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Business & Economic Review 2000年11月号

【OPINION】
「日本版ロー・スクール構想」に異議あり-続:旧態依然の司法制度を全面改革せよ

2000年10月25日 新美一正


筆者は本誌1996年10月号の当欄で「旧態依然の司法制度を全面改革せよ」と題し、司法試験の門戸拡大による法曹人口の大幅増加を提言した。拙稿の貢献などほとんど無きに等しいであろうが(それでも当時、複数のマスメディアから問い合わせがあった)、爾来4年の歳月を経て司法改革に向けた国民的な合意がとにもかくにも形成され、ようやくにして司法試験合格者を現行の約3倍(毎年3,000名程度)にまで増やすという方針が固まった。法曹人口の極端な不足による「司法の空洞化」に一定の歯止めをかけることができるのはまずは喜ばしい。

しかしながら、新しい法曹養成制度の中核をなすことになるであろう日本版ロー・スクール(法科大学院)制度の構想が明らかになるにつれ、筆者はこの改革案が--法曹人口の増大という一定の成果は認めるものの--現行司法制度の持つ諸問題の根底にある、司法の「消極主義」ないし「行政追随主義」に対しては、何ら有効な処方箋を提供していない、との観を強く受けつつある。

筆者の印象では、日本版ロー・スクール構想に対してわが国マスメディアは概ね好意的である。批判は、せいぜいロー・スクールを現行大学制度上の大学院修士課程とすることに対して、「金持ちの子弟しか法曹界に進めなくなる」という感情的なものが散見される程度である。ロー・スクール制によって司法試験の「一発合格制」の弊害を排せる利点と、懸案である法曹人口の増大というメリットとを、高く評価しているからであろう。本稿の趣旨は、こうした通説を排して、日本版ロー・スクール構想の導入に批判を加え、真の意味での司法の門戸拡大を実現するため、司法制度改革構想の練り直しを要求する、という点にある。

まず、始めに現時点で明らかになっている日本版ロー・スクール制度の概要についてまとめておこう。ロー・スクールは現行大学制度上の3年制(2年の短縮制を認める)大学院であり、大学および地方自治体あるいは弁護士会の設立を認める。教員は学者以外に弁護士などの実務家、税理士・公認会計士、法律職公務員、外国人弁護士など幅広い層から構成され、法律家に必要な幅広い知識、思考能力などを養成する。ロー・スクール修了には第三者評価機構の認定を必要とし、新司法試験の受験資格とする。すなわち、ロー・スクール修了者以外は司法試験を受験できなくなる。ロー・スクール修了者は3回程度の受験回数制限の下で、かなりの確率(80%)で新司法試験に合格することが見込まれている。合格後は、現状よりもかなり短縮・簡略化された司法修習を経て、法曹資格を得ることになる。

公式情報は以上の通りだが、非公式な報道を総合すれば、実際には既に設立認可大学の線引きが15校程度に絞り込まれているとされ、事実、候補に上った私立大学のうちいくつかは、次々にロー・スクール設立に向けたシンポジウム(事実上の説明会に近いように思われる)を開催している、というのがここ数カ月の状況である。

改革案で最も評価できるのは、司法修習制度の大幅な縮小である。従来、法曹人口拡大を求める外部の声に対して、法曹界は司法修習所の収容能力の限界を理由にこれを拒んできた。修習所の収容人員を増やすなり、修習を外部委託するなり、修習を簡略化するなり、いくらでも解決手段はあったと思うが、これらはいずれも「司法の質を落とす」という法曹村の論理で拒否されてきたのであった。今回の改革案は、このような法曹界の主張が全くのまやかしであったことを物語っている。

しかしながら、現在われわれに伝えられているロー・スクール構想には、以下のような看過できない問題点が含まれている。

まず、第一に、ロー・スクール設置がなぜ15校程度に絞り込まれるようになったのか、全く合理的な説明がない。伝えられるところによれば、先に司法改革審議会が提示した年間3,000人程度の司法試験合格者という計画枠を、現行の司法試験合格者出身数上位校に機械的に割り振ったということであるが、そもそも3,000人という枠自体が腰だめの数字であり、これが中長期的な司法の適性規模といわれても何ら説得力がない。司法の適性規模は、法曹サービスへの需要と供給が交わる点で決定されるものである。「数を絞れば質が保たれる」という法学部流の発想はそろそろ撤回したらどうか。

