Business & Economic Review 1998年07月号
【MANAGEMENT REVIEW】
キャプティブ戦略の現状と課題
1998年06月25日 林志行、湯川慶子
要約
キャプティブは、キャプティブ保険業法が導入されている海外において、親会社のリスクを引き受ける100%出資の保険子会社として設立される。保険コストの削減、適切なリスクマネジメント体制の構築、再保険マーケットへのアクセス獲得などのメリットに加え、最近では金融子会社としてプロフィットセンターになりつつある。
当初、キャプティブは租税回避の目的で、海外の風光明媚な島嶼などに設立される傾向にあった。しかし、キャプティブの設立目的は時代背景とともに推移し、「コスト逓減型」「事業補足型」を経て、近年新たに「企業統括型」「都市型」「従業員志向型」が出現しつつある。
世界四極体制の確立機運が高まるなか、リスクマネジメント機能は統括拠点に不可欠な機能となる。現時点では、多くの日系企業のアジア統括拠点であるシンガポールが、アジアで事業を行っている日系企業にとってキャプティブ設立の最適地である。特にアジア最大の金融センターであるため、キャプティブ設立、運営時に専門家の層の厚さを活用するメリットが大きい。
香港も返還直前にキャプティブ保険業法の施行を実施した。また、マレーシアのラブアン島でも金融センターとしての発展を目的に限定的なキャプティブの取り扱いを行っている。次世代に向けたアジアの覇者の競争が激化するなか、キャプティブを外資誘致の優遇制度として活用する動きが見られる。
一方、アメリカ・ニューヨーク州は、州外や国外に租税回避の目的でキャプティブを設立していた大手企業を州に呼び戻そうと、98年1月からキャプティブ保険業法を施行した。ニューヨーク州は空洞化回避と金融センターとしての名門復活への意地を見せている。
わが国でも、空洞化の回避や金融センターとしての地位確立のため、早急にキャプティブ保険業法の導入の是非を検討する必要がある。国内でのキャプティブ導入は、東京市場において「都市型キャプティブ」を実施することが最も効果的であるが、一方で、膠着する沖縄基地問題の打開を図る観点から、沖縄への「企業統括型キャプティブ」誘致を検討し、アジア各都市の拠点競争に立候補することを戦略的に検討することも可能である。
1.はじめに
本稿は、近年日系企業(自動車メーカー、電機メーカー、航空メーカー等)の間でにわかに注目されているキャプティブ保険会社(以下、キャプティブ)の概略と日系企業における経営戦略上の意味を考察するとともに、アジアの拠点都市競争で本格化した「企業統括型キャプティブ」を解説し、その成功を待って今後多くの登場が予想される「都市型キャプティブ」「従業員志向型キャプティブ」の動向を提示し、わが国におけるキャプティブ保険業法の方向性を示唆するものである。
キャプティブは、日本企業にとって古くて新しい課題である。1974年に日系キャプティブの第一号が設立されて以来、時代背景の変化に伴って設立目的も変化してきたものの、徐々にではあるがその数は増加している。数年前には金融当局も、諸外国におけるキャプティブに関する税制等の先進事例を収集、検討した形跡がある。その後、関係当局が議論を重ねた結果、日本企業が海外に設立したキャプティブに対する税制の強化は必要なしとの判断が下されたようだ。
現状、日本の企業がキャプティブを設立しようと思うならば、同保険業法を導入した海外拠点での立ち上げを検討するしか方法はない。これまでにもいくつかの一般事業会社において海外でのキャプティブ設立の計画が浮上しては消えたことがある。多くの企業が計画の段階で足踏みをし、設立に躊躇した直接の原因は、導入後の運営を含め、包括的にサポートする国内専門機関の欠如など、国内体制の未整備だったと言える。
しかし、近年金融自由化の波が押し寄せ、具体的日程とともに各種規制が緩和、撤廃されるなか、国内でも海外市場を含む弾力的な運用に向けた諸制度が整備されようとしている(図表1)。
これを受け、昨年来、一般事業会社でも、導入から運営までを手がける国内専門機関(外資保険会社の日本支社、保険業法改正に伴って誕生したブローカー、さらには大手損害保険会社ならびにその戦略的子会社など)の後押しにより、海外での設立を無理なく行える状況が到来しつつある。
