Business & Economic Review 2004年10月号
【OPINION】
地域再生力強化に向けて
2004年09月25日 藤井英彦
(イ)わが国では、企業業績が2003年度の二桁増益に続き、2004年度には過去最高益の達成が見込まれるなど、景気回復が本格化するなか、一部の地方で成長力が弱まる事態が発生し、地域経済の停滞問題がクローズ・アップされている。例えば、地方別失業率の推移をみると、従来、地方間格差が拡大しても、その変化の方向は、改善するにせよ、悪化するにせよ、同様であった。これに対して、2003 年には景気回復を映じてわが国全体として失業率が低下するなか、地域別にみると、南関東や関西、東海などの地方で失業率が低下する一方、北海道や北関東など、一部の地方では逆に失業率が上昇し、地域間の連動性が後退した。
こうした現象に対しては、まず、厳しい財政制約下、公共事業抑制政策が推進されてきた結果、公的需要に対する依存が大きい地方ほど、その影響が鮮明に顕在化したという事情があげられよう。さらに、国際間競争が一段と激化している情勢下、わが国も大きな政府から効率的で民間活力を引き出す小さな政府への転換を迫られている現状を加味してみると、公共事業による需要喚起という従来型の景気対策を安易に地域経済の浮揚策として用いることは容易でない。そうした観点からすると、地域再生の成否は、まずもって各地域の自助努力に依存することになる。もっとも、自助努力だけで地域再生への取り組みが成功するとは限らないし、逆に、自助努力にゆだねた結果、地域経済の停滞が一層深刻化する懸念も否定できない。むしろ、地域に活力が残っている段階で地域の取り組みを支援することでトータル・コストが抑制され、さらに地域独自の成長パスの創出が展望される一方、政府機関や企業などとの連携あるいはサポートによって地域再生への取り組みが成功する経路も想定されよう。そうした認識をベースに、わが国でも地域経済再生に向けた様々な取り組みがすでに始動している。
まず2001年5月に都市再生本部が内閣に設置された。これは、1990年代を通じて経済の低迷が続き、東京や大阪をはじめ都市が競争力を次第に喪失するなか、わが国経済の再生を実現するには都市の活性化が不可欠であるとの認識のもと、構造改革の一環として都市計画や現行制度をゼロから見直し、それによって民間活力の積極的な活用を目指す取り組みである。すでに多くの施策が推進されており、主な項目として次の3点が指摘される。第1は都市再生プロジェクトである。これは、東京圏でのゲノム科学の国際拠点形成や大阪圏でのライフサイエンスの推進など、主として大都市圏の競争力強化を目標にしており、2001年6月の第1次決定から逐次進められ、2004年4月には第7次決定が行われた。第2は都市再生緊急整備地域の指定を通じた市街地整備の推進である。特定地域を都市再生の拠点と位置付け、緊急かつ重点的な市街地整備の推進を目指す事業であり、指定された地域は東京駅・名古屋駅・大阪駅周辺を嚆矢として2004年5月までで63地域に上る。第3は、大都市圏のみならず地方都市も含めた全国都市再生事業である。この事業の特徴は、a.都市計画や公共施設の管理権限など、市町村への権限の一本化を進め、b.NPO 法人など、様々な民間主体との連携・協働を通じて都市再生事業を推進すると同時に、c.市町村の創意工夫を活用するという観点からまちづくり交付金制度が新設され、それによって国から財政支援が行われることである。ちなみに、まちづくり交付金は2004年度に1,330億円が当初予算に計上されている。
次いで、2003年10月には、地域経済の活性化と雇用創出を目指して、地域再生本部が内閣に設置された。本制度は、国からの財政支援に依存する従来型の経済政策から脱却し、各地方が、自助と自立の精神のもと、それぞれの地域特性や住民ニーズを踏まえて自ら知恵と工夫を駆使した競争による活性化を図る一方、国はそうした地方の自助努力に対して支援を行うというスキームである。具体的には、a.国が、あらかじめ地域の要望を踏まえ、制度改正など、環境整備を行ったうえで、b.それぞれの地域が自ら地域再生のための計画を策定し、c.国は各地域の計画遂行を支援する、という手順で行われる。より踏み込んでみると、a.