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コラム「研究員のココロ」

希薄化する人間関係における成果主義とマネジメント

2004年09月06日 鈴木正一


1.個を重視する流れ

 近年、会社は社員個々人に自立した存在であってほしいと望むケースが多くなっている。以前のように「会社ぐるみの大家族主義」を標榜し続けることが困難な景気環境になり、会社としては「いつまでも頼ってもらったら困るんだよ」というスタンスになりつつあるのだ。従来は重要な社内行事であった社員旅行も激減し、社内運動会等の厚生行事も次々と廃止の憂き目にあっている。それに呼応するように社員側も「会社行事にプライベートな時間を侵略されるのは勘弁してほしい」との思いを露わにするようになっている。国民全体が家族、友人等の個人的なつながり以外との関係を希薄化させつつある中で、それは当然の流れともなっている。
 それらの結果はどうであろうか。「他の人は自分より楽な仕事を担当している。不公平だ。」とか、「この仕事はこの給料では割に合わない」とさまざまな不満を生じさせている。給料に見合う働き・・・などとそもそも存在するはずのない尺度が勝手に社員の心の中に生起し、企業や仕事そのものに対する、愛着や忠誠心を奪ってしまっている。これは、成果主義人事制度を間違った形で導入した場合にも起こりやすい。「成果に見合った賃金を払う」などと成果主義人事制度のことを誤って説明すれば、社員の側も「賃金に見合った仕事をする」ということを意識せざるを得なくなるのだ。
 もう一点、成果主義人事制度下では結果として社内で別の社員との内向きでマイナスの競争意識を生じさせる畏れもある。個人主義を助長させるのだ。そうであれば、経営者が「社員全員が力を合わせて・・・・」などと連呼したって、心の底では「眠たいことを・・・」と冷めた気持ちで聞くか「なんとか自分だけ抜け駆けしたい」とズルく考えたりすることになりかねない。


2.軍隊では濃密な人間関係が重要視された

 話は飛ぶが、軍隊は旧日本軍に限らず出身地別に編成されることが多かったらしい。例えば第八連隊という名称の連隊は「大阪の軍隊」というように呼ばれた。隊を構成する人員同士の関係が濃密であればあるほど「お国のため」に命を懸けさせやすくなり、「辱め」と考えられる行為をとることが出来にくくなる。もし敵前逃亡しようものなら「○○が逃げたそうだ。あそこの親父も卑怯なやつだったからなあ」と、あらぬ方面まで非難の的にされかねないから、組織の論理に従わざるを得なくなる。一方、軍隊における人間関係が希薄であったらどうであろう。昨日まで一緒に行軍していた兵士が逃亡したとしても、「ふーん、いなくなりやがったか!」で済まされてしまうかもしれない。また、希薄な関係の他人が負傷して倒れていてもわが身を危険にさらしながら救助できるだろうか。そのような一連の対応は軍隊全体の利にかなう方向に向けられにくそうに思う。かつて旧日本軍では都市部の軍隊ほど弱いと評判であった。ある都市部の軍隊は「逃げなければよしとされる」と揶揄されていた。都市部の方が昔も今も人間関係が希薄であることに異論はないだろう。同じように訓練を受けた兵隊が、同じような兵器で戦ったのにだ。これは人間関係の希薄さと関係がないとは思えない。


3.企業組織内における人間関係の希薄化

 これは現代の企業にも同様のことが言えないだろうか。前述した通り、成果主義人事制度導入と言われる人事制度改革がスタンダードになってきたのと同じようなタイミングで、若い社員は呑ミニケーションをていよく断るようになり、社員旅行も実施されなくなってきている。これは人間関係が希薄な軍隊とよく似た状況になってきつつある一つの現象であると言えよう。
 そのような社内環境下では、他の仕事を担当している同僚が困っていても「自分の担当ではないから」という理屈がまかり通ることがある。部門内でそのようなことがあれば部門をまたがる問題に関しては目をつぶることが当然の流れである。そうなると前述したように経営者が「組織力」、「チームワーク」と連呼したところでピエロのように空回りする事態にもなりかねない。


4.「個人主義と成果主義」とマネジメント

 何も個人主義がいけないと言っているのではない。ましてや呑ミニケーションや社員旅行を復活させろと言うつもりも毛頭ない。それは留めようのない時流の流れであって、ここで善悪を論じるべきものではないからだ。ただ危惧することは成果主義人事制度への改革が一般的なものとなるのとほぼ同時期に、そのような時流の流れが顕在化してきていることである。成果主義人事制度はどのようなものであるかも明確に定義付けられることなく悪玉にされる風潮にある。それはあたかも「虫歯になったのはチョコレートが悪い」と泣き叫ぶ子供のようだと思うのだが、確かに成果主義人事制度そのものも、間違った運用をされれば、個人主義を悪い方に助長させ、弱い軍隊と同じ組織風土を生むことにもなりかねない。間違った運用とは何か。それはマネジメント不在の成果主義である。
 「社員の自立」を錦の御旗として「勝手にやれ」とマネジメントの手を抜いていないだろうか。マネジメントの方法に何も新しいことは必要ないと思う。産業革命以後さまざまにマネジメントの手法は開発されてきた。いずれも「いかに人を動機付けるか」を目的としている。それを忠実に行うことである。たとえ根底に個人主義があっても、チームを、ひいては個々人をきちんと動機付けることが出来れば、そこにチームワークは生まれ、組織力が醸成される。ひと昔前の呑ミニケーションや社員旅行が家族意識を育む制度であったとすれば、適切なマネジメントは共通の目的を持ったプロ意識とチームワークを育むものとなる筈だ。人間関係の希薄化が避けられないこのような時代だからこそ、管理者はマネジメントの原点に立ち返らなければならない。


5.最後に

 最後に、人事制度に「成果」の考え方が必要であることに間違いはない。たとえどれだけ忌み嫌われようと資本主義社会においては必要だ。全ての組織は成果を上げることこそが存在意義だからだ。組織の構成員に成果を求めなくて良い道理はないし、また個人個人にとっても、他人からの評価なしにやる気を維持することは難しい。その意味では個人主義の世の中だからこそ成果主義はむしろ必要だとも言える。そしてその成果主義で、プロのチームワークを生み出すか弱い軍隊を作り出すかは、マネジメントに対する意識と努力にかかっていると考えるのである。
※コラムは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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