こうしたブームの背景としては、金融自由化に伴って一般事業会社の自己責任に対する意識が高まり、リスクマネジメントの必要性が今まで以上に認識されるようになったことが指摘できる。近い将来、欧米並みの訴訟社会が到来すると、望むと望まざるとにかかわらず、自ら保険を創造し、自社のリスクを移転することが求められる。現時点では海外に限定されているとは言え、キャプティブの設立とその運用により、企業は来るべき自己責任時代に備え積極的に経験を積むことが期待されている。
また、受動的ではあるものの、一部保険会社やブローカーからの営業説明で、キャプティブに節税効果が期待できるとの認識を強め、国内不況が深刻化するなか、キャプティブ設立に動く事例も見られる。
こうした消極的なキャプティブ設立の機運が高まり、神話が独り歩きすることは、キャプティブ市場の健全な発展には憂慮される事態であると言える。ちょうどバブル期の不動産投機のような資産形成のみが注目される傾向にあり、特に中小企業経営者の間には、キャプティブの本来の目的を熟慮せずに、目先のメリットに翻弄される状況もあるようだ。
筆者らは、こうした環境の変化を鑑み、新たな動きを含むキャプティブの現状を再度整理することが必要であると考えた。本稿では、キャプティブの技術的な解説を極力抑え、企業戦略の一環としてキャプティブをどう位置づけるかの検討を中心に論旨を展開した。また、「都市型キャプティブ」の発展に注目し、その応用可能性に触れるとともに、国内金融センターの空洞化を阻止する観点から、わが国でのキャプティブ保険業法導入を改めて問うものである。
2.キャプティブとは
(1) キャプティブの定義
キャプティブは自社の専属保険会社を意味し、自社もしくは自社の属するグループ企業のリスクを専属的に引き受ける保険子会社を指す。キャプティブという名前は、親会社に従属する「捕虜」に由来する。
親会社の100%出資子会社として、キャプティブ保険業法が導入されている国・地域に設立され、会社組織としては、ペーパー・カンパニーが基本となる。
キャプティブは、国内の元受保険と再保険の保険料率の差や再保険手数料を収益とする(図表2)。親会社は、これまで支払うのみであった保険料からキャプティブの利益を収益として取り戻すことができるのである。
キャプティブを導入することにより、親会社は保険コストを削減することができ、保険会社に引き受けを拒否されるようなリスクへの対応も可能になる。また、キャプティブの資本金と準備金を資産としてプールすることも可能である。さらに、自社のリスクマネジメント効果の把握により適切なリスクマネジメント体制の構築ができるだけでなく、再保険マーケットへのアクセスを得られるというメリットもある。世界的には、キャプティブが親会社の重要なプロフィットセンターになりつつあるのが現状である。
(2) 設立数の推移
キャプティブの起源の最も古くは、『キャプティブ保険会社』の著者であるP.A.バウカット氏によれば1800年代後半にまでさかのぼることができ、1926年にロンドンで出版された初期の保険史に関する書物の中に登場するようだ。その後、1950年代には100社程度が設立され、1970年代後半に1000社を超え、1980年代後半に2000社、1997年末現在約4000社の規模にまで拡大した(図表3)。 1996年末現在のキャプティブ設立数は3795社であり、親会社の国籍別では、アメリカが1922社と圧倒的な数を誇る。以下、イギリス、カナダ、スウェーデンと続き、フランス、オーストラリア、オランダ、日本が第二集団を形成している(図表4)。
(3) 設立対象地
世界の主なキャプティブ設立対象地は以下の通りである(図表5)。従来は、バミューダやアイルランドなどに設立される傾向にあったが、近年、アジアブームを背景に、統括拠点の色彩を強める観点からシンガポールなどにも設立されている(図表6)。
(4) 市場規模
欧米では、代替的リスク処理手法(ART: Alternative Risk Transfer)の一手法としてキャプティブが位置づけられている(注1)。
キャプティブが約30%を占めている代替的リスク処理市場は、欧米を中心に近年、大きく規模を広げている(図表7)。
フォーチュン1000企業におけるリスク処理コストの割合は、代替的保険市場が半数を占めている(図表8)。一説には、欧米ではSP500の90%以上において、イギリストップ200社の内の80%以上がキャプティブを導入しているという。
