Business & Economic Review 2003年11月号
【OPINION】
一段の科学技術政策強化に向けて
2003年10月25日 藤井英彦
2003年9月11日、文部科学省は科学研究費補助金制度を改定した。応募資格の拡大である。これによって、これまで大学や公的研究機関の研究者に限定されてきた科学研究費補助金制度の助成対象に、2004 年度分から企業等の研究者も含まれることになった。
今回の対象拡大は、わが国の研究開発力を強化する有力な方策の一つとして、すでに今春、総合科学技術会議や経済財政諮問会議が公表した指針に盛り込まれていた。すなわち、総合科学技術会議は、本年4月21日に、「競争的研究資金制度改革について」という意見具申を行い、そこで、民間企業の研究者によるノーベル賞受賞等を踏まえ、民間企業の研究者も応募出来るように制度を見直し、研究者の一層の競争促進によって研究の質を向上させるべきとした。一方、経済財政諮問会議は、本年6月26日に、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003」を発表し、2004年度予算の基本的な考え方のなかで、国際競争力を強化する等の観点から、科学技術予算を構成する主な枠組みの一つとして、民間への応募対象拡大の制度改正を明確に打ち出した。
しかし、今回の制度改正は単に民間企業の研究者によるノーベル賞受賞や国際競争力強化の必要性増大に端を発する動きではない。その根底には、科学技術分野で進展し始めた構造変化がある。主な要因を整理すれば次の3点を指摘出来る。
第1は研究開発プロセスでのリニアモデルの後退である。
従来、研究開発とは、基礎研究から応用研究、次いで開発研究、という3段階によって構成され実施されるという考え方が一般的に受容されてきた。すなわち、新たな製品・サービスの開発等、事業化は開発研究の成果であって、基礎研究との関係は稀薄という見方である。確かに一つひとつの原理や事象を丹念に解明していく基礎研究と、それをベースに一定の持続的現象等、特定の成果を発現させる条件を考究したり、対象物別にインパクトが異なる原因を突きとめる応用研究、さらに様々な要素技術の組み合わせや製造技術の変革によって性能の向上や生産コストの引き下げを目指す開発研究とは、それぞれ研究対象がまったく異なるといえよう。
こうした3段階から構成されるリニアな研究開発スタイルであれば、企業は開発研究に焦点を当てる一方、大学や公的研究機関は基礎研究を中心に推進するとして、事業化のための研究と学術的研究を区別しても特段大きな問題は発生しなかった。むしろ、企業と大学、公的研究機関が研究分野をすみ分け特化することで、開発研究と基礎・応用研究の分野において、それぞれ専門性が一段と磨かれたり研究ノウハウが蓄積されるプラスの効用もあった。
しかし、近年、研究開発の3段階リニアモデルは、徐々に後退を余儀なくされている。これは、基礎研究が成功すると、応用研究や開発研究のプロセスを経ることなく、その成果が事業化に直結するケースが次第に増え、基礎研究と応用研究、開発研究の差異が小さくなってきたためである。遺伝子研究の飛躍的発展に伴う製薬・医療・農業分野での新製品開発や新市場創出がその典型例である。さらにIT の活用によって、各国の研究者や研究スタッフから構成される強力な研究開発体制をプロジェクトごとに世界規模で組成し、研究の進展度合いに応じて役割分担を変えたり研究メンバーを入れ替えたりして、基礎研究から開発研究までの所要期間の短縮を図るスード競争の激化も、リニアモデルの後退に拍車をかけている。
こうした情勢下、アメリカでは、近年、基礎研究分野で民間企業の台頭が目覚しく、さらに民間企業に対する連邦政府の支援が趨勢的に拡大している。すなわち、基礎研究分野の研究開発資金に占める民間企業のシェアは1980年の13.5%から2000年には32.1%と2.4倍に増え、金額は80年の12億1,000万ドルから2000年には153億8,000万ドルとなった。一方、基礎研究分野での連邦政府の研究開発予算に占める企業向け資金のシェアは80 年の2.7%から2000年には5.1%とほぼ倍増し、金額は80年の1億7,000万ドルから2000年には11億8,000万ドルとなっている。
第2は新分野の台頭である。