まず地域再生本部が各地域の地域再生構想の提案を受け付け、次いで各提案について、内閣官房が中心となって検討したうえで、政府としての対応策、例えば、公共施設の転用や道路・河川の活用拡大をはじめとする公共物利用の弾力化あるいは地方公務員の任期付採用の拡大などの規制緩和や権限移譲といった方策を、地域再生プログラムとして決定し、さらに、同プログラムに対して、各府省は政省令を改正する、あるいは法律改正が必要な事項については改正法案を国会に提出するための検討を進める、b.次に、内閣総理大臣が、地方自治体から提出された地方再生計画について認定を行い、c.計画が認定された地域に対して、地域再生プログラムで決定された支援措置が国から行われる。第1 回の手続きは、2003年12月19日~2004年1月15日の地域再生構想の募集に始まり、2月27日の地域再生プログラムの決定、5月6日~5月14日の地域再生計画の受け付けを経て、6月15日に地域再生計画の第1 回認定が行われたのに続いて、6月1日~6月30日に第2回目の地域再生構想が募集された。今後、9月には第2回の地域再生プログラムが決定され、2005年1月には地域再生計画の認定が行われる予定である。
このように都市再生本部や地域再生本部といった国を起点とする動きが着実に推進されるなか、地方自治体サイドでも、積極的に地域再生に取り組む動きが広がっている。典型例がPFIである。補助金や融資制度、さらに事業受託者の責任範囲が明記され、PFI事業の具体的着手の前提条件とされる実施方針が策定段階に至ったプロジェクトについて、2000年以降の年間件数の推移をみると、地方公共団体では11件、24件、27件、33件と年を追って増加しており、2004年は1~6月の半年間で19件となっている。ちなみに、国ベースでは2004年6月末までの累計で16件、大学をはじめとする公共法人では同じく本年6月末までの累計で26件であり、相対的に地方公共団体のより積極的な姿勢が色濃く反映された結果となっている。
(ロ)このようにわが国では都市や地域経済再生に向けて様々な取り組みが始動しているものの、そうした取り組みに死角はないのか。このところ景気の回復基調は次第に底堅さを増しており、雇用情勢も一段と改善に向かう兆しが窺われるなか、都市・地域再生事業は所期の目的を達成することが可能なのか。
こうした観点からみると、イギリスの経緯が示唆に富む。イギリスでは、74年の石油危機以降、経済停滞が次第に深刻化し、80年代のサッチャー改革を経て、90年代に入り、経済再生に成功した。ちなみに雇用情勢の推移をみると、失業率は、70年代前半の2%台前半から75年以降、年を追って上昇し、82年には10.4%に達し、80年代末のバブル期を除くと、93年の10.4%までほぼ10年にわたり二桁台で推移したものの、94年以降、一貫して低下し、2001年に4.8%とわが国を下回った。その後、今日までほぼ5 %弱の水準で推移しており、先進各国中、最も良好な雇用環境の創出に成功している。さらに、そうした経済再生を地方別にみると、地方から首都圏へ、あるいは首都圏から地方へ、労働力や資本の移動によって特定地域の競争力が強化され、その結果、イギリス全体として経済成長が実現されるといった、いわばゼロ・サム・ゲーム的成長スタイルではなく、ロンドン周辺の首都圏のみならず、イングランドの各地方、さらにスコットランドやウェールズも含め、総じてすべての地域で経済が成長して新規雇用が創出されており、拡大均衡型の経済成長が達成された。ちなみに、失業率の地域間格差も90 年代半ば以降一貫して縮小しており、過去10年についてみると、最も良い地方と最も悪い地方とのギャップは94年の6.1%ポイントから、2003年には3.3%ポイントへほぼ半減している。
こうした90 年代半ば以降のイギリスの経済再生と地域経済の復権には様々な要因を指摘することができる。まず第1は、サッチャー改革によるサプライ・サイドの強化である。周知の通り、79年に発足したサッチャー政権下、企業の公的負担が見直され、法人税の基本税率がそれまでの52%から、84年度に45%、85年度に40%、86年度に35%へ引き下げられる一方、国営企業の民営化や政府機関のエージェンシー化によって政府機能が縮小され民間セクターの活動領域が拡大された。さらに、こうした国内市場の魅力アップと市場原理の貫徹による民間活力の発揚を梃子に、欧米のみならず、日韓をはじめとするアジア資本も含め、外国資本の積極的な誘致活動が展開された。