3.キャプティブの新たな潮流
キャプティブは当初、「コスト削減」を目的としてバミューダやケイマン島という古典的なタックスヘイブンの代表的地域に相次いで設立されたが、その後、アメリカ・バーモント州などのような「事業補足型」に機能拡大している節がある。従来のキャプティブが海外での設立を目指すのに対し、バーモント州のキャプティブは、同一国内での設立を認めたもので、アメリカでは1997年末までにその他8つの州が導入競争を行い、税制確保に追われた(注2)。もっともこれはアメリカ企業にとって、同一国内でのマネジメントを可能にする観点からのメリットが一番多い。
さらに90年代後半に入り、新しいタイプのキャプティブが出現しつつある。「企業統括型」、「都市型」、そして「従業員志向型」キャプティブである。
(1) 企業統括型キャプティブ
これまでキャプティブの設立地は欧米が中心であったが、シンガポール、香港、マレーシアのラブアン島など、アジアでもキャプティブの設立が可能になった。日系企業もシンガポールでキャプティブを設立するところが見られるが、筆者らは、これら企業のキャプティブ導入の目的を、従来の「コスト逓減型」や「事業補足型」から一歩進めて「企業統括型」として位置づけている(図表9)。
「企業統括型」は、アジアの各拠点都市を中心に導入が進んだことから、便宜上「アジア型キャプティブ」と称することもできる。このキャプティブの特徴は、(1)アジア進出企業の統括拠点に構えられることで、事業統括と一体になったリスク処理・リスク管理が行えること(2)金融センター(あるいは金融センター構想を標榜している都市)にあること(3)日本企業にとっては地理的に近く、統括管理運用に親近感や土地カンがあることである。
多国籍企業の間では世界四極体制を固める動きが急速に進んでおり、統括拠点がますます大きな役割を担うようになりつつある。当然、当該地域全体のリスクマネジメントも統括拠点の持つべき重要な機能となる。統括拠点でのキャプティブ設立は、リスクマネジメント機能の強化に大きく貢献するものである。金融センターについては、キャプティブの設立、運用に際して必要な専門家が集中しており、安定したキャプティブ運営が可能となるというメリットがある。
企業担当者のキャプティブ導入に向けた検討事項は、「親しみやすさ」「わかりやすさ」「運用の安定性」にあると言える(図表10)。
日系企業にとっては、キャプティブ設立が黎明期にあるため、不確実な要素を極力排除し、安心して任せられる状況を作り出すことが賢明のようだ。したがって、地理的、距離的、心理的な親しみやすさ、設立時や運用時の金融監督庁の監視の厳しさなどから、当面はアジアにおけるキャプティブ設立を検討することが望ましい。以下、老舗のシンガポールと新興勢力の香港、マレーシア(ラブアン島)におけるキャプティブの現状を取り上げる。
(a) シンガポール
シンガポールでは1967年の保険法によりキャプティブの設立が可能になったが、当初は、伝統的なタックスヘイブンであるバミューダやケイマン諸島同様、アジアの一観光地としての位置づけでしかなかった。金融センターの実力を武器に、せいぜいオーストラリアの租税回避地として活用されていたに過ぎなかったのである。
外資によるキャプティブの設立は、1983年の日本のオリックスとオーストラリアのピーボディ・リソーシズまでなかったが、これは、キャプティブの設立母体の大部分を占めていた欧米の事業会社にとってはシンガポールに設立するメリットが少なかったからだと言える。シンガポールのキャプティブ設立の条件は他の国・地域のものと比べ厳しいため、敬遠されたことも一因として挙げられる。
結局、暫くはオーストラリア企業のためのキャプティブ保険業法という性格が強かったようだ。特に1986年の法改正により、その翌年から数年間はオーストラリアからの設立が相次いだ(図表12)。
しかし、折からのアジアブームと香港返還問題での金融センターの攻防が重なり、日系企業から見たシンガポール・キャプティブの優位性が昨年半ばあたりから専門家を中心に多く指摘されるようになってきた。
1997年版のキャプティブ保険会社年鑑(Captive Insurance Company Directory)によれば、シンガポールにキャプティブを設立している企業は49社あり、それぞれの親会社の国籍は、オーストラリアが30社、続いて日本が16社、ニュージーランドが2社、カナダが1社となっている(図表12)が、その後、新たに日本企業が2社キャプティブを設立している。
