Business & Economic Review 1999年01月号
【OPINION】
デジタル産業立国-インターネット革命勝者への道
1998年12月25日 藤井英彦
依然として、わが国経済が現下の深刻な閉塞状況から脱却する兆しは見られない。これには、バブル崩壊の痛手、あるいは高コスト体質や少子高齢化をはじめとする構造問題等、様々な要因にその原因を求めることができよう。しかし、主因は、新たなリーディング産業が勃興しないわが国経済の活力低下にある。世界のなかの先進国という視点からみれば、途上国のキャッチアップによって喪失される相対的な国際競争力の低下を、新産業・ニュービジネスの創出や既存産業の競争力強化を通じて補っていかない限り、成長力の衰微は不可避である。
とりわけ、今日は、世界史的な経済メカニズムの一大変革期に当たる。すなわち、先史時代の農業革命、18世紀の産業革命に比肩するインターネット革命の勃興である。そうした国際的経済環境の激変に対して、わが国の対応は依然スローテンポにとどまっている。その結果、製造業をはじめとして一部には強力な競争力を引き続き保持している分野も残っているものの、国民経済全体としてみれば、国際競争力の相対的低下が一段と進行している。先行するアメリカの現状を、経済と政治両面からみると次の通りである。
経済面では、まず、電子商取引(エレクトロニック・コマース)の急増が指摘される。とりわけ企業間取引での増加は顕著であり、95年の数億ドル規模から97年に150億ドル、98年には400億ドル前後の水準に達した模様である。こうした企業間のインターネット取引急増の背景には、開発・設計から生産、配送、納品まで、全工程にわたる所要時間の短縮とコスト削減、およびそれらを通じた需要者ニーズへの迅速な対応、すなわち、より強力な供給システム(サプライ・チェーン・マネジメント)の構築に向けた競争が世界的規模で激化しているという事情がある。いわば、90年代入り後、アメリカ系企業を嚆矢として強まってきたリエンジニアリング(BPR)が、インターネット革命によって一段と加速され、かつより大規模な動きへ進化している。そうした情勢下、個別企業にとってインターネット革命への対応は、生き残りを図るためにもはや選択の余地のない不可欠なものとなっている。
一方、個人サイドでも、インターネットを通じた小売市場が拡大している。在庫や店舗コストが不要でありそのぶん低水準での価格設定が可能、情報量が多い、閉店時間に左右されず自由にショッピングをエンジョイすることができる等、様々なメリットがあるなか、取扱商品は、書籍や乗用車等、伝統的小売業分野にとどまらず、株式売買等の金融取引、さらに新聞購読・ニュース配信等のサービス等、様々な財・サービスに拡がっている。その結果、市場規模は95年の数億ドルから97年に50億ドル、98年には130億ドルまで拡大した模様である。
加えて、就業形態の変化がある。すなわち、従業員が特定の事務所に集中して出勤し、そこで勤務する従来型の勤務パターンでなく、自宅あるいは自宅近くの小さな事務所で勤務する、いわゆるSOHO(Small Office Home Office)をはじめとする新しい勤務形態である。こうしたテレ・ワーク形態をとる労働人口は、90年の400万人から95年に850万人に倍増し、98年には1,570万人に達したと見込まれている。
次に、政治面では、電子メール等、インターネットを通じた仮想公聴会の開催等、直接民主制導入の動きがみられるほか、企業のリエンジニアリング同様、インターネットを活用した小さな政府推進の動きが強まっている。すなわち、政府の各部局が購入・調達する様々な財・サービスを電子媒体を通じて行う、いわゆるEDI(電子データ交換)方式の推進である。クリントン大統領は、93年10月、すべての連邦政府機関に対し97年1月を最終期限としてEDIの導入を義務づけた。もっとも、この段階では一部の業務のみでも許容されたものの、95年の連邦調達合理化法によって大幅に拡大され、2004年までに連邦政府機関の総調達のうち95%のEDI化が義務づけられることになった。こうした徹底した業務の見直しが推進されるなか、アメリカ連邦政府職員数は着実に減少している。職員総数は、クリントン大統領が就任する前年91年の515万人から97年には426万人へ89万人減少した。軍人を除き一般行政分野の公務員に限ってみても、91年の305万人から97年の273万人へ32万人減少している。
