RIM 環太平洋ビジネス情報 1998年4月No.41
タイの金融システム改革
1998年04月01日 さくら総合研究所 高安健一
はじめに
1997年7月2日にタイが為替制度を事実上の米ドル・ペッグ制から管理変動相場制に変更してから、もうすぐ1年になる。バーツ相場は98年1月を境に落ち着きを取り戻しつつあるが、景気の停滞感はむしろ強まっている。現在、金融セクターの早期再建が、タイ経済の再浮上に絶対に欠くことのできない条件となっている。本稿は、商業銀行を中心とした民間金融機関をめぐる動きを分析することを通じて、金融システム再建への課題を探ろうとするものである。
I.金融自由化と商業銀行
1.経営環境の変化
タイは金融の自由化と国際化を積極的に推進してきた。80年代後半に着手された金融改革は、90年代に入ってから、「第1次金融開発3ヵ年計画」(90~92年)、「第2次金融開発3ヵ年計画」(93~95年)、「金融制度開発計画」(95~2000年)に基づいて、着実に行われてきた(注1)。しかしながら、そのタイがアジア通貨危機の震源地となってしまったのである。タイのケースは、国際資金移動の活発化をはじめとして国際経済環境が大きく変化する時代に、発展途上国が金融システム改革を実施することの難しさを改めて示した。
発展途上国が金融危機に見舞われることは、決して珍しいことではない。最近の例では、94年12月に発生したメキシコ通貨危機が記憶に新しい。タイも80 年代前半に通貨危機に直面した経験を持つ。今回のタイのケースで特徴的なのは、金融の自由化と国際化が進み、国際資金移動が活発化する中で、地場の商業銀行の活動が資金の調達と運用の双方で大きな影響を受けたことである。
2.対外借入の増大
90年代に入り、海外から資金を容易に調達できるようになったことが、商業銀行の資金の調達と運用に大きな影響を与えた。金融当局は、商業銀行による海外資金の借り入れを緩和するとともに、93年にオフショア市場であるBIBF(Bangkok International Banking Facilities)を設立した。
これを契機に、商業銀行が海外からの資金調達を増大させたことから、負債総額に占める対外負債の比率が急上昇した。表1は、90年から97年9月までの商業銀行の負債構造を示している。最大の資金の調達先である政府以外の預金(企業部門、家計部門、非金融公的企業、その他金融機関)の比率は92年に 75.7%に達していたが、97年9月末には57.1%にまで低下した(注2)。他方、対外負債は同期間中に6.6%から23.8%へと大きく伸びている。そして、BIBF経由にせよ、海外での起債にせよ、商業銀行は、タイ国内の預金金利よりも低いコストで外貨を調達できたことから、バーツが米ドルに対して事実上ペッグされている状況下で、調達した外貨を積極的に国内貸し出しに振り向け、利鞘を確保するようになった。表2は、流動性比率(貸出額/預金額)の推移を示している。流動性比率は90年以降100%を超えており、海外から調達した資金なしでは国内の資金需要が充足されない状態になっていることを示唆している。
さらに、商業銀行が海外から資金を積極的に調達するようになったことは、資金のアベイラビリティのみならず、国内金利の水準にも影響を及ぼした。すなわち、90年代初頭までは、流動性比率が100%を超えて資金需給が逼迫すると、金利が上昇に転じていたが、海外からの資金流入の活発化を受けて金利に上昇圧力が加わりにくくなったのである。
3.貸出先の変化(注3)
(1) 分野別貸出残高
それでは、商業銀行は国内のどのセクターにどれだけの資金を供給したのであろうか。表3は、商業銀行の貸し出しを分野別にまとめたものである。これによると、90年代に入ってから、製造業、建設業、銀行・その他金融業、個人消費(住宅等)、サービス業などのシェアが拡大する一方で、農業、不動産業、商業(輸出、輸入、小売業)などはシェアを漸減させた。バブル発生との関係で注目される不動産部門への貸し出しは、80年代にシェアを急拡大させたものの、中央銀行が商業銀行に対して不動産部門への貸し出しを制限する規制を打ち出した影響もあり、90年以降シェアは漸減した。また、タイの不動産開発のピークは 94年で(中銀は94年に不動産融資規制を導入)、95年以降は不動産の供給過剰が表面化し、新規の建設が減少に向かったことも影響している。さらに、中銀が95年3月に公定歩合を1%引き上げ、景気過熱とインフレの抑制を目的とした金融引締め政策に転じたことも不動産部門の資金需要の拡大を抑制したと考えられる。
このように、シェアでみると不動産バブルに関連する分野への貸出比率は伸びていないが、92年末から97年6月末までの間に商業銀行の貸出残高は総額で 2.3倍、不動産部門への貸出残高は1.7倍の増加をそれぞれ記録した。さらに、商業銀行の系列のファイナンス・カンパニー(FC)などを通じた不動産部門への資金流入や、不動産部門とは直接関係のない部門に流れた資金が間接的に不動産部門に流入したことも考えられる(注4)。