日系企業がシンガポールのキャプティブに注目する理由としては、以下の5点が考えられる(図表13)。
・税制優遇
シンガポールの法人税の10%優遇税制を放棄し、26%の税率を申請すれば、日本国内のタックスヘイブン対策税制の上限である25%を超えるため、国内での合算申請が免除される。
・当局の厳格な指導要領
キャプティブのリスク保有に対するシンガポール当局の規制は世界一厳しい状況にあり、保険金支払い不能になることがまずない。キャプティブの適切な運用を監視してもらう意味では最適地であると言える。
・金融センター
アジアの金融拠点としてのシンガポールの機能は、特に返還後をにらんで香港の金融機能の一部が移転されたことにより強化された。キャプティブ設立だけではなく、導入後の運用に関わる各種サポート体制が充実している。特にロンドン再保険市場へのアクセスで人的ネットワークに優れており、専門家層が厚い。
・統括拠点
アジアの時代を迎え、大中華経済圏と拡大ASEAN経済圏が確立されるなか、華僑資本ネットワークの総本山としてのシンガポールの位置づけが高い。国際的企業が、世界三極体制(欧米亜)、四極体制(日米欧亜)を確立するなかで、ひとまずアジア本社の統括拠点としてシンガポールを指定する場合が多い。欧米的マネジメントに慣れた人材が豊富なことが歓迎されている。
・地理的要因
日本からのキャプティブ設立では、時差が少ないことや、同じアジア人としての親近感からシンガポールを選択することが指摘されている。過去にはオーストラリアも同じ理由でシンガポールをキャプティブの設立地として重視していたが、オーストラリア国内の保険規制が緩和され、国内でのキャプティブ誘致が可能になったことから、オーストラリアがシンガポール・キャプティブを利用するメリットは急速に薄れている。 このように、「企業統括型キャプティブ」の条件を満たし、さらに堅実なキャプティブ運営を可能にする体制が整っているシンガポールは、現時点では、アジアに進出している日系企業にとって最適なキャプティブの設立地と言えよう(注3)。
(b) 香港
香港は、1997年7月の返還を前に、統括拠点をシンガポールに移転する外資系企業が相次いだため、シンガポールに対する競争優位を確保する観点から各種優遇制度の見直しを進めていた。その結果、返還直前の1997年5月1日に、保険会社令第6条に従い、キャプティブの設立が可能となった(図表14)。これは、アジア統括拠点を巡るシンガポールと香港の攻防と、監督当局者のキャプティブ保険業法の導入メリットに対する期待を印象づける出来事であった。
現状では外資系企業の香港でのキャプティブ設立の機運は高くなく、日本からは数件の問い合わせがある程度である。香港はひとまずシンガポールに追従し、キャプティブを立ち上げたばかりであり、独自の規制緩和を施すには至っていない。徐々にではあるが、厳しい設立費用や最低資本金規定の緩和を試みる状況にあるようだが、香港返還を〓跨いで宗主国がイギリスから中国に戻されたために法改正などに慎重なことと、折からのアジア通貨危機に見舞われ、企業担当者による模様眺めの状況が続いていることから、当分は足踏みが続くであろう。
また、香港には休眠中の保険会社が多数存在しており、キャプティブを設立するのとは別に、保険会社自身を買収する動きもあり、「準キャプティブ的な動き(選択肢、戦略的オプション)」は多い。
(c) マレーシア・ラブアン島
ラブアン島(図表15)は、マハティール首相の肝煎りでマレーシアが次世代の金融拠点として育てようとしている地域であり、マレーシア政府はインフラ整備に躍起である。
1996年3月には、マレーシアに進出した外資系金融機関がクアラルンプールに開設していたラブアン支店営業事務所に対し、行員を最大3人まで残し、それ以外は強制的にラブアン島に移動させるように通達が出ている。その後香港がキャプティブを導入したため、ラブアン島の動向が関係者に注目されていたが、金融センターとしての機能強化のため、1998年1月1日以降、ラブアン島におけるマレーシア大企業のキャプティブ設立を認めるとの通達が出された。