加えて、89年の労働時間規制の撤廃や93 年の最低賃金制度の廃止など、労働市場改革も断行され、魅力的な国内市場の形成に向けたサプライ・サイドの強化策が強力に推進された。なお、労働政策については、ブレア政権が97年の発足直後に着手した“Welfare to Work Program”、すなわち、失業給付など福祉に依存するのではなく、長期失業者の訓練や教育、あるいは長期失業者を採用した雇用者に対する助成措置など、雇用者に対する能力開発の促進を通じて失業者の自立を図る政策も指摘される。
第2に、需要サイドについても、様々な要因が上げられる。すなわち、循環的な景気回復やアメリカ経済の未曾有の成長による輸出増加、あるいは、93年入り後、ポンド安が進行し、その結果、価格競争力が強化され輸出の増勢に拍車が掛かったことなどである。
また不動産価格についてみると、バブルの調整は90 年代前半で終了し、90年代半ば以降、再び上昇傾向に戻っており、評価益の増加を通じた資産効果あるいは評価益の実現によって個人消費や設備投資など、最終需要が刺激されたという経路も想定され得よう。
もっとも、こうした要因だけであれば、競争力を備えた地域では経済成長が実現されても、内外市場での企業間競争が年を追って厳しくなるなか、後進地域は経済発展に取り残され、一段と成長力を喪失して深刻な低迷に陥った可能性も否定できない。そこで、イギリスの地域再生政策の展開をたどってみると、90年代に入って政策が大きく転換されるなか、各地方での雇用者数の増加や失業率の低下にみられる通り、次第に成果が上がり、さらに近年では、90年代の政策を農村地帯の再生にも応用しようとする取り組み、いわゆる“Rural Challenge ”が始動している。そこで以下では、90年代と対比する視点から、まず80年代の政策動向を概観した後、90年代の地域再生政策の特徴を整理してみた[イギリス都市拠点事業研究会][柏][自治体国際化協会]。
(i)80 年代の地域再生政策
79年に発足したサッチャー政権は、企業セクターの公的負担軽減策をはじめ、様々なサプライ・サイド強化策と併せ、新たな推進スキームを相次いで創設し、地域経済の活性化を推進した。年次順に主なスキームをみると、80年に都市開発公社やエンタープライズ・ゾーンが、次いで82年には都市開発補助金、さらに86 年に都市再生補助金が創設されている。各制度の概要は次の通りである。
(a)都市開発公社(Urban Development Corporations )
都市開発公社は、炭鉱の閉山や工場の閉鎖などによって成長性を喪失した地域を都市インフラの整備によって再び活性化させることを目的とし、イギリス全体で81年以降14公社が設立された。そのうち、かつての港湾施設の再開発を目指したロンドン・ドックランド開発公社(London Docklands Development Corporation )は、シティーを中心にロンドン中心街が手狭になるなか、新たな産業集積地の形成を目指した取り組みとして、また、全都市開発公社事業費の過半を占める最大プロジェクトとして、さらに東京臨海副都心計画に先行するウォーター・フロント計画としてわが国でも有名である。今日、ロンドン東端に位置するドックランド地域には、地下鉄ジュビリー線が延伸され、金融業をはじめとした内外企業が進出し、オフィス街が形成されている。
そこで、改めて都市開発公社の開発手法をみると、典型例として、まず公社が遊休化した土地・建物などの不動産を購入し、次いで、公社が策定した開発計画のもと、道路や下水道などの都市インフラを整備した後、値上がりした区域内の土地を、あるいは土地のみならず、オフィスビルなど、建造物も含めて進出の意図を持つ民間企業に売却するといったパターンが指摘できる。それによって、公社は政府の一機関として財政負担の軽減を図ると同時に、資金や人材、ノウハウなど、民間活力の活用を通じた開発計画の円滑な実現が企図されていた。そうした観点からみると、都市開発公社によるプロジェクトの焦点は、a.利便性や成長性など、民間サイドからみてどれだけ魅力的な開発計画が作成できるか、b.次いで、当該開発計画の利点を周知させ、どれだけ有利な条件で物件を売却できるか、c.さらに、集積効果や開発プロジェクトの進展によって、どれだけ多くの投資を民間から引き出し、新たな雇用を創出できるか、の3点に整理される。こうした点から本事業をみると、80年代末のバブル崩壊によって地価が下落した結果、第2の物件の有利売却では必ずしも十分な成果が得られなかったプロジェクトがあるものの、総じてみると公社の支出総額を3~4倍上回る積極的な民間投資を呼び込み新規雇用を生み出した点を踏まえれば、第1および第3の面では所期の目的を達したと評価されよう。