第二に問題の多い現行司法試験制度における成績上位校を選定に当たって優先した理由も判然としない。スクール設置希望大学には一定の外形基準の下に設立を認め、後は学生の自由選択に任せてはなぜいけないのか。確かに、ロー・スクール修了者に80%程度の合格率を保証すれば、現在の司法試験合格戦争は解消されるであろうが、それはこの問題の本質的解消にはならない。単に希望者の早期絞り込みを行っているに過ぎず、受験戦争がロー・スクール入試段階に前倒しされるだけである。否、少子化時代を控え、生き残りに必死な私立大学では、ロー・スクール設置認可を奇貨として、法曹養成コースの設置や推薦合格枠を活用し、ロー・スクールへの優先入学をちらつかせつつ、学部段階における入学者の囲い込みに走る、というのが大方の予想である。となれば、司法試験戦争はさらに学部入試段階にまで前倒される。これでは、就職戦線における指定校制度と大同小異になってしまう。

第三に、ロー・スクール入試にせよ、修了者に義務付けられる新司法試験にせよ、基本的には一発勝負の暗記力試験にならざるを得ないだろう。法曹希望者が18歳の春から7年間、社会と切り離され勉強漬けの生活を強いられる点に変わりはない。ロー・スクールが多様な教員構成によって、これら司法受験生に一般社会への接点を提供できれば理想だが、果たしてそううまくことが運ぶであろうか。ロー・スクールを修了しながら3 回の受験回数制限内に合格できなければ、30歳近くになった彼または彼女の「社会復帰」は容易ではない。合格死守の重荷を背負ったロー・スクール在校生の予備校通いは止まらないのではないか。

第四。なぜ、新司法試験合格者に司法修習を義務付けるのか。既に司法修習ないし法曹一元制が司法の質とは全く別物であることは、今次改革案策定の過程で白日の下に晒された。修習後に裁判官・検事に任官すれば、彼らは社会経験ゼロのまま司法判断に加わることになる。これでは、「現実の政治経済問題にうとい純粋培養された裁判官が、司法消極主義に立った行政追認型の司法判断に傾く」という、われわれの批判に答えているとは言えない。

以上の諸点を踏まえ、われわれが構想する日本版ロー・スクールの姿を明らかにしておこう。

まず、(1)司法試験を1次、2次の2回に分割する。法学部卒業レベルの1次試験は、受験回数制限、受験資格等を一切設けず、純粋なロー・スクール受験資格試験とし、一定基準に達した受験者は全て合格とする。次に、(2)1次試験合格者は自らの選択によってロー・スクールを選択する。入学者の選別は入試の実施を含め各スクールの自由とする。したがって、1次試験合格者が全てロー・スクールに入学できるとは限らない。ロー・スクールの設置は、一定の外形基準を満たせば原則自由とするが、修了は司法2次試験への合格を条件とする。2次試験合格者数についても人数制限は行わない。ただし、2次試験の結果は完全にディスクロージャーされ、各スクールは市場による評価・選別を受けることになる。受験回数制限も設けないが、各校の留年状況についてはディスクローズを行う。各校が独自の判断で退学勧奨をすることについても、全ての学年について自由とする。(3)ロー・スクール修了者のうち司法2次試験に合格したものは、各地域の弁護士会に「弁護士修習生」として登録し、最低2年以上の実地修習を行う。(4)弁護士修習の終了後、各弁護士会に登録した時点で公的な法曹資格を認める。裁判官・検事への任官は、最低5年以上の弁護士活動を条件とする。(5)司法修習制度は完全に廃止する。ロー・スクール段階で教育された内容以外で裁判官・検事活動に必要な固有の実務知識の習得は、裁判所・検察の内部研修で行う。

われわれの構想は、(1)できる限り多くの対象に司法試験制度の門戸を公平に開き、(2)人為的な合格人数制限などに依らない、個々人の能力のみによる法曹人の選別を行い得るスキームであり、しかも、(3)能力的にみて不適格な者については、再挑戦の自由を与えつつ、比較的早い時期に司法試験挑戦からの自発的退場を促せる、という意味でも現行制度ないし、日本版ロー・スクール構想案と比べはるかに優れていると自負している。加えて、(4)2年以上の弁護士修習を義務付けることにより、それまで受験勉強に専心してきた法曹希望者に現実社会との接点を与えるとともに、ここでも不適格者の自発的な退場を促すことができる。さらに(5)判事・検事は弁護士経験者のみから選ばれるとした点も、司法の現実社会からの遊離を回避できる有効な手段足り得るだろう。
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