20世紀にも様々な画期的な発明が行われ、新たな市場が生まれてきた。代表的事例を指摘すれば、38年のナイロンや、48年のトランジスタの発明がある。こうした画期的発明を契機に、20世紀半ば以降、石油化学工業が飛躍する一方、20世紀後半には情報関連産業が開花した。もっとも、産業発展という観点からそれらの系譜をたどれば、石油化学工業は化学工業から派生する一方、情報関連産業は、電機製造業や通信業の発展を通じて形成されてきた事業分野である。そのため、大きく括ってみれば、石油化学工業は化学工業に包含される一方、情報関連産業は電気製造業あるいは通信業の一分野と位置付けることが出来る。逆にみれば、連続した研究開発が焦点であったため、異なる分野の専門家がそれぞれの立場から知恵を出し合い協働する必要性は小さく、むしろ、化学や電気・通信分野の専門家が専門性をさらに追求することによって研究開発が推進され、その成果をベースに新たな産業分野が成長してきた。
それに対して、今日の最先端分野の研究開発では、従来と全く異なる新たな産業を創出したり、経済・産業の在り方自体を根底から変えていく大きなインパクトを持ったシーズが少なくない。とりわけ、総合科学技術会議が重点分野としたライフサイエンスやIT 、さらに環境やナノテクノロジーの分野は、そうしたシーズの宝庫である。例えばナノテクノロジーについてみると、カーボンナノチューブに代表される通り、特異な物性を持つ微細材料の利用が可能になることによって、製造業のみならず、生命科学やIT 分野まで幅広い分野に大きな影響が及ぶと見込まれている。
具体的には、次のような展開を象徴的事例として指摘出来よう。大量の計算を瞬時に行う量子コンピュータや複雑な論理演算をこなすDNA コンピュータ等、今日ではスーパー・コンピュータを駆使しても事実上処理不能な問題を解くコンピュータによって、遺伝子工学やバイオインフォマティクスが本格化し、産業として台頭し始める。さらに、そうした情報処理能力の飛躍的向上によってシミュレーション・プロセスが短縮される結果、工業製品のみならず、食料や医薬品まで、様々な分野で開発競争が世界規模で一段と激化する一方、ナノテクノロジーを活用した機器の導入によって新たな製品群が登場しよう。現在、すでに研究開発から製品化のプロセスに入りつつある新たな製品群の典型例として、燃料電池を搭載した電気自動車があるほか、ホログラフィックメモリ等、場所と時間を問わず大量のデータを蓄積出来る小型の保存媒体と高性能の小型燃料電池を組み込んだモバイル情報端末や、それを搭載した人工知能型自動車も実用化が次第に視野に入り始めている。燃料電池は環境分野の有力な研究対象であるうえ、この研究開発が成功すると、各企業や各家庭がそれぞれ必要なエネルギーを自家発電する等、今日の化石燃料消費型経済・産業パラダイムは根底から大きく転換することになる。
こうした不連続な研究開発を成功させるには、多様な分野の専門家や技術者、さらに企業の参画も必要となる。量子コンピュータやDNA コンピュータの研究を推進するには、量子力学や生命科学とコンピュータサイエンスの協働が不可欠である等、不連続な研究開発では学際的分野が中核の一つである一方、それを成功させるには、産業や市場動向に即応したり、産業・市場の行方を見通すことも重要な要素であるためである。
第3は、経済政策として科学技術の位置付けが増大したことである。
従来、科学技術の進歩・発展は学術上の成果であり、経済的利益と直接的関係は稀薄とされてきた。しかし、近年、科学技術は一国経済にとって国際競争力の中核という認識が拡がっている。こうした動きはアメリカに端を発する。
アメリカでも、かつては科学技術の振興は学術上の出来事と位置付けられ、経済的利益との直接的関係は否定されてきた。その象徴がアンチ・パテント政策である。画期的な発明や理論の解明が行われても、発見した科学者や技術者に安易に特許権を付与したり独占的利用を認めることはなるべく制限し、万人にその成果の利用を容認して、さらなる発明や発見を促したり、発明や発見のメリットを社会に広く均霑させようとする政策である。これは、19世紀後半から次第にアメリカ社会に浸透した独占禁止法理、すなわち、生産性を向上させ経済成長のメリットを国民が享受するには市場競争原理の貫徹が必要であり、それを阻む独占や寡占、あるいはカルテル等の経済行動を否定し排除しなくてはならないという考え方に根差した政策であった。
しかし、70年代に入り、日独の急速な経済成長によって深刻な産業空洞化の危機に直面するに至り、カーター政権が79年に産業技術革新政策に関する教書を公表し、アンチ・パテント政策を180度転換してプロ・パテント政策を打ち出した。翌年の80年に、政府研究機関の研究成果の移転を促すスティーブン・ワイドラー技術革新法や、政府資金を受けた研究開発プロジェクトについて、大学や企業等、研究を実施した機関に知的財産権を付与するバイドール法が成立し、82年には、特許侵害の審理を専門に行う連邦巡回控訴裁判所制度が創設された。