もっとも、イギリスでは、それまで開発計画の策定と計画許可の権限は地方自治体の管轄事項であった。加えて、都市開発公社が国所属の機関である点を加味し、国と地方との役割分担という観点からみると、都市開発公社制度は、都市開発分野での権限が地方から国にシフトし、中央政府への権限集中が進行した制度と位置付けられる。これには、86年の大ロンドン(Greater London Council )廃止に象徴される通り、サッチャー政権が地方自治体の機能に深い疑念を抱き、都市開発事業の推進主体として地方自治体ではなく、民間活力を引き出せる主体あるいは制度を選好したという事情が指摘されよう。その結果、都市開発による経済的メリットは顕在化したものの、a.まず雇用面では、地域住民に新たな就業機会が生まれたケースは少なく、地域の雇用問題の解決には力不足であった、b.公社が担当した都市開発区域指定地域の周辺では、再開発や経済成長に取り残され、開発メリットの拡がりが地域的に限定的なものにとどまるケースが少なくなかった、などの問題点が指摘されている。なお、こうした反省は、その後、90 年代の地域再生政策に生かされることとなった。
(b)エンタープライズ・ゾーン
これは、都市再開発の促進を目的に、開発事業を行う民間企業の負担軽減を認める特例を、深刻な都市問題に直面している地域に限定して指定する制度で、都市開発公社と同様に、81年に発足した。主な負担軽減措置として、a.非居住用資産に対する固定資産課税の免除、b.商工業用建築物の建設費用全額に対する減価償却、c.高層建築物以外の建造物建設に対する個別許可の免除、の3点が指摘できる。第1および第2の租税負担の軽減措置は企業に対して都市再開発のインセンティブ発揚に作用したものの、第3の個別許可手続きの免除についてみると、制度上規制が一部緩和されても、現実には開発事業を行おうとする企業は地方自治体と都市計画について協議や交渉を行う必要があり、効果が限定的であった。加えて、都市開発公社制度と異なり、基盤インフラなどへの財政支援がなく、いわば、すべての事業リスクを民間サイドが負う必要があったため、円滑な進展に支障を来たし、発足後6年経過した87年、本制度の推進停止が決定された。
(c)都市開発補助金・都市再生補助金
82年に入ると、都市開発補助金制度が創設された。これは、都市の再開発事業の実施に当たり、政府サイドが事業費の全額を負担するのではなく、事業化が可能な部分については民間企業にゆだね、地方自治体は、道路や上下水道など、基礎的インフラを中心に事業化が困難な部分を担う制度であり、地方自治体が負担する事業費の75%を国が財政支援することに加え、都市再生を実現する計画であれば良く、事業分野に関する制約が課されなかった。都市開発公社による都市再生事業では指定区域に限定されるため、全国的な地域再生事業の展開を促進するために創設された制度との位置付けが可能であろう。
そこで都市開発公社制度と比べてみると、公社が国の一機関であるのに対して、都市開発補助金制度では、補助金を受領し都市再開発を行う主体が地方自治体であるという違いはあるものの、いずれもできるだけ魅力的な都市計画を策定し、民間資金を誘導することによって都市再生事業を推進するという枠組みは同様である。なお、こうした不採算部分の基礎的インフラ投資を政府が補い、都市再生事業のうち採算ベースに乗る部分について民間の投資にゆだねるスキームは“Gap Finance”と呼称される。
