Business & Economic Review 2000年11月号
【OPINION】
「待機児童問題」の解消は、認可保育園の大幅拡充で
2000年10月25日 新美一正
少子化の進行は、育児・教育関連産業に深刻な影響を及ぼし始めている。従来、学習指導・受験対策サービスを中心業務としてきた教育関連業界では、近年、中心業務を子供向け市場から老人介護や社会人再教育などへの成長市場へと急速にシフトさせつつある。多くの私立大学・短大では、来るべき大学全入時代に備え、生き残りを賭けた学科内容の再編や合従連衡が始まっている。ところが、危機感溢れる子育てサービスの世界で、唯一、需要増に供給が追いついていない部門がある。大都市周辺の認可保育園だ。
1999年10月時点で東京都における認可保育園入所待機児童は12,213名いる。入所児童数は同年4月比で3,014名増えたのだが、入所希望児童数がそれを上回るペースで増えた(同3,148名増)ため、待機児童数は4月比で134名増加してしまった。現実には「どうせ入所できない」というあきらめ層がかなり存在することを考えると、潜在的な入所希望児童数はこれをはるかに上回っていると想像される。こうした入所待機児童の累積は、東京都に限らず、大都市周辺の自治体にほぼ共通する問題である。
認可保育園への入所希望児童数は今後も確実に増加するだろう。この背景として「女性の社会進出願望の高まり」という理由が単純に指摘されることが多く、また、それは一面の真実でもある。しかし、こと近年の待機児童急増化問題の要因に注目を集中するならば、女性の自発的な社会進出願望の高まり以上に、「生活防衛のために就業を余儀なくされる」ようになった女性数の急増、という社会状況変化のインパクトの方がはるかに大きい。このことは数字にもはっきり示されていて、97年4月の東京都の調査では、待機児童の母親はフルタイム(週35時間以上就労)の12%に対して、パート(同35時間未満)が46%、求職者が36%と、後2者の比重の方が圧倒的に高くなっている。認可保育園では入所基準の1つとして労働時間の長さを採用しているので、フルタイム勤務者児童の入所が優先されることも、その一因だ。生活防衛のためにパートに出ようとしても、認可保育園への入所は難しい。無認可保育園は質のばらつきが大きく、認可園以上の保育内容を持つところもあることは事実だが、それらの保育料は一般に認可園より高く、パート労働者の保育ニーズの受け皿とはなり得ない。保育料支出がパート収入を上回るようでは、そもそも就業する意義が失われてしまうからだ。勢い、こうした低所得層の保育ニーズは保育料の安い――えてして保育内容の劣悪な――一部の無認可園に流れることになる。待機児童率が全国でも最も高いといわれる神奈川県大和市の無認可園で幼児死亡事件が起きたことは偶然ではない。平均的な所得水準が高いフルタイム勤務世帯が公的補助の手厚い認可保育園を占領し、生活防衛のためやむなく労働市場へ参入しようという低所得世帯が無認可園に流れ、結果的に公的補助から落ちこぼれている現状は憂慮に堪えない。しかしながら、入所基準に所得制限を設けるなどして高所得層を認可園から排除しても、単に育児コストの負担先を付け替えるに過ぎず、待機児問題の基本的な解決にはならない。この問題の本質は、就業動機や就業形態に関係なく、全ての階層がニーズに応じた保育サービスの供給を受けられるような保育体制が、少なくとも大都市周辺では未だ整備できていないという点に尽きる。
こうした待機児童問題の最大の原因が、保育に対する公的支援額の絶対的な不足にあることは、衆目の一致するところである。国・地方を問わず財政事情の悪化する中で、自治体は多額の費用支出を伴う公立園ないし認可園の拡充には及び腰となっているからだ。このことは、昨99 年に国が少子化対策で臨時特例交付金(総額2,000億円)を市町村に割り振ったのを契機に、それら自治体の多くが一斉に保育園の新設・増員に動いたことからも確認できよう。
