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Business & Economic Review 2003年04月号

【OPINION】
デフレ克服の処方箋

2003年03月25日 藤井英彦


  1. はじめに

    わが国が現時点で直面する最大の課題はデフレ克服である。この問題については、今日まで様々な議論が行われ蓄積されてきた。それらをベースにし、現実を虚心坦懐に受け止めれば、結論はすでに明快であるように思われる。しかし、現状をみる限り、デフレ克服策を巡る議論はいまだ紛糾して定まるところを知らず、貴重な時日が無為に経過している。そこで本稿では、改めて現下の議論を整理し、現状を踏まえつつ、デフレ克服策のあるべき姿を探ってみた。

  2. インフレ・ターゲット論の当否

    このところ、デフレ克服策としてインフレ・ターゲット論が台頭している。これは、デフレを退治するには、中央銀行が、単に量的緩和策を採るだけでなく、具体的に物価上昇の目標を設けて、企業や個人など、経済主体の将来に対する前向きの期待形成を促し、デフレ・マインドの払拭を図るべきであるという主張である。しかし、インフレ・ターゲット論には批判も少なくない。そこで、インフレ・ターゲット論に対する批判、これに対する反論、インフレ・ターゲットの論拠などについて整理してみると次の通りである。

    (1)輸入デフレ論

    第1に輸入デフレに関する議論がある。
    まず、インフレ・ターゲット批判派は、インフレ・ターゲットは物価上昇の抑制に有効なツールであるものの、物価下落の回避には必ずしも有効でなく、とりわけ、低価格の輸入製品・サービスが国内市場に浸透するという世界的な構造変化によって物価下落圧力が増大しているなか、インフレ・ターゲット策を採り入れて一定の物価上昇の目標値を設け、デフレ克服を目指しても、その効果は限定的と批判する。
    これに対して、インフレ・ターゲット論者は、そうした批判には根拠がないと主張する。そうした反論のうち、代表的な主張の一つが、輸入価格の低下は絶対価格の低下でなく、相対価格の変化に過ぎない、すなわち、輸入価格の低下は、一国経済全体の価格水準を低下させるのではなく、単に輸入財・サービスと国内財・サービスとの相対価格の変化を惹起するのにとどまるという指摘である。こうした点を主張する論者は、総じて、一国経済全体でみれば、一部の財・サービスの価格が低下すると、その分、実質所得が増加して、その他の財・サービスに対する需要が増加する一方、需要が増加し需給が引き締まる結果、その他の財・サービス価格が上昇するケースがあり得るとし、したがって、一部の財・サービスの価格低下によって、経済全体の価格水準が低下するとは言い切れないばかりか、むしろ上昇するケースすら想定可能である、と主張する。さらに、そうした指摘を行う論者のなかには、わが国以外の欧米先進各国経済、とりわけアメリカ経済は、中国をはじめ海外から安い製品を長らく輸入してきているものの、少なくとも現時点において一国経済全体の価格水準が低下する、いわゆるデフレ現象には陥っていない点を指摘し、輸入価格の低下とデフレ現象は明確に分けて考えるべきであるとする向きもある。
    確かに、欧米経済とわが国経済が同様の生産構造に立脚していると仮定すれば、価格の低い財・サービス輸入増大の影響は欧米とわが国で同様となる筋合いである。しかし、果たしてそうか。わが国経済は、2002 年の通関ベースでみた貿易黒字が9 兆9,000 億円に達し、GDP 比2 %に及ぶなど、現時点でも引き続き強力な工業生産力を国内に堅持しており、産業空洞化や生産拠点の海外シフトが進行した欧米各国と根本的に異なる。そこで、国内生産拠点がある国とない国とで製品輸入増加の影響にどのような違いがあるのかを整理すると、次の通りである。
