Business & Economic Review 1999年09月号
【OPINION】
日本版プロパテント政策の展望-科学技術創造立国への道
1999年08月25日 -
- 研究開発の活性化が産業再生の焦点
7月21日、産業再生関連法案が国会に上程された。設備廃棄に伴う欠損金の繰越控除期間の延長等、後向き的色彩の強い施策も含まれるものの、事業再編の円滑化等、企業競争力アップと経済再生に向けた政府の政策対応が短期間のうちに取り纏められ、かつ、本格的に動き始めたことは高く評価される。とりわけ、インターネット革命に伴ってサイバービジネスの勃興が急速なスピードで進展し始める一方、従来型事業分野では、途上国のキャッチアップが着実に進行し競争が一段と激化しているという近年の国際的情勢変化を踏まえてみれば、研究開発の活性化は、起業支援税制の拡充と並び、新産業やニュービジネスの創発を通じてわが国経済の再生を実現する中核的原動力である。産業再生関連法案に盛り込まれたその主な施策をみると次の通りである。
まず、国の委託研究開発で生まれた新技術の特許を、開発した企業が取得できる制度が新設される。官民共同研究に対する企業の参加意欲の刺激と研究開発体制の強化、さらに開発成果の有効活用が目的である。ちなみに、本制度は、アメリカで80年に創設されたバイ・ドール法に倣ったものであり、アメリカでは、80年代半ば以降、本システムの積極的活用を通じて技術開発能力が次第に向上し、これが、90年代に入り、アメリカ経済が力強い復活を遂げる推進力となった。
次に、技術移転機関(TLO:Technology Licensing Organization)の活性化である。これも、バイ・ドール法成立後、アメリカで定着した機関であり、わが国では98年8月施行の「大学等技術移転促進法」によって創設された。その目的は、大学や研究所の研究成果を特許権等へ権利化したうえで、その権利を民間に移転することである。今回の産業再生策では、本制度の定着と幅広い活用を目指して、技術移転機関に対する民間の特許料支払負担の軽減と技術移転機関への民間人登用の推進が図られることになった。 - わが国プロパテント政策の経緯
もっとも、このように経済再生に向け知的財産権を積極的に活用していこうとする施策、いわゆるプロパテント(特許重視)政策(注1)は、今回初めて打ち出された単発的な動きではなく、数年前から継続して推進されてきた一連の流れのひとつとして位置づけられるものである。行政、法律改正、司法の三分野について、今日までの主な経緯を振り返ってみると次の通りである。
(1)行政の動き
まず、行政サイドについてみると、97年4月に「21世紀の知的財産権を考える懇談会」報告書が公表され、プロパテント政策への転換方針が明確に打ち出された。本報告書は、わが国経済が情報化とグローバル化が同時進行する21世紀を生き抜いていくには、科学技術創造立国、すなわち、(1)独創的科学技術を創造・発展させ、(2)研究成果を権利化して有効活用を図り、(3)さらにその経済的価値を引き出して経済発展を実現するという、いわば科学技術の発展と活用を経済発展の牽引役とする新たな成長パラダイムへの転換が必要であり、そのためには現行の知的財産権制度の見直しが不可欠であると提唱した。
(2)法律改正
そうしたなか法制度面では、特許権等、知的財産権法が98年6月と99年6月の2回にわたって改正され、権利保護システムの整備が格段に進んだ。具体的には次の通りである。
第一は、損害賠償制度の拡充である。
まず、従来の制度のもとでは、特許権が侵害されても、挙証責任が被害者サイドに賦課されていたため、具体的な被害額の算定のみならず権利侵害の立証さえ容易ではなかった。そのため、損害賠償金額は国際的に突出して少額(注2)にとどまっていたうえ、国際的な特許訴訟が国内でなく海外で行われる傾向(注3)が定着していた。
そこで、今回の法改正では、まず権利侵害の立証について、(1)加害者に対する文書提出命令を裁判所に請求する権利を被害者に付与し、(2)加えて、損害額算定に必要な膨大かつ専門的書類については、その解読に当たる計算鑑定人の制度を新設することにより、被害者の立証責任の軽減が図られた。一方、具体的な損害額の算定については、(1)加害者の販売数量に被害者の利益率を掛けた金額を損害額とする新しい算定法式を導入したうえで、(2)立証事実に限定されず、心証等も踏まえ、裁判官の判断として損害賠償額の算定を行うことが認められた。その結果、賠償責任を縮減・回避しようとする加害者の意図は実現困難になり、グローバル・スタンダードからみても妥当な損害額の算定が容易に行えるシステムへの転換が進展した。
第二は、刑事責任の強化である。すなわち、(1)現実に特許権を侵害する(特許侵害)だけでなく、(2)審査官等を欺いて虚偽の資料を提出し特許要件を欠く発明について特許を取得する(詐欺行為)、(3)あるいは特許権が許されていない製品に対して特許表示を付す行為(虚偽表示)、を法人が行った場合、従来比格段に厳しい罰金刑が刑事罰として賦課されることになった。具体的に各罪について罰金上限額の変化をみると、特許侵害罪は500万円から1億5千万円に、詐欺行為罪や虚偽表示罪では300万円から1億円に引き上げられたうえ、いずれも親告罪から非親告罪と位置づけが変更され、被害者の告発がなくても刑事訴追されることになった。