こうした一連の政策転換や制度改革の根底には、知的財産権の保護が及ばない汎用品の生産で競争しても価格競争に巻き込まれるだけに、産業の空洞化に歯止めを掛け雇用を増やし経済を再び力強い成長軌道に復帰させるためには、研究開発によって付加価値の高い製品・サービスを生み出すとともに、そうした製品・サービスの付加価値を守る強力な知的財産権制度が必要であるという強固な認識があった。さらにその後、レーガン政権以降、今日までプロ・パテント政策は継承され一貫して強化されてきた。連邦政府の科学技術予算は、物価上昇分を控除した実質ベースでみると、60年代半ばから80年代半ばまでほぼ横這いで推移したものの、80年代半ば以降、一転して趨勢的増加傾向に転じ、2003年度の予算規模は80年の1.8倍に達している。80年代半ば以降の教育改革も、研究開発を機軸に国際競争力を強化していこうとする国家政策の一環として位置付けられよう。そのスタンスは、とりわけ、数学と理科を重視する方針に端的に現われている。さらに、99年に21世紀IT 計画(Information Technology for the 21st Century )が、2000年には国家ナノテクノロジー戦略(National Nanotechnology Initiative )が打ち出され、近年においても、研究開発の推進による一段の国際競争力強化が明確に指向されている。
こうした諸点を踏まえたうえで、改めてわが国の科学技術政策を振り返ってみると、研究開発をめぐる近年の構造的変化への対応という面で必ずしも十分とは言えない。研究開発力の一段の強化と、それを原動力とする競争力や経済成長力の回復という観点から、とりわけ重要な課題と見直しの方向性を整理すると次の通りである。
第1は、民間の研究開発に対する支援が力強さに欠けることである。
世界各国の研究開発費をGDP 比で比較してみると、わが国は90年代に入り、ドイツを上回って世界最大の地位を堅持している。しかし、主体別動向をみると、わが国の構造は他の先進諸国と大きく異なる。先進主要7カ国について、まず、研究開発資金拠出サイドからみると、いずれの国でも最大の主体は企業セクターであるものの、そのシェアは、わが国が7割強であるのに対して、アメリカとドイツは6割強、フランスとイギリス、カナダが5割、イタリアが4割となっており、わが国の巨額の研究開発費は、短期的な業績変動に左右されず、競争力強化に真摯に取り組んできたわが国企業の積極的姿勢に大きく依存している。一方、資金拠出の第2位はいずれの国でも政府であるものの、そのシェアは、イタリアが5割、フランスが4割、ドイツやアメリカ、イギリス、カナダは3割であるのに対して、わが国は2割にとどまる。さらに、その政府の研究開発資金の拠出先をみると、アメリカでは企業向けが大学や大学院等、高等教育機関向けを上回る等、各国では、基礎・応用研究よりも、むしろ事業化に向けた個別具体的な開発研究を中心に、企業に対して積極的に研究開発資金が供与されているのに対して、わが国では、企業向けが、大学や大学院向けの1割に満たず、わが国特有の制度である独立行政法人や特殊法人向けを除くベースでみると、企業向け供与資金が政府資金に占めるシェアは3.2%に過ぎない。その結果、他の先進各国では、企業セクターで使用される研究開発資金は、企業セクターが自社あるいは他社の研究開発のために拠出した資金を1~4割上回るのに対して、わが国では下回る。企業が大学等へ拠出する資金より、政府から供与される資金が少ないためである。
戦後長らく、わが国は世界市場にも稀有な長期にわたる経済成長を実現してきた。その原動力の一つが、企業の旺盛な研究開発投資であったことに異論はなかろう。確かに、技術のみならず、市場や産業発展の面でも、連続性が維持されてきた20 世紀においては、企業セクターを中心に開発研究を推進する体制が最適なスキームであった。基礎・応用研究は大学や研究機関等、専門のグループが行い、その成果は特許権等、知的財産権によって限られた主体に独占されることなく、広く活用することが許され、そうした様々な要素技術のなかから、当該市場に最も近い主体が最良の組み合わせを選択することが出来たためである。