(2) タイ企業の外貨建て負債
次に、やや視点を変えて、タイ国内の企業が海外から外貨建てで調達した資金がどのような分野に流入したのかをみてみたい。サイアム商業銀行の集計によると、タイの民間企業の外貨建て負債残高は、97年9月末時点で713億ドルに達している(表4)。これは、96年の名目GDPの39%に相当する。合計欄を見ると、建設、金融・証券、不動産開発など、不動産バブルと直接的に関係するセクターの外貨建て負債は合計で136億ドルに達し、全セクターの19%を占める(96年の名目GDPの7.3%)。この3部門への資金流入が不動産バブルの引き金となったか否かを正確に判断することは難しいが、少なくともかなりの規模の資金流入があったといえよう。
表4 タイ企業の外貨建て負債残高(97年9月末時点、商業銀行は除く)
(単位:百万米ドル、%社数)


(注)
1.バーツ建て対外債務は除く。
2.その他は、タイ産業金融公社(IFCT)、ファクタリング会社、ハイヤーパーチャスなどを含む。
(出所)Siam Commercial Bank 資料
4.外国銀行の動向
タイの外国との資金交流を考える際に、外国銀行の役割は大きい。国際決済銀行(BIS)によると、タイはアジアで韓国に次いで最も先進国銀行からの借入額が大きい国である(97年6月末時点で694億米ドル)(注5)。貸し手の銀行の国籍を見ると、日本377億米ドル(54%)、ドイツ76億米ドル(11%)、フランス51億米ドル(7%)、米国40億米ドル(6%)、英国28億米ドル(4%)の順となっている。
また、93年に開設されたオフショア市場でも、外銀は重要な役割を果たしてきた。外銀は97年末時点で9,588億バーツの貸し出しを行っており、タイの地場商業銀行の5,455億バーツを大きく上回っている(表5)。96年にバーツ建ての業務が取り扱えるフルブランチの免許と、BIBF銀行の新設免許が外銀に新規に交付されるなど、外国との資金交流や成長資金の供給における外銀の役割は着実に高まってきた。
しかしながら、97年7月に通貨危機が発生して以降、歯車が逆転した。他のBIS統計によると、先進国銀行のタイ向け融資残高は、97年第2四半期に2億 7,400万ドル、第3四半期に104億9,600万ドルの減少をそれぞれ記録した。この結果、97年9月末の融資残高は、872億8,900万ドルとなった。(注6)
5.商業銀行の収益構造
金融の自由化と国際化は、商業銀行の収益構造にどのような影響を及ぼしたのだろうか。大手商業銀行は、(1)金融当局による競争原理の導入(金利自由化、業際規制の見直し、外国銀行の支店開設など)、(2)優良企業による内外の資本市場での資金調達(直接金融)、という2つの環境変化に直面した。そして、大手商業銀行は経営の近代化に積極的に取り組むとともに、非金利収入の拡大を業務推進の柱として掲げた。具体的には、証券業務、M&A(企業の合弁・買収)、国際業務の強化、ATMや情報通信ネットワークの整備などが推進された。
しかし、非金利収入の拡大は順調には進まなかった。表6は、地場銀行の総収入と総支出の推移を、91年から96年について整理したものである。92年以降、業際規制が緩和されたのを受けて、商業銀行は上位行を中心に非金利収入の拡大に取り組み、93年と94年には前年比10%を超える伸びを達成した。しかし、その後は停滞し、96年の伸び率は前年比で微減、総収入に占める非金利収入の比率は8.6%に低下した(注7)。
もとより、非金利収入にかかわる事業を育成するには、かなりの投資を要する。最大手のバンコク銀行でさえも、資産規模でみると世界第109位であり(注8)、投資余力は大きくない。多角化路線を積極的に進めたバンコク商業銀行は経営に行き詰まり、中央銀行の管理下に置かれた。
結局のところ、金融の自由化と国際化は、直接金融の発達、顧客ニーズの多様化、金融機関相互の競争などへの対応を促したものの、収益基盤が強化されないまま、資産の積み上げによる利益追求が行われたといえよう。
また、上位行と中下位行の体力格差が90年代に入って拡大した可能性がある。表7には、96年時点の基本的な経営指標が示されている。純利益/資産、純利益/自己資本、一株当たり純利益、従業員一人当たり純利益、支店当たり純利益などの経営指標を見ると、上位4行と中下位行の格差が大きいことがわかる。
II.通貨危機の商業銀行への影響
それでは次に、タイ経済が変調の兆しをみせ始めた96年中頃から98年3月までの間に、商業銀行を取り巻く経営環境に生じた変化を整理してみたい。
1.経営環境の悪化とFCの経営不安
96年中頃を境に、タイ経済の先行きに不透明感が広がった。経済成長を牽引してきた輸出が96年に前年比で1.3%の減少(米ドル建て)に転じるとともに、同年の経常収支赤字は名目GDP比で7.9%に拡大した。さらに、96年4月に発覚したバンコク商業銀行の経営破綻、不動産の供給過剰の深刻化、株価低迷など、外為市場でのバーツ売りの動きなど、商業銀行をめぐる経済環境は悪化した。
