Business & Economic Review 2003年12月号
【OPINION】
対アジア経済外交政策の再構築を急げ-インドネシアで開催されたASEAN+3首脳会談の成果を踏まえて
2003年11月25日 調査部 環太平洋研究センター 高安健一
2003 年10月7日、8日の両日、インドネシアのバリ島において、東南アジア諸国連合(ASEAN )と日本、中国、韓国の首脳が行った一連の会談は、わが国が東アジア自由貿易地域の創設を見据えて、対アジア経済外交政策を再構築すべきことを強く印象付けるものであった。
- 多角的な協力体制の構築に動き始めた東アジア
(1)近隣諸国への外交攻勢を強める中国
中国は、インドネシアにおける一連の首脳会談で、近隣諸国との経済関係を自由貿易協定(FTA)を活用しながら強化する姿勢を鮮明にした。
第1に、ASEANとの間で、2010年までにFTAを実施することを確認するとともに、両地域間の年間貿易額を2005年までに2001年の2倍にあたる1,000億ドルに拡大すべく経済関係を緊密化することを表明した(「中国とASEANの平和と繁栄のための戦略的パートナーシップ宣言」)。すでに中国はタイとの間で2003年10月から、野菜と果物計188品目の関税を相互に撤廃している。さらに、中国は安全保障面でも、ASEANの基本条約である東南アジア友好協力条約(TAC)に調印し、ASEANの軍事的脅威とはならないことを示した。
第2に、日中韓がFTA締結を含めて協力関係を強化すべきことを主張した。朱鎔基首相(当時)は2002年にカンボジアで開催された日中韓首脳会談の席上で、3カ国がFTA締結に向けて協議を開始することを提案していた。今回の首脳会談では、中国の提案によって初めて共同宣言(「3カ国協力の促進に関する共同宣言」)が作成され、3カ国によるFTA締結のみならず、政治、安全保障、知的財産権保護、観光、科学技術などを含む広範な分野で強力関係を深めていくことが盛り込まれた。さらに、温家宝首相は、インドのバジパイ首相との会談において、2003年6月に同首相が訪中した際に署名した「包括協力宣言」に基づいて、両国の関係を強化することを確認した。
第3に、中国は東アジア地域の通貨安定に積極的に関与するようになった。1997年7月にアジアが通貨危機に見舞われた当時、中国は外貨不足に陥った国・地域を支援することを想定したアジア通貨基金(AMF)構想に消極的な態度をとった。しかしながら、その後、域内諸国の中央銀行が外為市場での介入資金を相互に融通しあうチェンマイ・イニシアチブへ参加したり、アジア債券市場構想に賛同するなど、中国は域内の通貨安定に積極的にコミットするようになった。チェンマイ・イニシアチブとアジア債券市場構想は、今回の日中韓の共同宣言で積極的に推進すべき事項として取り上げられた。中国は、2003年7月末時点で3,565億ドルとわが国に次ぐ世界第2位の外貨準備を保有しており、自国通貨の安定よりもむしろ対外的な協調を意識した通貨政策を展開しているといえよう。
(2)経済統合の深化に踏み出したASEAN ASEAN は今回の首脳会談で、地域統合を深化させることで合意した。
第1に、ASEAN 加盟国は「ASEAN 協和宣言Ⅱ」に調印し、「経済」「政治・安全保障」および「社会・文化」の3分野で共同体を構築することを共通の目標として掲げた。この宣言は、96年の第1回ASEAN非公式首脳会談で「ASEANビジョン2020」として打ち出されたSEAN 経済地域の創設を目指すものである。
第2に、2020年をめどにASEAN 経済共同体(AEC)を設立することになった。これは、モノ、資本、サービス、投資、ビジネスマン・技術者などの域内移動の障壁を取り除くことにより、域内の経済成長を促そうとするものである。ASEANは、AECの創設に向けて、ASEAN自由貿易地域(AFTA)、サービスに関するASEANフレームワーク合意(AFAS)、およびASEAN 投資地域(AIA)を含む既存の経済イニシアチブを活用する。また、「ASEAN協和宣言Ⅱ」には、強制力を備えた経済紛争処理メカニズムを創設することが盛り込まれた。
