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RIM 環太平洋ビジネス情報 1997年4月号No.37

新段階に入るシンガポールの観光ハブ戦略

1997年04月01日 さくら総合研究所 遠山淳子


はじめに
アジア諸国の経済発展の軌跡をたどると、製造業の高度化に加えて、経済のサービス化が進展していることがわかる。サービス産業の中では、「産業」としての「観光」が極めて大きな役割を果たしており、アジア諸国にとって、観光産業の振興は経済発展の方向を左右する重要な課題となっている。
観光を産業としてとらえた場合、その国際競争力は政府の産業育成政策の影響を色濃く受ける。そして、経済のグローバル化が進む中で、観光産業育成政策が効果的に実施されるためには、諸外国との関係強化や海外ネットワークの拡充が不可欠である。
シンガポールは他のアジア諸国に先んじて、観光産業の振興に取り組んできたものの、近年、観光客数や観光収入の面で伸び悩みの兆しをみせている。
こうした状況を打開し、観光産業の持続的発展を図ることを目的として、シンガポールは近隣諸国との連携によって観光地域を形成し、自らは域内における観光行動の拠点である「観光ハブ(Tourism Hub)」となるべく観光振興策を展開している。
アジアを視野に入れつつ観光産業を振興しようとしている日本の観光関係者にとって、このように世界を視野に入れた観光振興策を進めているシンガポールの事例から得るべき教訓は多いと思われる。
本稿は、シンガポールの「観光ハブ」戦略による観光振興と、その推進のための周辺環境の整備について紹介することを目的としたものである。
なお、観光を目的とする旅行者と、観光以外(ビジネス、親戚訪問など)の目的を有する旅行者とは、航空産業をはじめとする観光産業への影響で共通点が多いので、本稿では、すべての旅行者を「観光客」と称することとする。

I.シンガポール経済を支える観光産業
1.政府の観光政策推進体制
シンガポールが今日のように観光立国として発展してきた背景には、政府による積極的な観光政策の推進がある。
シンガポールの観光政策は、経済発展局(Economic Development Board;EDB)などの関係省庁と、空港公団、航空会社、ホテルなどの観光関連民間企業から成る横断的な協力体制の下で実施されており、その中核を通産省(Ministry of Trade and Investment)傘下のシンガポール政府観光局(Singapore Tourist Promotion Board;STPB)が担っている。
STPBは、シンガポールを個性ある魅力的な観光地にするため、観光資源の開発とプロモーション活動を行なうことを目的として、1964年に設立された。スタッフは総勢382名(95年度現在、シンガポールの本局に305名、海外に77名)で、年間予算総額は1億1,581万シンガポールドル、うち事業費は6,960万シンガポールドル、管理費は2,199万シンガポールドルである(95年)。
STPBの活動内容をみると、国内では、イベントの開催、新たな観光資源の整備、観光資源の開発などに努めている。海外では、世界17都市に地域事務所を、8都市にマーケティング事務所を設置し、シンガポールへの観光客誘致のため、観光案内資料の配布、セミナーの開催、観光展への参加などを行っている。
また、STPBでは、コンベンションやセミナーなどの大型イベント(以下、「コンベンション」)への参加を目的とする観光客の場合、滞在期間が長く、支出額も大きいことに着目し、早くからコンベンションの誘致にも力を入れてきた。
STPBでは、74年に下部組織として設置したシンガポール・コンベンション・ビュローを中心に、STPBの海外事務所と連携し、コンベンション誘致のためのキャンペーンやインセンティブ・ツアーの実施、広報活動などを行っている。
このようなコンベンション誘致策が、大型コンベンション施設の建設や空港インフラの整備と結び付き、シンガポールはアジア第1位、世界第6位(UAI統計)のコンベンション開催都市に発展した。