97年に入ると、ファイナンス・カンパニー(FC)の経営不安が表面化し(注9)、金融システム全体の信認が著しく低下した。中銀は97年3月初め、経営を改善すべきFC10社の名前を公表すると同時に、それ以外のFCの経営に問題はないと宣言した。ところが、6月27日に中央銀行は、経営状態の悪いFC16社(3月に名前を公表した10社を含む)の営業停止を発表した。その際に中銀は、これ以上営業停止措置の対象となるFCはないと宣言したにもかかわらず、8月4日になると新たに42社のFCの営業停止を発表したのである。
2.バーツ切り下げの影響
97年7月2日のバーツ切り下げ後、商業銀行の経営環境は急速に悪化した。まず、外貨建て負債を抱えている商業銀行の返済負担は一気に膨らんだ。加えて、貸出先の企業も、多額の外貨建て借り入れを、為替リスクをヘッジせずに保有していたことから、経営が大きく圧迫された。バーツ相場を維持するために実施された高金利政策は、国内景気の減速と不動産市況のさらなる悪化をもたらした。国際金融市場では、信用力が急速に低下したことから、商業銀行は外貨建ての短期借り入れのロールオーバー(借り換え)に奔走することとなった。
バーツ危機が発生してから、いわゆる質への逃避が顕著になり、経営状態の悪い金融機関から上位行や外国銀行への預金シフト、およびドル資産の選好が広まった。97年末の預金動向をみると、中下位の商業銀行のうち3行が前年末よりも残高を減らした一方で、上位行は残高を大きく増やした(注10)。タイは、実体経済の悪化が金融機関の貸し渋り(クレジットクランチ)を誘発し、貸し渋りが実体経済のさらなる悪化を招くという悪循環に陥った。
タイ経済の落ち込みは予想を大きく上回るものとなった。タイ政府とIMFは、97年8月に合意した経済再建プログラムの中で(表8)、97年の実質経済成長率を2.5%と見込んでいたが、実際にはマイナス0.4%となった(推定値)。同じく97年8月時点で3.5%と見込まれていた98年の成長率は、98 年2月に作成された経済再建プログラム(第2次修正)では、マイナス3~マイナス3.5%へと大幅に下方修正された。
こうした経営環境下、商業銀行の収益は急激に悪化した。97年の純利益は軒並み96年の水準を大きく下回ったばかりか、6行が赤字に転落した(表9)。とりわけ、景気の悪化に伴う資産の劣化と、不良債権処理のための引当金の計上が経営の足を引っ張った。
III.加速する金融システム再建策への動き
このように、実体経済の悪化、金融システムの弱体化、商業銀行の経営悪化が進展する中で、政府は97年から98年3月にかけて、金融システム再構築のために次のような対応を実施してきた(表10)。
1.既存の処理機関の利用
金融機関が経営不振に陥った際に金融当局は、商業銀行に関しては倒産した場合の影響が大きいことから、公的資金の導入や、経営者(華僑ファミリー)の更迭、他金融機関との吸収合併などを実施することにより、救済してきた(注11)。他方、FCについては、倒産した場合の影響が小さいことや、預金者が自己責任においてFCが提供する高金利商品を購入していること、為替決済などの決済リスクが小さいことなどから、多くを閉鎖してきた経験がある。
預金者保護機関および破綻した金融機関を再建する役割を担ってきたのが、85年に中銀内に創設されながらも、独立した機関としての性格を持つ金融機関開発基金(Financial Institution Development Fund:FIDF)である。FIDFは最後の貸し手(lender of last resort)として救済資金を提供するとともに、経営陣の入れ替えや、救済合併を指導してきた。
ところが、現在、金融危機への迅速な対応が求められているにもかかわらず、FIDFに預金・債権を保護するのに十分な資金があるかが疑問視されている。8月4日にFC42社を営業停止にした時点で、政府は営業を継続しているすべての銀行とFCについて、その預金と一般債権の全額を保証することを宣言した。ところが、中央銀行が98年3月3日に発表したところによると、閉鎖したノンバンク58社への4,300億バーツを含め、FIDFの貸付額はすでに1兆バーツに達しており、しかもその多くが回収不能に陥る危険性があるという。FIDFは財政基盤を強化するために、商業銀行からの拠出金(contribution)の増額や(注12)、政府保有株の放出、政府保証債での資金調達、中央政府の財政支援などの措置を検討・実施してきた。