ラブアン島には、63のオフショア銀行と25の保険会社、20の信託会社が進出しており(1997年末現在)、これらの企業やマレーシア現地大手企業によるキャプティブの設立が可能となった。マレーシアのキャプティブは、ラブアン島に進出する外資系金融機関の付加価値を高める意図があるようだ。
しかし、マレーシアも香港同様、アジアを巡る通貨危機の嵐のなかにおり、インドネシアからの危機の波及を阻止するのに必死な時期だけに、キャプティブどころではないのが現状と言えよう。
(2) 都市型キャプティブによる金融センターの再生 -アメリカ・ニューヨーク州
シンガポールでのキャプティブ制度の優位性が、返還前香港の金融センターとしての地位を脅かし、香港におけるキャプティブ保険業法の早期実現を促した。また、香港のキャプティブを横目に、金融センターの立ち上げに苦慮するマレーシア・ラブアン島でも、同島への金融機関の移動を促進する観点からキャプティブ保険業法が施行されたことは前述の通りである。
このように、オフショアにおける租税回避目的のキャプティブ保険業法の施行が競争力を増したため、先進国の金融センターでも空洞化回避、地位回復のためのキャプティブ保険業法施行が計画されつつある。
その象徴がアメリカ・ニューヨーク州によるキャプティブ保険の導入である。 ニューヨーク州では、1997年8月14日に1997年法の389章によって、キャプティブ保険業法が承認された。キャプティブの適用開始は1998年1月1日と定められ、既に同日付けで運用が開始された(図表16)。 キャプティブ保険業法の施行は、各種メディアを介し、瞬時に世界中に伝えられた。アメリカでは10番目の導入になるが、キャプティブ施行承認にあたり、ジョージ・パタキ州知事は声明を発表し、ニューヨーク州の意気込みとキャプティブによる名門復活への期待を表明した。
ニューヨーク州のキャプティブ施行には3つの理由が挙げられている。1つは、ニューヨークに本社を置く大手企業の間では、戦略的な手法としてキャプティブが恒常的に利用されており、リスクマネジメントに効果的であることが広く認知されていることである。2つ目には、キャプティブ保険業法を設けることで、州外や国外などにわざわざ出かけてキャプティブを運用する必要がなくなることである。これは、結果的に空洞化しつつあるニューヨーク州の現状に歯止めをかけることができる。3点目には、キャプティブ保険業法の導入により、ニューヨークが保険ビジネスの世界的な中心地として再生されることである。
その実績であるが、早くも、既に2社がキャプティブ設立を認可されている(1998年2月17日現在、ニューヨーク地下鉄が親会社の「First Mutual Transportation」とコロンブス&マッケナンが親会社である「CM Ins. Co」)。
ニューヨークにはキャプティブを運用するうえでのありとあらゆる専門家(金融機関、公認会計士、弁護士、キャプティブ・マネジャーなど)が揃っており、他州や他国へ流出した企業が舞い戻るのではと指摘されている。
(3) 従業員志向型キャプティブ-アメリカ・メイン州
アメリカ・メイン州でも1997年9月12日にキャプティブ保険業法を導入した。しかし、ニューヨーク州とは対照的に、まだ1社も申請がない状態にある(1998年3月末現在)。
そこで同州では、これまでは企業組織の利益のみに焦点があてられがちであった保険対象を拡大し、従業員の利益に直接つながる生命保険と健康保険についてもキャプティブによる再保険を可能にする法改正を行い、キャプティブの誘致に努めている。
以上のように、キャプティブ保険業法を導入する国・地域が増加するなかで、キャプティブの誘致合戦も熾烈になりつつある。今後は、キャプティブを優遇税制の目玉として先進国の多国籍企業や日系企業の統括拠点となることを目指す「企業統括型」や空洞化回避による名門都市の復活を目指す「都市型」、より多くの機能を付加し、導入メリットを強調する「従業員志向型」へと拡大発展することが示唆されよう。
4.日系企業の経営戦略としてのキャプティブ
(1) 日系企業の取り組み状況
日系企業が所有するキャプティブは、全世界で53社確認されている。業種別には、運輸(海運、航空)、自動車、石油が多く、近年、電機・エレクトロニクスや商社の設立機運が高まっている(図表17)。
設立対象地別では、シンガポールを筆頭に、バミューダ、アイルランドと続く(図表18)。
