Business & Economic Review 1996年07月号
新事業開発の成功と失敗の要因に関する一考察
1996年06月25日 宮澤政夫
1.先達の企業家行動に学ぶ
閉塞感の強まる国内経済の打開に向けて、ベンチャーを含む民間側からの新事業開発の推進に弾みがつくことが期待される時代である。とはいえ、新事業開発や起業に挑戦する企業家の全てが成功者になれるとは限らない。データでみても、たとえば平成7年版の「中小企業白書」では、過去において新分野進出で「成功した」と評価する被験者は5割強、「どちらともいえない」や「失敗した」と評価した人は残りの半数、といった状況にある(注1)。おそらく、調査の対象から洩れた独立企業家に新事業開発の評価を問えば、成功したと答える人の比率はさらに低下し、投下資本を回収してなお利益を上げているケースが総事業開発件数の1割以下になることも十分予測される。それほど新規の事業開発はリスクの大きいビジネスであり、だからこそ企業家の排出が待望されながらも既存の産業の概念を打ち破るほどの企業家勢力や新事業開発ブームを未だ感じ取ることができないでいるのであろう。
それでは、どうすれば新事業開発に成功を収めることが可能になるのか。あるいはまた、どのような点に留意すれば新事業開発につきもののリスクを低減することができるのか。
この素朴な質問、あるいは、新事業開発に挑む人なら誰もが抱く関心に少しでも答え得る手掛かりを提示することができれば、新事業開発の成功の確度は今より増すように思われる。
けれども、「新事業開発で成功するには」に対する解答を既存の経営の指南書に求めることは容易でない。新事業開発に関する文献の多くは、事業の探索や企画の方法論で終始することが多いからである。そこで、筆者は先の質問に対するヒントを新事業開発に挑んだ先達の企業家の体験談に求めることにした。この取材に基づく方法では、企業家の固有の体験談(例えば「汗と涙の物語」のような情緒的部分)は捨象し、企業家に比較的共通した意識と行動に関わる要因の抽出に主眼を置いた。つまり、新事業開発に挑む企業家行動の中で成功や失敗に結び付きそうな普遍性のある要因を取り出すことを目的としたのである。
もとより、企業家1人1人の取材に基づいて成功要因を探り出す方法に拠ろうとすれば、数多くのサンプルと多面的な分析作業が必要とされるが、新事業開発の成功要因と失敗要因の仮説の提示という目的に対してであれば、限られた事例研究からでも役立つアウトプットを引きだすことはできる。そのような趣旨で、以下では、筆者がコーディネーターを務めた「ニュービジネス研究会」(注2)の成果などに依拠し、新事業開発の成功要因と失敗要因についての論を展開してみることにしたい。(なお、以下の文中に引用した新事業開発の事例内容と企業家の言葉は、「ニュービジネス研究会」に招いたゲストスピーカーの講演録から抜粋し、筆者の責任で要約編集したものである。)
2.新事業開発の成功要因
(1)企業家と新事業開発の関係
どのような新事業開発であれ、それをリーダーとして推進する企業家個人の資質や迫ヘに負うところ大であることはいうまでもない。とくに、企業家の「育ち」、「先見力」、「決断力」、「実行力」といった属人的な資質と能力は新事業開発の成否を左右する最大の要因といっても過言ではない。この属人的な要因を基礎として企業家行動が起こされるわけであるが、その行動のベクトルの違いによっても新事業開発の成否は分かれると考える。これを因果関係で説明しようとすれば、図表1の概念図のように表現できる。もちろん、新事業の成功と失敗は企業家個人の能力と行動だけで決定されるものではないから、企業家個人と新事業を取り巻く環境要因も因果関係モデルの中には取り入れておくべきであろう。
企業家と新事業開発との関係を浮キ概念モデルを以上のように大きくとらえたうえで、本稿では概念図における「企業家行動」要因(図の網掛けの部分)に的を絞り、先ず、成功する新事業開発に共通的に見出される行動要因を5つほど列挙してみる。