また、政府は97年3月に、不動産融資管理機構(Property Loan Management Organization;PLMO)を発足させることを決定した。これは、金融機関が保有している不動産を担保とする問題融資のうち、一定の要件を満たしているものを、市場価格で買い取るものである。買い取りに要する資金は、政府保証債の発行によって調達するものとされる。しかし、資本金が小さい上に、大蔵省の債務保証の対象となる債券や短期証券発行の発行限度額が資本金の12倍に制限されているため、資金的裏づけに乏しい。PLMOはほとんど活用されなかったが、政府は98年に入ってから、閉鎖されたFCの資産売却に際して、資産価格の下落が生じることを未然に防ぐために、PLMO資金調達ベースを強化した上で活用する方針を固めた。
2.包括的金融再建策
「包括的金融再建策」が97年10月14日に大蔵省と中央銀行から発表された。これは、IMFや世界銀行と協力して作成したもので、2000年までに金融システムを国際標準に近づけることを目標としたものである。また、包括的金融再建策の発表に際して、不良債権処理のための道筋と、金融機関の不良債権を処理するために公的資金を投入する方針が打ち出された。
FCを中心とする金融機関が抱える不良債権問題を早期に処理し、金融システムを再構築するために、金融再建庁(Financial Restructuring Authority;FRA)と資産管理会社(Asset Management Company;AMC)が新たに設立された。FRAの業務は、(1)資本金が不足している金融機関や資金繰りが苦しい金融機関に合弁や増資などを命令すること、(2)預金と債権を保証すること、(3)支払システムの安定のための金融機関への出資などである。また、FRAは、金融機関に対する外資の出資制限を緩和する権限や役員を指名する権限を与えられているのに加え、問題を抱えている金融機関の資産を一般入札にかけて売却処分することができる。
FRAは、97年8月4日時点で営業停止になっていた58社のFCに対して再建計画(Rehabilitation Plan)の提出を求め、その評価を行った。評価の際にFRAが重視した基準は、(1)資本金を必要な水準へ増強できるか、(2)流動性管理に必要な資金を調達できるか、(3)FIDFに対して借入資金を返済する能力があるかという点であった。そして、FRAは世界銀行やIMFと密接に連絡を取りながら、 11月末に56社のFCの閉鎖を大蔵省と中央銀行に対してリコメンドしたのである(注13)。
他方、AMCの役割は、経営が破綻した金融機関の資産の買い取りと管理・売却である。 AMCは、FRAが実施する一般入札で売却できなかった資産を買い取るのに加えて、FIDFが出資し、管理下に置いている金融機関の不良債権の買い取りも行う(注14)。
3.金融機関に対する規制の強化
金融システムを改革するには、不良債権処理のための機関の設立に加えて、金融機関に対してどのような規制を課すのかという点も重要である。金融当局は、IMFなどと密接な連絡を取りつつ、商業銀行の経営の健全性を確保するための経営指標の導入・強化を図っている。主要なポイントは、次の通りである。
1. 不良債権(non- performing loan)の定義は、98年1月より延滞期間12ヵ月以上から6ヵ月以上に変更されたが、98年7月からは米国並みの3ヵ月以上へ変更される予定。ただし、適切に評価された担保は、引当金の規模を決める際に債権から控除することができる。
2. これまでの商業銀行が貸し倒れ引当金を積む必要のなかった通常債権についても、Passについては1%、Special Mentionについては3%の貸し倒れ引当金を計上しなければならない(表11)。
表11 商業銀行の公表不良債権比率 (98年3月31日発表)

(注)
1.債権の分類について、Passは、デフォルトに陥る可能性がない債権。Special Mentionは、デフォルトに陥る可能性は低いが、問題が解決されない場合、借り手の支払い能力が低下する可能性がある債権。Substandard は、問題が解決されない場合、金融機関が損失を被る可能性があるもの。借り手の能力が不確実で、金融機関への返済原資(source of repayment)を、担保に依存するもの。Doubtfulは、Substandardより内容が悪化した債権で、full repaymentが期待できないもの。Lossは、元利の支払いが滞っているもの。
2.貸し倒れ引当金は、98年以降、2000年までに段階的に積み増される予定。
3.担保評価のガイドラインは、98年中にタイ中央銀行から発表される予定。
(資料)Bank of Thailand資料より、さくら総合研究所作成
3. 商業銀行の自己資本比率規制は12%に引き上げられる。うち、基本的項目(the first tier equity)は、9.5%以上。中央銀行は、商業銀行に対して、自己資本の増強を求めており、増資の実施を促している。他方、金融機関救済に外国の資金を活用するために、金融機関に対する外国人出資比率に関する規制が緩和され、49%を超える株式の取得が可能になった(ただし、10年後には49%以下になっていなければならない)。FCについても、49%を超える出資が認められるようになったのに加えて、97年11月に株式持ち合いの比率が10%から 49%に引き上げられた。
