Business & Economic Review 1998年05月号
【OPINION】
金融サービス法の制定を急げ
1998年04月25日
日本版ビッグバンの次なる課題として、「金融サービス法」の制定が俎上に上ってきた。われわれは以前から、近未来のわが国金融システムにおいて金融サービス全般にわたる包括的な法制が不可欠の存在になると考え、折に触れそう提言してきた。その理由は、一言でいえば、現行の証券取引法、銀行業法および各種関連業法による縦割り立法が、公正・透明な証券取引の実現と競争原理の導入による金融仲介機関の経営体質強化・「革新」の促進という二兎を追う日本版ビッグバンの精神との間で、もはや小手先の改正等では克服できないほどの齟齬を抱えていると判断するからである。
例えば、しばしば言い古された指摘ではあるが、現行の証券取引法は有価証券の定義に際して「限定列挙方式」を採っている。資産流動化商品や商品ファンドあるいは商品先物等は有価証券ではなく、当然に証取法の適用外である。一方、株式や債券はもちろんだが、株価指数先物や債券先物は「みなし有価証券」として証取法の縛りを受けることになる。しかし、日本版ビッグバンが進展し、その所期の目的の1つである金融仲介者のイノベーティブな経営行動を実現すれば、その結果として大量の金融新商品が市場に供給されることになる。これらを全て限定列挙することになれば、証取法はほとんど毎週あるいは毎日のように頻繁な改正を余儀なくされるだろう。そうした頻繁な法改正が実現すると考えることはもちろん、その過程で金融機関の「革新的経営行動」が何ら立法あるいは行政当局から規制・制約を受けることなく維持される、とみることもまた非現実的である。近未来の金融行政において、あくまでも日本版ビッグバンの基本精神を貫徹しようとするのであれば、われわれはこうした限定列挙主義の縛りから決別し、金融商品全般に関する包括的な立法措置を志向するしか方法がない。
縦割り立法の弊害は、有価証券の限定列挙主義だけではなく、金融仲介者に対して適用される業法が、その出自あるいは資本関係によって異なるという深刻な問題を引き起こすことにもなる。例えば、ある投資家が手持ち資金を、投資信託、変額保険、商品ファンドの3種に分けて運用しているとしよう。投資家は自らの資金の運用をこれら仲介者(機関投資家)に委託しているわけであって、これら商品の運用を司る証券投資信託委託会社、生命保険会社、商社のいずれも同一の「資金管理・運用サービス業」に分類されるべき存在である。にもかかわらず、現行業法下ではこれらは異なる業態として扱われ、またしばしば異なるレベルの営業規制に服さなければならない。こうした状態の下では、新しい金融商品の開発に代表される金融仲介機関の「革新的行動」も、出自・業態によって規定あるいは制約を受けることになる。これまた日本版ビッグバンの精神と両立し得ない事態であるだけでなく、仲介機関の経営行動に対する行政の裁量余地を拡大し、不透明な証券・金融行政の温床を提供する懸念も大きいのである。出自や資本関係のような外形的な基準による立法ではなく、「顧客にどのようなサービスを供給するか」という機能主義の立場からの立法が必要とされる最大の理由がこれである。
アメリカでは既に大恐慌直後の33年証券法において、包括的概念による証券の定義が採用されている。イギリスでもビッグバンに先立つ86年に金融サービス法が制定され、機能主義に立脚する包括的な証券・金融取引に対する根拠法が誕生した。金融システムの抜本的な改革と前後して包括的な金融サービス法が制定されたという歴史的事実は、自由かつ透明な競争的金融・証券市場の構築に際して、包括的な金融サービス法の存在が不可欠となることを示唆している。
翻ってわが国の現状をみよう。相次ぐ不祥事の露見で金融機関・証券会社に対する世間の風当たりはきわめて厳しい。公正な金融取引の場を確保するために、金融仲介機関に対する規制の一段の強化を求める声が支配的である。もちろん、市場における不公正取引は徹底的に排除されなければならず、それを犯した金融仲介機関は、その出自・系列にかかわらず厳罰に処されなければならない。しかし、不祥事批判の高まりに目を奪われて、従来の縦割り業法の細切れ的改正を許し、結果的に行政裁量権のさらなる肥大化を許すこともまた厳に警戒されなければならない。行政の裁量余地を大幅に縮小させ、また明文化された法の規定に従属させる最も有効な手段の一つが包括的な金融立法であることはもはや論を俟たないであろう。日本版ビッグバンの実現に向けて、包括的な金融サービス法の早期制定が望まれるゆえんである。