    まず、国内に生産拠点がない場合、低価格の輸入製品が国内市場に浸透すると、実質所得が増加する一方、国内雇用へのダメージはないため、家計や企業サイドで先行き不安心理が強まるという悪循環は発生せず、むしろ、実質所得の増加が、消費や投資など、国内民需の増加を経て所得・雇用環境のさらなる改善に寄与する経路などを通じて拡大サイクルに繋がりやすい。こうしたケースでは、仮に何等かの外的ショックなどによって一国経済全体の価格水準が下落するリスクが強まるとしても、需要が堅調であり、先行き不安心理がないだけに、貨幣供給量の増加を通じて、相対価格の変化に伴う需要増加と需給逼迫メカニズムを強化し、物価下落リスクの回避を図ることが可能である。
    それに対して、国内に生産拠点がある国では、低価格の製品輸入が増加すると、それによって実質所得が増加するというメリットについては国内に生産拠点がない国と同様に発生するものの、それ以外では全く事情が異なる。まず、国内経済資源の過剰問題である。代表的経済資源であるヒト・モノ・カネについて各々の動きをみると、国内生産の減少によって失業が増加する一方、工場の設備稼働率は低下し、金利は低下傾向をたどる。次いで、こうした産業空洞化の動きが定着すると、家計や企業など、経済主体は国内産業空洞化のさらなる進行を前提に先行きに対する慎重な予想を立て始め、相互に不透明感や不安心理が増幅されるなか、家計や企業の経済行動で慎重かつ防御的色彩が強まる。さらに、その結果、個人消費や民間投資に翳りが拡がり成長軌道が下方屈折する一方、企業業績の悪化や資産価格の低下を通じて金融セクターでは不良債権問題が発生・深刻化して経済資源の過剰問題が一段と深刻化し、経済資源の過剰問題に端を発した悪循環がスパイラル的に進行し始め、輸入財・サービスの価格低下が一国全体の価格水準低下に波及する。
    無論、欧米各国も先進経済諸国であり、全く国内に生産拠点を持たない国は皆無である。そのため、近年においても、アメリカが鉄鋼の輸入制限に踏み切るなど、国内に生産拠点がある場合、製品輸入の増加が深刻な政治的・外交的問題に直結した例は枚挙に暇がない。しかし、巨額の貿易黒字を堅持するわが国と比べてみれば、少なくとも現時点において、欧米各国は、米英など巨額の経常赤字国を筆頭にいずれも国内の工業生産基盤が脆弱であり、その分、低価格の製品輸入の増加に伴う実質所得増加のメリットが享受されやすく、逆に、わが国は実質所得増加のメリットよりも、経済資源の過剰問題に伴う悪循環に直撃されやすい。欧米の経済理論を安易にわが国へ導入・適用することは厳に慎むべきであり、両者の差異を踏まえた適切な処方箋を改めて作成することが不可欠である点を明確に示す格好の事例といえよう。
    もっとも、こうした議論に対して、インフレ・ターゲット論者のなかには、今日の為替相場は固定制でなく変動相場制であって、対外収支の不均衡があれば為替相場の変動により、調整が行われると主張する向きもある。しかし、現実の為替相場は、80 年代前半の円安ドル高期と後半の円高ドル安期に象徴される通り、為替市場の調整速度が一定せず調整期間が極めて長期化するケースが少なくないうえ、オーバーシュートしやすく安定的でないため、必ずしも均衡点に収束するとは限らない。加えて為替相場は、畢竟、二国間の通貨交換比率を定めるものに過ぎないだけに、近年、生産・貿易取引が一段と複雑化し多国籍化してきた現状を正確に投影させることは容易でない。加えて、そもそも今日でも巨額の貿易黒字を有するわが国経済にとって、少なくとも当面、大幅な円安進行は期待薄である。

