Business & Economic Review 1996年08月号
アジアと日本のパーセプション・ギャップ
1996年07月25日 林薫子
1.はじめに
アジアの都市は元気である。「シンガポー ル株式会社」は、アジアのビジネスセンターをめざして、官民一体となりつき進んでいる。 香港では、「Gate Way To China」という声が至る所で聞こえてくる。中国の沿海都市では、各国の大企業から中小企業までがひしめき合い、巨大な市場を実感する。このような中、日本企業のアジア展開が進み、日本社会の中にアジアへの関心が高まってきているが、反対に日本はアジアにとってどのような存在なのであろうか。本稿では、アジアと日本の「距離」について、焦点を当てて述べたい。
2.日本からみたアジアの距離
近年のアジア経済のめざましい発展によ 、日本では「脱欧米入亜論」が盛んである。 経済的には、日本経済にとってのアジアのプレゼンスは年々大きくなってきており、NIEs、ASEAN、中国地域との貿易は、1995年では輸出額19.7兆円(輸出総額に対するシェア47.4%)、輸入額11.7兆円(輸入総額に対するシェア37.1%)に達している(日本関 税協会「外国貿易概況」1996/1)。
日本からアジアへの直接投資でみると、1990年ではアジアへの投資額は全体の12.4%であったものが、1994年では23.0% のシェアを占めるに到っている(図表1)。
企業だけでなく、アジアへのヒトの流れも大きく増加しており、ビジネス等含めたアジアへの出国外国人数は、この10年間に2.7倍となっている(図表2)。日本からのアジアへの旅行者も増加し、日本人にとってアジアは心理的にも身近な存在になりつつある。
3.アジアからみた日本の距離
一方、アジアの人々は、日本をどの程度近く感じてくれているのであろうか。
(1)有識者の見解
本年1~3月にかけて、「東京の魅力と活力に関 する調査」(東京都委託調査)の一環として、アジア6都市(シンガポール、香港、台北、ソウル、北京、上海)の有識者へのインタビュー調査を行い、その中で、それらの都市からの東京の社会的距離についての意見を聴取した。東京を日本の代表都市として捉え、東京=日本と読みかえると、全般的に、日本からのアジアへの距離が縮まりつつあるのとは 反対に、アジアからの距離はむしろ広がりつつあるという結果となった(図表3)。 シンガポールや香港へは、多くの日系企業が進出しているにもかかわらず、ビジネスの上においても日本に対する興味は大きくはない。日本の資本や技術は重要ではあるが、それ以上の関係は現在の段階では特に必要としてはおらず、中国やインド、東南アジアとの関係や、もしくはもっとグローバルな見地に立てば、米国との関係に最近の興味は集中している。特に香港のような市場原理の浸透した都市からは、日本は、市場の閉鎖性等よくわからない、特殊な国と映るのであろう。台湾は、地理的に近く、歴史的にも日本の影響を受けており、最近では日本のファッション等が自然に入り込んでいるが、インタビュー先からは「それらは表面的だ」という強い指摘を受けた。現在では、例えば官僚のほとんどは米国留学経験者であり、逆に日本から離れていっている。また、台湾と同様に地理的、歴史的にも日本と関係の深い韓国では、国民感情として日本を受け入れにくいという側面も強い。 中国は発展の途上であり、その意味で日本の経済的な影響は大きいものがあるが、それでも香港や台湾の華僑・華人などのプレゼンスの大きさは日本以上である。文化的な影響度という点でも、香港、台湾、米国が大きいのが現状である。
(2)アンケート調査の結果
次に、シンガポール、香港、台北、ソウル、 上海の5都市の民間企業に勤務する20歳以 上の管理的職業従事者(課長職相当以上)に 対するアンケート調査によると(調査方法: 訪問留置・訪問回収、回収率93%、有効回収数140)、東京はアジアの中で重要な都市か どうかという質問に対して、122人(87.1%)の人が「重要である」と答えている(図表4)。 その理由としては、「経済」「技術」という回答が圧倒的に多く、東京の経済的重要性は アジアでも認識されている。これは日本企業の活発なアジア展開を裏付けているといえよう。
(図表4)東京の重要性とその理由 《重要性》《その理由(複数回答)》(資料)図表3に同じ
