Business & Economic Review 1996年10月号
【(特集 香港返還)寄稿】
香港経済における報道の自由と情報の流れ
1996年09月25日 アジア・ウォールストリート・ジャーナル香港支局長 ペーター・スタイン
返還後の香港の姿を占うのは大変である。現在の香港は広い意味で自由を享受しており、部外者にとっては、その自由が返還後、どれだけ残り、どういった形をとるのかが心配の種になるのは当然である。現在の香港は、言論・報道の自由に関しては、中国よりもむしろ英国に似ている。報道の自由が特に危ないと思われるが、果たして香港での報道機関は、来年6月30日までの命であろうか。
香港の民間報道機関の数は実に20を超え、多種多様の見解をもっている。反共産主義を主張するものがあれば、忠実な親北京のものもある。中央政府や政策に異議を唱える自由、罰を恐れずに物事を有りのままに世間に伝える自由―香港の記者達はその状況のもとで仕事をしてきた。しかし、中国では報道は抑制されており、政府・共産党の考え方を逸脱する意見などは許されていない。中国政府にとっては報道機関は政府の方針・政策を宣伝する手段としてのみ存在するのである。
この極端に異なったメディアの役割が香港市民にとっては不安感を抱く大きな原因となっており、現地の記者たちは返還後の仕事を憂慮している。疑念は用心の生まれる源となる。大手メディア会社は、北京に敵意を抱かれまいと、ニュースの報道範囲を自ら制限すると思われる。そうなると、香港のビジネス界がもっとも必要としているトピックについての情報が手に入らなくなるートピックとはもちろん、中国自体についての情報である。
中国側はむろん以前から両国の社会の相違をよく理解しており、最高実力者トウ小平氏が一国両制度をうちだしたのも、このためである。香港の憲法となる香港特別行政区基本法(基本法)は、「香港の市民に言論・報道・出版の自由を与える」と実に明解な言葉で述べている。
残念ながら、「一国両制度」や基本法についての解釈は中国次第である。中国側の最近の発言は、中国の思っている報道の自由が現状とかなり異なることを示唆している。6月初め頃に中国国務院香港マカオ弁公室の魯平主任がアメリカCNNテレビのインタビューで、97年後の香港の報道の在り方について、報道の自由はあるが、台湾・香港・チベットの独立を鼓吹したりすることは許されない、との考えを示した。彼は自らの立場を養護し、香港が従うべき中国国家法があるとも述べたが、これは香港の将来にとっては、凶兆である。現時点では6つの国家法は返還後の香港に適用されるとされているが、いずれの法も、言論の自由と関連のないものである。
北京は以前から統治権に関して非常に敏感であり、3月の台湾近辺の軍事演習などを見る限り、魯平氏の発想はそれほど驚くべきものではないのかも知れない。しかし、香港にとっては実に厄介な問題となる。第三者が抱いている政治的な意見を報道すると同様に、そのような意見を主張する自由も現在の香港では守られているからだ。
「鼓吹」を正確にはどう定義するのであろうか。台湾が中国からの分離独立を主張していると中国が思っているとすれば、香港の新聞が台湾の李登輝大統領の演説について報じてもいいのだろうか。分離主義者とされているチベットのダライラマの活躍についても報道禁止なのだろうか。香港記者団体の代弁者ケビン・ラウ氏が、「このような話題について報じること自体が、犯罪行動と見なされるのでは」と、報道機関の日常運営に対して現実的に問題となる要素を指摘した。
親北京的な姿勢で知られる文匯報が魯平氏の発言後、中華民国という名前自体が法に反するのではないか、という見解を述べた。ちなみに、10月1日が中華人民共和国建国の日である。10月10日は「中華民国建国の日」である。
民主化要求運動が武力により制圧された天安門事件を記念するような、反中運動の報道はもっと困難になるであろう。今年の6月4日、天安門事件7周年で追悼集会がビクトリア公園で開かれ、何十万人も参加したが、「香港の記者は愛国的でなければならない」と中国は忠告している。「非愛国的」なデモを報告することが「非愛国的」となるのであろうか。