第3に、安全保障面での脅威を緩和するための枠組みが作られた。ASEAN安保共同体(ASC)の創設は、政治的、経済的、社会および文化的側面などを含む包括的安全保障を目指すものである。それは加盟国の主権を尊重するものであり、軍事協定や軍事同盟ではない。また、共通外交政策を実施するものでもない。ASEANはインドネシアにおいて、潜在的な脅威を払拭出来ない中国およびインドとの間でTACを結んだ(わが国は日米安全保障条約との兼ね合いで調印しなかったと伝えられている)。ASEANは、域内の安全保障については、94 年からアメリカ、中国、日本などとともにASEAN 地域フォーラム(ARF)を開催しているが、これをTAC と並行して推進していくことになった。
このように、5億3,000万人の人口と6,100億ドルの経済規模を擁するASEANは、地域統合を深化させることにより、単一市場としての魅力を高め、域外から直接投資を招き入れようとしているように見受けられる。しかしながら、ASEANの対外経済政策は、加盟10カ国がすべての分野で歩調を合わせて推進されるとは限らない。例えば、タイとシンガポールは、ASEAN全体の動きとは別に、日本、アメリカなどとFTA締結交渉を行ってきた。また、ブルネイ、インドネシア、フィリピン、マレーシアは94年より東ASEAN 成長地域(EAGA)の形成に動いている(今回、インドネシアで初の首脳会談を開催した)。タイ、中国、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムの6カ国は大メコン圏(CMS)開発に取り組んでいる(2002年よりASEAN +3開催時に、首脳会談を開催している)。ASEANの運営は、今後とも内政不干渉とコンセンサス方式による意思決定、文化的多様性の尊重などの原則にしたがって行われよう。 - 軸足が定まらないわが国の対アジア経済外交政策
(1)WTO のカンクン閣僚会議決裂のわが国への影響
中国やASEAN が対外経済政策を積極的に展開する一方で、わが国の軸足は定まっていない。周知のように、第2次世界大戦以降のわが国の通商政策は、関税および貿易に関する一般協定(GATT)と世界貿易機関(WTO)の下で、自由・多角化・無差別の原則に沿って、多国間交渉を積み重ねることにより推進されてきた。2001年11月にカタールのドーハで開催されたWTO閣僚会議は、決裂したシアトル閣僚会議(99年11月から12月にかけてアメリカで開催)を前進させて、新多角的通商交渉(新ラウンド、いわゆる「ドーハ開発アジェンダ」)を開始することで合意した。しかしながら、去る2003年9月にメキシコのカンクンで開催された閣僚会議は、新ラウンドに向けた中間合意となる閣僚宣言を採択出来ずに閉会した。これにより、新ラウンドを2005年1月1日までに一括合意することが困難になった。今後、アメリカ議会が大統領に与えた一括交渉権限である大統領貿易促進権限法(TPA、旧ファスト・トラック)の期限切れをにらみながら、ぎりぎりの交渉が続くことになる(とりあえず2003年12月15日までに、WTO の一般理事会で今後の対応を協議することにった)。
カンクンでの閣僚会議に関してわが国が憂慮すべき点は、新ラウンド開始のめどが立たなくなったことに限らない。
第1に、わが国が重視していた交渉分野の決着が先送りされた。すなわち、a.非農産品(鉱工業品分野)の関税率引き下げ、b.鉱工業品分野に含まれるわが国のセンシティブ品目(林水産品、皮、履物)の取り扱い、c.投資保護、競争政策、貿易円滑化、政府調達の透明性の4分野からなる「シンガポール・イシュー」の推進、d.農業分野における「関税の上限設定」と「最低輸入義務枠(ミニマムアクセス)の拡大」の阻止、などの交渉分野について十分な議論がなされないまま閣僚会議は終了した。
第2に、先進国とアジアを含む開発途上国の主張が激しく対立するようになった。カンクン閣僚会議では、ブラジルを中心とする開発途上国のグループであるG21(同閣僚会議中にケニアが加わりG22となる)が先進国に対して、農業補助金の削減や投資保護ルールの交渉先送りを強く求めた。このG22には、開発途上国のリーダーとして発言力を強めている中国とインド、そしてインドネシア、フィリピンも参加している。
