長の許家屯氏が「回想録」の中で述べたくだりには看過できないものがあるので引用しておく。
「周南が新華社支社長を引き継いだ時、江沢民は香港世論のこうした状況を改め、速やかに世論を掌握するように周南に求めている。これが、世論をコントロールし言論の自由を抑え込むというのであれば、できない相談だし、97年後もやれる可能性は大変小さいと思われる。言論の自由は大勢の赴くところであり、これを阻止することは不可能だ。.........香港メディアの言論の自由、百花斉放の伝統はきっと一層輝きを増し、大陸の手本になる事だろう」(『許家屯香港回憶録』上巻)
1983年から6年余り、香港における事実上の中国政府代表たる新華社香港支社長を務め、メディアの重要性を認識しその対策に力を入れた人物の言葉だけに興味深い。長期的にみれば、許家屯氏の見方にまったく同感である。