興味深い資料がある。厚生省が初めて少子・高齢化問題に真正面から取り組んだと評判になった平成10(1998)年度版の厚生白書だ。第3章第5節「地域の子育て支援」の項で保育サービスの問題が取り上げられている。本稿を起こすに当たって読み返し、そしてその内容にいささか驚かされた。白書は「都市部を中心に低年齢児の待機が多い状況にある」(白書p.156)とし、「待機児童の解消は大きな課題である」(同)と認めながら、その対策としては「規制・基準の思い切った緩和・弾力化」(同)、「保育サービスの効率化」(p.162)、「民間主体の活用」(同)、「情報提供・サービス評価」(同)といった、問題の本質とはかけ離れた項目を並べているだけなのである。待機児問題の深刻性ないし緊急性に対する認識は乏しい。さらに白書は、「公営保育所は、多様な保育サービスの実施率が低い」(p.158)、「公営保育所は民営よりも高い費用がかかっている」(同)、「家庭的保育やベビーシッターは、施設型保育より柔軟な対応が可能」(p.160)といった公立ないし認可園を中心とする従来型保育の問題点を並べ立て、「認可保育所以外の保育サービスでは、基本的に利用者の負担により賄われている」(同)と強調したうえで、「保育サービスに対する公的助成のあり方の検討が求められている」(p.162)と結び、保育への公的助成の削減に強い意欲を滲ませるのである。公立・認可保育園は行政の強い指導・監督の下で運営されているから、それらがかほどまでに非効率な運営に陥っているとすれば、厚生省自身の責任も免れないように思われるが、当然ながらそのような自己反省の弁は一切ない。むしろ、来るべき「自立した個人が連帯し支え合える」社会では、保育もまた個々人の自助努力に任せるべきである、といわんばかりである。
もちろん、公立保育園の運営効率向上は重要な問題である。先に挙げた厚生白書の調査によっても、園児1人当たり運営費用は公立と私立とで1.5~2倍以上の差がついている。保育園の運営主体を行政から社会福祉法人等に移管する民営化と規制緩和によって、こうした非効率性の一部は確かに是正に向かうだろう。しかしながら、民営化によって公立保育園の運営コストが大幅に低下し、同じ予算の枠内で大幅な収容人数の増加が可能となるかといえば、首を傾げざるを得ない。保育園運営の綿密な実態調査を行っている前田[1999]がいみじくも指摘しているように、両者のコスト格差は「人件費の差」(同書p.26)であり、それはつまるところ「公・民の給与格差」(同)である。もし民営化推進論者の主張通り、民営化によって収容人数の増加が実現すれば、それに伴って保母・保育士への労働需要もまた高まるので、その他の条件を一定とすれば彼または彼女らの市場賃金率は上昇するはずである。現状の給与格差が永続的に維持されることを前提とした比較静学はミス・リーディングではないか。
また、一部の民営化論者は、こうした主張をさらに推し進めた「保育バウチャー制度」の導入を提唱している。その骨子は全ての保育園の経営を民営とし、運営への公費補助を撤廃、代わって、保育バウチャーを子を持つ全世帯に支給するというもので、公的補助の平等化と「自由選択」を通じて保育園運営の効率化を同時に実現しようという狙いを持っている。
筆者は、保育バウチャー制度の提唱は、少なくとも待機児童問題解消に向けた政策提言としては有効ではないと考えている。以下、その理由を述べよう。
まず、(1)財政面の制約から十分な額のバウチャーを配布することは不可能である。現在、就学前児童数は800万人近くいる。保育所の運営費用を児童1人当たり月額10万円としても、バウチャー配布には1カ月で8,000億円、年間10兆円近い新規財源が必要となる計算だ。このような巨額の給付が早期に実現する可能性はほぼ皆無である。保育を必要としない世帯、幼稚園通園世帯との困難な調整も必要となるだろう。それを怠れば、地域振興券以上の「バラ撒き」だという批判は免れ得ない。
また、(2)保育バウチャーの配布は、限られた保育予算の有効活用という面でも無駄が大きい。実は、保育所の定員充足率は全国的にみればここ数年80%台で安定しており、待機児童問題の深刻化は、実は都市圏周辺部の局地的な問題である。こうした地域的な問題を解消するために、全国的な規模で保育バウチャー制度を導入する必然性は乏しいのではないか。