    (2)金融の中立性命題

    第2に、インフレ・ターゲットの主要な論拠とされる金融と実体経済の中立性命題について検討しよう。すなわち、インフレという一国経済の価格水準の持続的な上昇や、デフレという価格水準の持続的下落は、実体経済と因果関係のない貨幣的現象であって、貨幣供給量の調節を通じて制御可能とする考え方である。
    確かに、この考え方が現実妥当性を持つ場合もあり得るし、それが実際に現実化したケースもあった。戦後わが国で現実化したその典型例が1973~74 年の狂乱物価であろう。しかし、当時のわが国経済は、貿易取引は積極的に行われていたものの、今日のように、単に生産・供給システムにとどまらず、ヒト・モノ・カネなど、経済資源が容易に国境を越えて流動化が進み、その結果、国内生産への需要が大きく変動することはなかった。そうした今日に比べて相対的に開放度の低い経済、すなわち、一定量の供給力と需要が存在し、両者がリンクした経済では、貨幣量の変化が一国経済全体の価格水準を左右する鍵となる。それに対して、今日のように、需要が海外に漏出する、あるいは海外から流入する結果、国内生産に対する需要量が大きく変動し、経済資源の深刻な過不足が発生するまで国境の垣根が低くなった開放経済のもとでは、貨幣量が変化しなくても、国内需要の海外シフトや海外から国内への需要シフトによって価格水準が変化してしまう。
    もっとも、需要の変化による価格水準のシフトは持続的でなく、需給の新たな均衡点で価格水準が収束することが通例であるとされてきた。しかし、これは、従来型経済モデルのもとで需要量の変化が生じても、それは、増税や減税、あるいは原油価格上昇に伴う影響など、総じて一過性のショックに起因するものにとどまるためである。今日のように、短期間には解消出来ない大幅な内外生産・供給コスト格差が厳然と存在し、それを利用した海外への生産拠点シフトや開発輸入の増大によって国内需要の海外漏出が趨勢的に拡大する事態は従来型経済モデルの想定外であり、この場合、一国経済全体の価格水準の持続的下落、すなわちデフレ現象が貨幣供給量の変動なしに生じ得る。このようにみると、金融と実体経済の中立性命題は一定条件のもとで成立する理論であり、普遍性はないといえよう。
    加えて、インフレ・ターゲット論がベースとする量的緩和政策の効果が疑わしく、この点はこのところの金融政策によってすでに実証済みではないかとみられることである。
    まず、わが国金融政策の推移を振り返ってみると、日銀は、2001年3月に、それまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)に代え、市中銀行が日銀に保有する当座預金残高を金融市場調節の主たる操作目標とし、その後、その目標額を数次にわたり引き上げ、量的緩和政策を強力に推し進めた。具体的にみると、日銀当座預金残高目標額は、2001年3月の5兆円から、同年8月に6兆円、9月の6兆円超を経て、12月には10~15兆円へ引き上げられている。次いで2002年2月には、目標額は据え置かれたものの、当面、年度末に向けて金融市場の安定確保に万全を期すためという観点から、日銀当座預金残高の目標いかんによらず、一層潤沢な資金供給を行うとの方針が決定・公表された。
    次に、計数の推移をたどってみると、まず、日銀当座預金残高は、量的緩和政策への転換を受けて、2001年3月から2002年初まで目標額に沿って着実に増加した後、2002年2月以降ほぼ恒常的に目標額の上限である15兆円を上回って推移している。確かに、2002年3~4月や同年11~12月には、年度末や年末情勢に備えて一層潤沢な資金供給を行おうとする日銀の政策が投影された可能性が大きいものの、そうした特殊要因の稀薄なそれら以外の時期でも10~15兆円の目標レンジに収まらず、恒常的に15兆円の目標上限額を上回っている。このように量的緩和政策が過去に類例がないほど積極的に行われてきたものの、マネーサプライの増勢は逆に2002年年初から年末にかけて次第に鈍化した。ちなみに、M2+CDベースでは、2002年3月の前年比3.7%増をピークに12月には同2.2%増へ、広義流動性では2001年12月の同2.1%増、2002年1月の同1.8%増をピークに12月には同1.2 %増へ落ち込んでいる。
    こうした現象、すなわち、日銀と市中銀行との関係を示す日銀当座預金の推移と、実体経済で流通する貨幣量を示すマネーサプライの矛盾するこのところの推移を総合してみると、日銀は市中銀行に対して潤沢な資金供給を行っているものの、供給された資金は、市中銀行から実体経済に流れるのではなく、逆に日銀に還流していると総括することが出来る。それでは、その原因は何か。
    一部には、その原因として不良債権問題による民間金融機関の機能低下を指摘する向きもある。仮にそうであるとすれば、不良債権問題とは無関係な政府系金融機関や外資系金融機関の貸出残高は増加する筋合いにあろう。しかし、いずれの貸出残高も減少を余儀なくされている。まず、政府系金融機関の貸出残高は、個別には増加している機関もあるものの、総じてみると、2001年末に減少傾向に転じた後、月を追って減少傾向が加速し、2002年11月には前年比減少額が6兆円を突破した。一方、外資系金融機関も2002年半ば以降、急速に貸し出しスタンスが後退し、2002年12月には円貸出残高が前年比9,000 億円の減少に転じている。
    こうした点を加味してみると、日銀への資金還流は、不良債権問題や金融セクターの貸し出し姿勢の消極化などによって金融仲介機能が低下した帰結との見方よりも、むしろ深刻な経済停滞を投影した実体経済の資金需要の弱さ、すなわち、需要不足に起因するとの見方のほうが、より妥当性が高い。
    なお、そうした状況であるからこそ、インフレ・ターゲットを設定することで、個人や企業など、経済主体の先行きに対する期待の改善を図ることが必要であり、それによって量的緩和政策の効果を顕在化させるべきであるとする主張もある。しかし、一般に、経済主体の将来期待は、失業懸念の後退や所得・雇用環境の改善など、実体経済の動きに応じて形成され、インフレ・ターゲットの設定と直接の因果関係は稀薄である。仮に、インフレ・ターゲットによって経済主体の将来期待を誘導しようとしても、それが実体経済と乖離したものである限り、実態を欠いた期待は早晩消失する公算が大きいうえ、そもそも賢明なわが国経済主体が、実態から乖離した政策に誘導される可能性は小さい。現下の量的緩和政策の帰趨が、その格好の証左であろう。