86年には都市再生補助金制度が創設された。これは、82年創設の都市開発補助金と相似しており、両制度の最大の違いは、都市再開発の推進主体が民間企業にも拡大され、民間企業が補助金を直接受領することができる点にある。ヒト・モノ・カネをはじめ様々な面で民間活力の活用を最優先し、地方自治体の機能を疑問視したサッチャー政権の姿勢が投影された制度と捉えられよう。両制度とも、都市開発公社と同様に、積極的な民間投資の導入と新規雇用の創出に成功し、地域再生政策としての成果を上げた。もっとも、いずれも、補助金交付の条件として、国、具体的には環境省に対して事業計画を提出し認定を受ける必要があるため、地域固有の事情に即した都市計画の立案や遂行に限界があった点は否定できない。
(ii)90年代の地域再生政策
80年代の地域再生政策を総括してみると、エンタープライズ・ゾーン構想は所期の目的が達成されなかったものの、それ以外の都市開発公社や都市開発補助金および都市再生補助金は政府サイドからの投下資本を上回る民間資本の呼び込みと新規雇用の創出に成功した。しかし、a.国主導型の都市再開発であったため、各地域の独自性を活用したり、特殊事情を踏まえて特別の手当てを講じるなど、地域特性に即した対応は困難であったうえ、b.第2 のシティーを目指したロンドン・ドックランド開発プロジェクトに象徴される通り、内外資本を問わず、民間資金の導入と活用を重要な眼目としたため、開発区域内では都市再生が実現されても、地場産業の再生・発展や地域の労働力活用など、地域経済の再生や競争力強化には限界があった。
こうした認識のもと、80年代の政策路線が修正され、90年代の地域再生政策が展開されていく。年次順に主なスキームをみると、91年にシティー・チャレンジ補助金が、次いで94年に単一振興予算が、さらに99年に地域開発公社が創設されている。各制度の概要は次の通りである。
(a)シティー・チャレンジ補助金
これは91 年に発足した制度であり、従来の補助金制度と比べてみると、民間の資金やノウハウなど、民間活力については同様に積極的に活用しつつ、地方自治体や地域住民など、地域のニーズを取り入れ、より強力な都市再開発の推進を図った点が異なる。具体的には次の2 点が指摘されよう。a.まず、再開発計画を策定し遂行する主体が、80年代のように民間企業でも、また、地方自治体でもなく、NPOなどの地域組織と地方自治体、民間企業の3者からなるパートナーシップとされ、その組成が補助金交付の条件とされたことである。その結果、本補助金制度による都市再開発事業では、出資参加企業の事業目的を反映させることでプロジェクトの実効性や推進力が強化されると同時に、地域ニーズの汲み上げを通じて地域特有の問題が克服され、地域経済の底上げが推進された。b.加えて、条件を充足する限り、提出された都市再開発構想を原則としてすべて承認する従来型スキームから、すべてのプロジェクトを子細に検討し、選定したプロジェクトに対して重点的に予算を投入する競争型スキームへ、補助金制度が切り替わったことである。これは、一般に、関与する主体が増えるほど、相互調整に手間取ったり、焦点が拡散し、結果としてプロジェクトの推進力が弱まる懸念が大きくなるなかにあって、競争原理の導入によってパートナーシップへの転換リスクを最小化し、それによってプロジェクトの円滑な推進を目指した仕掛けと位置付けられよう。
(b)単一振興予算(Single Regeneration Budget )
91年に始まったシティー・チャレンジ補助金制度は、94年に創設された単一振興予算制度のなかのチャレンジ・ファンド制度に吸収され、発展的に解消された。そこでまず、単一振興予算制度の概要についてみると、これは、それまで地域再生関連予算として国の各省、具体的には、環境省と内務省、教育省と貿易・産業省、雇用省の5 機関が管轄していた20の補助金を一つに再編・統合し、環境省の所管とした制度である。こうした制度改正が行われた背景として、地域開発事業には、単に都市インフラの整備にとどまらず、教育や保育・医療サービスの拡充など、様々な取り組みが必要であり、円滑かつ総合的な事業の推進には補助金制度の管理・運営の一元化が必要との認識が浸透・定着したという事情が指摘されよう。