(2)システム化指向の新事業開発
成功する新事業開発に特徴的に見出される要因として真っ先に挙げたいと思う要因は、目指す事業の運営原理をシステムオペレーションに求めようとする姿勢が強いことである。システム化を求める方向は生産分野、販売またはマーケティングの分野、組織運営分野など、事業の性格によって変わるが、ビジネスをシステム的にとらえ、システム化によって生産性を上げ、コスト競争力や情報競争力を強めようとする点では共通性がみられる。
たとえば、洋酒メーカーのサントリーとUCC上島コーヒーの合弁事業、「プロント」のケース(注3)を取り上げてみよう。この飲食サービスの業態コンセプトは「昼は気軽なコーヒーショップ、夜はおしゃれなダイニングバー」にある。これを二毛作経営と名付けているが、これだけなら繁華街にある喫茶店が夜はショットバーに変身する店舗のケースと大きな違いはない。「プロント」の事業開発が成功した大きな理由は、この時間帯別メニューと飲食サービスの切り替えを夕方の5時30分を境目に完璧に行えるオペレーションシステムを開発した点にある。「プロント」では、昼間はアルコールを一切見せない、アルコールのイメージを感じさせないオシャレなコーヒーショップを演出し、反対に夜はコーヒーの臭いも一切出さない完全なアルコール業態に変身する。その迅速な切り替えのシステムを店舗(什器などのハード)、商品、物流、要員配置の各レベルで作り上げている。
システム指向の事業開発事例をもう一つ紹介したい。それは、成熟産業への新規参入でも、システム発想で事業化すれば新たな市場を創造できることを教えてくれる事例である。この事例はコンピュータのソフト会社を経営していた企業家が「システムを変えれば新しいビジネスを創造できる」との長年の持論を自ら検証するために、サービス産業では成熟化を迎えていると言われるクリーニング店を始めた事例である(注4)。このクリーニング店(「洗濯便」)の創業者は事業を始めるに際して、まず、「消費者にとってクリーニングはいかにあるべきか」の視点から現状のクリーニングに対する消費者不満を列挙し、その不満を全て解消することを目標にサービス商品を設計した。具体的には、「品質がよくて顧客の全ての要求を受け入れること」、「預かった品物の完全管理を行うこと」、「料金支払いの明朗性」、「集荷配達の徹底」、「いつでも予約可能」、「何でもクリーニング」、「クレームの言いやすい道を備えること」、などである。これらの消費者ニーズを完全に満たすために、受注から生産(工場)、納品、クレームの各プロセスをコンピュータと伝票だけで管理できるようにシステム化したのである。これによって、新規参入組であるにもかかわらず、価格競争に巻き込まれることなく、顧客を獲得し業績を伸ばすことができた、という。
他にも新事業開発の成功事例にはユニークなシステムを備えているものが多いように思われる。その背景にはコンピュータの普及に伴い、コンピュータで処理可能な業務や活動領域が大幅に拡張している情報化の波の影響をみることができる。
(3)教育と動機づけの重視
新事業開発における成功の要因として2番目に挙げられると思うものは、新事業で新たに雇用される人々の教育訓練と参加意識を高めるための動機づけである。
この要因は最初の「システム化」指向の新事業開発の姿勢に深く根ざしているものとみられる。というのは、システム化や標準化を目指す事業運営、組織運営の原理は、働く人々の「やりがい」とか「創意工夫」「挑戦心」といったモラールに反する性質を内在しているからである。よく、マニュアルで育った社員や販売スタッフは機転もきかず、言葉に誠意も感じられないなどと揶揄されるのは、この矛盾を突いた批評と思われる。それだけに、システム化を成功の決め手と考える新事業開発ほど、そこで働く人々にシステムを深く理解させ、かつ、システム全体の中での自己の役割の重要性を教育訓練することに当初から熱心になる。
