Business & Economic Review 2001年01月号
【OPINION】
「児童年金」構想の不毛を衝く
2000年12月25日 飛田英子
政府・与党の政策担当者レベルで「児童年金」構想が浮上しているという。これは、現行の年少扶養控除を廃止し、その見返りとして扶養者(保護者)に児童年金を支給する新たな子育て支援制度を創設しようというものである。
伝えられる制度構想によると、15歳以下(義務教育終了まで)の児童の保護者を対象に、所得制限なしで第2子まで1人月額1万円、第3子からは同2万円を児童年金として支給する。これは現行児童手当制度の支給水準の2倍に当たる。加えて、対象年齢の引き上げ(5歳→15歳)と所得制限の撤廃(現行では年収670万円未満)により、支給対象児童数も現在の570万人から1,900万人へと大幅に増加する。ちなみに、児童年金の給付額は年間2.7兆円に及ぶ。児童年金制度が、子育て支援ないし間接的な少子化対策という本来の目的に加え、景気対策としてもにわかに注目を浴びている所以である。
子育て支援としての「児童年金」制度の特殊性は、公費(税)を財源とする社会福祉制度の一環としての「児童手当」ではなく、公的年金制度に組み込まれる形で、財源の半分を基礎年金保険料で賄う社会保障制度として運営される点である。2.7兆円の給付に見合う新たな基礎年金保険料の負担増は、加入者1人当たり月額1,800円に達する。
わが国においては、育児や高齢者の介護については基本的に家庭責任で行われることを前提に社会保障制度が構築されてきた。この結果、社会保障給付費全体に占める一般的な社会福祉サービス(医療・年金を除いた部分で、その大宗は児童福祉サービスである)のシェアがわずか1割程度である等、わが国は今や児童福祉サービスの分野において世界に冠たる超後進国となってしまった。したがって、従来育児への公的支援に対して消極的であった政府・与党サイドから、育児の社会化に向けた政策支援案が浮上したことは高く評価すべきである。
しかしながら、この「児童年金」制度は、直接的な育児支援策としても、間接的な少子化対策としても、そしてもちろん景気対策としても、きわめて費用対効果が乏しいと判断せざるを得ない。その理由を述べると、以下の通りである。
まず、子育て支援の掛け声とは裏腹に、児童年金の恩恵は子を持つ世帯のごく一部にしか及ばない。これは、児童年金の導入と同時に年少扶養控除を廃止するため、中高所得層についてはこれによる増税の効果の方が大きく、むしろ制度創設前よりも手取り所得が減少してしまうためである。例えば、妻が無職(専業主婦)で子供2人がともに15歳以下のサラリーマン世帯では、年収が800万円を超えると年少扶養控除廃止による増税額が児童年金受給額を上回って、ネット増税状態となる。つまり、現行の児童年金制度案は、「子育て世帯のうち中高所得層から低所得層への所得移転を強化する」政策と本質的に同じであり、「育児の社会化」という観点からは不十分と判断せざるを得ない。さらに、子供のいない世帯では、年金保険料ないし国庫負担という全国民共通の「見えざる負担」を除けば、制度創設に伴う負担増は何ら発生しないので、この児童年金案はむしろ「中高所得層が子を持つことに対し選別的にペナルティを科す」政策とみなすことさえできる。こうした所得再配分政策が「育児支援」として望ましいか、疑問を感ぜざるを得ない。
