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コラム「研究員のココロ」

市場通用性のある「能力」の見極め

2002年09月02日 林 浩二


 人的資本を「一般的人的資本」「企業特殊的人的資本」と区別する考え方がある。ノーベル経済学賞を受賞したベッカーらによって提唱された人的資本理論に基づく考え方だ。前者は市場全体で通用するような技能、後者は特定の企業においてのみ役立つ技能の集積をあらわす。たとえば、人事労務管理の仕事でいえば、労働法規や人事賃金制度のトレンドを把握しているといったことが前者に当てはまり、その会社固有の人事制度の仕組みや労使関係の歴史を理解しているといったことが後者に当てはまる。


 一般的人的資本、企業特殊的人的資本という区別は企業の人材育成戦略と絡んでくる。社員を雇い入れ、仕事を効率的に行なってもらうためには、OJTにせよOff-JTにせよ、企業は社員に教育訓練を施すことが不可欠である。ところが、一般的人的資本の場合には、育成して技能を身につけた社員が転職してしまっては元も子もないから、企業は自らコストを負担して教育訓練を行なうインセンティブは生じない。一方、企業特殊的訓練の場合は、育成後も社員の市場価値は変化しないから転職されるおそれが少なく、企業は費用を負担して育成しようとする。


 戦後のわが国企業は、OJTやOff-JTを通じて社員に対し多くの訓練投資を行なってきたことで知られる。これを可能にしたのが大企業を中心とした長期雇用慣行であるのは明らかだ。年功賃金や勤続年数に応じて凹型に反り返った退職金カーブ、あるいは、定年まで勤め上げることを美徳とする社会慣習の中では、転職することの金銭的・心理的コストは莫大だ。

 たとえOJTやOff-JTにより一般的人的資本が蓄積されたとしても、転職コストが高すぎるため企業は育成した社員を他社に奪われるおそれが少ない。こうした状況の下で、そもそも「一般的」「企業特殊的」という区分自体がほとんど意識されることなく、企業は社員の教育訓練に専念できた。こうした育成重視の発想は、やがて我が国独自の人事制度である職能資格制度へとつながっていく。


 しかし、企業間競争が激化する中、年功賃金の見直し、退職金カーブの是正、転職に関する世間の見方の変化等がすすみ、転職のコストは急激に低下している。企業にとっても、長期雇用を見越して十分な教育訓練を施す余力がなくなってきた。従来あまり意識されなかった「一般的」「企業特殊的」の区分が急に現実味を帯びてくる。もはや企業にとって人的資本を社内に蓄積する必要はあっても、社内で一般的な教育訓練を実施することがコスト的に割に合わなくなってきた。そうなると、個々の個人が自らのイニシアティブでスキル・アップしなければならない。各種の資格ブームや社会人大学院の開設ラッシュをみればこのことがよく分かる。


 こうした傾向自体は今後も続くだろう。これからは「自己責任」の時代だ。一つ懸念があるとすれば、教育訓練には「外部性」があるがゆえに、個人も企業も経済合理的に行動しても、社会全体としての人的投資が最適水準より過小になるかもしれない。すなわち、個々人のスキル・アップは、雇用のミスマッチ解消を通じて経済活動が活性化するなど、本人のみならず社会全体にも好影響を及ぼすものであるが、個人の「自己責任」のみに頼っていたのでは社会全体として十分な教育訓練投資が行なわれないかもしれないのである。個人の自主的訓練を促すための支援策が求められる所以である。
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