今後を展望すると、アメリカのインターネット革命は、一段と加速する見通しである。これは、まず第1に、21世紀に向け国際競争力のさらなる向上を図り、アメリカ経済の優位性を盤石のものにしようという意図のもと、アメリカ連邦政府の推進姿勢が一層積極化している点が指摘される。
第一次クリントン政権では、「情報スーパーハイウェイ構想」のもと、全米にわたる高速情報ネットワークの構築という網羅的な目標が掲げられていた。それに対して、第二次クリントン政権では焦点がインターネット革命の推進に絞られ、近年インターネット拡大の隘路として問題視されている通信混雑の解消と高速化・大容量化を目指して、従来比100倍から1,000倍を目標とする「次世代インターネット構想」が打ち出されている。さらに、97年7月には、今後の政策決定のガイドラインとなる「グローバル電子商取引のフレーム・ワーク」という報告書が公表され、政府の介入は最低限にとどめて透明な市場形成を図り市場の発展を民間の自主性に最大限委ねることとし、それを基軸に国際的規模でのインターネット取引の飛躍的発展を目指す、という基本方針が明らかにされた。こうした姿勢は民間サイドから高く評価されており、インターネット取引の拡大に寄与している。
第2は、デジタル化の潮流である。すでに98年に地上波のデジタル放送が開始され、今後、99年に全世帯の過半がカバー、2003年にはすべての地上局のデジタル化が完了して、2006年にはアナログ放送が終了する予定となっている。デジタル化の進行は、単に、アナログ型からデジタル型へテレビが買い替えられる、あるいは放送局の機材がデジタル型に入れ替わる等、代替需要の盛り上がりに繋がるだけではない。テレビが、パソコン、すなわち、インターネット端末としても利用できるようになる、言い換えれば、パソコンに比べて格段に操作性の良い情報家電が誕生することによって、現在、4割の家庭にとどまっているインターネット市場の拡大に拍車が掛かり、インターネット革命が一段と大きなうねりとなることが見込まれる。デジタル化のアメリカ経済に及ぼすプラス影響について、米商務省は、97年4月、“The Emerging Digital Economy(立ち上がるデジタル経済)”という報告書を公表し、その将来展望を描いている。
アメリカでこれまで生起してきた上記の動きを整理してみれば、インターネットの普及によって、経済・政治をはじめとして国民生活の隅々まで様々な断面で従来型システムの抜本的転換が始動しており、まさに「革命」の名に相応しい。さらに、今後、デジタル化の本格的進行が見込まれるなか、インターネット革命による経済・社会の構造変革は一段と拡大しよう。そうしたアメリカに対して、わが国の現状を対比してみると、そのギャップは大きい。ちなみに、98年2月時点のインターネット利用者数を比較すると、アメリカが6,200万人で総人口比23%に上るのに対して、わが国は884万人で総人口比7%にとどまり、総人口比比率からみた日米格差は1対3に及ぶ。
以上の諸点を総合してみると、グローバル・スタンダードとなってきたインターネット革命に一日も早くキャッチアップし新産業の創出を積極的に図ることは、わが国経済が現下の混迷から脱却し経済活力を取り戻すために不可欠のキーファクターといえよう。逆に、インターネット革命への対応をなおざりにした場合、単に新産業やニュービジネスが創出されないだけでなく、既存産業の競争力低下によるわが国経済活力の衰微を通じて、現下の混迷はさらに深刻の度を増す懸念が大きい。それでは、わが国が今後推進すべきポイントは何か。
第1は、中期的にわが国がどのような姿となるかというグランドデザインを明確に打ち出すことである。
すなわち、(1)21世紀に向けインターネット革命のなかでわが国経済が目指すべきビジョンと、(2)そうしたビジョンを実現するための、規制撤廃や政府機能の大幅なアウトソーシング、租税や社会保障の公的負担の軽減、等の制度的枠組み、(3)さらにそれに至るまでのタイム・スケジュール、の3点を明確に打ち出すことである。そうした明るい展望が拓けて初めて、企業や消費者マインドが好転し、経済の自律的回復への糸口がみえてくる。
第2は、競争市場の創出である。
競争市場の創出には、価格規制や参入規制をはじめとする規制の撤廃が有効である。格好の事例がアメリカにある。アメリカでは、CATVに続いて、一般電話会社が、97年秋以降、従来比100倍近い大容量インターネットサービスの提供を始めた。これは、96年の連邦通信法改正によって電話、放送、CATV等の業務自由化が断行された結果、CATVが大容量インターネット・プロバイダーとして新規参入を図るなか、電話会社がそれに対抗するためには、一般電話回線で大容量サービスが可能となるADSL技術の実用化を推進することが至上命題になったことによるものであり、典型的な規制緩和の成果と位置づけられる。
