Business & Economic Review 1998年06月号
【PERSPECTIVES】
住宅投資長期低迷の背景と今後の政策対応
1998年05月25日 伊藤雄一郎
1.はじめに
97年入り以降わが国の住宅着工戸数は低迷が続いており、98年に入ってからも一向に立ち直りの気配がみえない。97年前半については、消費税率引き上げに伴う駆け込み着工の反動減がそもそも予想される状況にあったが、その影響が薄れてきたとみられる同年後半以降も低迷が続き、現在に至るまで改善の動きはみられない。
そこで本稿では、住宅着工の低迷が当初の予想をはるかに超えて長期化している原因を考察し、特に住宅取得に関する構造的な環境変化が住宅着工を下押ししていることを示す。さらに、こうした環境変化が現下の個人消費低迷にも影響を及ぼしていることを指摘したうえで、現状打開のために必要な政策対応について提言を行いたい。
2.住宅着工長期低迷の要因
まず、最近の住宅着工動向を振り返ってみると、96年の住宅着工戸数は、消費税率引き上げと金利の先高懸念を背景とした駆け込み需要が大量に発生し、164万戸と6年振りの高水準を記録した。一方、こうした駆け込み着工の反動から、97年1月以降の住宅着工戸数は前年割れとなった。
このもとで、97年半ばまでは、駆け込み着工の反動減を勘案すればほぼ想定通りの水準で推移した。ところが、反動減が薄れ立ち直りが期待された夏場以降も、回復する兆しはみえず、年率換算で130万戸前後の低水準で推移し現在に至っている(図表1)。
それでは、こうした住宅着工戸数の低迷長期化はいかなる要因によるものであろうか。すでに指摘した通り、消費税率引き上げに伴う駆け込み着工や金利先高期待から前倒し需要が発生したことに伴い、その反動減が生じたという要素を無視することはできない。しかし、これらの前倒し需要の発生からすでに1年以上が経過し、住宅取得能力指数をみても可処分所得の改善や住宅地価の下落などを主因に上昇傾向にあり(図表2)、このもとで住宅着工の回復が期待される状況にある。にもかかわらず住宅着工は一向に回復の兆しがみられないのは、上記の短期的・一時的な変動要因だけでは説明がつかず、より根本的な原因として、住宅取得を巡る以下の構造的な環境の変化がマイナスに作用しているものとみられる。
イ 雇用不安の高まり
第1は、雇用に対する先行き不安感が高まっていることである。98年2月の完全失業率(季節調整値)は3.6%と1月に記録した史上最高水準を更新し、なかでも男子の失業率は3.7%と引き続き過去最悪を記録した(図表3)。失業者の内訳をみても、非自発離職者数が97年10月以降前年比で増加に転じており、景気悪化を背景とするリストラの動きが広まる兆しがうかがわれる。特に97年11月には大手金融機関の経営破〓綻が相次ぎ、企業倒産も97年に負債総額が過去最高となるなかで、かつてないほど雇用に対する不安が発生している。
ロ 将来の所得に対する不安の高まり
第2は、将来所得の減少に対する不安が高まっていることである。高齢化の進展と少子化による現役世代人口の頭打ちが予想されるなかで、厚生年金保険料や医療費負担などの社会保障負担が今後持続的に増加していくことは避けられない。また、従来の年功序列型賃金制度から米国型の実力主義賃金制度への移行は、サラリーマン世帯の生涯所得を減少させる可能性がある。試算では、30歳の平均的な男性が今後60歳までに稼ぐ将来可処分所得の累計額は社会保障負担の増加や賃金制度の変化などにより、現状に比べて2,780万円減少する可能性がある。こうした可処分所得の減少は、今後10年間の住宅着工戸数を10%押し下げるとの試算結果が得られる(図表4、5)。
ハ 資産デフレのマイナス影響
第3は、資産デフレのマイナス影響である。住宅地地価は91年以降7年連続で下落を続け、しかも足元では下落幅が再び拡大に転じている(図表6)。このような環境下、値頃感を背景としたここ数年におけるマンションの一次取得ブームが一巡するなかで、一段の資産価値の下落期待が住宅購入を手控えさせる要因になっていることが指摘できる。
また、二次取得層にとっては、マンション価格の下落傾向が所有マンションの含み損を発生させており、より広い新築分譲マンションや持ち家への買い替えを困難なものとしている。ちなみに、首都圏の標準的な家庭が一次取得として50平方メートルの新築マンションを購入していたケースを想定すると、87年から96年にかけて購入した世帯については、現状含み損が発生しているとの試算結果が得られる(図表7)。さらに88年から93年にかけて購入した世帯では、マンションの中古市場価格よりも住宅ローンの残高の方が多く、実質債務超過の状態になっている可能性がある。この状況下でより広い75平方メートルの新築分譲マンションに買い換える場合、物件価格は年収(注)の5.5倍となるが、取得時を90年とするケースでは、売却損も加えて年収の7.2倍の資金調達が必要になる。こうした状況下、史上最低水準の低金利下でも、買い替えが困難な情勢となっているわけである。