  3. 積極財政政策の必要性

    それでは、デフレ克服に有効な政策は何か。
    まず、わが国経済が直面する問題を改めて整理してみると、現下の深刻な経済停滞の根因は、強力な価格競争力を武器とする輸入財・サービスが国内市場へ急速に浸透・進出したことによって発生したヒト・モノ・カネをはじめとする国内経済資源の深刻な過剰問題であり、言い換えれば、海外への内需流出に伴う国内経済リソースに対する大幅な需要不足問題と集約されよう。このようにみると、金融政策よりも、むしろ財政政策の活用こそデフレ打開の中核と位置付けられる。もっとも、わが国経済が直面する現下の苦境は、繰り返すまでもなく、単なる需要不足問題ではない。中国をはじめとして東アジア経済が飛躍的経済成長を遂げるなか、戦後の高度成長を実現してきたキャッチアップ型経済成長モデルという過去の成功体験から脱却して新たな成長モデルへの転換を目指す、すなわち、新技術やナレッジをベースとした高付加価値産業を創出し、それによって過剰な国内経済資源の活用を図り、さらなる生産性向上を実現するという、いわば生みの苦しみに起因する。そうした観点を加味すると、デフレの克服とわが国経済再生の実現に必要な財政政策とはどのようなものか。

    (1)公共投資の再評価

    第1は公共投資の再評価である。
    この考え方には多様な異論が予想される。今日、公共投資には様々なマイナスの評価が根強く浸透しているためである。例えば、a.一時的に需要が盛り上がっても、時間の経過とともに需要は減衰し、建設国債など、公的債務が増加するだけであり、問題の先送りに過ぎないという批判や、b.今日のように、わが国経済の輸入体質が次第に増大しているなか、公共投資が上積みされ国内需要が増加しても、増加した需要の相当部分が輸入の増加によって海外へ流出するため、景気の浮揚効果が限定的であるという指摘がある。ちなみに、旧経済企画庁の計量モデル分析によると、公共投資の名目GDPに対する乗数効果は趨勢的に低下しており、3年目までの累計ベースで、67~77年を推計期間とする世界経済モデルIの2.72から、85~97年を推計期間とする短期日本経済マクロ計量モデルでは1.97まで落ち込んでいる。さらに、c.利用度合いの低い道路や港湾など、非効率なインフラ投資が行われた場合、単にわが国経済の供給力や競争力を強化する効果が小さいだけでなく、維持・補修コストの累増によって歳出増加圧力が中長期にわたって増大する一方、財政の自由度がさらに失われ、硬直化が進行するとの懸念も表明されている。加えて、国債など、政府債務残高がすでにGDPを上回り、先進国中最大の政府債務国に転落するなか、歳出抑制努力にもかかわらず、債務の増加傾向には依然歯止めが掛からないという深刻なわが国財政状況が事実上、公共投資をはじめ、様々な歳出への厳しい制約条件となっている。こうした公共投資に対する否定的な考え方が支配的となる一方、深刻な財政状況に対する認識がコンセンサスとなるなか、2003年度当初予算でも、公共投資関係費は前年度当初予算比3.7%の減少となっている。
    しかし、そもそも公共投資に対する否定的な考え方は正鵠を得たものか。
    まず、公共投資の需要誘発効果や生産誘発効果についてみると、今日の懐疑的な見方は工事単価の見直しによって大きく変わる可能性が大きい。これは、わが国建設工事単価の80 年代半ば以降の推移を公共工事と民間工事で対比してみると、91年度まで、すなわちバブル崩壊直前までの局面では、公共工事と民間工事の工事単価は上昇しつつも、ほぼ同水準で推移し、両者に大きな格差は無かったものの、92年度以降になると、民間工事単価が、バブル崩壊を受けて一転して低下傾向をたどったのに対して、公共工事は逆に趨勢的上昇傾向を持続したためである。その結果、両者の格差は近年大きく拡大し、民間工事単価を基準に公共工事単価の倍率をみると、最も格差が小さかった90~91年度の1.1倍から2001年度には1.8倍に達している。仮に、土木工事も建設工事と同様の公・民価格格差があり、公共投資の単価が民間並みまで見直されるとすると、実質ベースでみた景気浮揚効果は、公共投資額が半減された場合でも従来比差異がない一方、公共投資額が横這いの場合には、従来比1.8 倍に及ぶことになる。工事単価を見直すことで、公共投資予算の上積みをあえて図らなくても、投資の乗数効果による需要創出メカニズムを作動させ、強力な景気浮揚効果を実質的に引き出すことが出来る。