さらに、(3)認可保育所を中心に行われている現行保育制度を解体するコストもまた甚大である。経営形態の移管やそれに伴うスタッフの移動、あるいは入所保育園の変更、などの予想される事態に対して児童・保護者サイドの不安はきわめて大きいと考えられるからだ。保育制度の全面的な変更は、白紙のキャンバスに筆を走らせるように簡単にはいかない。また、乳幼児は長距離の移動には耐えられないし、選択可能な保育園の範囲は保護者の勤務地ないし居住地近辺に限られるから、「選択の自由」が実現するのはごく例外的なケースに限られるという見方も根強い。とくに「保育移住」が困難な世帯が多数派を占める低所得階層にその恩恵がおよぶ可能性はきわめて低いのではないか
加えて、(4)保育バウチャー制度の導入が本当に選択の自由を可能とするだけの保育サービス業への新規参入を喚起するかといえば、その保証はない。実際、1996年に鳴り物入りで開始されたイギリスの保育バウチャー制度は、早くも翌97年には廃止されてしまった。労働党政府への政権交代という予期せぬ事態があったとはいえ、国民の間に廃止への大きな抵抗が見られなかったのは、一部の在来施設に人気が集中する一方、目立った新規参入の動きはなく、むしろ施設の廃業が相次いで、保護者の「選択の自由」が後退してしまったからである。
あたかも市場メカニズムへの信奉に突き動かされて保育バウチャー制度を提唱しているように見える一部のエコノミストに求めたいのは、以上の疑問点に対する理論・実証両面での説得力ある反論の提出である。
さて、それでは待機児問題に対しどのように対応すべきか。まずは、入所待機児が累積している地域に集中的に公費を投入し、認可保育園を大幅に拡充することが第一である。世界的に見ても、乳幼児の保育を全くの家庭責任にしているのはアメリカ、カナダなどごく少数であり、むしろ近年、行政の関与・費用支出を高めている国が多い。
例えば、ニュージーランドでは、1980年代半ば以降の行財政改革の過程で、就学前教育を事実上、準義務教育化し、財政緊縮下にあって例外的に就学前教育への公費支出を増加させてきた。中~高等教育については同時期に大幅な支出削減が行われたのに対し、就学前教育だけが例外扱いされたのは、構造改革に伴う共働き家庭の急増が乳幼児の保育を家庭の自己責任に委ねることを最早許さない状況に置いたからである。わが国大都市圏の現状と全く同根の現象である。ニュージーランドを構造改革のモデルと仰ぐ自由化論者は多いが――筆者は必ずしもそのような論調には賛同しないが――、彼らが公的負担増を伴う同国の保育の社会化政策について言及することが少ないのはどうした訳か。こうした論者の知的怠慢を指摘しておきたい。
その一方で、限られた予算の有効活用のためには、既存・新設を問わず、認可保育園の運営効率を高めていかなければならない。福祉法人への運営移管による民営化だけではなく、給食施設の共同化、園庭や保母・保育士の人員配置などに関わる公的基準の緩和ないし弾力運用など、保育の質的低下が懸念される措置・施策についても、ある程度は甘受せざるを得ない。保育の質を軽視することは許されないが、認可園と認可外施設とで保育内容に大変な格差がついてしまっている現状を直視すれば、認可園の利用者にいくばくかの譲歩を迫ることは社会的公正に反しないと考えられる。
また、中長期的にみれば、認可園の利用者のうち所得水準の高い世帯については、認可外保育施設への自発的な移動を促進するような施策が必要となろう。保育料の累進制を強化して、富裕層に対しては認可外施設の利用の方が有利な状況を作り、見返りに認可外保育施設利用料に限定された所得控除枠を認めるという政策パックが有効と考えられる。また、企業内保育施設運営などへの公的助成強化も大いに検討に値しよう。認可保育園が拡充されれば、認可外保育施設のうち劣悪な部分は速やかに淘汰されるであろうし、保育サービスに進出をもくろむ民間企業等の主たるターゲットは認可園の保育に飽き足らない相対的富裕層であろうから、認可園と認可外施設との共存は十分に可能であり、限られた保育予算の有効活用という点でも効果が大きいだろう。