図表19は、1974年から1997年までの日系企業のキャプティブへの取り組み状況を示したものである。日系企業のこれまでの進出状況は、大きく3つの時期に分けることができる。
まず、第一期は海運会社を中心に、バミューダにおける設立を目指した初期段階(1974年~1978年)であり、主に保険料の節約と節税効果(利益の無税もしくは軽課税)を目的とした設立であった。しかし、1978年に日本でもタックスヘイブン対策税制が導入され、指定された軽課税国に設立された海外子会社の所得に対し、日本の親会社が「見なし課税」されるようになり、租税回避目的でのキャプティブ設立は急速に影をひそめることになる。
これを契機に、日系企業のキャプティブへの取り組みは第二期(1979年~1992年)を迎える。円高により海外進出が増大したこの時期のキャプティブは、海外での財産や損害賠償責任を自家保険という形で保有・移転する形態になり、主にメーカーや商社において設立機運が高まった。この時期にはアジア(特にシンガポール)やヨーロッパ(特にアイルランド)でのキャプティブ設立へと移行することになる。
現在(1993年~)は第三期に属し、バブル崩壊過程での保険コストの見直しから国内保険手数料(固定費部分)の削減を目指す動きと、金融自由化対応のため、アジアでの統括拠点確保の観点からのシンガポールでのキャプティブ設立が目立っている。特に1992年のトヨタ自動車のキャプティブ設立は、近い将来の金融子会社の運用準備を兼ね、金融自由化を先取りした動きをしているのではとの憶測も市場関係者の間に流れている。
シンガポールには現在、日系のキャプティブが18社設立されている。まだ統計上の数字には現れてはいないものの、相次ぐ金融自由化と規制緩和の波にもまれる形で、今後設立数を伸ばすことが予想される。
なお、日系のシンガポール・キャプティブの運用・コンサルティング会社は、東京海上系のマネジメント・サービス社が9件、同和火災系が1件、住友海上系が2件、出光系が1件となっている。また、外資系のマネジメント・サービスもJohnson&Higgins社が3件、Sincer社が1件、Sedgwick社が1件と善戦している。特に1994年以降の4件は外資系が手がけており、金融自由化での外資の参入状況をうかがわせる展開となっている。
(2) キャプティブを巡る国内環境の変化
昨年(1997年)来、キャプティブが国内でにわかに脚光を浴びるようになってきたが、これには、国内環境の大きな変化が影響している。新規参入を果たした外資系保険会社が営業活動のなかで、欧米では広く一般的に利用されているリスクマネジメント手法として国内企業に紹介したのも一因であろう。また、外資やブローカーの参入、金融自由化による国内損害保険会社のキャプティブへの対応の変化も設立検討機運に拍車をかけることになった。
国内専門機関も導入から運営までを一貫してサポートできる体制の整備を進めており、一般事業会社がキャプティブを設立しやすい環境が整いつつある。
(a) 保険業界の環境激化
1995年5月、56年ぶりに日本の保険業法が改正され、翌年施行された。これを受け、国内でも子会社方式による生損保の相互参入や保険ブローカー制度が導入された。
ブローカーは、従来の代理店と異なり保険会社との委託契約を必要としないため、中立的な立場で契約者(事業会社側)と保険会社を仲立ちし、契約引き受け条件や料率の見直し提案を行うことができる。そのため、今後は大企業を中心に保険料率の引き下げ実施が見込まれている。なお、ブローカー制度の新設に際しては、利用者保護とブローカーの中立性確保の観点から、代理店との兼営が禁止されており、一部の損保代理店が積極的にブローカー業務への参入を目指す動きもある。
さらに、1998年7月1日からの損害保険料率の完全自由化を控え、各社は相次いで新たな保険商品を投入している。これら新商品は、これまでの横並び商品とは異なり、多様化する顧客ニーズに対応するため細分化され、より顧客志向の強い商品となっている。例えば、自動車保険1つをとってみても、補償範囲を大幅に拡大した商品や、顧客のリスクに応じて保険料を細分化した商品、電話での直接販売によりこれまでよりも割安な保険料を設定した商品などが次々に登場している。
外資保険会社も金融自由化、規制緩和の恩恵を享受する観点から、続々と日本国内市場へ参入してきている。日本の保険市場を巡る環境は大きく変化していると言える(図表20)。