チャレンジ・ファンド制度は、そうした単一振興予算に集約された各補助金のうち、実施期間が経過した補助金や打ち切りとなった補助金の財源を転用することによって始まり、次第に規模が拡大した。シティー・チャレンジ補助金制度と対比してみると、パートナーシップによる推進体制と競争原理によるプロジェクトの選別の2点は同様であるものの、相違点も少なくない。主なポイントとして次の3 点が指摘される。a.まず事業期間では、シティー・チャレンジが一律5年であったのに対して、チャレンジ・ファンドでは1~7年とされ、柔軟性が増した。b.次いで対象地域をみると、シティー・チャレンジでは深刻な停滞に陥った都市中心部に限定されたのに対して、チャレンジ・ファンドでの条件は経済的問題を抱えた地区という点に限られ、富裕地域でも申請が可能とされた結果、全国的に幅広く活用されることとなった。c.さらに年々の補助金支給に当たり、シティー・チャレンジでは特段の問題がない限り原則一定額が交付されたのに対して、チャレンジ・ファンドでは地域再生事業の進捗度合いに応じて補助金が交付されるため、評価制度の拡充と相俟って、都市再開発計画の進展プロセスにおいても、その実効性を確保するスキームが整備・確立されることとなった。
なお、単一振興予算制度には、チャレンジ・ファンド制度が創設された以外に、都市開発公社と住宅振興財団、イングリッシュ・パートナーシップの3機関が併合された。都市開発公社の概要は上述の通りであるが、住宅振興財団は88年に発足した公営住宅再生を通じた地域再生スキームであり、いずれもサッチャー政権下に創設された制度である。これに対して、イングリッシュ・パートナーシップは、93年に発足した国の機関であり、今日まで主としてニュータウンの建設による住宅の供給と商業地域の開発を、地方自治体や民間事業者、あるいは地域のNPO など、様々な主体との連携・協働を通じて行ってきた。都市再開発に当たり、都市インフラの整備など、初期コストを負担してプロジェクトの採算を改善し、民間資金の円滑な導入を促進することで開発事業の成功を図る、いわゆる、レバレッジ型開発手法が引き続き活用されている。例えば都市開発公社や都市開発補助金制度で利用された“Gap Finance ”や、賃貸オフィスや賃貸住宅での入居募集に対して応募が少なく、賃料収入が見込み額を下回るリスクを補填するスキームとしての賃料保証、いわゆる“Rental Guaantees ”などのサポートをイングリッシュ・パートナーシップが行い、再開発事業の推進力強化が図られている。
(c)地域開発公社(Regional Development Agency )
98年に地域開発公社法が成立し、同法に基づき、99年に八つの地域開発公社が、2000年にはロンドン開発公社が設立され、イングランド全域にわたり地域開発公社制度が発足した。なお、ウェールズとスコットランドについては、99年のスコットランド議会およびウェールズ議会の発足に伴い、地域開発権限が国から両議会に移譲された。
本制度は、従来の再開発事業が都市中心に行われてきたのに対して、地域経済の活性化を一段と強力に推進するには、都市あるいは都市内の一区域について開発事業を行うだけでは不十分であり、地域全体として、さらにインフラ整備や人材育成、保育・医療サービスの拡充も含め、総合的かつ長期的見地に立って取り組んでいく必要があるとの認識のもと、上記、単一振興予算に集約された予算以外で、国の各省庁に分散していた地域開発関連の権限と予算を地域開発公社に統合することで創設されたスキームである。単一振興予算の管理運営についても、94 年の発足当初こそ国の環境省が行っていたものの、99 年以降、地域開発公社に引き継がれている。
さらに、2002 年には単一予算制度が発足し、地域開発公社の事業展開に一段と大きな自由裁量が認められた。すなわち、従来、地域開発公社に国の各省庁から付与されてきた事業費が一本化され、省庁の判断ではなく、人口や失業率などが組み込まれたフォーミュラによって各地域開発公社に配分されたうえ、地域開発公社はそれぞれの判断に基づいて計画を立案し事業を執行することができるようになった。なお、単一予算制度の発足に伴い、単一振興予算は本制度に統合された。
(ハ)地域再生に関する80年代以降のイギリスの取り組みを総括してみると、次の4 点が指摘される。すなわち、a.再開発の目的が、遊休地の活用など個別区域の経済力強化から、教育や保育・医療サービスも包括した地域全体の総合的活性化へ拡大された。b.推進母体が、国や地方自治体、あるいは民間事業者などの単独型から、NPOなど地域住民の代表と政府と民間企業からなる三位一体型パートナーシップに転換して、多様なニーズの実現が図られた。c.一方、補助金制度の一本化や競争原理の導入、あるいは目標の達成度合いに応じた補助金給付など、制度の弾力化と規律の厳格化によって事業の推進力を強化し、プロジェクトの円滑な進展が促進された。d.それと同時に、国が中心となって推進するとナショナル・ミニマム原理が重要な行動基準となる結果、画一性の弊害に陥り易く、地方、地方自治体が中心となれば管轄区域内への関心が先行しがちとなるなか、地域開発公社を中核と位置付けることによって、地域全体にわたる総合的かつ有機的開発スタイルが追求されている。