しかし、そうした連続性が断ち切られ、画期的な技術が生まれ、さらに新市場や新産業の創出・台頭が幅広い分野で見込まれるケースが次第に増えてくると、事業分野の成約を受けやすい個別企業だけに研究開発の任を負わせるのは適切でないし、成功確率の低下も懸念される。さらに、当面、中国経済の飛躍的発展が見込まれるなか、わが国経済が力強い成長軌道に復帰するには、80年代のアメリカ同様、研究開発と強力な知的財産権制度によって高付加価値の市場・産業を生み出す以外、根本的方策はない。
このようにみると、研究助成制度への応募資格を民間企業の研究者に拡大するだけでは十分とは言えない。まず、わが国でも、研究開発事業が単なる学術上の取り組みではなく、重要な経済政策の一つであるという位置付けを明確にすべきである。そのうえで、個別企業の研究開発プロジェクトに対するサポートを、研究資金の助成のみならず、ヒト・モノ・情報等、様々な側面から直接に、かつ質量両面から強力に行う一方、中国等、海外における個別の権利侵害行為に対しても、徹底して排除する強力な知的財産権制度を早急に確立すべきである。
第2は、研究開発支援制度の使い勝手の悪さである。
具体的にみると、様々な問題点が指摘される。まず、こうした制度は政府の施策の一環であり、予算と表裏一体の関係にあるため、当然のことながら、予算が決まらないと執行出来ない。創意に満ちた研究プロジェクトを発案しても、制度が1年サイクルで組み立てられているため、応募期間は通年ではなく、決められた期間内に応募する必要がある。さらに、いったん研究支援が決定されると、その後、研究内容を修正したり変更することは許容されないし、研究サイドの事情で前倒ししたり繰り延べたりする等、執行期間の変更も認められない。研究の進捗状況に応じた柔軟な助手の採用も困難なうえ、研究資金の供与対象が個人とされているため、研究者が多大な事務負担を負わざるを得ない。
こうした様々なデメリットに対する認識が拡がる一方、研究開発力の強化が、学術面のみならず、わが国経済にとって焦眉の急であるという危機意識が強まり、次第にコンセンサスとなるなか、研究支援態勢の弾力化が模索されている。例えば、上記の問題点に即してみれば、次の通りである。a.研究支援制度への応募期間を通年にし、随時研究プランを受け付ける。b.研究開発の進捗度合いに応じて資金の費消ペースも異なることから、余った資金については、年度を越えて繰り延べることを認める。c.予算の制約上、政府が国立大学を相手として研究開発助成金を供与出来ないことから、研究資金の供与対象が個人に限定されているため、大学の独立行政法人化に合わせて、政府の研究開発資金の拠出対象に、大学や研究機関等、組織も含めることとし、研究者の事務負担を軽減する。d.研究の進め方や助手の採用等について、研究者の裁量をより広く認める、等である。
研究開発は、将来予測が困難であるうえ、今日では、市場や産業の動向にも敏感に即応して、適宜軌道修正をしつつ、世界各地の研究チームに先駆けて成功を収めることが要請されるプロジェクトである。一定の条件を満たした者に対して免許を付与する等、典型的行政行為とは根本的に性格を異にする。こうした観点からみれば、従来の研究開発支援態勢では過度に硬直的なために成果に繋がり難く、研究支援態勢の弾力化に向けた模索は必然的な動きと捉えられよう。
しかし、今日、議論されている弾力化策だけでは、所期の目的を達成するには依然として不十分である懸念が大きい。ITを活用したバーチャルなアライアンスによって世界最強の研究開発チームを組成したり、世界各地にチームを点在させることで1日24時間体制を構築してスピードアップを図る一方、技術動向や市場の変化に応じて研究チームの構成を都度見直し、一段と激化した研究開発競争を勝ち抜こうとする取り組みが強まっているためである。すでに総合科学技術会議は、本年4月21日に公表した「競争的研究資金制度改革について」の意見書のなかで、海外の研究者も弾力的に活用した研究体制に加え、研究開発プロジェクトのマネジメント力強化に向けたプログラムオフィサーやプログラムディレクターによる一元的管理・評価体制の確立を提言している。こうした考え方をもう一歩進め、総合科学技術会議が指摘する研究者を研究チームと拡大解釈すれば、わが国の研究開発や知的財産権、さらにわが国経済にプラスとなる限り、研究支援助成対象を内外の大学や研究機関、企業に拡げることが可能になる一方、同様にマネジメント力の強化を拡大解釈すれば、研究の進め方のみならず、情勢変化に即応して研究チームや研究対象を一部見直すことをプロジェクト・マネジャーに認める余地が出来る。
