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コラム「研究員のココロ」

医療貯蓄
~自分のおサイフと医療~

2003年11月25日 岡元 真希子


1. 病院と美容院のちがい

 病気を治してもらいたいので病院や診療所に行く、というのは、髪を切ってもらいたいので美容院や床屋に行く、というのとどのように違うでしょうか。
ひとつには、病気になりたくてなる人はいないということです。「治してもらいたいから」ではなくて、もう痛かったり苦しかったりして耐えられなくなっているから病院に行くのかもしれません。また、誰がいつ病気になるか予想ができないということも言えます。
 病気にかかるということは、誰にでも起こりうる突発的な事故であるから、「保険」という仕組みで皆が保険料を払ってお金をプールしておき、不運にも病気になってしまった人がそのお金で医療サービスを利用する(医療保険給付を受ける)というのが医療保険制度の考えです。健康な人が病気の人を助け、逆に病気になったら助けてもらうという支え合いです。一方、美容院に行くのは、ひとそれぞれ、自分の希望で1ヵ月に1度の人もいるし、半年に1度の人もいて、好きなだけ利用するので「美容院保険」というのは成立しないでしょう。もしそんな保険があって、保険料が同じ金額だったら、頻繁に行ったり高いパーマをかけたりする人が「得する」ので、皆がますます美容院に行くようになり、プールしてあった保険料が足りなくなって、翌年は保険料を引き上げなくてはならなくなります。逆に、めったに美容院に行かない人は、「元が取れない」のでそんな保険に加入するのは止めるでしょう。逆に、美容院の利用頻度や金額は一人ひとりの都合に合わせて「パーマは止めてカットだけにしておこう」とか「めったにカットしなくていいからロングヘアにしておこう」というように、財源にあわせて決まってくると言えます。
 医療サービスの利用は、病気になること自体が突発的で避けられない事故だという側面がある一方で、同じ熱で同じ咳をしている人でも、病院に行く人と、我慢したり忙しかったりしてなかなか病院に行かない人、家で寝ていて済ませてしまう人などがいるでしょう。美容院と比較するのは極端かもしれませんが、同じ症状でも利用頻度の違いがあることは確かです。あるいは、生まれつきの体質の違いはさておき、日頃から食事に気をつけたり、運動をしたりして、健康を維持するために努力している人もいれば、暴飲暴食やタバコ、運動不足など、病気の原因となるような生活をしている人もいます。もし仮に、医療サービスの利用についても、美容院を利用するのと同様に「使ったらお金が減るし、使わなければお金がたまる」という基本的な市場原理が働くとしたら、病院にかかるよりも安い市販薬で済ませたり、健康づくりに励んだりするかもしれません。


2. 医療貯蓄の可能性

 そのような考え方に基づいて、シンガポールでは医療貯蓄制度を導入していることは以前にもお伝えしましたが、南アフリカやアメリカでも、一部で貯蓄型の医療保険が導入されています。
 シンガポールを除いては国民のすべてに適用されているわけではありませんが、基本的に、医療費として用途を定めた貯蓄口座を開設し、個人単位でお金を貯める仕組みを採用しています。この口座にお金を貯めることを奨励するために、税金を優遇するなどのインセンティブを与えています。利用者は、自分のお金だと思うので、利用に慎重になるため、より安いサービスを選ぶなどの「賢い消費者」になることを促されます。


3. アメリカの医療貯蓄制度

 アメリカは、日本やフランス・ドイツ、イギリス・スウェーデンなどと違って、国民全員が利用できる公的な医療保障制度はありません。多くの従業員は会社が加入する民間の団体医療保険に入っていますが、企業が従業員に保険を用意することはほとんどの州で義務ではないために、特に中小企業や自営業者などは保険に加入していない人が多いのが実態です。全く医療保険に入っていない無保険者の割合は全体の14%にも上ります。アメリカは民間医療保険なので、公的制度の国と比べて、次々と新しい商品(制度)が登場することが特徴的です。公的制度であれば、改革には年月がかかりますが、アメリカは企業が契約更新の時に「この医療保険よりも保険料が安いあの医療保険に乗り換えよう」という変革が簡単に行われるからです。
 そのような国で、1997年から試行プログラムとして、医療貯蓄口座(Medical Savings Account、以下MSA)の制度が導入されました。これは、医療にしか使えない医療貯蓄という口座を開設すると、その口座は税金が優遇されるという仕組みですが、「税を免除する」というプロセス以外は、保険会社や銀行など民間がすべて担っています。
 この背景には、右肩上がりの国民医療費をどうにか抑制したいという思惑や、保険会社が利用できる病院を制限したり、保険会社が医療の内容をチェックするなど、「患者の権利が抑圧されている」と感じた人々が、患者自身が自分の医療を決められるようにすべきだという考えなどがありました。保険の仕組みでは「これは保険で支払うけれど、これは支払わない」という審査があったり、「この病院でないと保険では支払えない」という制限があったりするのに対し、自分の口座で、使い道が医療であれば、好きな医療機関で希望する医療を受けることができるというのが、アメリカでの医療貯蓄制度導入のひとつの目的でした。もちろん、「自分のお金だから医療が必要になる老後に取っておこう」あるいは「医療貯蓄を取り崩すのはもったいないから健康づくりに励もう」という医療費抑制効果も目的です。
 アメリカの医療貯蓄制度は、試行プログラムで加入者数が少ないことからその効果のほどはまだ十分には検証されていません。また、健康に自信があり、高い保険料を支払いたくない若くて健康な人、あるいはお金持ちでいざとなったら全額自己負担で医療を受けられる人のみが医療貯蓄を選択し、慢性病の人や高齢者は従来型の保険を選択するという問題も指摘されています。また「自分のお金だから賢い消費者となる」という仮定も、美容院であれば一利用者として安いサービスと高いサービスとの違いを比較することができますが、医療について患者が自分にとって「安くて良いサービス」を選ぶだけの十分な情報を持っているかという疑問はあります。しかし実際に医療貯蓄を持っているアメリカ人に聞いたところ、1回100ドルの診察について、15ドルが自己負担で、残りの85ドルを保険会社が支払っていたときに比べて、100ドルの請求書を見ることで、金銭感覚が変わった、との話を耳にしました。あるいは、毎日飲んでいた慢性病の薬で、1錠50ミリグラムで3ドルの薬が、100ミリグラムの錠剤でも同じ3ドルだということを発見し、100ミリの薬をナイフで半分に切って、飲むようにしたという話も聞きました。自己負担が5ドルの時にはそれを半額にするためにそんな細かいことは考えないかもしれませんが、1ヵ月90ドルの薬代だとしてこれが45ドルになったら節約になると言えます。
 これらの事例は、とても小さいことですし、医療費の大部分は入院しての治療や手術が占めているので、こんな小さな節約は医療費全体の節約にはならないと笑われるかもしれません。ただ、自分のおサイフから支払うことで、受けている診察や飲んでいる薬について、もっと自分の問題として考えるきっかけとなった興味深い証言ではないでしょうか。美容院の事例のように、おサイフと相談して利用量や利用頻度を変えたり、情報を集めてより安いサービスを探したり、といった消費者の工夫は、医療では難しいかもしれませんが、なにかのヒントにはなるかもしれません。
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