Business & Economic Review 1998年01月号
【OPINION】
日本版シティズン・チャーターの策定を-強力な改革推進システムの確立に向けて
1997年12月25日 -
構造改革が迷走している。行政改革では、焦点が、公的機能のアウトソーシングを通じた小さな政府の実現から、局部的な中央省庁再編問題にすり替えられた。一方、財政改革では、経済実態を無視した財政赤字の拙速な量的削減策が中心テーマとなり、硬直化した予算配分の見直しや、小さな政府の実現によって租税等国民負担の軽減を図るという本来の財政構造改革の課題は等閑視されている。
こうした混迷に陥った根因として、次の3点を指摘できる。
第1は改革理念の不明確さである。実効ある改革推進には明確な理念とそれに裏打ちされた方向性が不可欠である。しかし、現下の構造改革では、明確な改革理念の構築が放置されるなか、中央省庁再編等、改革問題が矮小化されるのみならず、国民負担の増大という改革の主旨に逆行する施策が強行されている。
第2は改革の具体的な推進制度の未整備である。警察・徴税機関等、市場経済原理に馴染まない分野についても効率化を推進していくためには、民営化やエージェンシー化の手法だけでは不十分である。
第3は運用システムの不在である。例えばエージェンシー化についてみると、それ自体は手段に過ぎず、最終目的はそれを通じた公的セクターの効率化にある。そのため、エージェンシー化を生かす運用システムが改革の成否を左右する重要な鍵であるものの、現行改革下、効率化達成の具体策は何ら用意されていない。
こうしたわが国に対し、イギリスでは、そうした諸問題の解決に、シティズン・チャーターが大きく貢献した。シティズン・チャーターとはいかなるものか。
まず、策定の経緯をみると次の通りである。1980年代、サッチャー政権は、積極的に改革を推進したものの、民営化や行政組織の簡素化だけでは改革の効果は限定的であり、警察や税務当局等、民営化に馴染まない分野についても、改革が必要との認識が次第に浸透していった。そうした認識を踏まえ、さらなる改革推進に向けて、メージャー首相は、90年末のサッチャー政権承継後、直ちに作業に着手し、91年7月にシティズン・チャーターが制定された。
次に、その理念を一言に集約すると、「官から民への主役交代」である。具体的には次の3点が指摘される。
第1に、公共サービスは国民が官から無料で享受できる恵沢との見方を否定し、租税あるいは利用料金を支払っている以上、良質の公共サービスを受け取ることは国民として当然の権利と位置づけた。
第2に、国民を公共サービスを利用する消費者と位置づけたうえで、市場経済のアナロジーのもと、公共サービスの要否のみならず、そのあるべき水準や価格等、すべての決定権者は国民とし、官から民への決定権限の返還を明確にした。
第3に、国民負担の軽減、すなわち、資金面でも官から民への決定権限の返還を明確にした。さらに、国民負担の軽減と公的セクターの効率化は、国際競争力回復のためにも強力かつ不断に推進されるべき必須課題と位置づけた。ちなみに、イギリス法人課税の実効税率は、現在、主要先進国中最低の31%に引き下げられている。
さらに、シティズン・チャーターは、そうした改革理念を具体化する方策を明確にした。まず、市場原理によって調整可能な分野については、民営化、エージェンシー化、強制競争入札制度等が用意された。もっとも、それらだけで、効率化や質の向上等、十分な改革効果は必ずしも保障されない。そこで、公共サービス改善に向けた諸制度および運用システムが整備され、市場原理によって調整可能な分野のみならず、市場原理による調整が困難な分野についても実効ある改革の推進が図られている。
その諸制度等をプロセスに沿って具体的にみると次の通りである。まず、(1)公共サービスに対する国民のニーズを吸収する常設組織が創設され、(2)その結果を踏まえて個別サービス毎に具体的な達成目標の設定が義務づけられた。次いで、(3)達成目標の適否判定や目標達成の認定等に向け、情報公開制度の徹底が図られ、そのうえで、(4)目標達成度合いが公開原則のもと第三者機関によってチェックされるだけでなく、(5)業績給システムを導入して目標の達成度合いによって賃金の増減を認める一方、きわめて優秀な部局に対して表彰を行う等、目標達成に向けたインセンティブ制度が用意された。さらに、(6)低水準の公共サービス解消に向けて、国民が容易に活用でき、問題処理に有効な苦情処理システムが整備されると同時に、(7)そうした一連の公共サービスの提供がコスト削減の原則に服することが明確に打ち出された。
このように、シティズン・チャーターは、公共サービスの受益・決定等の権利を、抽象的権利、すなわち請求権等が認められない一般的な法原理としてではなく、国民の具体的権利として規定した。その結果、シティズン・チャーターは、「現代のマグナカルタ(権利章典)」との称号に浴する栄誉を得ている。
最後に、制定から今日までの推移をたどってみると、近年、一段の定着化が進行している。すなわち、専門部局が首相直属の内閣府内に設置され、推進体制が整備されるなかで、すでに、中央政府では警察や病院等をはじめとして目標やサンクション等を明示した42の個別チャーターが作成される一方、地方自治体では1万余のチャーターが策定されている。さらに97年4月には適用範囲が拡大され、全エージェンシーが対象となった。こうした情勢下、97年5月労働党が18年振りに保守党から政権を奪還するなかで、ブレア新政権は、シティズン・チャーターを否定するどころか、発足直後の6月4日、さらなる拡充方針を打ち出し、積極姿勢を鮮明にしている。
イギリスのシティズン・チャーターは、現時点のわが国からみれば、隔絶して先進的・革新的に映る面も否定できない。しかし、わが国が現下の閉塞状況から脱出するには、(1)広範囲かつ抜本的な構造改革の一刻も早い着手と、(2)長期にわたる改革推進力の保持、の両方を可能にする強力なシステムの構築が不可欠である。実効ある改革実現に向けて、日本版シティズン・チャーターの策定は喫緊の課題となっている。