わが国は、アメリカから遅れること20 有余年にしてようやくプロ・パテント政策を本格的に推進し始めた。それだけに、わが国が、研究開発による高付加価値市場・産業を原動力に経済再生を果たすには、アメリカをはじめとするプロ・パテント政策先進各国に劣る条件はもとより、同じ条件でも不十分であり、先行者を凌駕する使い勝手の良い研究開発スキームを構築出来るか否かが焦点となる。研究開発をめぐる構造変化に照らしてみれば、成果の上がるスキームに必要な条件は、a.入り口段階では、応募条件に制約を付さず、なるべく多くのプランを受け入れ、b.施行期間を設けて競争を促し、c.それらを踏まえて有望なプロジェクトを次第に絞り込む一方、d.技術動向や市場の変化に応じて、研究プロジェクトを都度見直し、e.事業化段階が近付くに従って、政府による積極的購買や事業ノウハウのコンサルティング等を行い、新事業創出に向けた推進力を強化することにあり、とりわけ、推進チームや研究対象を適宜変更出来る弾力的態勢が重要である。しかし、この面での対応は、プロ・パテント先進各国でも必ずしも十分ではない。わが国でも、近年、研究態勢の弾力化が進み始めている。アメリカ並みを実現することで満足することなく、この取り組みを一気に進め、世界に冠たる使い勝手の良い研究開発態勢の構築を目指すべきである。
第3は、知的財産権制度とのアンバランスである。
今般、改定された科学研究費補助金制度をみると、その注意事項として、第1に、科学研究費補助金は、学術の振興に寄与する研究を支援するものであるため、商品・役務の開発・販売等を直接の目的とする研究や業として行う受託研究は対象外である、との規定が設けられている。さらに、科学研究費交付決定通知書の補助条件として、補助事業者が、この補助金による研究成果により相当の利益を得たと認められる場合には、その利益の範囲内において補助金の返還を命ずることがある、との規定がある。
こうした規定は、基礎研究から応用研究を経て開発研究に至る研究開発のリニアモデルのもと、企業は開発研究を行い、大学や研究機関は基礎研究や応用研究を通じて学術振興を図る機関であるため、両者の活動分野は截然と区切ることが出来るという考え方をベースにしている。しかし、IT革命を経て、今日、研究開発をめぐる世界的な構造変化が進行するなか、そうしたリニアモデルは現実妥当性を次第に喪失しており、そうした規定は、逆に研究開発の推進を妨げる阻害要因ともなりかねない。
一方、わが国では従来、個別企業の研究開発を政府が積極的に助成するケースは稀有であったことも、こうした規定が置かれてきた一因として指摘されよう。その根底には、政府はつねに公平である必要があり、一企業だけをサポートするような政策を採ってはならないという考え方がある。しかし、そうした公平性を過度に重視した政策は、キャッチアップ過程にある国で採用可能な特殊な政策であり、普遍的ではない。目標や導入すべき技術が明白であれば、全員がそろって技術を習得し、目標をクリアすることで国全体の競争力強化が実現出来る。しかし、フロント・ランナーとなった国は、不連続な技術革新や新産業・新市場創出に向けて、多様な取り組みを同時並行的に推進し、有望なプロジェクトをより強力に支援する以外、有効な方策はない。公平性を重視して全員同じプロジェクトを推進する政策は、リスクが過大であり、適者生存原理に真っ向から違背する。
そもそも知的財産権制度とは、特許権等、発明者に対して一定の独占的地位を認め、経済的メリットの享受を許容することによって、発明に向けたインセンティブを強化すると同時に、投下資本等のコスト回収と資金調達を通じて、さらなる研究開発を促し、最終的に国民生活の向上や経済成長を目指そうとする政策目的に立脚したスキームである。確かに、研究開発のリニアモデルが妥当する時期であれば、基礎研究を推進する政策目的から、開発研究を排除する手段として補助金返還請求権を明記する意義があった可能性は否定出来ない。
しかし、リニアモデルが後退した今日、図らずも知的財産権が成立するほど、研究が成功してしまう可能性は小さくない。そうした研究の成功は、知的財産権制度が目指す一国経済の競争力強化という政策目的の実現であり、それによる利益を補助金返還という形で国庫に戻すことは制度として整合性を欠く。わが国経済の力強い再生実現に向け、a.民間の研究開発への支援強化、b.使い勝手の良い研究開発支援制度構築、c.知的財産権制度との整合性、の三つの観点を中核に据えた現行研究開発助成制度の抜本的見直しは喫緊の課題である。