こういった事件が報道されなくなっても、海外のビジネスマンはさほど気にしないかもしれないが、これは憂慮すべきことである。ビジネスマンは香港がどの程度政治的リスクに晒されているかを評価しなければならない。しかし、香港の政治状況に関する情報が何らかの検閲を受けるとすれば、評価することは容易ではなくなる。
抑制されるといっても、必ずしも政治的な力のみによる抑制とは限らない。香港の報道機関は経済的圧力も受けている。
香港の2つの経済紙、信報財経新聞(信報)と香港経済日報を例にとることにしよう。この2者の間では、信報のほうが定評がある。人権問題などで中国を批判し続けており、在香港の中国本土企業が増える一方であるというのに、信報には中国企業からの広告掲載希望は希である。
一方、元文匯報のスタッフが創設した香港経済日報は中国に対してどちらかといえば中立的な姿勢をとっており、中国本土企業からの広告錐桙ェ山のようにある-中国銀行系列の会社が14ページ連続全面広告を出した例もある。
信報の沈鑒治編集長が忍従している。「(香港経済日報のように)広告が入るに越したことはないが、仕方がない」と。今のところまだ商売には影響ないが、他の新聞が経済的な危険を冒すことは望ましくない、と思っても無理からぬことである。どんな危険を冒してでも、という考え方を持って、政治経済の諸問題を公平無私に報告する、信報のような新聞は、香港には実に数少ない。
残念ながら、自ら政府の検閲を招いているような新聞社もある。この数年間、香港新聞はやたらに扇情的な記事を売り物にしている。雑誌・新聞の出版者で中国に批判的な黎智英(ジミー・ライ)氏は、自らを言論自由主義の旗手と自認し、主宰するリンゴ日報にはポルノビデオ評論などを載せている。ある意味でこの分野の先達である。彼の記者の取材テクニックも激しい論争を起こしている。レイプの犠牲者をしつこく追いまわしたり、有名人の性生活の一部始終を掲載することが、限度を超しているという声もある。しかし、新聞界の競争が激化するなかで、他の新聞社も似たような手法を取り入れている。
これに、一般市民が激しく反発し、アメリカの新聞社同様、プライバシー侵害が問題となっている。新聞におけるソフト・ポルノの氾濫によって、普段は民主主義・言論の自由を堅実に支持する政治家さえ、報道機関を規制すべきではないかと口にするようになっている。
香港城市大学の政治学教授のCheng Yushek氏は、「このような行為は失敗を招くだけである。この傾向が続けば、中国政権が報道機関を規制しても、逆に社会のためになるように見える可柏ォがある。一般市民の支持がなければ、将来、政権に検閲されても反対するのが難しくなろう」と指摘している。
香港の新聞社は、経済的な影響や政治的な圧力を恐れて、中国側の意見と異なる言論を避けているが、香港は益々情報センター機能を深化させており、情報の流れを塞ぐようなことがいずれ経済全体にとってマイナスになるのは間違いのないことである。情報統制がどの程度になるか分からないが、中国の状況を正確に把えにくくなることは確かである。香港へ進出する外国企業の大部分が中国とのやり取りを前提にしており、その情報こそが商売にとって不可欠である。
香港新聞の黎智英氏が中国の李鵬総理を「まったく脳味噌のない大馬鹿さん」と呼んだことがある。それ以来、同紙の記者たちが中国での取材を邪魔されることは日常茶飯事である。しかし、このような情報統制を直接体験している黎智英氏自身も、中国は、最終的には香港の報道機関を自由にせざるを得ないと確信している。「報道の自由がなければ情報フローも止まり、金融情報センターとしての香港は終わる」と忠告している。
中国側は彼の発言は、偏見的でわざとらしい挑発的なものに過ぎないとして真剣に耳を傾けないかも知れないが、報道の自由についてのコメントには傾注すべきである。