コラム「研究員のココロ」
経営とコミュニケーション(2)
従業員との価値共有
2003年09月01日 茅根 知之
1.企業の実行主体は従業員
企業は「法人」と呼ばれるように、擬人化して扱われることが多い。しかし、その実行主体は人間であり、企業自体は形の無い仮想的な存在である。企業とは、その企業を判別する要素であるオフィス、社員証、名刺などによって、従業員という集団を他と区別しているに過ぎないのである。特定の集団こそが企業であり、その集団を区別するための仕組みが企業としての存在を作り出している。もちろん、それぞれの従業員は会社との“契約”により、労働とその対価を交換するという関係を成立させているが、これも全て書類上での関係である。このような視点から考えると、企業とは非常に希薄な存在であることに気付く。それにも関わらず多くの人は、この仮想的な存在にすぎない「企業」に対して、実体的なイメージを持ち合わせている。
もちろん、商品や店舗などの認識しやすい活動をベースにイメージが構築されているために、企業が実体的に捉えられることが多くなるのであろう。しかし、企業が実体的であろうと仮想的であろうと、その活動の全ては従業員という「人」によって行われていることを忘れてはいけない。エージェンシー理論によれば、従業員は企業のエージェント(代理人)であり、彼らの行動は企業の行動と位置付けられる。だが、企業のエージェントである従業員たちが、そのような意識が無い活動をしていくと、そこには企業とは名ばかりの無秩序な集団が形成されてしまう。つまり、従業員の意識次第で、企業の価値は大きく変わる可能性がある。
個人の価値観が多様化していると言われる現在において、自分の人生を会社とイコールに考えている人は少ないと思われる。もはや、戦後から高度経済成長期における「豊かになる」という明確な目的とモチベーションに支えられた、「会社の成長=豊かな生活」という単純な公式は、現在の日本では成り立ちにくい。しかし、このような強力なモチベーションを作り出すのは難しいとしても、多くの従業員に同じベクトルを持たせることは検討するべきである。より強い企業を作るためには、その構成員である従業員が共通の価値を持ちながら、企業の方向性を定めていく必要があるのだ。
2.従業員のブランド意識
従業員にとっては、契約上の業務をこなすことは最低限の義務である。しかし、そのようなところにとどまらず、よりよい商品やサービスを提供するために、義務以上の目標達成を目指す従業員も存在している。その原動力には、自社に対するプライドや業務に対する信念が見られるが、このことを、従業員の自社に対するブランド意識という観点から論じていきたい。
従業員のブランド意識は、ビジョンや経営理念などで示される自社の目指す方向、商品やサービスなどの実績、さらには業績などの結果、によって醸成されていく。どのように理想的なビジョンがあっても、それに伴う実績や結果がなければ、従業員にブランド意識はできない。逆に、どのように業績や結果が出ていても、ビジョンや理念が伴わなければブランド意識を持つことはないだろう。自分の業務や会社の業務、その目標、さらにはその結果の意味、などを1つの“物語”としてつなげることで、企業の存在意義、さらには企業における自己の存在意義を感じるのである。企業内に散逸してしまっている様々な情報を“物語”としてつなげることが、企業における共通の価値形成であり、従業員に自社に対するブランド意識を喚起させるきっかけとなる。全ての従業員が同じ言葉を使い同じ行動をする必要はないが、少なくとも、共通の価値をベースとしなければ、企業活動に一貫性が生じなくなり、ステークホルダーにその企業のブランドや“らしさ”と言ったものを感じさせることはできない。
ここで注意しなければいけないのは、従業員に自社のブランドを意識させるためには様々な仕掛けが必要になるということである。多くの企業が、自社のブランド構築に向けて、商品/サービス開発から広告・宣伝、さらには広報やIRというように、様々な活動を展開している。同様に、たとえ社内であっても、従業員にブランド意識をもたせるためには、彼らに自社の“物語”を理解させ、その内容を自分の“物語”として身体化させ、行動につなげさせるためのコミュニケーションが必要である。
3.メッセージは最大公約数ではなく最小公倍数
自社のブランドや物語を共有するためのコミュニケーションには、そのきっかけとなるメッセージ作りが欠かせない。これまでも、CI(コーポレート・アイデンティティ)や近年のブランドやビジョンへの注目に至るまで、様々な理論や手法で、企業理念やビジョンなどのメッセージ開発が進められてきた。しかし、どのようにすばらしいメッセージであろうとも、従業員やステークホルダーにとって距離を感じさせるものであっては意味がない。
大事なことは、全ての従業員にあてはまる最大公約数的なメッセージを作ることではなく、むしろ、全ての従業員がそこから自分の物語として身体化できる最小公倍数的なメッセージを作ることである。多くの人にとって、自分の会社のことであろうとも、日常に直接関係のないことには関心が薄れてしまう。自社のことを他人事ではなく自分の課題として位置付けさせるためにも、自社のメッセージを従業員各自が自分の言葉に置き換え、自分の物語として身体化させる仕掛けが必要になる。
そのためには、自分の業務に自信が持てるような、そして抽象的ではなく具体的な業務がイメージできるような、企業を語れるメッセージが必要であり、それをもとに従業員に業務の重要性を気付かせなければいけない。従業員と価値共有を行ない企業の推進力に明確な方向性を持たせるために、“物語”を身体化させるコミュニケーションは欠かすことはできない。