Business & Economic Review 1996年08月号
目標管理(MBO)の導入による組織の活性化
1996年07月25日 大久保修三
最近、目標による管理(Management By Objectives)が再び注目を浴びるようになってきた。産能大学が昨年実施した目標管理制度に関する企業へのアンケート調査(注1)の結果によると、有効回答のあった企業のうち、目標管理制度を導入済みと答えた企業は57.9%にのぼり、24.7%の企業が今後、導入予定と回答している。しかし、約6割の企業が制度の修正や改革の必要性を認識しているという結果も出ている。
個人に対して目標を設定し、その達成度に応じて処遇に差をつけるような管理システムは従来から大多数の企業で実施されている。ここで述べる「目標管理」とは、そのような従来のノルマ管理とは、その理念と思想において本質的に異なるものである。「目標による管理」は、目標の設定、実行、統制、評価という個人の業務プロセスを自己の責任において自主的に管理することを指向するシステムである。そして個人の動機付けによる企業組織の活性化が、その真の目的である。
1.日本型職能資格制度の限界
現在、多くの日本企業で採用されている職能資格制度は本来、職務遂行能力に応じて処遇していこうという意図のもとに設計され、導入された。しかしながら、長年にわたり蓄積された経験や習熟により職能は向上していくはずであるという考え方と「学歴は職務遂行上のベースとなる知識レベルの差である」という暗黙の了解により、結果として制度運用が年功的で学歴重視型になってしまった。勤続年数や学歴は、昇進や昇格の基準として、誰の目にも明確であり、納得性の高いシステムと受け止められた。また、さらに、たとえ管理職として不適格な者を昇進させたとしても、降格させることなく、処遇のための新たなセクションを設けたり、スタッフ(専門職)という名の閑職を用意したり、あるいは関係会社へ出向させる等の逃げ道を用意できる余裕が企業側にあった。経済規模の拡大とそれに伴う企業業績の継続的成長という現実がそれを可能にした。その結果、社員の職務遂行能力を正確に評価し、処遇、育成するための人事システム構築のノウハウやスキルは、省みられることなく、そのためほとんど進歩することなく、年功序列的・学歴重視型処遇がはびこる結果となった。
90年代に入り、高度成長末期に大量採用した団塊世代の高齢化やバブル経済の崩壊後の景気低迷に伴い、事態は一変した。企業を取り巻く環境の激変により企業の人事政策そのものがパラダイム変換を余儀なくされ、今、日本型職能資格制度は抜本的な見直しの必要性に迫られている。
日本よりいち早く不況の波に襲われた米国の企業では、大量レイオフ、人員リストラ等のドラスティックな措置を講じ、人件費の大幅な引き下げを行い、また、ビジネスプロセスの再構築を行うことにより、企業体力の早期回復を可能にすることができた。
しかしながら、慣行としての長期継続雇用が根強く残る日本企業においては、大胆なリストラ策は敬遠され、人員の削減は、専ら新規採用の抑制と定年退職による自然減を待たねばならず、人件費負担は企業収益を圧迫し続け、競争力回復のための企業戦略の選択余地を狭めている。
このような逼塞状況の打開策として、現有の人材を活性化させ、動機付けさせる新たな人事制度が模索されることになった。最近、年俸制を導入したり、個人の成果や実績に応じて処遇する実力主義的人事制度への転換をはかる企業が増えてきている背景がここにある。これらの新制度を円滑に機能させるうえで、目標による管理の考え方は重要な位置を占める。
2.目標管理制度が機能不全に陥る原因
前述したアンケート調査の結果でも、「目標管理制度は導入したが、有効に機能していない」という企業が多い。その原因はさまざまであるが、最も多い原因は、経営者も含めて、社内における目標管理に対する理解不足にある。理念、思想が理解されていなければ、いかなるシステムも有効に機能しない。運用する人間の心がけ一つで、システムは強力な武器にもなれば、逆に従業員のモラールを下げ、生産性を落とす道具にもなる。
従業員の組織に対する依存度が公私両面において極めて高い日本企業においては、目標は組織から与えられるものであり、従業員はその職責を粛々と全うし、組織全体としての成果の最大化に向けて経営者が全体を方向付けるという、「受け身」の姿勢が従業員に浸透している。このような組織風土のもとで、自主的な目標の設定やその実行、統制といった行為そのものに馴染んでいない従業員にとっては、目標管理制度にどのように対応すればよいのか、判断不能の状態に陥る。与えられた目標を達成する方法を工夫することは得意であるが、創造的な業務には慣れていないためである。多くの経営者の共通した嘆きは「うちの社員はアイデアが出ない」とか「考えようとしない」というものである。他方、従業員は「何を提案しても、『話にならん、もっと考えろ』の一点張りで、具体的な指示がない。何か新しいことを始めて怒られるより何もしないほうがマシ。クビになるわけではない」といった冷めた対応をしてしまう。長年にわたり培われてきた組織風土や不文律的慣行を変革しようとするプロジェクトに取り組む経営者の努力は、往々にして失敗を重ねるだけに終わる。時間をかけて調査し、具体的な風土改革のプランを設計しても、実行に移す主体が、他ならぬその組織風土に漬かりきっている組織の構成員そのものであるためだ。
目標による管理が機能不全に陥るもう一つの原因として、不完全な情報のもとで、目標管理を実行しようとしていることが挙げられる。