(2)足踏みするわが国のFTA 締結交渉
このようにWTO新ラウンドの開始が遠のいたにもかかわらず、わが国はFTA戦略を描けていない。わが国がこれまでに締結したFTA は、2002年11月末に発効した「日本・シンガポール新時代経済連携協定(JSEPA)」のみである。これはもともと農業問題が大きな障害となりにくいケースとして認識されていたものである。
メキシコとのFTAは、2002年11月に政府間交渉が開始され、2003年10月のフォックス大統領訪日時に調印する段取りになっていた。メキシコがアメリカや欧州連合(EU)を含む30を超える国・地域とFTA を締結していることから、現地で操業する日本企業が相対的に高い輸入関税率を課され、市場シェアが大幅に低下している。このように、FTA 締結を急ぐべき明確な理由があるにもかかわらず、わが国のメキシコ産豚肉輸入の関税率引き下げなどの問題がネックとなり、交渉は膠着状態に陥っている。
他方、わが国はタイとの間で、作業部会を2002年9月から2003年5月まで開催し、正式なFTA締結交渉の開始に備えた。この作業部会において、日本側はタイに対して、投資許可段階における内国民待遇・最恵国待遇の付与、パフォーマンス要求の禁止などの投資環境整備、関税撤廃などを要求した。そして、2003年6月のタクシン首相訪日時にFTA締結交渉を開始することで合意するはずであった。しかしながら、日本側が正式な交渉に入る前に農水関係者を加えた協議の場を設けるべきだと主張したことから、農水産業団体の関係者が参加した日タイ経済連携協定タスクフォース(JTEPA)が2003年7月から開催されている。
わが国は、今後多くのFTA 締結交渉を手掛けていくことになる。今回のインドネシアでの首脳会談において、ASEANとの間でFTAを含む日・ASEAN包括的経済連携の枠組み(貿易拡大、投資環境整備、知的所有権保護、産業振興の4分野が対象)に調印し、2005年から交渉を開始することで合意した。また、2003年12月に東京で開催されるASEANとの特別首脳会議において、タイ、フィリピン、マレーシアとの間でFTAの政府間交渉を開始することで合意する見込みである。韓国は、2003年10月にわが国とFTA交渉に入ることを表明した。盧武鉉政権が不安定化していることが懸念されるが、わが国と同様に農業問題を抱える韓国が締結交渉に踏み出そうとしていることは評価出来る。このように、わが国は今後多くのFTA交渉を手掛けることになるが、上述のメキシコやタイのケースが示すように、実り多い交渉を円滑に行うための準備が出来ているかという点については、疑問を抱かざるをえない。交渉相手国に不必要な不快感を与えないように、国内調整にめどをつけたうえで交渉に臨むべきである。 - わが国が早急に対処すべき四つの事柄
それでは、わが国は今後いかなる視点にたって対アジア経済外交政策を再構築していくべきなのか。わが国が歩むべき道は、東アジア自由貿易地域の創設を最終的な政策目標として掲げ、国内の経済制度改革と歩調を合わせながらそれを推進していくことだと考える。そのためには、国内の政策決定メカニズムの再構築による先延ばし政策(forbearance policy)の回避と、戦略の構築が求められる。
(1)東アジア自由貿易地域を想定した政策の推進
わが国は、東アジアにおける地域統合の将来を真剣に展望し、行動する時期に差し掛かっている。かつて、わが国の地域統合への対応は、EU や北米自由貿易協定(NAFTA)域外の企業を排除することがないように主張することであり、東アジアにおける地域統合にはほとんど関心を払っていなかったように思える。ところが、すでに2001年時点において、東アジアの域内貿易比率は50.7%に達しており、EUの61.9%にはおよばないものの、NAFTAの46.3%を上回っている(渡辺利夫「東アジアにおけるデ・ファクト経済統合の進展」『環太平洋ビジネス情報RIM 』2003年10月号)。