2.基幹産業としての観光
世界旅行産業(World Travel and Tourism Council;WTTC)の調査によると、95年のシンガポールの国内総生産(GDP)1,186億シンガポールドルのうち、観光産業(注1)の生産額は約153億シンガポールドルで、13.0%を占めた。
日本の場合、国民所得統計に「観光産業」という分類項目はないが、参考までに記しておくと、GDP全体の約13%を占める産業としては卸売・小売業が挙げられる。
その他、シンガポールの消費支出、投資(民間)、税収、雇用、サービス貿易(輸出)においても、観光産業の占める割合は大きく、観光はシンガポールの経済に大きく貢献しているといえる(表1)。

表1 シンガポール経済における観光産業の貢献度(1995年)
Graph

シンガポールへの観光客数は、95年に700万人を超え、96年には729万人となった。96年のデータについては、未発表の国が多いので、95年のデータ(PATA統計)を用いて他のアジア諸国と比較すると、シンガポールへの観光客数は中国、香港に次いで第3位となっており、シンガポールがアジアにおいて比較的人気の高い観光地であることがわかる(図1)。

3.伸び悩みの兆しをみせる観光客数
政府による積極的な観光開発・振興、優れた空港インフラなどにより、シンガポールの観光は順調な発展を遂げてきたが、近年になって、伸び悩みの兆しをみせている(表2)。

表2 シンガポールを訪れる観光客に関する基礎資料
Graph
(資料)STPB「Singapore Annual Report on Tourism Statistics 1995」、PATA「Annual Statistics Report」各年版、STPBへのヒアリング調査より作成

観光客数の前年比伸び率は、92年以降は一貫して低下しており、96年には2.2%となった。観光客の平均滞在日数も85年以来減少し続けており、95年には2.9日となった。
こうした現象の背景として、(1)インドネシア、中国などの近隣諸国で観光開発が進み、それらの国々に観光客が流れている、(2)フィリピン、中国、ベトナム。ミャンマーなどの近隣諸国で、経済発展に伴いビジネスチャンスが拡大しているため、ビジネスを主な目的とする観光客がそれらの国々に流れている、といった事情が考えられる(表3)。
シンガポール国内での観光客による支出総額も90年を境に伸び悩んでおり、近年は50億シンガポールドル台前半で停滞している。
これは、(1)シンガポールドルの上昇により、「買い物天国」としてのシンガポールの魅力が低下している、(2)人件費、不動産賃貸料の上昇により滞在費用が上昇している、などの事情によるものと考えられる。

II.新段階に入る「観光ハブ」戦略
1.「ツーリズム21」における観光ハブ戦略
シンガポール政府は、観光産業を振興し、21世紀に向けてシンガポール経済の発展を持続していくため、96年7月に観光開発・振興に関する長期的かつ総合的な戦略報告書である「ツーリズム21」を発表した。「ツーリズム21」は、STPBが、国内の観光産業関係団体やコンサルタント会社など12団体(社)の協力を得て完成させた報告書である。
「ツーリズム21」は、ロンドン、ニューヨーク、東京が世界の金融の中心地であり、パリ、ミラノが世界のファッションの中心地であるように、シンガポールが世界の観光をリードしていく「観光の中心地(Tourism Capital)」となることを最終目標としている。
「ツーリズム21」では、具体的な重点目標として、(1)シンガポールの観光地としての魅力を強化する、(2)シンガポールを国際的な観光ビジネスの拠点とする、(3)シンガポールをアジア・太平洋地域の観光拠点「観光ハブ」とする、の3項目が掲げられている。
これらの重点目標は相互補完関係にあるが、中でも(3)の「観光ハブ」戦略は、近隣諸国の観光資源をシンガポールの観光資源の一部であるかのごとく取り込み、一大観光地を形成し、世界全体をマーケットとして観光客誘致を図るという、スケールが極めて大きい戦略である。空港、港湾、情報通信、国際ビジネスなど様々な分野でハブ化を進めているシンガポールにとって、観光ハブとなることは、それらのハブ機能の強化と密接に結びつく重要な施策であるといえる(図2、図3)。