第2に、少子化対策としても「児童年金」制度は的外れである。わが国における少子化進行の主因が、女性の社会的な地位の向上に誘発された、子育ての機会コストの上昇にある点は、既に多くの識者の指摘してきたところである。育児を家庭責任に委ねてきた結果、行政サイドにおいても、女性が就業しながら育児を行うために必要なインフラが全くといっていいほど整備されておらず、結果的に女性を「就業継続か出産退職か」の二者択一に追い込んでしまっているのが、少子化問題の本質である。子供1人当たり年額12万円程度の金額で解消する問題ではない。年間3兆円もの財政支出を行うなら、不足が深刻化している都市圏の保育所・託児施設の新増設や、出産・育児休暇中の所得保障等に集中的に投入すべきである。1999年度に行われた「少子化対策臨時特例交付金」は総額2,000億円に過ぎなかったが、これにより、長年積み残されてきた認可保育所の新増設が多くの市町村で進捗し、一時的ながら待機児童数の減少という成果をもたらしたことを忘れてはならない。
第3に、景気対策としての児童年金の効果も―――政策の導入意図からみてそもそも本末転倒な話であるが―――期待薄である。一時的な所得増は合理的な家計の消費・貯蓄パターンに影響を与えない、というのが標準的な経済理論の示唆するところである。鳴り物入りの地域振興券がその見合い分だけ貯蓄を増やし、何ら消費の増加には寄与しなかったプロセスを、既にわれわれは目の当たりにしてきた。消費振興のためには、まず恒久所得の増加と家計が陥っている将来不安の徹底的な払拭とが不可欠であり、それには児童年金とは全く別の処方箋が必要である。具体的には、職業訓練助成の拡充や新規産業の育成をはじめとする雇用創出に向けた環境の整備、社会保障制度の改革によるセイフティ・ネットの構築、等を指摘することができる。
以上のように、現行の児童年金構想は、子育て支援、少子化対策、景気対策のいずれの目的に対しても全く不十分かつ不適切であり、選挙対策としての単なるバラ撒き政策である、と判断せざるを得ない。さらに、社会保障制度の全面的な見直しが着手され、公的年金の財政制度についても現行の保険方式を維持するか税方式に改めるか、という議論が行われている渦中に、現行の保険方式を前提に新たな児童年金制度を創設する、という発想自体も国民の意向をまったく汲みしていないとの謗(そし)りを免れないであろう。
さて、ここまでの議論を踏まえ、今後の児童福祉政策のあるべき姿について、私見をまとめておきたい。
まず、児童福祉政策は、既に子供を持つ世帯のみを対象とすべきではなく、将来子供を持ち得る世帯も含めて行われるべきであり、機会コストを含めて「育児の負担を社会的にカバーしていく」という基本方針を固めることが先決である。具体的には、育児休業中の給付水準の引き上げ(現行は本人給与の20%)、復職後の雇用の確保、保育所の整備や延長保育等の保育機能の強化等に限られた予算を集中投入する。
また、財源としては税方式を採用する。ただし、このためには育児の社会化に対して国民のコンセンサスを得ることが大前提となるが、子供は将来のわが国経済を支える希少な財産であり、良質な人材を育成することは国民の責務であることを考えると、当然公費で賄うべきである。なお、児童年金構想のように財源を保険料に求めるべきとの反論も予想されるが、児童福祉サービスの場合、受益対象は児童を持つ世帯のみに限定され、保険料を負担するすべての世帯が受益の権利を有するという保険方式の大原則(いわゆる「権利性」)に矛盾する結果となる。児童年金構想において保険方式の採用が当然のごとく受け入れられていることは、わが国の社会保険制度が既に形骸化していることを示唆しているといわざるを得ない。
最後に、財源である税金問題について触れておく。所得税にしろ消費税にしろ、現段階で新たな税負担を国民に求めることは、ようやく上向きかけてきた景気に対してマイナスに働くのみならず、育児の社会化に対する国民の反発が生じる懸念が大きい。このため、財源としては従来の税収のなかから捻出する必要があり、公共投資の削減をはじめ歳出構造の抜本的な見直しが不可欠である。今のわが国経済にとって、少子化の克服は不可避な課題であり、経済が縮小均衡に陥ることに対するいわばセイフティー・ネットである。この意味において、児童福祉政策の断行はセイフティー・ネットに優先的に予算配分できるか否か、わが国経済に課された試金石であるといえよう。