同時に、システムを理解させるだけでなく、システムを動かすことに共鳴共感を呼び起こすような「動機づけ」を重視する。先の「洗濯便」を創業した企業家は、「人間は機械のようにならないからシステムを維持することは大変である。教育に力を入れて、各システムの自分の守備範囲と全システムをきちんと理解してもらうことが必要だ。」と指摘している(注5)。
また、病院のクリーンネスのアウトソーシングを受注する事業の立ち上げに携わったダスキンヘルスケア事業部の元スタッフも次のように証言する。「いいサービスを提供するということは、いい人材を育成するということであり、いい人材を育成するということは、いいマーケットを奥深く開発していくことにつながる。いい市場が奥深く開発されると、そこで働きたいという、さらに優秀な人材が集まってくる。」(注6)。
(4)事業理念の明確化
働く人々の共鳴共感と参画意識を高めるには新事業の経営理念を明確にすることである。これが新事業開発を成功に導く3番目の要因と考える。
前項に掲げた教育や動機づけの効果を高めようとすれば、新事業が会社や企業家個人の利益のためだけではなく、顧客と社会の利益に広く貢献することになる、といったような事業理念を説くことが有効になる。この理念の明確化の重要性を前述のダスキンヘルスケア事業の例で説明しよう(注7)。ダスキンは提携先の病院からみれば病院の清掃代行会社の立場にある。しかし、ダスキンヘルスケアの事業理念は「パートナーズ・イン・サービス」と定義される。この理念には、病院が提供する医療サービスの一翼を担うパートナーとして自分達はいる、という対等の精神(パートナーシップ)が込められている。ヘルスケア事業の開発に携わった前述のスタッフは、「パートナーシップの関係というものは常に緊張を強いられるようなサービス関係だけれども、同時に双方が成長していくサービスの関係ともいえる」と述懐している。そのような熱き使命感を感じさせる理念が働く人々の参加意識を高めているのだと推測できる。
同様に、鐘紡の椎茸事業の開発事例にも理念が果たした役割の大きさを感じ取ることができる(注8)。鐘紡は椎茸事業(人工ホダ木の供給と生椎茸の販売事業)を町村との合弁事業により拡大してきた経緯を持つが、この事業運営に際しては一企業の利益のためだけではない、町や村の事業起こしにつながり、地元の雇用機会の創造に貢献する、と関係者を啓蒙してきたことが地域の理解と協力を得るのに役だったという。
このように成功する新事業開発には、「システム指向」、「教育と動機づけ」、それを支える「理念づくり」、以上の3要素が密接に関連し、企業家行動の相当部分を支配しているとみられるのである。
(5)「ニューカテゴリー」の創造
だからといって、挑む事業分野や参入市場が成功の決め手にはならない、というわけではない。新事業開発であるから、どのような分野を選択し、どのような事業形態で参入すべきかを事前に調査し、実現性をシミュレーションによって確かめ、精緻な事業化計画を立てることの重要性が薄められることはない。けれども、いかに事前の調査を念入りに行い、精緻な事業化計画書を作成しても、それだけで新事業開発を成功に導くことは難しい。成功した新事業開発に見いだされる4番目の要因は、丹念な調査より、むしろユニークな事業コンセプトの創造にあるように思われる。「ユニークな」という意味は、世の中に二つとない全く独創的な事業という意味ではなく、これまでのビジネスフォーマットからみると相違点が明らかな「ニューカテゴリー」のビジネス、といった意味である。
ここで「ニューカテゴリー」という用語を持ち出す意図は、ライズ(AL RIES)とトラウト(JACK TROUT)の主張する「カテゴリーの法則」が新事業開発の成功の法則としても応用できそうに思えるからである(注9)。ライズらが説くところによれば、マーケティングで成功者となるためには競争者より優れたものを創ろうとして貴重な時間や資源を費やすより、顧客心理にこのカテゴリーの商品の一番手はX社であると先駆けて刻印を押すことのほうが有効である、という。これを先駆けの戦略(原文ではThe Law of Leadership)とすれば、後発者が先駆け者を追い越すには先駆け者の築き上げた枠組みとは別の「ニューカテゴリー」を創造することが重要だと指摘する。ライズらはこれを「カテゴリーの法則(The Law of the Category)」と呼んでいる。この「カテゴリーの法則」を借用して、先のプロントの事例を説明してみよう。