2.国内戦略の強化
シンガポールの観光ハブ戦略は、大きく分けて国内戦略と対外戦略の2つに分けられる。ここでは、主な国内戦略として、国内観光資源の充実化、空港インフラの整備、観光政策の強化について述べる。
(1) 国内観光資源の充実化
シンガポールがアジア・太平洋地域の観光ハブとなるためには、シンガポール自身が魅力ある観光地でなければならない。そのため、シンガポールでは、STPBが中心となって、国内11ヵ所を「テーマゾーン」に指定し、魅力的な観光地づくりのための再整備を進めている。
観光資源の内容についても、従来多かった外から眺めるだけのものでなく、クルーズ、芸術鑑賞、自然体験といった、観光客自らが体験できるもの、家族全員で楽しめるものを増やし、顧客層の拡大、滞在期間の長期化、観光支出の増加を図る計画である。

(2) さらなる空港インフラ整備
シンガポールへの観光客のうち、75%が空路によりシンガポールを訪れており、空港はシンガポールの観光において極めて重要なインフラとなっている。域内への観光客をシンガポールに呼び込むためにも、整備された空港を持つことは重要である。
シンガポールのチャンギ国際空港は、(1)24時間運営である、(2)空港から市街地へのアクセスが容易である、(3)政府が自由な航空政策を採用しているため路線網が充実している、などといった点で利便性が高く、世界的にも評価が高い国際空港である。
日本の新東京国際空港と比較してみると、国際旅客と国際貨物の取り扱い実績では大きな差はないものの、施設、コストの面ではチャンギ国際空港がかなり優れていることがわかる(表4)。
また、チャンギ国際空港は、空港内に乗り継ぎ客用のホテル、フィットネス・センター、スイミング・プールなどの施設を整備しており、旅客の多様なニーズに応じるための工夫がなされている。
さらに、チャンギ国際空港では、乗り継ぎ、乗り換えまでに4時間以上待ち時間がある旅客を対象に無料の市内観光ツアーも催行されており、旅客への便宜を図るだけでなく、通過客の観光への取り込みにも大きく貢献している。
シンガポールが近隣諸国との間でチャーター便を次々に就航している背景には、シンガポールが自由な航空政策を採用し、積極的に路線網を拡大していることと、増加する便数の受け入れを可能にしているチャンギ国際空港のキャパシティの大きさがある。
国際航空輸送協会(International Air Transport Association;IATA)によれば、チャンギ国際空港の取扱旅客数は2000年には3,000万人を超えると予測されるが、チャンギ国際空港では、このような需要拡大に先行し、すでに、第1、第2ターミナルの拡張工事と、第3ターミナルの建設を進めている。第3ターミナルが完成すると、チャンギ国際空港は年間6,000万人の旅客取り扱い能力を有することになる。さらに、その先の需要拡大を見込んだ、第3滑走路、第4ターミナル建設のための埋立がすでに開始されている。

(3) 観光振興策の強化
STPBでは、シンガポールを観光地として海外に売り込むため、95年からの5年間で、総額3億シンガポールドルを投じる計画である。日本の運輸省観光部の年鑑予算31億円(約4,500万シンガポールドル)と比較しても、シンガポール政府が観光振興にかなり力を入れていることがわかる。
今後は、観光の経済効果を統計的に把握する(Tourism Satellite Account)の整備、観光に関する情報を収集するツーリズム・リソース・センターの設置が計画されており、政府統計局など関連機関との連携も一層強化される。

3.近隣諸国との連携に基づく対外戦略
対外戦略としては、近隣諸国における観光資源の開発・整備、航空路線網の整備による域内アクセス向上の他、プロモーションや人材育成プログラムなど観光のソフト面の整備も、近隣諸国との連携により実施されている。
資本や技術があっても観光資源が少ないシンガポールが、観光資源や資本があっても資本や技術が不足している近隣諸国と連携することは、資本や技術の効率的活用に結びつく。また、それによって地域全体の観光地としての質も向上するため、観光ハブを目指すシンガポールにとって近隣諸国との連携は不可欠である(表5)。
シンガポールは、今後も近隣諸国との連携を深めていくため、政府間での観光協力協定の締結を進め、政府機関同士の支援・協力、民間企業同士の協力・投資を促進していく考えである。