    次に、公共投資がわが国経済・産業にもたらす供給力強化効果についてみると、抜本的な投資分野の見直しによって従来比大幅に引き上げることが可能である。すなわち、戦後のキャッチアップ型経済成長期には、港湾や道路網の整備、工場用水の確保や工場団地の建設など、工業化の基盤インフラの形成がわが国産業の国際競争力の強化に直結した。しかし、新たな成長モデルへの転換を迫られている現下のわが国経済では、そうした工業化に向けた基盤インフラの整備よりも、むしろ新たな高付加価値産業・市場の創出に向けた新技術やナレッジの創造を強力に後押しする研究開発促進インフラの拡充が、今後の国際競争力の強化に繋がりやすい。こうした内外の経済産業構造の変化に合致した投資分野の見直しによって、公共投資は、需要追加による単なる景気下支え策ではなく、中期的な供給力強化を実現する有力な方策として再び機能し始め、わが国経済復活の原動力となろう。加えて、新たな技術やナレッジをベースとする高付加価値産業・市場の旺盛な創出を実現するには、学校教育の強化を図るだけでは不十分であり、技術進歩や市場の変化に応じた社会人教育の強化が不可欠である。
    具体的にみると、その社会人教育は従来の職業訓練教育にとどまるものではなく、大別すると、a.研究者やエンジニアなどを中核対象とする最先端分野に関する教育・訓練メニューと、b.一般的な人々を対象とし国民全体のレベル・アップを目指すスキル・アップ・メニュー、という二つの再教育システムの拡充が焦点となる。こうした観点からみると、依然、諸外国対比、設備面を含め立ち遅れていると指摘されることが多い大学や研究機関など、研究・教育施設の重点的整備が焦眉の急といえよう。2003年度当初予算でも、公共投資関係費が前年度当初予算比▲3.7%と減少するなか、文教施設費は逆に同3.6%の増加となっている。しかし、文教施設費が公共投資関係費に占めるシェアは2002年度当初予算の1.6%から2003年度当初予算でも1.8%とわずかな増加にとどまっており、投資分野の抜本的見直しには依然程遠い。
    さらに、公共投資の供給力強化効果を引き上げるためには、全国一律型の投資ではなく、例えば、娯楽番組や専門資料など、コンテンツが豊富な首都圏に対して、輸送用機械製造が強い中京圏や電気機械製造が強い関西圏など、地域の特性を生かした投資の積極的推進も重要である。こうした視点は、各地域のコア・コンピタンスに密着した研究開発促進インフラや人材強化インフラにとどまらず、道路や区画整理など、都市基盤整備事業でも今後一層重視する必要があり、限られた財源の制約下、渋滞緩和の経済効果など、いわゆる投資効果測定によって定量的に優先順位を明確化し、投資分野の見直しを弾力的に進めていくべきである。
    このようにみると、公共投資は、今日、否定的に捉える見方が支配的であるものの、投資分野の見直しによって、a.需要を喚起し、景気回復を実現する起爆剤としての効果にとどまらず、b.サプライサイドからわが国経済の競争力を強化し、経済成長の源泉を創出する原動力として極めて有力な方策であり、公共投資に対する再評価は喫緊の課題といえよう。なお、仮に公共投資に対する慎重姿勢が維持される場合、少なくとも短期的スパンで今後を展望する限り、国内民需のさらなる冷え込みを通じて経常収支の一段の黒字幅拡大を誘発する。欧米先進各国を中心に世界経済が調整色を深めるなか、世界第2 位の経済大国であるわが国経済が外需頼みの景気延命策を採ることは国際的に許容されない近隣窮乏化政策として指弾される懸念が大きい。