タイ政府は、第3次借り入のために98年2月にIMFに提出した趣意書(レター・オブ・インテント)の中で、金融システム再建への道筋を明らかにした。その主なポイントは以下の通りである(カッコ内は実施期限)。
1. 2000年末までに、不良債権の定義や貸し倒れ引当金に関する規制を国際標準に近づけるためのガイドラインおよびスケジュールを公表(3月31日)。
2. 閉鎖されたFCの優良資産の売却に参加するラタナシン銀行(The Radhanasin Bank)の開設と、役割などの明確化(3月31日)。
3. FIDFの見直し(FIDFの新しい政策枠組みと政府保証債の発行)(98年4月30日までに方針決定)。
4. 98年1~2月に国営化された4行の商業銀行についてリストラ・民営化方針を作成(98年6月末)。
5. 銀行のリーガル・フレームワークと監督の見直しを、世界銀行とIMFの支援を受けて進める(98年6月)。
6. 商業銀行については8月15日までに、FCについては9月15日を期限に、増資を中心とする経営再建計画をまとめさせ、中央銀行と覚え書きを交わすように求める。98年中に増資を完了。
7. 新たなプルーデンシャル規制(親近者への融資および外国為替のエクスポージャーを含む)を発表(98年12月末)。
8. ディスクロージャー、監査などの強化(98年12月末)。
9. FRAが閉鎖が決まったFC56社の資産処分を完了(98年12月末)。
IV.商業銀行の対応
それでは次に、こうした厳しい経営環境の下にあって、商業銀行はどのような対応を見せているのだろうか。97年は12月にFC56社が閉鎖されるなど、FCを中心に金融システムの再構築が図られた年であった。98年に入ってからは、商業銀行の経営再建に向けた動きが活発になっている。前掲の表9は、商業銀行をめぐる最近の動きをまとめたものである。商業銀行15行は、基本的に自力で体力を回復できる銀行、外国の金融機関の支援があれば立ち直れる銀行、自力での経営再建が難しく政府の管轄下に置かれる銀行の3種類に分かれてきている。
ほぼすべての銀行に共通する経営基盤強化手段は増資である。タイ政府が98年2月にIMFに提出した第3次借り入れのための趣意書の中で、金融機関の体力増強(自己資本の強化)を強く打ち出したことから、商業銀行に増資を実施する動きが広がった。消極的な姿勢を示していたバンコク銀行も3月に増資を実施する方針を打ち出し、3月末現在、ほぼすべての商業銀行が、増資を実施したか実施することを決定した状況にある。また、各行は、97年決算において貸し倒れ引当金を大量に積み増した。
また、増資にあたっては、国内に有望な引き受け手が見当たらないことから、外国の金融機関に引き受けてもらうケースが増えている。バンコク銀行、タイ農民銀行、サイアム商業銀行、ナコントン銀行などは、外国人出資比率を引き上げた(ただし、これら4行は、今のところ外国人持ち株比率を過半数未満に抑える方針である)。他方、外国の金融機関が株式の過半数を獲得するケースとして、オランダのABNアムロ銀行が株式の75%を取得したアジア銀行と、ディベロップメント・バンク・オブ・シンガポールが50.27%の株式を取得したタイ・ダヌ銀行がある(注15)。
さらに、自力での経営再建が困難な商業銀行4行が国有化された。政府は、98年1~2月に、経営再建に失敗したバンコク・メトロポリタン銀行、サイアム・シティ銀行、バンコク商業銀行、ファースト・バンク・シティ銀行の4行を国有化した(注16)。 98年中ごろをめどに、それら4行の最終的な処理(政府は、早期に民営化する方針である)が決まる予定になっている。
外国の金融機関がタイの商業銀行の経営に参加することは、経営基盤の強化や金融技術の導入に寄与しよう。しかし、その一方で、外国金融機関の影響力が大きくなることも考えられる。タイは、80年代後半から急速に金融の自由化と対外開放を推進してきたものの、外国の金融機関の進出については抑制してきた。金融当局は、78年にドイツ銀行にバーツを用いた業務ができるフルブランチの免許を交付して以降、96年11月に新規に免許を交付するまで、実に18年間にわたって外銀の国内進出を制限してきた。ところが、皮肉なことに、今回の通貨危機により、外国の金融機関の国内市場での影響力が大きく高まったのである。
また今後、海外との資金交流のパイプが外国の金融機関に握られることになろう。タイの商業銀行は90年代に入り、急速に国際化を進め(表12)、インドシナ諸国や中国を中心に拠点を拡充してきたが、通貨危機を契機に海外拠点を整理・統合する動きが広がっている。さらに、通貨危機が発生してからは、短期的には、信用力の低下からタイの商業銀行の外貨獲得能力が著しく低下している。