(b) 一般事業会社の環境変化
一方、一般事業会社でも、1998年以降に本格化する金融自由化政策を前倒しする形で、各種金融機能の強化を試みている。一部には、国内金融自由化スケジュールをにらみながらの海外でのトレーニング、実績作りと見られる関連子会社設立の動きもある。
例えば、最近目立っているのは、総合商社の保険事業への進出である。伊藤忠商事を始め丸紅、日商岩井、住友商事などが保険ブローカー会社を設立している。住友商事はさらに、チューリッヒ保険と提携し、1998年6月から企業向けリスクファイナンシング事業を開始する。同社は、企業に対する最適な保険の提案やキャプティブの設立支援を行うと報じられている(日本経済新聞 1998年5月1日付)。
また、金融ビックバンで「自己責任」という概念を改めて認識させられ、リスクマネジメント体制の整備を迫られると同時に、保険業界での大変革を受けて、一般事業会社の間でも保険料削減に対する意識が高まりつつあり、保険コストの見直しに注目が集まっている。現在、キャプティブに関する情報を入手した一般事業会社の多くが模様眺めの状況にあるのも、金融自由化が加速するなか、従来は、保険料率の引き下げとコストの見直しに慎重だった国内保険会社が、海外でのキャプティブ設立に危機感をもって、渋々保険コストの見直しに応じてくれるのではとの期待(ゲームの理論)があるからである(図表21)。
このように、日系企業の多くでキャプティブの導入を検討する背景には、金融自由化対応での各企業の思惑が存在している。
(3) アジア統括拠点へのリスク対応機能の付加
アジア通貨危機をきっかけに、日系企業の一部にはリスクマネジメント機能の再考を行っているところも多い。これまでも、日系企業のリスクマネジメント担当者の多くは、フィリピンでの三井物産若王子支店長の誘拐事件や、湾岸戦争、阪神大震災、あるいはペルー大使公邸人質事件など、それぞれが思い浮かべるリスクのキーワードに従い、リスクマネジメントという言葉を再定義している。大事なことは、自社あるいは他社の経験を基に、リスクマネジメントの実績を積むことである。その意味では、過去に大きな事件・事故に遭遇した企業ほど、リスクマネジメント体制の構築の重要性を認識しており、より慎重に各種マニュアルを整備し、定期的に運用体制を見直している。
その観点からは、今回の一連のアジア通貨危機も、多くの教訓を投げかけてきた。なかでも、外国通貨の為替変動へのリスクヘッジや、局地経済圏毎の経営資源の統合と一括管理が当分の課題として浮上してこよう。
図表22は、アジアにおける日系企業の進出理由とアジア進出先の機能をまとめたものである。90年代から2000年という時代は、金融自由化が本格化するなか、大中華経済圏と拡大ASEAN経済圏が個々に緩やかに統合していく過渡期にあたる。したがって、シンガポールや上海などで周辺国・地域の経営資源をとりまとめ、資産管理を行うことを検討することが日系企業にとっての主要課題となる。
しかし、その先には、既に多国籍先進企業が実施しているような世界四極体制の一極としてのリスク対応を求められる時代が待っており、一部限定的に使われているキャプティブを十分に使いこなす必要性が高まることになる。
特に、リスクの自家保有による保険コストの削減を目的とした状態から一歩進め、職業賠償や環境賠償、あるいは不十分な保険期間を延長するところにまでキャプティブの利用目的を拡大することが求められる(図表23)。
こうした背景から、アジアの統括拠点に設立される「企業統括型キャプティブ」がアジアでビジネスを展開する日系企業には推奨される。
(4) 企業側の導入に向けた検討事項
キャプティブの設立・運用のためには以下の5つのステップが考えられる(図表24)。この場合、純粋に保険コストの合理的削減を目指すのか、リスクマネジメント体制の本格的な再構築と今まで見過ごしてきた自社の企業リスクの削減に向けた準備を進めるのかを検討することが重要である。
前者の場合には、当該国・地域においてキャプティブのマネジメント実績のある専門サポート会社(キャプティブ・マネジメント会社)のコンサルティングを導入することが望ましい。