    (2)企業の公的負担軽減

    第2は企業の公的負担軽減である。
    わが国の租税負担、さらに社会保障負担を含めた公的負担は主要先進各国のなかでも相対的に軽い。しかし、それは全体としてみた場合であり、新産業や新市場を創出し、経済成長を牽引する企業セクターについてみると、その公的負担は主要先進各国中のみならず、国際的にみても高水準である。
    ヒト・モノ・カネ・情報といった経済資源が国境を越えて移動する新たなグローバル経済が到来するなか、少ない規制による自由度の高さや公的負担の軽さなど、他国を凌駕して魅力的な国内市場を整備することで、国外から経済資源を呼び込み、経済成長を加速させようという制度間競争が国際的規模で激化している。とりわけ、シンガポールやアイルランドなど、大きな国内市場を持たない国や先端的な技術や人材が手薄な国がこうした取り組みに積極的である。
    それに対して、主要先進各国の取り組みは総じてやや遅れ気味であり、そうした先進各国のなかでもわが国は遅れが目立つ。確かに、わが国でも99年度の税制改正で法人税の実効税率が46.37%から40.87%へ引き下げられる一方、個人所得税の最高税率が65 %から50 %に引き下げられるなど、租税負担軽減に向けた取り組みが行われている。しかし、そのスピードは、企業セクターの公的負担軽減に向けた国際的な制度間競争にマッチしていない。ちなみに、OECD調査によると、2000年時点での企業セクターの公的負担を対GDP比で比較し、併せて近年の経済情勢を重ね合わせてみると、わが国が8.6%であるなか、わが国を上回る14.5%のフランス、9.1%のドイツ、両国とも10%前後の失業率をはじめ長期経済停滞に悩む一方、わが国を下回る6.0%のアメリカ、6.9%のカナダ、7.2%のイギリスのアングロサクソン3カ国はいずれも90年代半ば以降、相対的に堅調な経済成長を謳歌している。
    これは、90年代入り後、中国や東欧各国が自由主義経済に参入して低価格を武器とする生産拠点の国際的シフトが急速に進行し、先進国が成長力を維持するには、新技術やナレッジをベースにした新産業や新市場を創出する以外、有力な方策がないという構造変化に対して、企業セクターを中心とする民間活力の発揚促進を原動力に据えることで、アングロサクソン3カ国が総じて適切に対処したことの結果である。すなわち、技術進歩や市場変化など、先行き不透明ななか、新産業や新市場創出などの成功を享受するには、目標が一つに集約されたり、硬直化しやすい公的セクターでなく、情勢変化に柔軟に適応しながら果敢にリスクに挑戦出来る民間セクターが主体となって様々な可能性を積極的に追求する旺盛な活力が不可欠である。先述のアングロサクソン3カ国は、苦しい財政状況にあった時期においても、企業の公的負担軽減や自由度の高い魅力的な国内市場の整備に努め、内外の競争力のある企業や有為の人材、投資資金の誘引を図り、それらを通じて旺盛な経済活力を手に入れることに成功した。こうしたアングロサクソン3 カ国をはじめとする成功事例に加え、新技術やナレッジをベースにした新産業や新市場の創出によって初めて経済の高付加価値化や国際競争力の強化が実現出来るという認識が拡がるなか、近年、企業セクターへの公的負担軽減をてこに有力企業を国内市場に呼び込もうとする熾烈な国際競争が、先進各国のみならず、途上国にまで拡がっている。
    翻ってわが国の財政をみると、周知の通り先進国中最悪の状況に陥っている。そのため、今日、企業セクターに対するさらなる公的負担軽減が本格的に議論されることは少ない。しかし、現状を放置すれば、内外資本を問わず、中国をはじめとして、わが国から国際的により魅力的な市場に向かう動きがさらに強まり、今後、そうした地域とわが国経済との相対的な競争力格差が次第に顕在化し、拡大する懸念が大きい。こうした情勢下、今後、仮に公共投資を軸とした積極的な財政政策が採用されても、国内民間セクターの活力が低迷する、あるいは民間活力の発揚を抑制・阻害した状況が続く限り、サプライサイド強化に向けた取り組みの効果は国内でなく、海外へ漏出しよう。

