Sohatsu Eyes
風景と人と
2004年10月12日 瀬戸 和佳子
仕事を通じて様々な人に会い、異なる世界を見、新たに考える種を与えられることが多い。以前の創発メルマガにも、日ごろ接することのない人たち同士の接触が、「創発」の源である、という主旨でサービスグラントの世界が紹介されている(2004年8月23日発行版)。この中では、NPOとビジネスの世界の人間が、一緒に仕事をする中で触発され、刺激を与え合う関係が生まれることが示されている。 しかし、たとえ一緒に何かをするのでなくとも、日ごろ見ない風景もまた、大きな刺激を与えてくれる。
先日、自治体の方とある町の中をくまなく見て回る機会があった。住宅街の中を縦横無尽に行きつ戻りつしていると、同じ行政区画の中にも、それぞれの特徴を持った更に小さな地区が見えてくる。山の手のお屋敷がならぶ地区。古い商店街が点在する、庶民的な活気にあふれた地区。あるいは観光がメインの地区。どこにも所狭しと並ぶ住居には、手入れのされた植え込みや、人を迎えるためのちょっとした飾りが施されていて、そこに「生活」があることが如実に感じられる。その生活の匂いと、通り過ぎる人々の存在感が相まって、人が黙々と起居の営みを続けていることが急に心に迫った。
特に午後の穏やかな時間帯だったこともあり、子供をつれた主婦や、買い物から帰るお年寄りの姿が多かったからだろう。私は、こうした「生活」を支えることの重みを考えていた。翻って自治体の仕事は、まさにこうした「生活」を担う「縁の下の力持ち」である。地域の風景や人々を思い浮かべながら、何が必要かを考え、可能な範囲で「最良」の解を追求することだ。そう考えて、はっとした。無言の人々を思い浮かべるのでは、独善に陥ってしまう。一方的な見方に偏らないように如何に人々の声をくみとることが出来るかは、自治体、あるいは行政の業務の難しい点でもあろう。 日ごろ見ない風景に触発されて、大それたことを考えてしまったようだ。一方通行で考えるだけでは何も無いことと同じである。風景の中で生きる人とのコミュニケーションがあってはじめて「創発」の源になる。そう思い直した1日だった。
※eyesは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。