第三は、審査処理の迅速化である。すなわち、審査請求期間が7年から3年に短縮されるとともに、審査の第一段階である一次審査(FA:First Action)までの期間についても、従来の22カ月から2000年には12カ月以内へほぼ半減することが目標とされている。わが国の長い審査請求期間については、これまで、(1)権利が取得されるか否か不安定な状態が長期にわたり、研究開発への取り組みを阻害する、(2)早期に権利化が確定する欧米の審査結果をもとに国内外の特許取引が行われるため、わが国特許制度が空洞化する、等のデメリットが指摘されてきた。ちなみに、85年に日本ならびに欧米で出願された5,926件の特許申請について特許取得時期をみると、最も速いアメリカでは3年後に6割強、4年後には9割弱に達し、欧州でも6年後には過半に及んでいるのに対して、わが国では10年後の95年時点でも依然として4割強にとどまっていた(注4)。
(3)司法の動き
さらに司法サイドでは、東京地裁が98年4月に知的財産権の専門部を2部に増設し体制強化が図られる一方、同年10月には特許権侵害に対して30億円と過去最高の損害賠償金の支払を認定する判決が出され、司法判断にも特許法改正の趣旨が投影され始めている。 - わが国プロパテント政策が抱える問題点
以上を総合してみると、わが国のプロパテント政策は着々と進展し、経済再生への道筋は次第に整ってきているとの見方も有り得よう。しかしながら、わが国の次のような現状を踏まえてみると、プロパテント政策は所期の目的を達成するどころか、逆に同政策が推進される結果、国内市場が外資の草刈り場となる事態すら懸念される。
第一は、製造業分野以外では、特許権等、知的財産権を取得・確立する能力が依然脆弱なものにとどまっていることである。
例えば、金融分野をみると、アメリカでは、近年、金融工学の発展を生かして新たな商品が相次いで開発され、様々な特許申請が相次いでいる。それに対してわが国では、ALM(Asset Liability Management:資産負債の総合管理策)やVAR(Value at Risk:投資時に想定される損失算出法)の分野での特許出願は数件に過ぎないうえ、デリバティブズや証券化に関する特許申請は未だ皆無である。
さらに、わが国では、特許とは、一般に物質や装置等、ハードに関する発明が想定されやすく、大量生産方式やカンバン方式等、業務遂行スタイル自体が特許の対象となるという発想は乏しい。それに対して、アメリカでは、新規性や独自性を具備していれば、業務遂行方法やノウハウであっても特許が認められる。ちなみに、86年11月に認められたモーリンス特許(注5)はコンピュータ制御を用いた多品種少量生産システムに関する発明であった。
第二は、94年の日米経済包括協議を受けて、95年以降、わが国特許庁に対する英文申請が自由化されたことである。
もちろん、こうした流れは、次のような世界的な情勢変化を踏まえてみれば、当然の動きである。すなわち、国際化時代が到来するなか、ひとつの知的財産権を各国別にそれぞれの言語で出願する従来のシステムは申請者に過大な負担を強いるため、一回の出願で権利を国際的に取得できるシステムの構築が必要であるとのコンセンサスが形成されつつある。すでに商標権については、本国での申請の後、出願を世界知的所有権機関(WIPO:World Intellectual Property Organization(注6))に回付することを通じて国際的な権利の成立を認めるマドリード協定議定書が95年に発効し(注7)、意匠権についても、商標権同様のシステムを目指すヘーグ協定新アクトの検討が各国間で99年に入り一段と進展している。
しかし、外資の日本における特許申請は、英文申請の自由化によって格段に容易になる。それだけに、わが国企業サイドからみれば、とりわけ、製造業以外の特許取得に対する国際競争力の弱い分野を中心に外資の特許取得が進行し、国内企業が次第に市場から排除されていく懸念を否定し切れない。
第三は、特許法改正に伴う審査期間短縮の影響である。
今回の特許法改正は99年6月1日に施行された。そのため、同日以降出願された特許審査について、従来比、格段のスピードアップが図られることになる。それに伴う特許権の早期成立は、英文申請の自由化と同様に、特許取得に対する国際競争力の弱い分野を直撃し、とりわけ、金融商品等、商品の変化が速い分野でのわが国企業の活動に大きな影響を及ぼす可能性が大きい。直接的な権利侵害行為のみならず、外資等、他社の新規商品を学習し、類似商品を売り出す、いわばフリーライド(ただ乗り)的行為も排斥される懸念が大きいためである。 - わが国プロパテント政策成功の課題
こうした現状を踏まえてみると、わが国が、科学技術創造立国、すなわち、科学技術の発展を基軸とする経済成長メカニズムへのパラダイム・シフトを実現し、プロパテント政策への転換を成功させるためには、行政指導の廃止等、参入・価格規制の撤廃によって企業経営に対する掣肘を排除し企業が新機軸を自由に導入できる環境を整備すると同時に、次のような諸改革の断行が不可欠である。