    (3)歳出構造の抜本的見直し

    第3は歳出構造の抜本的見直しである。
    この問題は長らく議論されてきたものの、今日でも依然大きな進展があったとは言い難い。無論、一つひとつの支出をみれば、それぞれに経緯や必要性、他の費目と異なる効果や政策目的があって、ゼロ・ベースで議論することが困難であることは事実である。例えば、公共投資は完成して初めて利用者にメリットが発生するものであり、工事の中断は財政資金の無駄遣い以外の何物でもないとの批判は、その限りでは正しい。
    しかし、そうした議論に終始するだけでは、わが国経済が、直面する世界史的パラダイムの転換に取り残され競争力低下傾向に歯止めをかけることは困難になろう。上述した公共投資に則していえば、キャッチアップ型経済に必要なインフラ整備を中心とする公共投資を続けても、今後、わが国経済の競争力強化に繋がるどころか、研究開発型インフラなど、より必要な投資が行われない機会損失による相対的な競争力低下に加え、維持・補修コストが累増し財政の硬直化が一段と進行する公算が大きいためである。すなわち、公共投資の必要性は不変であるものの、その中身は、情勢変化に応じて適宜適切に見直す必要があり、とりわけ、現下のような構造変化の時代では、抜本的見直しが不可欠である。
    構造変化に適合した制度改革の必要性は、単に公共投資のみならず、歳出全般に共通する。格好の事例が本年初、隣国中国で発表された。すなわち、2003年1月7日、中国政府は、現在、3,000万人の公務員に適用している終身雇用制を廃止し、契約制に転換する方針を公表した。本年3月の全国人民代表大会に法案を上程し、その後、まず教育や社会福祉分野などの政府機関職員130万人を対象に新たな労働契約制度を今後5年以内に導入する予定とされ、これによって、中国では公務員の解雇が制度上認められることになる。共産主義国家で労働者階級を政体の中核とする中国が、グローバル競争激化のもと、公的セクターの効率性や生産性向上、さらに歳出削減に向け、雇用制度の抜本的見直しに着手したものであり、内外情勢の構造変化に適応した抜本的な制度改革および歳出削減策である点を、わが国は凝視し改めて現状を直視すべきである。
    そうした観点から、わが国の歳出構造をゼロ・ベースでみると、制度改革によって歳出削減を実現出来る可能性の大きい分野が少なくない。まず、中国の動きに倣えば公務員制度の見直しがあり、その延長線上に独立行政法人や外郭団体を含めた行政改革問題がある。一方、予算の各歳出費目に目を転じ、一般歳出のなかで二大支出項目である社会保障関係費と文教・科学振興費についてみると、第2 次特区構想で医療・学校への企業参入要請が再び台頭するなど、現行システムの改革を求める動きがいよいよ強まっている。その根底には、経済状況が深刻化する地方経済を再生するには、民間の智恵と競争原理の導入が不可欠であるという認識とともに、従来の制度設計の基本となってきた官民二元論に対する疑問がある。すなわち、公共益分野は政府が、営利分野は企業が、サービスの提供主体となるという棲み分けである。
    そもそも、こうした区分は、公共益分野のサービス提供を民間企業が行うと、一般に、独占や寡占といった市場の失敗、あるいは一般道路や公園の利用にみられる通り、料金を支払わなくてもサービスの享受が出来るため、料金支払いが滞って事業が成り立たなくなるというフリーライド問題を回避するために設けられた。逆にいえば、問題の核心は、サービスの内容が公共益か否かではなく、市場原理を通じた資源配分が困難な分野か否かである。公共益分野であっても、そうした問題が発生しない、あるいは特別の制度設計を行うことで問題の発生が回避される限り、市場原理を通じたサービス供給が望ましい。市場システムでは政府が介入するよりも効率的な資源配分が実現されるうえ、サービスが画一的となったり、ユーザーの多様なニーズが充足されないなど、いわゆる政府の失敗問題が回避され、潜在需要の発掘を通じて経済の活性化や市場の拡大、さらに国民全体の効用最大化が可能になるためである。