一方、東京に(ニューヨーク、ロンドン、 パリなどと比べて)個人的な関心があるかという質問に対して、「東京に関心がある」と 答えた人は56人(40%)であり、回答者の半数にも満たなかった(図表5)。逆に「関心がない」と答えた人も56人であり、シンガ ポール、香港、ソウルでは、「関心がない」 が「関心がある」を上回っている。
(図表5)東京に対する関心 (資料)図表3に同じ
これらの結果から、東京(=日本)は経済 の大きさや技術の先進性により、アジアから重要であるとは認識されてはいるが、それら を除くと個人レベルではあまり関係がない、という構図が浮かび上がってくる。
(3)アジアにとっての日本
日本とアジアの経済的結びつきの強化により、日本のプレゼンスは相当高まっているに違いないと我々日本人は考えがちであるが、アジアから日本への心理的距離は決して近くはない。しかも日本はアジアの一員となる方向に向かっているとは思われていないことを、 インタビュー調査やアンケート調査の結果は物語っている。
また、今後、日本との関係にも大きな役割を担っていくアジアの留学生の動向をみてみると、日本への留学生は米国の7分の1であり、米国とアジアのつながりは今後もますます強くなっていくであろうと見込まれる(図表6)。また、せっかく日本に留学しても、反日感情をもって帰国する人も少なくない。 有能な留学生が日本で就職したとしても、日本人と同じようにポストを得られる可能性は 少なく、この閉鎖性はアジアからの留学生が共通して感じているところである。今後日本が欧米とアジアの架け橋になるというのは幻想にすぎないといえよう。
図表7は、日本、アジア諸国、欧米諸国の経済的及び心理的位置関係を表している。日本とアジアは、経済的な距離に対して、心理的な距離が大きい。それにもかかわらず、日本のベクトルは経済的距離のみを縮める方向に向いており、心理的距離を縮める方向(点線)には向いていない。むしろ欧米諸国の方が、経済だけでなくその他の面でも、アジアに近づいていっているのではないか。
4.今後の課題
アジアでの日本企業のプレゼンスはますます高まっており、アジアの国々もその重要性、影響の大きさは充分に認めてくれている。しかしそれだけで、日本がアジアの一員として認められていると考えるのは、大きな誤りである。アジアからみれば、日本は依然大きな「ブラックボックス」であり、心理的には「まだまだ遠い存在」である。日本から感じるアジアの存在と、アジアからみた日本の存在の間には大きなギャップがある。このパーセプション・ギャップをうめていくことは、今後両者がよきパートナーとして共に発展していくための、大きなポイントの1つではないか。
そのためには、ブラックボックスの構造をオープンかつ透明にしなければならない。そして、われわれ日本人がアジアをもっとよく理解していくと同時に、アジアの国々に日本 をもっと知ってもらう努力をしていく必要がある。日本イコール経済の大きさだけでなく、 文化面も含めた日本全体をもっと知ってもらう必要がある。アジアの企業がもっと日本に 進出し、多くのアジアの人々が日本に滞在する、より多くの留学生を受け入れていく、そして彼らが多くの日本人と接して親近感を持ち、ほんのすこしの日本語でも覚えて帰国してもらうことにより、日本を真に理解してもらうことが求められているのではないか。
そして、その際に重要なのが、日本人ひとりひとりの「内なる国際化」であろう。せっかく来た人を異様な目でみたり、差別したりすることは論外である。1人1人が「アジアの国と友人になる」という意識を持ち、アジアの歴史や文化について知る努力をし、アジアの人々と対話していくことである。 私見ながら最後に付け加えると、この「内なる国際化」というのが、日本に大きく欠けている点であり、かつ克服していくのが難しい課題なのではないかと思う。日本人ではないというだけで、特殊な目で見てしまうことはよくある光景である。最近のある市民調査の自由意見欄でも、「最近街に外国人が増え、駅の近くをうろうろされるので不安だ」などという意見がいくつか見られた。
日本人のこのような意識を少しずつでも変えていくために、1つには教育のあり方を考え直していく必要があるのではないか。 小学校、中学校の初等教育の段階から、もう少し国際化を意識し、日本のモノ・ヒトもアジアのモノ・ヒトも同じように受け入れられる国際人を育てる教育を行っていくことにより、長期的に「内なる国際化」を進めていったらいいのではないかと思う。