Sohatsu Eyes
価値観の根っこの部分
2004年07月13日 市川 元幸
先月、国の科学技術政策の基本方針を決める総合科学技術会議の専門調査会が、人クローン胚の基礎研究を、条件付きで容認する方針を打出しました。新聞各紙でも大きく取り上げられたので、ご記憶の方も多いと思います。
胚は「人の命の萌芽」です。その胚を、卵子に皮膚など体細胞の核を組み込みことで人工的につくったのが「クローン胚」です。「受精胚」とは、人口的につくる点で異なります。さらに重要な違いは、受精卵は父と母の遺伝情報の組み合わせを引き継ぐのに対して、クローン胚は「体細胞提供者」というある一人だけの遺伝情報を引き継ぐ点です。
そのため、糖尿病や脊椎損傷などの疾病や障害に悩む人の体細胞を使ってクローン胚をつくれば、そこからさらに拒絶反応のない再生医療用の人体組織をつくれると期待されています。一方、クローン人間づくりに悪用されるという懸念も生んでいます。
A: 「生命の元を人工的につくるのは倫理に反するよ」
B: 「難病や障害に悩む人が再生医療を求めるのは、幸福を追求する当然の権利さ」
A: 「クローン人間をつくれば、個人の唯一性が損なわれてしまうよ」
B: 「どういう人になるかは、生まれた後の自己形成の方が重要だろ」
上のAは私自身の立場ですが、Bのように自ら反論してみると、実は「不自然だ」という感覚以上に、自分が慎重姿勢をとっていることに強い理由がないということに気付きます。「不自然だ」と感じることは大変重要だとは思いますが、それだけでは思考停止になってしまうおそれがあります。上であげた生命倫理の問題であれ、環境の問題であれ、世のなかの簡単には答えが出ないことについて、価値観の根っこのところまで降りて、自分なりの考えを多少なりとも整理することが必要だと感じています。
※eyesは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。