たとえば、期初の目標設定時に企業方針やチーム目標等が明示されていなければ、個人が目標設定の方向性を定めることは困難であり、評価の基準が不明確なら、何に対して、どの程度のエネルギーを投入すべきかという意思決定ができなくなる。また、評価結果を本人にフィードバックしなければ、自分の貢献度を企業がどの程度評価しているかがわからず、次期以降の目標設定作業ができなくなる。
評価結果は組織内での自己の位置を明確にするものである。人間は集団内における自分の占める位置が不明確だと、どのように行動してよいかの判断基準がなくなり、迷う。努力する方向性を見失うと、モラールの低下が起こり、結果的に組織全体のパフォーマンス(成果)も低下する。
3.目標による管理の本質
目標による管理(MBO)は、単なる人事管理のための制度ではなく、マネジメントの手法そのものである(P・F・ドラッカー「現代の経営」)。そのため、個人が立てる目標は、企業の経営計画、およびチーム目標との連動が必須要件となる。
組織活性化のためには、個人の動機付けが必要である。企業組織にかかわらず、本来、人間は目的なくして行動を起こすことはない。人間は何を動機として働くのか、という問いに対する解答を考えるにあたっては、何が動機となって行動を起こすのかという視点からのアプローチが有効となる。
個人は、組織におけるその活動が直接的あるいは間接的に自分自身の個人的目的に貢献するとき、その組織のメンバーとなる。つまり、組織のメンバーは組織がメンバーに提供する「誘因」と引き換えに「貢献」する。「誘因と貢献の均衡」である。(H・A・サイモン「経営行動」)
組織が存続し、成長するためには、組織が提供しうる「誘因」の総量が、量と種類において、組織メンバーによる「貢献」の総量と同等あるいはそれ以上に十分に提供されなければならない。そうでなければ「組織均衡」が達成されず、組織は縮小し、ついには消滅することになる。逆に、組織均衡が達成された場合、「誘因」と「貢献」は相乗効果により、より高い均衡点を目指してスパイラル上昇を開始し、組織の成長と個人のさらに高レベルの欲求の充足が可狽ニなる。目標管理制度において「誘因」となるものは、明確な基準に基づいた評価システムと処遇システムであり、「貢献」は個人の目標設定作業を始点とする目標管理のPDCサイクル(注2)(「どんな目標を(設定水準)」「どのような方法で(プロセス)」「どれだけ達成できたか(達成度評価)」)を確立することによりもたらされる。
4.自己責任によるマネジメントへの変革
目標管理システムのもう一つの有効な側面は、企業の各従業員が個人レベルでマネジメント・サイクル(注3)を稼動させることにより、自己責任において計画、実施、統制を行うことにある。このシステムが有効に機能すれば、自ずと自己を統制する能力、決断力等マネジメントに必要な能力が育成される。現代においてマネジメント能力は経営者のみに必要な資質ではない。営業、生産管理、物流管理、財務経理、人事総務等、およそ企業活動の全ての分野において、末端の担当レベルにいたるまで、高度かつ迅速な意思決定能力が要求されている。激変する経営環境や顧客のニーズに敏速に対応し、現場で即回答の出せる体制を構築できる企業、つまり、企業組織の末端に権限を委譲(エンパワーメント)し、現場主義の経営活動をいち早く推進できる企業こそが未来の市場の覇者たり得る可能性を秘めている。
目標による管理は、このような権限の委譲と自己責任の徹底の思想をビルトインした、 現場主義のマネジメント手法である。個人は、自らの仕事を自ら計画し、統制しながら業務を遂行し、結果に対して責任を負う。この一連の行動サイクルは、経営者が会社経営を行う上で取る行動と本質的に差はない。このようなシステムによってこそ、人間が潜在的に持っている創造力や独創性を顕在化させることができ、その育成をも図ることができる。創造力は人間が本来備えている能力であるが、それを引き出すためには人間の持つ高レベルの欲求充足動機に働きかけ、行動に駆り立てることが条件となる。人間のより高度な欲求である自我の欲求(注4)や自己実現の欲求(注5)が満たされれば、個人にとって仕事そのものが魅力のある、価値のあるものとなる。これは、人間の内的な本能から湧き出る欲求充足の過程であり、外的な刺激(昇給、昇進)によるものとは質的に異なる。
目標による管理は、その制度設計と運用方法如何によっては、組織と個人の間に存在するコンフリクトを除去し、双方の目的のベクトルを収斂させることができ、組織目標の達成と個人の自己実現欲求を充足させることを可能とする最良のツールとなり得るのである。
注
1. 1995年1月~2月に実施。上場、非上場から無作為抽出した2512社を対象に郵送、うち回答235通、回収率9.3%。(「労政時報」1996・1・26 労務行政研究所発行より)
2. PDCサイクル:Plan(計画)、Do(実行)、Check(検討、評価)から成る管理活動の一連のプロセス。
3. マネジメント・サイクル:管理活動を実行する一連のプロセス。PDCサイクルと同義。
4. 自我の欲求:アメリカの心理学者、マズローによって唱えられた、人間の欲求は低次元の欲求が満たされると、より高次元の欲求充足を求めるという「欲求階層説」の中の最高次元の欲求。自己の能力や努力を公平に認められたい、自主的に行動したいという欲求。
5. 自己実現の欲求:自我の欲求より上位の「欲求階層説」の中で最高次元の欲求。人間は現状に甘んじることなく、さらに能力の成長を求めるという欲求。能力、適性を生かせる仕事、没頭できる趣味や社会活動を通じて満たされるとされている。