他方、現在存続しているFCや他の金融機関についても、今後再編が加速することが予想される(注17)。FC同士の合併、外国の金融機関による買収、大手ファイナンス・カンパニーによる銀行免許の取得もあり得よう。最終的にFCの数は10社程度になるとの見方もある。また、商業銀行によるFCの株式所有比率の引き上げは、FCの財務体質の強化につながるが、一方で新たな経営支配や寡占を招く恐れもある。
V.今回の通貨危機・金融危機の教訓
今回の通貨危機および金融危機から、どのような教訓を得るべきなのか、ここでは、金融当局、IMF、外国の金融機関および政府という3つの観点から考えてみたい。
1.金融当局の対応
政府の不適切な対応は、通貨危機を引き起こす原因の一つとなったばかりか、金融システムの弱体化を招いたといえる。特に、中央銀行の政策に批判が集まっており、97年12月に「7人委員会」が設置され、その政策の評価と新しい政策決定メカニズムの在り方が議論されている。金融機関の情報開示が不十分で金融市場の透明性が確保されていない場合に、金融当局に強い権限を付与し、金融機関を指導する必要性があることは否定できない。しかし、そうした場合でも、金融当局の行動を監督する機関を別途、設置しておく必要がある。中央銀行の対応で問題視されているのは次のような事柄である。
1. 96年に経営悪化が表面化したバンコク商業銀行の救済に多額の公的資金が投入されたが、誰が、どのような権限に基づいて実施したのかが不明。バンコク商業銀行の旧経営陣の責任追及が不十分。
2. FCを救済するために多額の公的資金が投入されたが、誰が、どのような権限に基づいて実施したのかが不明。
3. 中央銀行は外国為替市場で、多額の介入を実施するとともに、大量の先物取引を行ったが、誰がどのような権限に基づいて実施したのかが不明。
4. 97 年3月3日に、中央銀行は、経営不振に陥っているFC10社の名前を公表し、他のFCの経営に問題はないと宣言したにもかかわらず、6月27日に16社の営業停止を発表、さらに8月4日には58社を営業停止にした。また、6月に16社のFCを営業停止にした時の選定基準が不明確。
他方、このように金融当局の対応に問題があったものの、商業銀行の健全性維持のための制度変更が一通り実施されていたことも確かである。その例として、(1)商業銀行への自己資本比率(capital-to-risk-asset-ratio)の導入(93年当初7%、その後、94 年7.5%、95年8%、97年8.5%へと強化)、(2)商業銀行に対する外貨借り入れ、外貨融資規制の強化(94年)、(3)FCに対する自己資本比率の適用(94年)、(4)不良債権準備率規制の強化(94年)、(5)商業銀行に対して期間1年未満の対外借り入れについて、7%のキャッシュ・リザーブを中央銀行に積むことを要求(96年)、(6)財務内容の透明性を高めるための不良債権状況の公表を義務づけ(97年)、などが指摘できる。ただし実際には、こうした「一般的」な規制で制御できないほど、国際資金移動が活発化する中で、金融の自由化と国際化を急速に推進することは危険なことであった。
2.IMFの対応
バーツ切り下げ後、IMFをはじめとする国際金融機関がタイの金融システムの再建に深く関わるようなった。IMFの役割と政策に関しては様々な議論があるが、ここでは評価すべき点と改善すべき点という観点から整理してみたい。
IMFが表舞台に登場する以前、すなわち97年6月までのタイ政府の対応は、前述のように金融システムへの不信感を増幅させるものであった。IMFが前面に出てきてからは、誰が、どのような権限に基づいて意思決定を行い、どのようなスケジュールに沿って、何をしなければならないのかが明確になった。このほかにも、(1)国内の金融システムを国際標準に近づけるという目標が掲げられた、(2)不良債権の処理と金融機関の健全化を短期間のうちに推進するための機関やスケジュールが構築された、(3)国際金融機関から金融システムの整備に必要な資金と知的支援が獲得できる、 (4)国内の政治圧力に左右されにくい意思決定が可能になる、などの効果が指摘できる。
他方、改善すべき点として次の3点を指摘したい。第一に、急激な制度変更が経済の混乱を助長している。金融システム改革の目的は、規制の国際標準化を達成することではなく、効率的な資金の調達と運用を実現することにより、経済成長を実現することである。特に、商業銀行に課されようとしている不良債権や貸し倒れ引当金の新規定(表11)は厳しすぎる。基準を緩和するか、達成期限を延期すべきである。金融当局の検査能力の向上や検査内容の充実、情報公開の促進、外貨建て負債のリスク管理などの一層の徹底により、商業銀行の健全性の向上と維持を図るべきである。
前述のように、98年の実質経済成長率は、マイナス3%~マイナス3.5%と予想されており、タイ経済は不況のただ中にある。他方、経常収支は予想以上のペースで改善しており、98年には黒字幅がGDP比3.9%に達すると見込まれている。タイ経済は貯蓄超過の状態にあるが、それがうまく生産活動に結びついていない状態にある。