すでに交渉が始まっている中・ASEANのFTA 、そして2005年に交渉が始まる日・ASEANのFTA、そして今後現実味を増すであろう日中韓のFTAが締結されるならば、2010年代の初頭に東アジアにFTA網が構築されることになる。これは、NAFTAが、米加、米墨、墨加の三つの自由貿易協定の束で形成されているのと同じタイプの地域統合である。ただし、東アジア自由貿易地域が質の高いものとなるように、東アジア諸国・地域が相互に締結するFTAの整合性を確保する必要があることを忘れてはならない。
わが国における中国とのFTA締結交渉に対する姿勢は、つい最近まで「同国のWTO加盟の影響を見極めてから考える」というものであった。しかしながら、経済規模が大きくかつ地理的に近接した中国とのFTA交渉にプライオリティーを置くことは理にかなっている。また、一般的に、先進国と発展途上国との間のFTAは、輸入関税率が低い先進国に有利に働く。平均関税率は、わが国が2.9%であるのに対して、中国は10.0%である(外務省「わが国のFTA戦略」2002年10月)。
さらに、東アジア自由貿易地域の創設を展望する際にわが国が見落としてはならない点として、ASEAN+3の制度化が進んでいることを指摘出来る。ASEAN+3はもともと97年に開催されたASEAN 首脳会談に日中韓の首脳がゲストとして招かれたことから始まった。その後、日中韓の首脳会談は公式会談に格上げされるとともに、2003年からは共同声明が発表されるようになった。さらに、ASEAN+3の枠組みのなかで、外相会議に加えて財務相会議、経済閣僚会議、労働大臣会議、農林大臣会議、観光大臣会議、エネルギー大臣会議、環境大臣会議がそれぞれ定期開催されるようになった。
(2)国内の構造改革・経済制度改革との連携
東アジア自由貿易地域の創設は、わが国の構造改革の在り方に、アジアを含む諸外国との経済制度の整合性という尺度を提供するものである。わが国は、国内の構造改革や制度改革を、地域統合やFTA と連動させることなく進めてきたという点において、世界的には例外的な存在といえよう。経済統合やFTAは、市場の拡大、障壁を取り除くことによる取引コストの削減、資源の効率的な利用、企業・産業の競争力の強化、域外からの直接投資・資本・人材の流入などを促進する効果をもつ。これらは、わが国が実施すべき構造改革の方向性と一致するものであろう。さらに、東アジア自由貿易地域の創設は、アジアとの結び付きが強いわが国企業の経営の選択肢を広げるものでもある。
また、FTAの締結にともない、関連する国内法を改正する必要があることや、合意事項の順守状況を定期的に点検・協議することから、国内の制度改革を補完する効果が期待出来る。こうした文脈のなかに、2003年10月にバンコクで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)において、加盟各国が進めるべき構造改革の重点分野を取りまとめた「APEC構造改革行動計画」が採択されたことが位置付けられる。これは、わが国とオーストラリアが共同で提案したもので、加盟国に対して、「企業統治」「不良債権処理の促進」「競争政策の推進」「破産法などの法整備」「雇用などの安全網(セーフティーネット)の確立」の5分野の改革に取り組むことを促すものである。
(3)対外経済政策決定メカニズムの再構築(「日本版USTR」の創設)わが国の政策決定メカニズムが、対外経済外交を取り巻く環境変化に対応出来ていないことは明らかである。従来の外務省、経済産業省、農林水産省、財務省の4省を中心に、国内の利害関係者の意見を調整したうえでFTAやWTOの交渉に臨む方式は限界にきている。アメリカ通商代表部(USTR)のように、産業界、消費者、議会などと密接に連携を取りながら、対外経済交渉に特化した政府機関を創設すべきである。
