Business & Economic Review 1996年02月号
【OPINION】
年金基金に自己責任原則を
1996年01月25日
一昨年の日本紡績業厚生年金基金の破綻を契機として、年金基金の危機が次々と伝えられている。厚生年金基金の運用パフォーマンスの低下と基金危機の背景には、多くの要素が絡み合っている。
まず、循環的な要因である。株式市場はバブルの崩壊に伴い近年低迷を続けていたうえ、超低金利時代が長く続いていることから、年金基金のパフォーマンスも大幅な低利回りを余儀なくされている。
この他に、多くの国「的な問題がある。まず、高齢化社会の移行に伴う矛盾がある。厚生年金基金の仕組みは、年々数々の改正、改善がなされているものの、依然として昭和40年代の設立時の発想を色濃く残している。例えば、5.5%という嵐阯・ヲも高度成長期の日本経済の姿を前提とする限り控えめな想定となっているが、来るべき高齢化社会における卵z平均名目成長率との対比では楽観的な想定と言わざるを得ない。
次にその仕組み自体、公的年金と切り離して考えることができないという問題もある。基金自体が公的な厚生年金保険(老齢厚生年金)の代行業務を行うが故に、完全な民業となっておらず、公的年金とある程度の平仄を持って設計の変更を行わねばならないという点が問題をより難しくしている。特に、厚生年金基金は本来個々人による積立方式の発想であるのに、代行部分は公的年金の考え方を取り入れ、若年世代の賦課を前提としている点は大きな矛盾をはらんでいる。
この点、産業国「の変化との関連も問題になる。紡績業厚生年金基金の破綻の例をみても、繊維産業という衰退産業の宿命という側面は、無視できない。衰退産業は若年世代が相対的に少なく、若年層への賦課ができないから、当然公的年金の代行の発想をこうした産業に取り入れることは難しい。また、企業年金自体が終身雇用制を想定しているため、従業者のポータビリティを前提とした年金設計となっていない。21世紀に向けて、日本産業の高度化を目指そうとするならば、衰退産業から新規産業への人の流れをスムーズに促す年金基金設計が必要である。企業が合同で作る総合設立型の厚生年金基金も新規事業への業種転換の足枷となりかねない。
このような企業年金の制度設計上の矛盾は、日本経済に次のような悪影響をもたらす。
第一に、年金の掛け金率の上昇を通じて、企業に勤める個人にとって保険料の引き上げが必至となる。事態が悪化し、基金の破綻が起きれば、せっかく保険料を払ったにもかかわらず助ェに年金が受け取れないという自体さえ起きかねない。これは高齢化社会を迎えるわが国にとって非常に深刻な影響を及ぼす。
第二に、企業年金のパフォーマンスの悪さは、その支払いを保証している企業の健全性にも決定的な悪影響を及ぼす。特に、わが国の場合は、企業の厚生年金基金のディスクローズが遅れており、年金の支払い保証に伴う「隠れ債務」がどの程度の大きさであるかが、外部からみてはっきりわからないのが現状である。ちなみに、米国基準では全ての企業について年金パフォーマンスの開示が義務づけられているから、ニューヨーク証券取引所に上場している企業については、詳細に情報開示が行われている。
大きな問題を抱える企業年金制度を改革していくために、基本的に重要な視点は、企業年金に関連する各レベルにおいて自己責任の発想をもっと取り入れることである。
第一に、企業年金の破綻もあり得るという時代になっている以上、企業自身が危機感を持って隠れ債務の問題を直視し、これを外部に対してディスクローズしていくことが必要である。当然のことながら、その際の会計処理基準も整備すべきである。
第二は、運用規制の撤廃である。年金の運用は、安全資産でなければならないという発想から、基金及び運用者である信託銀行及び生命保険会社に二重三重に運用規制がかかっている。特に、簿価での運用規制などは、バブルによる資産価格の変化を考えれば、無意味の一言に尽きる。年金基金の運用パフォーマンスを向上させようとするなら、運用規制を撤廃して受託者である厚生年金基金が自己の責任において運用を行う体制を作ることは、基本的な前提である。
第三に重要なことは、高齢化社会を展望し、年金システムの設計自体を原点から見直すことである。例えばアメリカでは確定給付方式ではなく、確定拠出方式が多くなっている。確定拠出方式のほうが、自己責任原則が徹底できるだけでなく、従業員の企業間におけるポータビリティーにも耐えるものだからである。
企業、年金基金、そして企業に属している従業員、いずれのレベルにおいても、自己責任が追求できる仕組みを考えていく必要がある。