以上みてきたように、現下の住宅着工の不振は住宅取得を巡る構造的な環境変化が大きな影響を及ぼしており、何らかの政策対応がなければ、住宅建設の低迷は今後中長期的に持続する懸念が大きいといえる。こうした状況下、構造的な環境変化がもたらす家計の住宅取得意欲の低下に対し、有効な対応策を講じることが求められているといえよう。
3.個人消費へのマイナス影響
なお、こうした住宅着工の不振持続は個人消費の低迷に拍車を掛けることが懸念されるほか、現下の住宅建設減少の背景にある構造的な環境悪化が、住宅ローン世帯の消費抑制に作用している点も見逃せない。
すなわち、住宅着工は耐久財を中心とする個人消費と密接な関係があり、住宅着工の減少は個人消費の低迷に拍車をかけることが懸念される。住宅取得に伴う耐久消費財購入状況に関する住宅金融公庫の調査によると、平成8年度の住宅着工に伴う耐久消費財の購入額は2兆2,695億円にのぼり、これは同年の名目住宅投資27.2兆円の8.3%に相当する。こうしたもとで、住宅着工が減少すれば、耐久消費財消費への悪影響が懸念されるわけである。
実際、住宅着工と耐久財消費との関係をみると、半年程度のラグで住宅着工から耐久財消費への波及が認められる。試算では、97年上半期の住宅着工戸数の減少が、97年下期の耐久消費財購入額を6.5%下押ししているとの結果が得られる(図表8)。したがって、住宅着工が中期的に低迷することになれば、耐久財消費を中心に個人消費にも悪影響が及ぶことが懸念される。
また、住宅ローンを抱える世帯は、既に指摘したような雇用不安や将来所得の伸び悩み、住宅資産価値の目減り等の環境変化に対応するため、より生活防衛的な姿勢を強めざるを得ない状況に追い込まれている。このもとで、97年には住宅ローンを抱えていない世帯では消費支出を前年比2.5%増加させているのに対し、住宅ローンを抱えている世帯は消費支出を前年比0.5%減少させている。このことは、住宅ローン保有世帯が勤労者世帯全体の消費支出を0.8%押し下げていることを意味する(図表9)。
4.望まれる政策対応
こうした点も踏まえれば、現下の住宅着工減少の背景にある構造的な環境変化に対し、そのマイナス影響を緩和する対策を講じることは、単に住宅建設の回復に資するのみならず、個人消費の足枷要因を取り除き、景気全体を浮揚させるためにも不可欠なものといえよう。具体的には、以下の施策を通じて、家計の住宅取得能力を実質的に向上させることが喫緊の課題である。
(1) 住宅ローン減税の拡充
第1は、アメリカ並みの住宅ローン減税の導入である。現状のわが国の住宅取得促進税制では、期間が6年間に限定されていることや、土地取得にかかる借入金については控除の対象にならないことなどから、効果は限定的なものにとどまっているのが実情である。そこでアメリカ並みに住宅取得に係る借入金利の全額所得控除を認め、新規の住宅取得コストを引き下げると同時に、住宅ローン世帯の負担軽減を図ることが望まれる。仮にアメリカ並みの制度を導入した場合、現状の制度対比25年間で157.6万円の所得下支え効果の拡大が見込める(図表10)。
(2) 不動産流通コストの削減
第2は、不動産流通コストの削減である。日本の不動産流通コストは諸外国対比過重な負担になっており、不動産取得税・印紙税・登録免許税などの不動産流通課税を欧米諸国並みに軽減し(図表11)、同時に仲介手数料の引き下げを行うことにより、不動産流通コストの削減を推進する必要ェある。現在仲介手数料は建設省の告示により3%+6万円以内と定められているが、仮にこの3%が1.5%まで引き下げられたとすると、平均的なケース(1995年)で、マンションで62.2万円、一戸建てで77.8万円負担が軽減される。
これらの施策により、住宅取得コストの引き下げにつながるとともに、二次取得層の買い替えを促進する効果が期待できよう。
(3) 中古住宅市場の拡大
第3は、わが国の中古住宅市場の拡大である。わが国の中古住宅の年間流通量は94年で36.7万戸(建設省調べ)と、同年の着工戸数の23.5%にとどまっており、アメリカの中古住宅の流通量(95年で381.1万戸)の10分の1以下に過ぎない。これは、住宅の評価方法が確立されておらず、中古住宅の耐用年数や断熱、バリアフリーなどの性能に関する情報が新築住宅よりも少なく、買い手に分かりづらいことが一因として考えられる。そこで、中立的な鑑定機関を設立し、中古住宅の客観的な性能評価を確立することによって、中古住宅市場の規模拡大を図ることが望まれる。
こうして中古住宅市場が整備されれば、二次取得層の買い替えを促進する効果が期待できる。さらに、中古住宅の供給が増加すれば、新築住宅との間に競争原理が働き、新築住宅価格が引き下げられることも見込まれよう。