わが国には地域開発公社類似の制度がないため、第4点を除く3点に即して、改めて現行のわが国の都市・地域再生政策をイギリスの取り組みと対比してみると、次の通りである。a.東京圏でのゲノム科学の国際拠点形成や大阪圏でのライフサイエンス推進、あるいは東京駅・名古屋駅・大阪駅周辺事業などにみられる通り、個別地域の経済力強化の色彩が濃厚であり、総合的推進という視点は希薄である。b.地方自治体や地域NPO の参画が提唱されているものの、制度上、必須要件とされていないうえ、財政負担の軽減のみならず、プロジェクトとして再開発を成就させるには民間主体のイニシアティブが不可欠であるなか、民間活力の導入という観点ではPFI の活用の推奨にとどまり、PPPs (Public Private Partnerships )など、三位一体型パートナーシップについては、少なくとも現時点では今後の課題という位置付けにとどまっている模様である。c.わが国では、教育や保育・医療サービス分野を含め、地域再生計画の総合的推進に必要な予算や権限が総じて国に帰属しており、構造改革特区や地域再生構想を通じて個別に取り組みが行われているのが現状である。加えて、補助金制度についてみると、2004年度にまちづくり交付金制度が創設され、1,330億円が計上されたものの、その代わり、公共事業費は5,500 億円規模で整理・合理化され、まちづくり交付金との差額について財源が手当てされていないため、公的セクター以外に負担できないリスク、すなわち、再開発事業を採算に乗せ、民間投資を誘発するために必要な初期投資コストの捻出が容易でない。
こうした現状を踏まえ、わが国の地域・都市再生政策の推進力強化に向けた喫緊の課題を整理すると、a.特定補助金など個別方式から包括方式、あるいは一括交付金への補助金制度の抜本的見直しや[持田]、b.特区改革の推進および三位一体改革による国から地方への権限移譲、c.さらに、政府と民間企業、NPO など地域団体の三位一体型パートナーシップによる推進スキームの構築が必要となる。そうした一連の改革断行の前提条件として次の3点が指摘できる。
第1 はサプライ・サイド強化策である。とりわけ、新事業・新産業創出スキームに加え、行財政改革や企業に対する公的負担の軽減が焦点となる。新事業・新産業創出スキームや行財政改革については別稿で検討したので、以下では、企業に対する公的負担の軽減に焦点を当ててみると、次の通りである。まず、国際規模で自由に資本が移動し、企業や個人が市場を選択する時代が到来した90 年代以降、海外資本を呼び込むだけでなく、国内資本の海外流出を抑制するためにも、他の国々よりも魅力的な国内市場の創出・整備が、各国政府にとって、持続的経済成長を実現するための必須要件となっている。これは、サッチャー改革やレーガン改革によって、90 年代半ば以降、英米両国に直接投資を中心に海外資金が流入し、経済の活性化が実現された成功事例がモデルとなっている。さらに、持続可能な年金制度を構築したとして近年わが国で注目されることの多いスウェーデンの改革も、企業に対する公的負担という視点からみれば、その軽減によって、内外資本の流出に歯止めをかけ、その逆流によって新規雇用を創出し経済再生を実現することが最大の目的であった。一連の改革によって、失業率が97 年の10.2 %から2002 年に5.1 %へ低下するなど、スウェーデンは持続的な成長軌道への復帰に成功した。ちなみに、同国の企業セクターに対する法人所得課税および年金負担の合計の推移をGDP 比でみると、改革前の90 年の9.8 %から2001年には7.8%へ低下している。