低価格コーヒーショップの分野では既にドトールコーヒーという先駆け企業が存在していたから、プロントがこれと競争して勝つには別のカテゴリーを創りだす必要があった。それが、コーヒーショップとダイニングバーの「二毛作経営」というニューカテゴリーを産み出すもとになった、と考えられる。
これと類似した例を「雪国まいたけ」にみる(注10)。このニューカテゴリーは、それまでのマイタケに抱く「農産物」「高級品」「卸市場ルートの商品」の概念をことごとく打破し、「工場生産品」「100グラム200円で買える大衆品」「小売直送品」などのディーリーフーズへと一変させてしまった。つまり、特殊な市場であったマイタケ市場において、ニューカテゴリーを創造することによりベンチャー企業を飛躍的に発展させることができたのである。
このように、既製の概念や固定観念を打ち破る企業家行動は事業開発の成功の可能性を高めるもとになる。
(6)新機軸による差別化
さらに、新事業開発で成功するには「成長分野への先駆け」や「ニューカテゴリーの創造」にとどまらない、新機軸と呼べるようなイノベーションを起こすことが不可欠の条件になる。この新機軸により需要を創造し、競合他社を差別化する行動を新事業開発における成功の5番目の要因として挙げることができる。実際、成功する新事業開発には大小の差はあっても何らかの新機軸を共通に見いだすことができる。前述の新事業開発の事例についてみても、たとえばプロントの場合には「二毛作経営のシステム」を、洗濯便の場合には「丸ごとクリーニング」や「顧客指定時間の配達」を、ダスキンヘルスケアの場合には分刻みで進めるサービスのマニュアル化を新機軸とみることができる。鐘紡の椎茸事業の場合にも、人工ホダ木の生産や、栽培組合の結成、第三セクター方式の工場の設立など組織づくりにおいて新機軸が起こされた。 この他にも新機軸が新事業を推進するケースは数多く見いだされる。オーディオメーカーのパイオニアは、80年代のビデオディスク開発競争において、VHD陣営の13社を相手に独り「光学式」で挑み、大成功を収めた経験を有する。今また、カーナビ競争でも市販用で他社に先んじて商品化し、市場創造の旗手役を果たしている。このカーナビ開発でも、ハードとソフトの別売りでモデルチェンジのスピードアップを図るなど新機軸を打ち出すことで導入期の主導権を握ることに成功した(注11)。
また、これからの新事業開発ではシステム化と同時にネットワーク化も成功のカギとなる要因と目されるが、このネットワーク化をコンピュータ教育の分野で具現化したのがソフトウエアの開発設計とコンサルタントの会社SCCである(注12)。
SCCは1989年に北海道情報大学をグループ傘下の教育機関として設立し、コンピュータと情報処理を特徴とする教育事業に進出した。同時に、全国主要都市に直営校とフランチャイズ契約による加盟校とを組織化し、学校のネットワーク化を図った。具体的には、全国の専門学校を北海道情報大学のエクステンションに位置づけし、大学と専門学校を衛星通信ネットワーク(PINE-NET)で結び、大学の講義を衛星ネットワークで遠隔地の専門学校に配信するサービスを行っている。これは、18歳人口の激減により経営基盤が揺らぎつつある全国の専門学校にとっても、少ない費用で高度な教育サービスを提供できるというメリットがあり、ネットワーク組織に入ることが専門学校の生きる道として注目されている。このPINE-NETもネットワーク技術で新機軸を起こし、新事業開発を進めた好事例の一つといえる。