USTRは、アメリカの国際貿易および直接投資政策の作成と調整に責任を持ち、WTO、経済協力開発機構(OECD)、国連貿易開発会議(UNCTAD)などでの多国間交渉、そして2国間交渉を主導する。USTRの政府における位置付けは、国家安全保障会議(NSC)や大統領経済諮問委員会(CEA)と同じである。USTRの代表は内閣の一員であり、大統領に対する貿易政策のアドバイザー、交渉者、そしてスポークスマンとしての役割を担う。政策決定は、USTR傘下の小委員会を活用したり、民間セクター(産業界のみならず、労働、環境、消費者、その他NGOを含む)との協議を踏まえて行われる。こうしたプロセスを経ることにより、USTRが対外交渉に臨む時点で、かなりの程度国内利害関係者との調整や行政府内での意思統一を終えていると推測される。
「日本版USTR」の創設については、国内でこれまでも言及されてきたが、平沼経済産業大臣(当時)は、カンクンでのWTO 閣僚会議後に同省で行った閣議と閣僚懇談会の報告(2003年9月19日)のなかで、アメリカのUSTR のような、専門的知識を有し、経験を積んだ、一つの強力な機関を構築し、21世紀の通商政策を機動的に実施していくことが必要だとの進言を小泉首相に対して行ったと述べている。
さらに、日本版USTRは、政治からの独立性を維持するとともに、説明責任を備えたものでなければならない。従来の縦割り行政では、担当官庁に政治的圧力が加わりやすい。業界団体や政治家は、日本版USTRが開催する公聴会や小委員会などで冷静な議論を展開すべきである。さらに、日本版USTR自身の政策決定プロセスの透明性を高めその政策を評価するために、第三者機関による監視や年次活動報告の公表などを実施すべきであろう。
(4)戦略性が求められる対東アジア経済外交政策
わが国は、東アジア自由貿易地域を想定した対アジア経済外交政策の礎となる戦略をもたなければならない。それは、第1に、アメリカが東アジア諸国同士のFTA締結に反対する可能性が小さいことから、わが国が外交の独自性を発揮出来る余地が大きいことによる。かつて、マレーシアのマハティール首相が90年に東アジア経済協議体(EAEG)構想(ASEAN+日中韓台)を打ち出した際に、アメリカが反対したことから、わが国は消極的な態度に終始した。しかしながら、現在では、アメリカ自身がNAFTAに続き、2005年をめどに米州自由貿易圏協定(FTAA)をラテンアメリカ諸国と締結しようとしているのみならず、ASEANともFTA締結交渉を進めようとしている。シンガポールとの間では、すでに2003年にFTAを締結している。アメリカは、東アジアの地域統合に異議を唱える存在となるよりは、むしろFTA締結交渉でわが国の競争相手となる。
第2に、構想力や戦略性という点では、ASEAN と中国が日本の数歩先を進んでいる。わが国は近年、中国は脅威なのか否かを論じることにエネルギーを費やしてきた。これに対して、ASEANは中国が脅威とならないようにするためには何をすべきかを考え、FTA締結を軸とした中国との経済関係の強化と、TACの調印による軍事的脅威の低下を実現した。ASEANは同様の戦略をインドや日本とも展開しつつある。他方、中国は、自国を中心にASEAN 、日本、韓国、インド、香港、マカオなどとの間でFTAないしはそれに準じた協定を結ぼうとする一方で、2001年に加盟して間もないWTOにおいて発展途上国の代表として発言力を高めている。
わが国が東アジアを経済統合の単位として認識するようになったのはこの数年のことである。ASEAN+3はわが国が主体的に生み出した地域概念ではなく、ASEANや中国が描き出したものである。わが国の対アジア外交の指針は、77年にASEANを対象とした福田ドクトリンが表明されて以降打ち出されていない。わが国の経済外交政策は、WTOのカンクン閣僚会議が決裂し新ラウンドの開始が遠のく一方で、FTAへの取り組みが足踏みしていることから、多国間と2国間の双方で停滞する危険性が高まってきた。東アジア自由貿易地域の流れに乗り遅れるようなことがあるならば、わが国の対アジア経済外交は大きく後退することになろう。そうした事態を回避するためにも、新たな政策決定メカニズムのもとで、中国とのFTA 締結を軸に巻き返しを図るべきである。