コラム「研究員のココロ」
モノ言わぬ産業界
~産業界は技術政策に何を期待するのか?~
2003年09月01日 佐久田昌治
不況にもかかわらず、ほとんどの企業が研究開発費を増額させている。一方、政府も研究開発減税、新規の産学連携プロジェクトの推進など本腰を入れはじめた。この2つの動きはきちんとタイアップしたものになっているのだろうか?とりわけ、産業界はそれぞれの分野の将来展望を描き、これにもとづいた「企業の戦略」、「業種の戦略」、そして「国の戦略」を明確にしているのだろうか?
高度成長期の目標は「欧米に追いつけ、追い越せ」であり、この合言葉のもとに「護送船団方式」の産官共同体制が世界の注目を集めた。最近は、そもそも「護送船団方式」で研究すべき対象そのものがなくなってしまった。結果として、政府の技術政策の焦点もあいまいなものになった。政府の本音は「一体、産業界は何をしてほしいのか、よくわからない」に集約される。この背景として、日本の産業の直面する課題が産業分野、競争状態、市場の成熟度などによって著しく異なったものとなっていることを無視することはできない。
エレクトロニクス産業では欧米およびアジア企業との競合が激烈であり、研究開発の戦略性・スピードや人材のダイナミックな流動性を必要としている。ただし、この領域は国の政策に頼るよりはむしろ企業自身が緊急に取り組むべき課題である。実際、ほとんどのエレクトロニクス企業は国のプロジェクトには積極的ではないし、大きな期待もしていない。
化学産業では主な顧客である自動車やエレクトロニクス産業のニーズに応えるのに精一杯であり、将来を展望した研究開発を実施しにくくなっている。化学産業は研究開発なくしては成立しない業種であるにもかかわらず、研究開発投資のリスクが高いことと、素材供給産業のためにどうしても自動車、エレクトロニクスの下請け的な研究にならざるをえない。わが国の化学産業の将来的な発展を展望するならばより長期的な研究開発課題に向けた産学官の取り組みこそ重視されるべきである。
医薬産業では莫大な研究開発投資を必要とする一方、医薬品として結実する確率はきわめて小さく、「博打的要素」が強い。このため、企業合併を繰り返して巨大化した欧米の大手製薬企業との競争では遅れをとっている。しかし、日本で開発された化合物が欧米の大手企業で製品化されている例もあり、研究開発ポテンシャルではそれほど引けをとっているとは思えない。むしろ国の施策が厚生労働省、文部科学省、経済産業省などの非効率的な縦割りシステムとなっており、医薬品の開発に大きなマイナスを生じている。「日本で研究開発を行う意味はない」という声まで陰でささやかれるようになった。
エンジニアリング産業では、市場全体が飽和に近づきつつあり、産業界の活力を損ねている。新しい市場の可能性が低くなるとどうしても新分野への技術開発の意欲は細りがちになる。国への期待は、環境事業や大型投資を必要とするような困難性の高い分野で、市場創造のリーダーシップを期待するものである。
建設産業では、国内の建設市場が先細りの状況の中で、業界全体としては「公共工事の発注をもっと多く」の声が圧倒的に多くなり勝ちである。しかし、このような産業界の声は国民の支持を得られるはずもない。ここで注目すべきは、特に技術開発に積極的な企業からの「優れた技術を開発した企業の受注機会が多くなるような、公正な競争状態の実現を」の声である。現状では一つの企業が技術開発に成功してコストダウンに成功したとしても、「複数の企業が実施可能でなければ発注しない」という公共事業の発注ルールに基づいてこの企業が受注することはできない。「安く、良いものをつくる」というインセンティブがまったく働かない仕組みになっている。このようなシステムを改善すべしとの声は残念ながら、建設業界からはほとんど聞こえてこない。
かつてわが国の産業界は日本の政策全体に対して明確なニーズを示した。時としてこの主張が強すぎて国民の反発を買うこともあった。しかし、現在の複雑な国際状況のなかで産業界はみずからのニーズを国の政策に反映させる努力が決定的に不足しているように思えてならない。日本経済の再生のためには産学官の技術開発は最も重要な要素であるが、そのキーは企業または産業自身が長期課題を明確に認識し、みずからの意思を明確にすることから始めなければならない。