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コラム「研究員のココロ」

論理的思考って何
~「べき」で綴る法的三段論法が大切~

2004年12月20日 岸田 拓士


 またまた1年振りに京王線でコンサルタントのKと再会した。この前は「地域の元気は高齢者がつくる」なんていう話を聞いたな。

私「よう、久しぶり、何を見てるんだい」

K「久しぶりだね、1年振りか。今流行の「論理的思考」だよ。論理って何かを生み出す力があるのかな、今までは、ある発想を整理・検証し、人に説明するためのもの、言い換えると、論理ってコミュニケーションツールのように考えていたんだ。究極のわかりやすさって論理的っていうことだろ。そういえば、君の専攻は論理学だったよね、どう思う?」

私「確かに論理だけでは何も生み出さないね。論理は思考の推進エンジンではないよ。数学の難問だった四色問題はコンピュータが虱潰しに場合分けして解決したけど、例外だよね。あることを証明したいときに、その結論から論理的に逆算して解決できるわけではないよ。やはり、直感だよ。でも直感というのは、その人だけの思い込みっていう弱点を持っているから、その弱点を論理で補強するのだ。思考の推進エンジンは直感、その直感が真理であることを証明するのが論理、こんな感じかな」

K「わかったような気がするけど、そもそも論理って何だい。それに直感っというのも何か教えてくれよ」

私「今回はいつもと逆だね。僕が教える番か。論理や直感って、線や点のような無定義用語で人によって全く違うと思うけど、僕はこう考えているんだ。論理って、「AND OR NOT IF」の4つの組合せだよ。これですべてのプログラムを表現できる。聞いたことがあるだろう、「A AND B」の否定は、「Aの否定 OR Bの否定」とか、「A→Bが真なら、Bの否定→Aの否定も真なり」、なんて。でも、論理で最も重要なのは、ANDやORじゃないんだ。論理で重要なのは、場合分けだよ。全体構造を把握して、うまく場合分けして推論していく、これこそ論理の最も重要な機能だ思う」

K「じゃ、直感っていうのは」

私「そうだったね。直感っていうのは、論理のショートカットじゃないかな。突き詰めて考えているときに起こる「無意識の論理の飛躍」だと思うよ。だから、間違いも多いし、アイデアの源泉になる場合も多い」

K「こうやって聞いていると、やっぱり、論理は客観的で人の気持ちなんて入らないんだね」

私「そうでもないんだ、君はコンサルタントだろ。コンサルタントなら、人の気持ちを織り込んだ論理を身につけた方がいいよ。無意識にやっているかもしれないけどね。」

K「人の気持ちを織り込んだ論理って、何だい」

私「今まで話してきた論理っていうのは、科学的三段論法、言い換えると、「AであるならばBである、かつ、BであるならばCである、とすれば、AであるならばCである」という推論。でも、現実の世界は、「AであるならばBである「べき」、かつ、BであるならばCである「べき」、とすれば、AであるならばCである「べき」」という推論が頻繁に使われる。法廷なんかまさしくそうだよ。だから、この推論を法的三段論法っていうんだ。この法的三段論法なら、「である」ではなく、「であるべき」の形で推論されるから、人の価値観によって結論が大きく変わるんだ。同じ事件でも全く逆の判決が成り立つのは、法的三段論法によっているから。事実から推論する三段論法は科学者の世界、価値観から推論する三段論法は政治経済の世界。だから、君のようなコンサルタントの世界も、法的三段論法が重要じゃないかと思ったんだ。」

K「ややこしい話をよく一気に話せるね」

私「よく言うよ。去年まではずっと君が話していたじゃないか。ところで、ゲーデルっていう数学者を知っているかい?」

K「人間の知の限界を証明した人っていう説明を読んだことあるけど」
私「今話していた論理は完全じゃないんだ。ヒルベルトの夢を打ち砕いたのがゲーデル。簡単にいうと、「どのような公理系にも、真偽の決定ができない命題が存在している」ということ、いくら論理的に推論していっても正しいとも誤っているとも判断できない命題が必ずある、という話なんだ。ちょっと、面白い問題を出そうか。」

(問題)
2つの道があり、一つは極楽、もう一つは地獄に通じている。その分かれ道に地蔵さんが立っていて、あなたの質問に「ハイ」か「イイエ」と答えてくれる。しかし困ったことに質問は1回だけ、しかも、その地蔵さんはいつも本当のことを言う正直な地蔵さんか、いつも嘘を言う嘘つき地蔵か、よくわからない。このとき、あなたはどのように質問すれば、極楽に通じる道を知ることができるか」

K「ややこしそうだね。でも場合分けすればできるんだろ。できたら、メールするよ」

私「すぐに場合分けと見抜くのは大したものだね。この問題はゲーデルの話の入り口なんだよ。メール待っているからね。」

 いつか、子供たちに論理の話をしてみたいと思いながら、論理を学ぶことは、国語を学ぶことじゃないかと気がついた。だったら、数学だけではなく、国語の塾も始めなければ。
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