Business & Economic Review 1996年01月号
【OPINION】
適債基準の撤廃と「金融1940年体制」の終焉
1995年12月25日
96年元旦をもって、社債発行に際して発行企業に義務づけられてきた「適債基準」の充足と「財務制限条項」の設定という、2つの規制が撤廃された。
本来、資本主義社会は企業の自由な資金調達活動を保証する社会制度である。にもかかわらず、わが国における社債発行は、1933年以降のいわゆる「社債浄化運動」をきっかけに60年以上の長きに亘ってさまざまな制約を課されてきた歴史的経緯がある。
「社債浄化運動」とは、昭和恐慌の影響で社債ディフォルトが続出したことに対応して、無担保社債の発行を禁止することで、財務内容の劣悪な企業の社債発行を締め出す目的で行われたものといわれる。社債の担保付き発行はその後長くわが国における社債発行の原則となり、基本的には現在まで受け継がれている。
しかし、企業の財務内容と担保の有無は、本来、無関係なはずである。事実、同じ時期、同様に社債ディフォルトの頻発に苦しんだアメリカでは、社債格付けの利用が普及する一方、担保付き起債は高い格付けを得られない企業がやむを得ず選択する手段と認識されるようになり、社債発行の無担保化が進行したのであった。
近年の経済史研究の進展は、わが国経済システムの諸特徴に対して、戦争遂行のために人為的に穀zされた「1940年体制」の遺産という新しい視点を与えている。「社債浄化運動」に対しても、こうした「1940年体制」史観に基づけば、軍需産業への資金供給パイプ確保という新たな戦略を付与することができよう。軍需産業は典型的な重厚長大産業であって、豊富な担保物件を口実に資金を誘導することが可狽セったからである。軍需産業に限っては、社債浄化運動後も無担保起債が許された事実は、こうした解釈を補強するものである。
こうした「金融1940年体制」は、その資金集約対象を軍需産業から「基幹産業」へ変化させつつ、戦後も維持された。社債発行の際のハードルも、「日銀適格担保社債事前審査制度」、「数値基準格付け」、「適債基準」と変遷しつつも、基本的には「優良企業」だけに起債を許す人為的な資金配分システムが今日まで維持されてきたのである。
「ヒト・モノ・カネ」の経営資源を人為的に一部大企業に集中する「1940年体制」が、キャッチアップ段階を終えたわが国経済にはもはや適合しないことは、多くの識者の指摘を待つまでもあるまい。人為的な資源配分から市場メカニズムに基づく資源配分へのシステム移行が不可避であるとすれば、社債発行における適債基準ももはやその任を終えたということができよう。
ところで、こうした「金融1940年体制」の終焉に対して、われわれはどのように対応すべきであろうか。以下の3点を指摘しておきたい。 まず、投資家の自己責任がより一層求められることになろう。社債ディフォルトに際して、もはや社債管理会社(従来の受託銀行)による買い取りなどの救済措置は期待できない。また、信頼度の低い社債も市場に出回ることになるが、これはよりハイ・リターンが期待できる運用対象を増加させ、投資家の運用フロンティアを拡大する一方、潜在的な投資リスクの拡大をもたらす。卵zされる社債発行企業数の飛躍的増加と合わせ、投資家は自らの資金性格とリスク許容度を勘案して、従来以上に社債投資へ真摯な姿勢で臨まなければならない。
次に、発行企業側では、資金調達手段の自由度拡大と引き換えに、従来以上に透明度の高いディスクロージャーが要請されることになろう。「金融1940年体制」の枠組み内部で、優先的な資金供給を享受できたわが国大企業は、外部投資家へのディスクロージャー充実という視点が欠落している例が少なくない。自由な資金調達の代償は外部投資家による経営モニタリングであり、その前提が経営内容のディスクロージャーなのである。この点を怠れば、そうした企業はいずれ投資家に忌避されて、資本市場から締め出されることになろう。
最後に、社債発行における格付け会社の責任は従来よりもはるかに重くなろう。とりわけ、わが国格付け会社の格付けに際しては、担保・企業規模等への評価に傾斜する、海外格付け会社と比べて相対的に発行企業側に甘い傾向がある、等の批判があった。こうした批判の正否はともかく、適債基準が廃止された現在、格付けはディスクロージャーを除けば社債市場と投資家を結ぶ唯一の接点である。投資家への的確かつタイムリーな情報提供によって、格付け会社は自らの名声を高めていく必要があろう。アメリカでは、格付け評価の失敗によって経営破綻に陥った格付会社も存在する。格付け会社の名声確立には長い期間の着実な情報提供の積み重ねが必要だが、名声を失うのにはわずか1回の評価ミスで助ェなのである。