Business & Economic Review 2001年11月号
【OPINION】
政府は放送デジタル化の趣旨を国民に周知徹底せよ
2001年10月25日 調査部 メディア研究センター 西正
要約
政府は、放送のデジタル化について、国民への十分な説明もないまま、2011年にアナログ放送を終了させる旨の電波法改正案を通常国会に上程し、6月に可決、成立させてしまった政府が、放送のデジタル化を進める背景には、二つの理由がある。一つは、携帯電話の急速な普及などにより電波の効率的な利用を促進する必要に迫られてきたことであり、もう一つが放送サービスの高度化を実現するためである。
国際条約に基づき各国に割り当てられた電波は、希少な資源であり、その効率的な利用を図るのが政府の責務である。テレビ放送がスタートした50年前には、電波をそこに優先的に配分することに何の問題もなかった。 しかしながら、携帯電話が急速に普及し、さらに新たな移動通信端末が登場し普及していくことが確実となっている現在、テレビ放送にこれまで通り豊富な電波を使用させ続けると、世界的な高度情報化の動きに遅れをとる要因になりかねないと考えられるようになった。放送のデジタル化には一定の期間を要するので、当面は携帯電話のデジタル化を先行させて解決を図っているが、放送のデジタル化により電波の効率利用を実現することが急務となっている。放送をデジタル化することにより、現在のアナログ放送が行われている電波帯が開放されるため、そこを次世代移動通信が使用できるようにするという考えである。
また、放送はデジタル化されることにより、高画質・高音質のデジタルハイビジョン放送、200 前後に及ぶ多チャンネル放送、双方向サービス、移動受信など、アナログ放送ではできなかった多様で高度なサービスが実現する。しかしながら、現状では、国民がそうしたメリットを明確に認識しうるほどサービスが高度化しているとはいえない。それだけでは、政府が放送のデジタル化を急ぐ理由の説得力に欠けることは事実である。
問題は、そうした電波行政の考え方が何ら国民に説明されていないことである。電波の効率的な利用を図ることが急務であっても、その政策を進めるうえで国民が被る負担を無視することは許されない。 デジタル放送が開始されても、即座にアナログ放送が終了することにはならない。デジタル放送が全国的に普及するまでの間、すなわち大半の国民がアナログ放送の視聴をやめ、デジタル放送を視聴するようになるまでの間は、放送局各社はアナログとデジタルの両波で同一の番組を放送すること(サイマル放送)が求められている。
放送のデジタル化を進めるに当たって最も重要なポイントの一つは、サイマル放送の終了時期、すなわち現在行われているアナログ放送の終了時期をいつにするか、ということである。視聴者である国民は、その時期が到来するまでに、現在使用しているアナログ用のテレビからデジタル放送を受信できるテレビへ買い換えておくことが必要になるからである。デジタルテレビの価格は30万円前後と、アナログテレビの10倍程度の水準に設定されている。今後10 年の間に買い換えが進めば、量産効果で価格が下がることも期待できるが、ハードディスク内蔵、もしくはホームサーバーとの接続など、技術革新による機能の高度化が予定されており、アナログテレビの10倍程度という負担の大きさが自然と軽減していくとは考えにくい。高機能化により価格が上昇する分を吸収して、なお低価格化を進めるには、普及の促進を図る政策が不可欠である。
国民の経済的な負担の大きさを考えれば、政府が放送のデジタル化を進めている趣旨を周知徹底するのは当然のことである。ただし、電波の効率的な利用を図るとの理由だけでは、国民の理解が得られるとは考えにくい。国民の理解を得るためには、放送のデジタル化によって国民が被る負担を軽減するよう、政府が積極的な措置を講じていく必要がある。放送サービスの高度化を、国民にとってのメリットとして認識してもらい、かつそのメリットを実現することが不可欠である。多チャンネル放送、ハイビジョン放送、双方向サービス、移動受信など、現在、デジタル放送のメリットとして挙げられているものは、どれも説得力に欠けることは間違いない。これまでは、NHKと民放キー局により、ほぼ独占的に放送コンテンツが提供されてきた経緯にあるが、放送の高度化を実現するためには競争原理の導入が必要である。
具体的には、規制緩和を実施し、放送と通信の垣根を撤廃することにより、放送と通信の融合を促進すべきである。相互参入が解禁になれば、NHKと民放キー局による独占体制は崩れ、提供されるサービスの高度化、低価格化が実現する。テレビ局、メーカー、通信会社のそれぞれが提携し、複数のグループに分かれ競い合うような相関図が描かれるようになれば、市場で勝ち残るためには、国民の新たなニーズを掘り起こすことが必須条件となる。
