コラム「研究員のココロ」
アメリカの人事制度から何を学ぶか
2003年08月04日 林 浩二
低迷する日本経済と底堅いアメリカ経済…。アメリカ企業の経営に注目が集まるようになって久しい。アメリカの大学院にMBA留学する者も多い。書店のビジネス書コーナーではヨコ文字のタイトルの入った新刊書籍が大盛況だ。私も仕事柄、このような書籍に目を通すことが多いのだが、戦略論、組織論、財務、マーケティングなど経営の諸分野の中でも、人事に関する翻訳本に関しては読んでみてどうもしっくりこないことが多い。どうも違和感があるのだ。
そもそもアメリカ型の人事制度とは何なのか。「成果主義」が徹底され、業績や評価によって給与が大幅に増減するような制度だろうか?もし、アメリカ人の多くが人事評価によって給与が乱高下する世界で働いていると考えるならば、それは誤りだ。まず、多くの日本企業と違い、アメリカでは報酬の大半は職責(ポスト)で決まる。たとえ人事評価が悪くても職責によって定まる基本給(base pay)が下がることは稀だ。この基本給に企業年金や健康保険(アメリカには国民皆保険制度が存在しない)等の付加給付(benefit)を加えると、(職種や職位にもよるが)全報酬の8~9割以上が決まってしまう。上級管理職クラスなど一部の社員を除き、会社や部門の業績に応じた変動ボーナスの割合は僅かだ。
では、アメリカ人が安定的なワーキング・ライフを営んでいるかというと、必ずしもそうではないだろう。アメリカの場合、大量の移民者による「移動の自由」という歴史的背景の中で、19世紀以来判例を通じて形成されてきた”employment at will”という原則により、解雇は原則自由だ。もちろん、労働組合活動を理由とした解雇や人種・性別等を理由とした差別的解雇は法的に禁止されている。このほか、州によってはさらに解雇が制限される場合もある。ただ、これらの規制に抵触しない限り、使用者は「いつでも、どんな理由でも、いや、そもそも理由など何もなくても」自由に社員を解雇できる。これが原則だ。これは、社員の側でもいつでも自由に会社を辞めることができることの裏返しである。
したがって、業績に応じた雇用量の調整は比較的容易である。勤務成績が上がらなければ、昇進がないのでいずれ給与は頭打ち、場合によっては解雇されることもある世界だ。ただし、転職市場が発達しているので、解雇された場合でもスキルさえあれば新たな職探しは比較的容易である。
翻ってみて日本はどうか。徐々に変化しつつあるとはいえ、大企業を中心に長期雇用を前提とした新卒採用が依然として主流である。判例による制約もあり、解雇が行われる場合は稀だ。転職市場も未だ発展途上である。このように、日本とアメリカでは雇用慣行が違う。労働法制も違う。労働市場の構造も違う。アメリカ企業に倣った人事制度を導入しようとしても、制度が拠って立つ土台がそもそも大きく異なっている。
人事制度を雇用慣行と切り離して考えることはできない。雇用慣行が変われば人事制度も変わる。根底を流れる雇用慣行が劇的に変わらない以上、アメリカの人事システムがそのままの形で日本社会に通用することはないだろう。必要なことは、日本の雇用慣行のうち変わる部分と変わらぬ部分を見据えつつ、日本の雇用慣行に即した能力・成果主義型人事制度を模索していくことだ。
このうち、「変わる部分」の代表選手は年功序列型の人事慣行であろう。多くの産業において、「勤続年数の長さ」をそのまま「能力の高さ」の代理指標とみなして処遇を行うことは困難になった。労働力人口の高齢化という構造的要因もある。「年齢」や「勤続年数」という属人的要素に基づく処遇システムから「能力」「職責」「成果」という仕事に直結した要素による処遇システムへの転換が急務だ。
一方、コア人材についての長期雇用を前提とした人事慣行は「変わらぬ部分」といえるだろう。長期雇用と年功序列とは別の概念だ。市場競争が激化するからこそ、長期雇用により業務に関連する知識やノウハウが社内に蓄積されるメリットは大きい。安易な解雇を避け、人的資本の有効活用により競争を勝ち抜くことは日本企業にとって今後も大きな強みとなるのではないか。
いずれにせよ、「アメリカ経済は底堅く力強い。だからアメリカ企業の人事制度を真似ればうまくいく」という単純な図式は成り立たない。アメリカ企業から学ぶのであれば、人事「制度」という「ハード面」よりはむしろ、リーダーをどのように育成しているか、女性が働きやすい職場環境をどのように創り出しているか、といった、いわば人事の「ソフト面」に注目すべきだろう。これらの点は、従来、多くの日本企業が十分に行ってこなかった分野である。