後者の場合には、プロジェクト全体を統括する経営コンサルティング・ファーム(あるいはシンクタンク)と、実際のキャプティブ設立を助言するリスクマネジメント会社、さらには運用・保守を担当するキャプティブ・マネジメント会社を指名することが求められる。この場合、リスクマネジメントはマネジメント・リスク、すなわち、経営戦略上のテーマであるという認識を新たに持つことが成功への秘訣であろう。
5.わが国へのキャプティブ保険業法導入
(1) キャプティブ保険業法導入の検討の必要性
以上のように、様々な要因が重なった結果、日系企業の間でもキャプティブが注目を集め、多くの企業が海外での導入を検討するようになってきている。実際に多くの企業がキャプティブを設立する時代が到来すると、国内の空洞化の進行が懸念される。
日本では金融監督当局が1993年頃に、日系企業のキャプティブに対する税制強化を視野に入れ、各種資料の収集や専門家へのヒアリングを実施したようだが、キャプティブ保険業法導入に関しては全く議論がなされていないようである。こうした制度の導入効果は、タイミングによって大きく左右される。今後、上海や台北などでの同法の導入も考えられるが(注4)、それを受けてあわてて導入するのでは遅すぎる。空洞化回避や金融センターとしての地位の確立といったキャプティブ保険業法導入のメリットを享受するため、国家戦略として、キャプティブへの積極的な対応を行い、ニューヨーク州や香港への追従を促したいところである。少なくとも、導入しなかった場合のリスクを把握し、導入の是非を検討することが必要であろう。
この場合、金融分野の専門家の層の厚さからは、東京市場での「都市型キャプティブ」導入の効果が最も大きい。また、専門家等の養成や基本インフラの整備など、ヒト、モノ、カネといった環境面での支援が必要ではあるものの、基地返還問題等で膠着状態の沖縄に「企業統括型キャプティブ」の導入を検討することも可能である。前述の通りアジアの都市間の企業統括拠点競争では、キャプティブ機能が注視されており、日本から「アジアへのゲートウェイ」を目指す沖縄を支援するうえでの利点は大きい。歴史的にもキャプティブはバミューダなど風光明媚な島嶼に設立される傾向が強く、沖縄の基地経済脱却に向けた基盤整備としてもキャプティブの導入は有効と思われる。
(2) 国内での損害保険会社の支援体制整備
一方、キャプティブの運用を行う保険会社においても、国内では大手4社(あるいはより厳密に2~3社)を除いては、国内顧客の要望に応え、キャプティブの導入、保守、運用を支援できるだけの人員と知識と経験を備えていないため、不用意に当該分野に参入できないというジレンマを合わせ持っているのが現状だ。
損保大手4社においては、1997年6月以降、外資系保険会社による積極的なキャプティブの営業展開に影響され、既存顧客からのキャプティブ設立の要望には、サポート・サービスの一環として進んでコンサルティングを受諾し、新たな本業の柱として育成する方向に方針を転換したようである。
また、ブローカー業者も、顧客への保険アドバイスの最も分かり易い形態としてキャプティブに注目するところが多く、積極的な対応が見られる。ひとまずはブローカー自身がキャプティブに慣れるため、自社キャプティブの海外設立の検討を開始したところもあるようだ。
しかし、中堅損害保険会社のなかには、キャプティブへの対応により、従来から抱える顧客のコスト削減要求に従わざるを得なくなるのではとの疑念から、若手社員の最新技術志向とは裏腹にキャプティブ参入に消極的なところも見られる。
一般事業会社が普遍的にキャプティブを活用するためには、こうした国内損害保険会社においてキャプティブ支援体制を整備し、ノウハウの蓄積と人材育成を進めることが不可欠であり、大きな課題となっている。中堅損害保険会社のキャプティブ推進機能確立のためには、3つの段階を踏むことを推奨したい。すなわち、(1)企業ビジョンの策定(2)体制作り(3)営業推進体制作りである。なお、3つのステップのみならず、顧客企業を含む社内外での啓蒙活動が必要になることは自明であり、包括的なキャプティブ推進体制の確立が急がれる(図表26)。
〈その他特記事項〉
1998年3月10日より、リスクマネジメントに関する専用ホームページ「リスク&リターン・ウェブ」を日本総研サイト内に立ち上げた。国内外のリスクマネジメント関連の情報を収集発信するとともに、金融自由化対応によるリターン(ビジネス展開、例えば新商品開発、企業提携など)を取り上げる予定である。