第一は、弾力的な研究開発体制の構築である。アメリカでは、大学や研究機関が活発な産学協同研究を通じて技術革新の原動力となってきた。それに対して、わが国では、それらの動きは総じて低調であり、大学や研究機関がその多様な潜在的可能性を発揮し研究開発の中核に位置するまでには必ずしも至っていない。ちなみに、わが国国立大学をみると、97年度時点で、58,855人の教官数に対して産学協同研究は2,362件にとどまり共同研究に携わる教官が25人に1人の割合に過ぎないなか、わが国国立大学の特許取得件数は94年時点でアメリカの1,862件に対して124件と15分の1である。
こうした観点からみれば、産学協同研究の推進に向け、大学や研究所の研究開発体制を強力なシステムに改編していくことは焦眉の急である。 具体的には、まず、研究開発資金の調達やその使途について、学生への講座を担当したり大学の運営を協議する等、教官の公務員としての業務に支障が生じない限り原則教官の自由とし、プロジェクトが成功した場合にはその残余金や成果を個人所得とすることも含め、裁量権を大幅に拡大して教官のインセンティブを引き出すべきである。
次いで、上記、バイ・ドール法システムやTLO制度等、完成した発明を民間に移転し事業化を実現していく段階では、公務員としての兼職禁止規定(注8)に対して抜本的な見直しを行い、国公立大学教官等の主体的・積極的関与を可能とすべきである(注9)。
一方、研究体制のみならず教育体制については、金融工学等、従来の発想でいえば理科系と文科系の狭間に位置し学際的分野として正統派扱いされにくい分野に関しても積極的に学科新設を認める等、実体経済の動きに即応できる柔軟なシステムに改めるべきである。
第二は、インセンティブ税制の導入である。すなわち、特許を発明しわが国経済の発展に尽くした企業・個人には多大な成功報酬が約束されるというシステムを構築し、知的所有権を高く評価する経済社会の形成を通じて、権利取得に向けた動きを積極的に引き出していくことが必要である。
ちなみに、アメリカでは、80年代に入り、従来のアンチパテント政策からプロパテント政策への転換が進むなか、レーガン政権下、大胆な税制改革が断行された。まず、81年に「経済再建税制」のスローガンのもと、(1)加速度償却制度の導入や(2)投資税額控除制度の拡充、(3)両制度の適用範囲を拡大させるタックタックス・リース制度の投資減税策が実施され、アメリカ経済のサプライ・サイド強化に寄与した。その後、86年には「公正・簡素、経済成長のための税制改革」として(注10)、個人所得税制について、税率11~50%まで14段階を形成する累進的構造から、税率15、28%の2段階のみというフラットな制度に変更され、所得分配の平等性よりも創業者利潤の保護を重視する制度に切り替えられた(注11)。
経済再生に成功したアメリカのこうした経験を踏まえてみると、わが国経済のサプライ・サイドを強化し、新産業創発やニュービジネスの勃興を積極的に促すには、(1)法人実効税率の一段の引き下げ(注12)や、(2)個人所得税制の累進性のさらなる緩和(注13)、(3)エンジェル税制の拡充(注14)、(4)ストック・オプション制度の適用税率引下げに加え、(5)増加試験研究費の税額控除制度(注15)を拡充し、増加額に限定せず試験研究費総額を対象にする等、研究開発投資に対する思い切った投資減税の拡充を行い、リスクにチャレンジしようとする経済主体を積極的に支援する税制の構築を図るべきである。
第三は、科学技術振興予算の重点化である。
この点について、今回の産業競争力強化策では、中期的視点から産学官の英知を結集して国家産業技術戦略を策定し官民協働プロジェクトを推進する一方、経済活性化の牽引役が期待される中小・ベンチャー企業に対する中小企業技術革新制度(日本版SBIR:Small Business Innovation Research)(注16)の拡充が盛り込まれた。起源はアメリカで、レーガン政権下の82年にサプライサイド強化策の一環として創設された。アメリカではすでに研究開発成果の製品化に成功した企業が3割強に上る等、中小企業の技術力向上に貢献しており、そうした成功体験を踏まえ、わが国でも99年2月に新設された。しかし、その予算規模は99年度でも依然110億円にとどまり、アメリカが98年度に13億ドル(1ドル120円として1,560億円)に達しているのに対して大きな格差がある。
以上を要するに、わが国政府のプロパテント政策推進のもと、外資の特許攻勢に対する国内市場の障壁はすでに取り払われている。そうした情勢下、わが国企業が21世紀を生き延びるためには、特許分野においても国際競争を勝ち抜いていく以外、方策は見当たらない。しかし、上述の国内環境をみると、研究開発体制や税制をはじめとして未だグローバル・スタンダードにキャッチアップしていない分野が少なくない。競争力強化・経済再生に向けた抜本的対策の断行は喫緊の課題である。