4.近隣諸国との連携に基づく対外戦略
観光ハブ戦略による域内の観光開発やインフラの整備は、シンガポールにとって、観光客層の拡大、開拓に結び付く。
近隣諸国の観光開発が進展すると、域内の観光資源が多様化し、それによって、シェアが伸び悩んでいるリピーター客(十数年来33~34%で推移)や、多様なニーズを持つ家族客などが増加するであろう。
また、近隣のベトナム、ミャンマー、中国などは、近年、急速に経済成長を続けており、外国からの投資増加に伴って、これらの国々を訪れるビジネス客が急増している。シンガポールが近隣諸国へのゲートウェイとして、空港を中心とする運輸インフラ、情報通信インフラなどを整備することにより、このようなビジネス客のシンガポールに立ち寄る機会が増えることが期待される。
経済的な観点からは、観光客の増加は、シンガポールにとって、GDP、国民総生産(GNP)の増加をもたらすだけでなく、域内の観光産業をはじめとする様々な産業への投資も促進すると期待される。
さらに、ビジネス客の増加は、国際ビジネス機能、ビジネス情報の集積を促進し、外国企業によるシンガポール国内への地域拠点の設置も促進するため、シンガポールの国際ビジネスハブとしてのさらなる発展に寄与する。

おわりに
シンガポールが観光立国として成功した理由を一つだけ挙げるならば、政府が戦略を立案するのみならず、それを着実に実施してきたことである。近隣諸国との観光客誘致競争が激化しつつある今日、シンガポール政府はこのような姿勢をさらに強化し、政府が中心となって近隣諸国との連携を深め、「アジア・太平洋地域の観光ハブ」、「世界の観光の中心地」となることを目指した観光開発・振興策を推進している。
シンガポールと日本とでは、国土面積、地理的条件、政治体制、経済規模など様々な点で条件が異なるため、シンガポールの観光開発・振興の在り方を、単純に日本の観光開発・振興に当てはめることはできない。しかし、観光は21世紀には世界の基幹産業となるといわれ、先進国を含む世界の国々が観光産業を重要視し、その発展に力を注いでいる中で、日本のみが観光の重要性を認識せずして高度な経済発展レベルを維持していくことは不可能であろう。
日本はシンガポールと比べると、国土は広く、自然や文化・歴史的資源も豊富にあり、観光地としての魅力を十分に持っている。
地理的条件からいっても、日本は、米州諸国にとってのアジア・太平洋地域へのゲートウェイとなり得る有利なところに位置しているといえる。
このような環境の下で、日本が観光振興を図り、観光による経済発展を実現するためには、インフラ整備などを含む国家戦略としての総合的な観光戦略の策定とともに、政府が中心となって積極的に観光戦略を実施していくことも必要である。そして、ゲートウェイとしての役割を担うためには、アジア諸国との連携を深めていくことも不可欠である。
アジア・太平洋地域は、現在、世界で最も急速に受け入れ観光客数が増加している地域であり、それらの観光客を日本にも取り込むには、今が好機である。すでにシンガポールに遅れをとっている以上、96年5月に日本の運輸省が発表した訪日観光振興のための指針案「ウェルカムプラン21」(注2)に引き続き、長期的かつ総合的な視野に立った観光戦略を国や地方自治体などの行政レベルで策定し、早急に実施することを期待したい。


1. 運輸業、ホテル業、ケータリング業、旅行関係サービス業を含む。
2. 拙稿「訪日観光振興への課題と今後の方向性」(『RIM』34号、1996年所収)参照。

主要参考文献
1. 首都圏新空港研究会「国際空港を利用した横浜市の経済活性化の可能性について-シンガポールと香港の事例研究より-」
2. Singapore Tourist Promotion Board, Tourism 21―Vision of Tourism Capital, 1996
3. Singapore Tourist Promotion Board, Singapore Tourist Promotion Board Yearbook 95/96, 1996
4. World Travel and Tourism Council, Singapore Travel & Tourism―Millennium Vision, 1996
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