第二に、緊縮的な財政金融政策の転換である。98年2月に、タイとIMFは98年度の財政収支について、名目GDP比1%の黒字達成を義務づけていたのを、同2%の赤字に変更することで合意した。しかし、これは財政拡大路線へ転換したというよりも、景気低迷下での歳入不足の結果としての財政赤字拡大を容認した側面もあろう。
また、IMFは高金利政策の見直しを見送り、為替相場がより現実的な範囲で安定した時点で金利を引き下げるとしてきた。IMFは現状、他の国々との間での競争的な通貨切り下げの防止を第一に考え、高金利政策を維持しようとしている。高金利政策は実体経済の回復を遅らせるばかりか、金融部門のリストラ・コストを引き上げてしまう。バーツ相場が落ち着いてきたこともあり、高金利政策を早急に転換すべきである。
第三は、問題の発生を早い段階でキャッチする早期発見システムの整備である。金融システムの再構築および信認の回復を、当該国の金融当局が実現できない場合には、IMFをはじめとする国外の力に依存するしかない。しかし、金融システムのシステミック・リスクが懸念されるようになった段階でIMFが登場すると、IMFプログラムの副作用は大きくならざるを得ない。
3.健全な金融システム改革に向けて
金融機関はしばしばモラルハザードに陥り、リスク負担能力を上回る貸出残高を保有してしまう(その裏返しとして、資金の借り手は返済能力を上回る借り入れ残高を持つ)。発展途上国においては、(1)政府がいざという時に救済してくれるという甘えが金融機関にあること、(2)特定のファミリーが経営権を所有している場合に経営のチェックがおろそかになること、(3)金融の国際化、金融技術革新などに経営体制が追いつかないこと、などがモラルハザードが生じる要因として挙げられよう。タイでは、中央銀行と大蔵省が経営不振に陥った商業銀行を閉鎖することなく救済してきたのに加えて、地場の商業銀行15行のうち 11行の経営権をファミリー(96年時点、表7)が握るなど、モラルハザードが起きやすい土壌があった。また、前述のように非金利収入が伸び悩んだり、リスク管理に問題があるなど、経営の近代化が遅れている。
今回、商業銀行再建の過程で、経営陣の退陣や国営化を含むかなり厳しい措置が取られたことから、公的機関が救済してくれるとの甘えは薄れよう。また、金融システム改革が一段落した時点で、FIDFの救済対象の範囲を狭めることが、モラルハザードの抑制に役立とう。また、商業銀行の経営不振を招いたオーナー・ファミリーの多くが、経営陣の座を追われたり、株式の保有比率を大幅に低下させた。外国の金融機関の経営参加により、経営の近代化も期待できる。
このように、モラルハザード再発の芽は摘まれつつあるが、商業銀行の健全性を維持するためには、対外借り入れ為替リスクにかかわるガイドラインを明確にしておく必要がある。負債総額に占める対外借り入れの比率や、外貨建て借り入れのヘッジ比率に関する規制をより厳密にすることが有益であろう。また、短期借り入れの長期貸し出しという期間のミスマッチを改善するには、債券市場をはじめとする国内金融市場を整備し、期間の長い資金の調達手段を商業銀行に提供する必要がある。
バーツ危機ならびにその後の展開は、国際資金移動の活発化をはじめとして国際経済環境が大きく変化する時代に、発展途上国が金融システム改革を実施することの難しさを改めて印象づけた。タイの金融制度は2000年の段階で、かなり国際標準に近づいたものとなっているはずである。これからは、各種の規制が適切に運用されるのか、金融に携わる人材が供給されるのかといった点が注目されてこよう。
おわりに
最後に、日本の役割について若干触れておきたい。まず、通貨危機が発生してから、日本はタイに対して、97年8月に組成された金融支援パッケージ(40億米ドル相当の資金を提供)、日本輸出入銀行などを活用した輸出促進のための資金供給を積極的に行ってきた。しかし、これまで述べてきたように、タイの金融システム再構築のシナリオは、すでにIMFや世界銀行の手で描かれ、決められたスケジュールに沿って行われてきた。アジア諸国に対する日本の金融分野における知的支援の必要性が指摘されて久しいが、タイに関してはすでにレールが敷かれており、今後日本が入り込む余地は小さいように思える。しかし、IMFの政策の問題点については積極的に指摘すべきである。
また、通貨危機が発生してから、アジアの米ドル依存体制の欠陥を指摘するとともに、円の国際化を推進すべきとの議論がある。しかし、現実にはアジアにおけるドルの地位は圧倒的(表13)であり、円が入り込む余地は小さいように思える。日本としては、円の国際化よりもアジア諸国が再度通貨危機に陥ることがないように、金融分野における知的協力を推進することを対アジア通貨政策の最重要課題とすべきである。
注
1. 90年代に入ってからのタイの金融自由化については、Takayasu(1995、1997)参照。
2.