以上、新事業開発で比較的共通的に見いだされる5つの成功要因を抽出し、その特徴について考察した。もちろん、事業開発の成功要因を他の切り口から説明することもできるであろう。また、取り上げた5つの要因が相互に不可分の関係にあり、どれが成功の決め手になっているか一概にはいえない、という問題も残る。とはいえ、ここで紹介した先達の企業家行動には5つの要素のいずれかが色濃く投影されていることも否定できないように思える。
3.新事業開発の失敗要因
「成功する新事業開発とは」という設問に比べると、「失敗する新事業開発とは」との問に対する要因の抽出は比較的容易かもしれない。ここでは、個々の事例は省略し、新事業開発にありがちな失敗の要因を一般則として箇条書きにしてみる(注13)。
第一の失敗要因は需要予測や市場の読み違えから生ずる。とくに楽観的な需要予測に基づいた事業化計画は、読みが狂った時に適切な対策を打てないことが多いという意味で失敗をもたらしやすい典型的な要因といえる。
第二の失敗要因は「経営資源の小出し」によりもたらされるものである。これは「小さく生んで大きく育てる」を重視するあまり、必要な投資や運転資金を削減し、かえって事業の離陸を困難にしてしまうことから生ずる失敗である。どのような新規事業でも成功に必要な最小限度の投資や経営資源は要るもので、事業利益から投下資本を調達するといった現地調達主義のような考えは新事業開発においてはリスクを大きくするだけである。
失敗の三番目の要因は意思決定者の不在、または意思決定の混乱にある。これは新事業開発に本業の管理システムを持ち込むなどに起因する。しかも、船頭を数多く並べるような組織体制が失敗を生む土壌になる。船頭の多い新規事業は失敗する。これは新事業開発の鉄則のようなものである。
失敗の四番目の要因は企業(または企業家)と参入する事業分野のミスマッチからもたらされる。企業内の新事業開発でいえば、「非関連の事業開発」ということになるが、関連性が多いからといって安心はできない。製造技術や販路に関連性を多く有しながら、いつになっても赤字事業から脱却できないでいる新事業開発は珍しくないからである。大事なことは目に見えるところでの関連性より、外側からはよく見えにくいところでの関連性を保つことである。たとえば、顧客など第三者に知覚される企業イメージや事業ドメインと関係の深い新事業開発は成功の可能性が高い(注14)。反対に、自社の参入可能な領域の検討もなく、世間の人気やブームに煽られて着手した非関連の新規事業は失敗する確率が高い。
五番目の失敗の要因は「時の選択」、すなわち参入のタイミングのとり間違いから生ずる。いかに「自社の柄に合う」新規事業といえども、参入の「時」を読み間違えると失敗のリスクは大きくなる。
六番目の失敗の要因としては、大企業や業界トップ企業にありがちな自己過信である。自社の暖簾、規模、シェア、技術などを過信し、本業と同じ経営感覚で新規事業に着手すると失敗を犯す危険性が高くなる。
七番目の失敗要因としては、適切な事業案内人(パートナー)の不在を挙げることができる。とくに新事業開発を何から何まで自己完結で進めようとする姿勢の強い企業ほど企業提携や外部スタッフの協力を得ることが苦手のように思われる。けれども本業の経験やノウハウを活かすことの困難な異業種での事業開発では、軌道に乗せるまでの費用と時間(リードタイム)がかかりすぎて失敗に終わることの方が多い。
以上は、新事業開発を失敗の側から分析してみるときに、共通的に浮かび上がってくる要因と考えられる。
4.新事業開発の理論化に向けて
新事業開発を成功に導くためにはどのような点に留意し、また注意しなければならないのか。本稿ではこうした質問に答えうる知識を求めて、実際に新事業開発に携わった企業家の体験談を手掛かりに、成功と失敗に関わる要因の抽出を試みた。その結果を一覧にすると図表2のとおりになる。