国民の新たなニーズを生み、事業者がそれに応えるべく競い合い努力して、初めて放送サービスの高度化が実現する。国民が、放送のデジタル化によるメリットを享受したいと考えれば、デジタルテレビへの買い換えも進み、量産化による価格低下が実現する。放送デジタル化にともなう国民の負担を軽減し、かつ高度な放送サービスが受けられる環境を整備することが、政策を円滑に進めるうえで不可欠であると考えられる。
そうした過程を経ることなく、2011 年にアナログ放送を終了させる法改正を行っただけでは、国民は放送のデジタル化の必要性を認識せず、デジタル化によるメリットも実現しない。デジタルテレビへの買い換えも進まない。その状況で、2011年を迎えることになれば、再び法改正が行われ期限を延期せざるを得なくなるに違いない。逆に言えば、そこまでしても、なお国民がテレビの買い換えに応じなければ、再度、放送のデジタル化の是非を検討し直す必要が生じよう。
放送批評懇談会(放送文化の向上に資するため、民放、広告代理店、制作会社が中心となって形成した任意団体)が、2001 年8月に2,500人を対象に行ったアンケート調査によれば、放送のデジタル化について国民の認知度が極めて低いとの事実が明らかになる。まず、2003年から地上波デジタル放送が開始されることについて、「見聞きしたことがある」と回答した人は全体の29.8%にとどまり、残りの70.2 %の人が、「わからない」、「見聞きしたことがない」と答えている。 また、2011年にアナログ放送が完全停波することや、それにともなって現行のアナログテレビが使用できなくなることについても、「見聞きしたことがある」と回答した人は15.4%にすぎない。このアンケート調査は、豊富な情報を得られる環境にある東京近郊在住の人に対して行われたものである。
全国規模で調査を行えば、さらに低い認知度になるであろうことは想像に難くない。 2011年にアナログ放送を停止させようとする政府の狙いは、アナログ放送の終了時点を明示することによって、国民がこの間に、現在のアナログテレビを、デジタルテレビに計画的に買い換えるよう促すことにある。買い換えが進めば、デジタルテレビの価格も低下し、このことがさらに普及を促進させるとの思惑である。
しかし、国民の認知度が低いままで、国民にアナログ放送の終了時点を明示すれば、自然とテレビの買い換えが進むと考えているとすれば、あまりにも楽観的過ぎると言わざるを得ない。
アメリカでは、わが国よりも5 年早く1998 年から地上波放送のデジタル化に取り組んでいる。しかしながら、国民に対して何ら説明が行われることなくデジタル化が進められた結果、開始から3年が経った現在でも、実際にデジタル放送を視聴している世帯数は4%に過ぎない。普及が進まないため、デジタルテレビの価格も下がらず、今になって国民に周知しようにも、既に大多数の国民が関心を示すことすらなくなっているという。
わが国政府が、こうしたアメリカの実態に目を向けることなく、単に5年の遅れを取り戻そうとスケジュール先行型の政策を実施したのでは、アメリカの二の舞いになる。アメリカでは、携帯電話も大半がアナログのままである。わが国のように電波事情が逼迫していないせいもあって、かえって高度情報化が進まない可能性も否定できない。
わが国の家電メーカーは、アナログ時代に世界のテレビ需要を独占していた実績を持つ。パソコンに関しては、インテル、マイクロソフトを擁するアメリカが主導権を握るかたちで世界のIT需要を牽引した感があるが、21世紀に入り、デジタルテレビが次世代のIT 需要を喚起していくことになる可能性が拡大してきた。そのため、新たなIT需要をわが国が先行して掘り起こしていくことができれば、世界市場を視野に入れた経済効果を期待することもできる。
政府としては、まず放送デジタル化の必要性について国民の理解を得るよう努めると同時に、国民にかかる経済的な負担を軽減させながら、放送デジタル化によるメリットを訴求していくべきである。速やかに放送のデジタル化について国民の認知度を高めることが不可欠である。
総務省では、ホームページを開設し、そこで情報開示を行っているが、その程度ではとても全国民には伝わらない。テレビ放送の視聴者に周知させるのであるから、テレビ放送を通じて情報開示をしていくことが効果的であるのは間違いなかろう。公共放送であるNHK の番組を通じて、平易に説明するのも一法ではなかろうか。放送のデジタル化は、国民生活を大きく変えていく可能性を秘めているため、あらゆる手段により国民に説明していくべきである。テレビ局各社も免許事業者としての説明責任が重いことを忘れてはなるまい。その点を考慮に入れて、政府、NHK、民放が一体となって広報活動が行われるべきである。その場合、デジタル化のメリットばかりを強調するのではなく、国民のコスト負担についても明らかにし、的確な判断材料を提供することが必要である。
地上波放送のデジタル化に関して、わが国はスタートでアメリカに5年も遅れたとはいえ、アメリカの失敗を教訓として、きちんと国民に説明したうえで政策を進めていけば、自然と普及のスピードを速め、逆転することも可能である。わが国の得意とするテレビが新たなIT需要の牽引役となり、ひいては経済の活性化に大きく寄与することを期待する。