3. ファイナンスカンパニー(FC)による不動産部門への貸し出しも、不動産バブルを招いた要因として挙げられる。しかし、FCについては海外借り入れに規制が加えられていたことから、負債総額に占める対外負債の比率は、92年6.0%、97年8月7.1%とほとんど変化していない(ただし、対外負債残高はこの間に2.9倍増)。また、商業銀行が系列のFCの増資に、海外から調達した資金を充当したことも考えられる。
4. タイの地場商業銀行と外銀を合わせた資産残高のうち、外銀が占める比率は8.4%に過ぎず、国内貸し出しのほとんどが地場商業銀行によって行われている(96年末時点)。
5. BIS, The Maturity, Sectroral and Nationality Distribution of International Bank Lending, First Half, 1997.
6. BIS, International Banking and Financial Market Developments, February 1998.
7. 97年については、外為手数料の増大などにより、非金利手数料は前年比プラスとなった。
8. 「The Banker」誌、97年7月号。
9. タイの民間金融機関(96年末時点)は、大きく商業銀行(15行)とファイナンス・カンパニー(FC、91社)に分けられた(98年3月末時点で営業しているFCは35社)。FCは商業銀行と異なり、資金調達手段として預金を受け入れることができない代わりに、約束手形(プロミサリー・ノート)を発行する。また、FCの多くは証券業務を営むとともに、利鞘の確保できる不動産部門へ積極的に資金を貸し出したとみられる。FC91社の資産規模は、商業銀行15行の約5分の1である。商業銀行や外国金融機関の系列に属するFCも多い。
10. 98年2月4日付け「Bangkok Post」紙。
11. アジアトラスト銀行、ファースト・バンコク・シティ銀行、サイアム・シティ銀行、バンコク商業銀行などの例が過去にある。
12. 商業銀行のFIDFへの拠出金は、97年に預金額の0.1%から0.2%へ引き上げられた。98年には、預金額と借入額の合計額の0.4%へ再度引き上げられる。
13. 閉鎖を免れたFC2社は、98年3月に営業再開を認められた。これで、営業中のFCの数は35社となった。
14. 閉鎖されたFC56社の優良資産(good assets)の売却に参加する目的で、98年1月に設立された政府全額出資行であるラタナシン銀行が3月16日に開業した。
15. 米国のシティバンクはファースト・バンコク・シティ銀行の買収を検討していたが、98年2月に断念した。
16. 98年3月24日に、タイ産業金融公社(IFCT)は、バンコク商業銀行の株式を51%取得することを表明した。
17. 例えば、フランスのソシエテ・ジェネラルによる中堅FCであるアジア・クレジットの株式51%の取得、台湾のチャイナ・デベロップメント社による中堅証券会社であるバンコク・ファースト・インベストメント・アンド・トラストの株式62.5%の取得、台湾のKGインベストメント・グループによる証券最大手のセキュリティ・ワンの株式51%の取得などが挙げられる。
主要参考文献
1. 奥田英信、三重野文晴「タイの金融自由化過程における銀行業の生産・費用構造の変化」(アジア経済研究所『アジア経済』1997年6月号所収)
2. 田坂敏雄『バーツ経済と金融自由化』御茶ノ水書房1996年
3. Bhanupong Nidhiprabha, Recent Development in the Thai Financial Sector: Lessons (A Paper Presented at the 1977 National Outlook Conference of Financial Stability for Economic Growth, Organized by Malaysian Institute of Economic Research, Kuala Lumpur, December 2-3, 1997).
4. Bhanupong Nidhiprabha, Recent Development in the Thai Financial Sector: Lessons (A Paper Presented at the 1977 National Outlook Conference of Financial Stability for Economic Growth, Organized by Malaysian Institute of Economic Research, Kuala Lumpur, December 2-3, 1997).
5. Kawai, Masahiro, East Asian Currency Turbulence: Implications of Financial System Fragility (A Preliminary Paper Prepared for Presentation to a Seminar at the World Bank held on November 4, 1997).
6. Rojas-Suarez, Liliana, and Steven R. Weisbrod, "The Do's and Don'ts of Banking Crisis Management", in Ricardo Hausmann and Rojas- Suarez eds., Banking Crises in Latin America, Inter-American Development Bank, 1996.
7. Ministry of Finance and the Bank of Thailand, Thailand Financial Restructuring Package, October 14,1997.
8. Takayasu, Ken-ichi, "Thailand: Currency Fluctuations Create New Problems", in Sakura Institute of Research, Pacific Business and Industries RIM, Vol. II 1995, pp.15-28.
9. Takayasu, Ken-ichi, "Financial Sector Development in ASEAN: Focusing on the Thai Experience from the Mid-1980s" in Toru Yanagihara and Susumu Sambommatsu, East Asian Development Experience: Economic System Approach and Its Applicability, Institute of Developing Economies, 1997.
10. Takayasu, Ken-ichi, "Outline of the Asian Currency Crisis and Future Issues" in Can Asia Recover its Vitality? : Globalization and the Roles of Japanese and U.S. Corporations, Institute of Developing Economies and JETRO, 1998.
11. Viraphong Vachratith and Weena Thongkamsai, "The Real Estate Sector in the First Half of 1997" in Bangkok Bank Monthly Review Vol.38 No.10, October 1997.