ただし、これは試論であって、調査分析の方法や抽出した要因をめぐり、今後の議論と研究に幾つかの課題が残されているものと思われる。 第一の課題は、冒頭でも触れたように、有効な体験談を語る企業家の調査対象を拡大し、調査の標本数を増やすことであろう。本稿では体験談を話してくれた企業家のフィールドが消費財や生活者向けサービスの業種に限定されたが、今後は技術指向のベンチャーや、生産財の分野で新事業開発に挑む企業家にも対象を拡げる必要がある。
第二の課題は、新事業の成功と失敗の判定、及び、成功と失敗の要因分析をめぐって、この問題をいかに科学的に解決していくことができるかという手法にある。本稿では、体験談を話す企業家の認識と筆者の判断で要因を抽出したわけであるが、普遍性のある原理や法則を求めようとすればサンプル数の拡大だけではなく、調査と分析の手法にも創意工夫を凝らす必要があると感じている。
第三の課題は、企業家に注目して新事業開発のノウハウを抽出しようとすれば、2章の概念図に表した企業家個人の属人的要因も取り込んだ因果関係の分析を行う必要性が出てくることである。この企業家と新事業開発の関係を表す枠組み全体での研究が進めば、どのような資質と能力に恵まれた企業家なら新事業開発に成功する確率が高くなるか、といった問題を解くこともできそうに思える。しかし、この課題を克服するまでには大分時間がかかりそうである。
いずれにしても、新事業開発の理論化という大きな命題に対しては、これまで以上に企業家自身の言葉による論証やノウハウの公開が必要とされる。それも、普遍化できる「理念」や「手法」に富む体験談が多く語られる必要がある。それを基に、企業家行動の研究が進められ、新事業開発で成功するためのノウハウが蓄積されていくなら、やがては企業家を志す人々が踏襲すべき新事業開発の行動指針や経営モデルも確立されていくようになると思われる。
注
1. 中小企業庁「中小企業白書」第4部第2章第1節 (P382)
2. 住友ビジネスコンサルティング(1995年4月に日本総合研究所と合併)の主宰による研究会。メーカー、流通などの業界から参加した企業スタッフとともに1994年6月から95年3月まで延べ10回にわたり新事業開発の手法とニュービジネスについて研究を重ねた。
3. 株式会社プレス関西支社、部長、川上昌男氏の講演録(「ニュービジネス研究会」1994年6月24日)に拠る。
4. 株式会社洗濯便、新井陽一氏の講演録(「ニュービジネス研究会」1994年9月27日)に拠る。
5. 前掲、新井陽一氏の講演録からの引用。
6. 河北総合病院 事務部長 富田信也氏の講演録(「ニュービジネス研究会」1994年7月26日)からの引用。
7. 前掲、富田信也氏の講演録に拠る。
8. 鐘紡株式会社開発事業本部 部長 小西尚夫氏の講演録(「ニュービジネス研究会」1994年8月30日)に拠る。
9. AL RIES & JACK TROUT, 〃The 22 Immutable Laws of MARKETING〃 chapter1,2 Harper Business 1993 (邦訳、新井喜美夫訳、「マーケティング22の法則」東急エージェンシー出版部、1994年)
10. 「雪国まいたけ」の事例は、筆者が株式会社雪国まいたけの企画部 関哲男氏から直接取材したものをベースに筆者の解釈を含めて要約したものである。
11. パイオニア株式会社 ナビゲーションシステム事業部企画部課長 畑野一良氏の講演録(「ニュービジネス研究会」1994年11月22日)に拠る。
12. SCCの事例は、筆者が株式会社SCC 取締役 野中忠彦氏からPINE-NETの立ち上げの体験談を直接取材した情報をもとに要約したものである。
13. 一般則とはいえ、ここでの「失敗の要因」も「ニュービジネス研究会」などで企業家が話した体験談を手掛かりに要約したものである。
14. 顧客の知覚を利用した多角化戦略の事例として花王の美と健康に関する商品開発を挙げることができる。詳しくは、宮澤政夫編著「明日の有望事業開発」(中央経済社、1993年)の第1部を参照されたい。