第2は競争原理の導入である。これは、イギリスのシティー・チャレンジ補助金にみられる運用面での導入にとどまらない。とりわけ、制度間競争と主体間競争が焦点となろう。まず制度間競争についてイギリスの例に即してみると、地方行政のスキームとして、国が直接統治する一層制、国と基礎的自治体からなる二層制、国と広域自治体、基礎的自治体の三層制の3タイプが並存する。その結果、事実上、制度の違いによってパフォーマンスに格差が生じ、切磋琢磨を通じて行政サービスの向上が図られると同時に、それが、より良い制度を整備・創設する手掛かりを提供している。一方、主体間競争についてはイギリスやアメリカの基礎的自治体が格好の事例となろう[岩野]。そこでは、わが国のように議会と行政主体がセットになって自治体が形成されるケースだけでなく、a.市議会の議長が市長を兼務し、行政事務の運営に当たる兼務型、b.市議会議員が、市長とは別に行政サービス遂行の専門家として市支配人(City Manager )を選任し、当該人に市政をゆだねる支配人型、c.市民が個別サービス毎に専門家を理事として選出して業務をゆだね、数名の理事によって市政全般が遂行される理事会型などがあり、様々な主体によって行政サービスが提供されてきた。なお、理事会型は、20世紀初頭、民間人によって行政サービスが代行されたことが発端となって定着した制度である。その点からみれば、近年の公的サービスのアウトソーシングや民営化は、戦後の高成長によって許容された大きな政府路線は国際競争が激化するのに伴って抜本的に見直されるなか、改めて過去への回帰を指向する動きと位置付けることもできよう。それによって初めて、公的負担軽減に繋がる行政コストの削減や、開発プロジェクトを成功に導く強力なマネジメント力の確保が可能になる。
第3はNPO法制の整備・拡充である。近年、先進各国では総じてNPOが様々な分野で活動範囲を拡大させ、政府、企業に次ぐ第三セクターとして、あるいはインディペンデント・セクターとして台頭している。これは、住民サービスに対する需要が拡大と多様化の一途をたどるなか、公的セクターでは、財源や人材などの資源制約から供給能力のさらなる拡大が困難である一方、企業セクターでは、競争激化に加え、成長性や収益性の一段の向上が迫られるなか、社会的責任の実践に限界が生じている結果と位置付けられる。さらに、このところのNPO活動の拡大には、そうした政府と企業の残差という消去法的位置付けではなく、むしろ積極的な評価が付与されるケースが少なくない。すなわち、a.財政面からみると、部分的な財政支援によってより大きなサービスが提供され、いわばレバレッジ効果が期待できるため、租税などの公的コストが圧縮される一方、b.サービス面では、国のようにナショナル・ミニマムの制約条件がなく、地域密着型サービスのため、多様かつ費用節約型の事業展開が可能であり、c.加えて活動スタイルでは、単年度決算など、制約の多い公的セクターに比べて自由な活動ができるため、関連事業の積極的展開によってキャッシュ・フローを生み出して活動資金を補填することができ、その分、公的セクターからの財政支援の軽減を図ることも可能である、などの利点である。イギリスでも、単に再開発事業のパートナーとして行動するだけでなく、NPOの活動領域は、医療や介護、さらに教育や研究など、様々な分野に拡大している。そうした活動の拡大を支えているのは、政府サイドからの部分的な財政支援と同時に、寄付や活動収入に対する課税が免除されている点が大きい。具体的には、寄付者については寄付相当額の所得控除が認められる一方、NPO サイドでは、法人税や所得税が免除されるうえ、付加価値税の納付義務が免除されている。
90 年代後半、国内外を問わず、高コスト問題を抱えるわが国経済の行方を懸念する見方が根強かった。しかし、近年、国内回帰の動きが拡がり、それが景気回復の重要な原動力の一つとなっている。こうした動きは、裾野の広い産業構造や稠密な企業集積、高水準の労働力など、わが国経済の強みが再評価された結果であり、そうした点に着目すれば、単純にコスト競争力だけで成長力を測ることはできないといえよう。もっとも、強靭な非価格競争力を創出する力をわが国の全地域が十分に持つまでにはいまだ至っていないのも事実である。そのため、現状を放置すれば、地域によっては成長力が一段と喪失され、自助努力による自律的再生の道が閉ざされる懸念は否定できない。国境を超えて経済競争が一段と激化するなか、独自の成長メカニズム構築に向けた地域再生の取り組みは喫緊の課題となっている。