    事実、マイクロソフト社など、大手ソフト企業が提供するソフトウエアは今日の経済社会で公共財的色彩が濃厚であるものの、市場を通じて供給されているし、電力やガス、水道など、従来、地域独占事業として公的企業あるいは強い公的管理のもとに置かれてきた分野でも、わが国以外の多くの国々では市場原理に基づいた事業形態に移行している。
    さらに、従来、公共益分野とされてきた医療や教育・研究などの分野でも、イギリスでは情報公開を軸に擬似的に市場競争原理が導入され活性化が図られる一方、アメリカでは、公的セクターとNPO、民間企業の切磋琢磨を通じて、ユーザーに支持され、財政負担が最小で、国際競争力の強化に役立つ最適シテスムが追求されている。例えば、アメリカでは近年、医療分野でNPOや公的セクターから企業への転換を図る動きが強まる一方、研究分野では逆に、基礎研究や応用研究の分野を中心に、AT&T社のベル研究所やゼロックス社のPARCなど、企業の中央研究所が縮小されたり廃止されるなか、大学や研究機関などのNPOが中心的担い手となっている。公益性があっても事業収入が十分であれば、一定範囲の厳格な情報開示や規制を順守する必要はあるものの、市場を通じたサービス提供が望ましく、事業収入が不足し財政補助が必要になれば、研究活動にみられる通り、NPOが主体となれば良い。無論、公共財的性格が強まるほど事業収入には期待出来ないため、公的セクターがサービスを提供せざるを得ない。しかし、そうした純公共財分野は、外交や警察、国防など、極めて限定的であり、それら以外の分野では、部分的あるいは全面的民営化が可能である。
    加えて、社会保障関係費と文教・科学振興費以外の歳出費目についても、構造変化に適合した制度改革実現に向け、ゼロ・ベースでの制度設計が不可欠である。とりわけ、地方の自主性や自律性の阻害要因の一つと指摘され、地方分権改革の焦点と位置付けられる地方交付税交付金等や、近年、不明朗な運営や様々な疑惑が次々に明るみとなり、費用対効果の観点から厳しい検証の必要性が改めて指摘されている海外協力費の見直しは焦眉の急であろう。
    もっとも、歳出構造を見直すとしても、直ちに行えば、需要不足問題を深刻化させ、デフレ・スパイラルを招来する懸念が大きい。そのリスクは、歳入面で租税負担を増加させた場合も同様である。財政規律の回復や債務増加の歯止めは重要課題ではあるが、経済破綻の回避・デフレ圧力の克服やサプライサイド強化など、財政が追求すべき様々な課題の一つであり、時宜に応じて優先順位を見極めるべきである。現下の経済情勢に即してみれば、深刻な実体経済への対策が最優先課題であり、財政規律の回復は、歳出構造の抜本的見直しと経済再生に伴う税収増加を原動力に、中期的スパンで実現すべき政策課題である。

  4. おわりに

    構造改革は郵政改革や道路改革にとどまらない。むしろ、わが国経済の先行きに対する悲観的な見方を根底から覆し、力強い経済再生を実現するために国内外のコンフィデンスを確固たるものにする改革こそ、喫緊の課題である。そうした観点からみれば、予算は一国経済最大の経済主体である国にとって最重要のメッセージであり、歳入歳出構造の改革が最大の焦点である。デフレを克服してわが国経済の再生を実現するために、内外情勢の変化に即した構造改革の断行と積極的な経済政策路線への転換に向けた政治のリーダーシップが切望される。
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