もっとも、独占・寡占市場については、市場ルールの確立が必要である。例えば、市内電話網等の分野について、これを競争市場とし重複投資を許容すれば国民経済的ロスは明らかである。競争市場とすることが不適切な分野については、英米の経験に倣い、プライスキャップ制や長期増分コスト方式の導入を通じて利用価格の抑制・引き下げを推進し、それによって新規需要の喚起を図っていくことが不可欠である。
第3は、強力な推進体制の構築である。
まず、産学協同による研究開発体制の整備である。アメリカでは、今日、利用されている基幹技術の多くのものが産学協同研究から生まれている。具体的に情報・通信分野の成功事例をみると、MI TのUNIX、スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校のRI SCプロセッサー、イリノイ大学のLOTUS・NOTES等が指摘されよう。わが国でも、こうした体制を本格的に始動させるために、アメリカのやり方を倣い、(1)企業からの委託研究費を国庫に入れて管理するのでなく、受託する教官の管理とし、さらに収入とすることも許容する、(2)大学院生や院卒学生をプロジェクトの研究員として雇用し、相応の賃金を支払う等、インセンティブ強化に向けた制度改正を行い、産学協同研究体制の構築を推進していくことが必要である。
次いで、情報インフラ整備と基礎研究の充実である。アメリカでは、こうした民間が単独では果たし難い分野に対する取り組みが、連邦政府レベルでは前述の通りゴア副大統領の提唱による「情報スーパーハイウェイ」構想のもと、90年代初めから着々と推進されている。加えて、近年では、ノースカロライナ州やアイオワ州をはじめとして、州政府レベルでも、地域経済振興等の観点から予算を投入するだけでなく企業の参画を勧奨しプロジェクトの推進力増強を図る等、地域の情報通信インフラ整備を積極的に推進する動きが拡がっている。
最後に、教育・再教育システムの確立である。わが国の歴史を振り返ってみても、識字率の高さに象徴される有能な労働力が、明治維新後の産業興国や第二次大戦後の高度成長を実現する原動力となってきたことは周知の事実であり、経済成長の基盤が人材である点に異論はあるまい。こうした観点からみれば、デジタル社会への転換を成功させるために、情報リテラシーを備えた人材の着実かつ大規模な養成は喫緊の課題である。
このようにみると、わが国は、戦後の高度成長を支えてきたものの、近年、制度疲労が目立つキャッチアップ型システム、いわゆる1940年体制から脱却し、インターネット革命に打ち勝つデジタル立国にふさわしい新しい国づくり、すなわち、政治・経済・社会等、わが国システムの抜本的改編が不可欠となっている。なお、そうした観点から国土利用をみると、インターネット革命は、企業間取引や小売り、あるいは個人間取引等、様々な相互関係において、物理的距離の問題を希薄化するだけに、今日の都市一極集中型システムの瓦解に作用する可能性が大きい。もっとも、市場取引が必要な分野等で業務をすべて分散型に移行することは困難であり、集積メリットのある業務は引き続き都市に残るとみられるものの、総じてみれば、コストが嵩む都市圏への経営資源の集中は次第に経済合理性を喪失しよう。
こうした点を踏まえてみると、98年11月16日、政府が発表した「緊急経済対策」は、深刻な景気情勢からみればその必要性を否定することはできないとしても、(1)未来型投資を志向する基本方針が打ち出され、その方向性は間違いないものの、ビジョンやその道筋が不明である、(2)金額面からみれば、公共事業等、従来型景気対策が中心に据えられており、従来から大きな変化はない等、わが国経済がデジタル立国を通じて21世紀に向け再び活力ある経済として再生するための方策としてみると、疑問が多い。逆に、こうした経済対策では、アメリカをはじめとする諸外国とわが国とのギャップが一段と拡大し、経済再生が一層困難になる懸念が大きい。
わが国は、少なくともインターネット革命を通じたデジタル立国では先進国ではない。しかし、後発国であることは必ずしもデメリットばかりではない。先進各国が試行錯誤を通じて投入を余儀なくされた諸々のコストを回避し、最短距離でキャッチアップを進めることができるというメリットもある。加えて、わが国では、少子高齢化の本格的進行が目前に迫るなか、不毛な議論に空費する時間的余裕は残されていない。政府の決断と実行力への期待は大きい。