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コラム「研究員のココロ」

「行政評価」が顕在化させてくれた課題(3) 行政評価とマネジメントシステム

2002年05月13日 柿崎平


 「行政評価」という概念はわが国独自のものである。行政評価に相当する用語としては、performance measurement というものがあるが、両者には大きなギャップがある。わが国の「行政評価」というコトバには、海外の、performance measurement以上の意味合い・期待が込められているが、実際に行っている作業としてみれば、海外のperformance measurement以下の内容に止まっていると言わざるを得ない。つまり、行政評価には、「評価(evaluation)」あるいは「審査・判断(judgment)」といった「測定(measurement)」以上の期待が込められているが、現実には測定すら十分に実行できていない、ということである。このように書くと、「測定」が容易な行為のように見えてしまうのだが、実は非常に難しい。行政活動のアウトプット(成果)を測定することはもとより、比較的容易だとされるインプット(行政コスト)の測定も簡単にはいかないのが現実である。その現実を直視しないまま、過大な期待だけが一人歩きしている、という傾向が未だにある。

 わが国の行政機関の体質強化を展望した場合、筆者は、行政評価というコトバを本来の'定位置'に戻すことが重要だと考えている。当然ながら、評価は単独ではあり得ない。その前提として、計画や目標の側面、そして実行の側面、モニタリングの側面等々がなければ、意味が無い。つまり、評価という行為はマネジメントシステム全体の中に位置付けられていなければ効果的なものとはなりえないということである。評価の'定位置'は、マネジメントシステムの中に明示されていなければならなかったのだが、不幸なことに、わが国の行政機関には、「マネジメントシステム」そのものが欠落していたのだ。前回、「行政評価の導入が、目標の不在を顕在化させた」と述べたが、実は、あらゆる組織体に備わっているべきマネジメントシステムが(その質的レベルはどうであれ)、わが国の行政機関においてはまともに論議されることすらなかったことも明白になったのである。

 評価が実行され、その結果が生かされる枠組みであるべきマネジメントシステムが無い中で、行政評価の功罪を語ったとしても、それほど意味のある論議にはなり得ない。そうして見れば、大事なのは、行政評価の有効性を性急に結論付けることではなく、「評価活動」が有効に機能するフレームワークを行政機関のなかに構築することであることが分かる。

 では、ここで想定するマネジメントシステムとは如何なるものか。ここでは、基本的な観点のみを述べておこう。

 マネジメントとは政策目的(policy objectives)の達成にむけて、人々をはじめとした諸資源を調整していくことである。マネジメントをそのように理解すると、マネジャーとは他の人々を通して組織目的の実現を図っていく組織メンバーであると定義することができる。効果的なマネジメントを実現しようとするマネジャーは、第一に「自分たちはどこへ行きたいのか」を自覚すること、第二に、「そこに到達しているのかいないのか」を知る術を獲得する必要がある。マネジメントシステムは一種のフィードバックシステムである。どのようなフィードバックシステムでも基本的に3つのステップから成る。

1. 基準を設定する
 上層部からの政策方針をガイドラインとして活用し、マネジャーは一定の期間-週、月、年など-についての目標を設定する。たとえば、医療機関であれば「この四半期では、5,000人の患者を診察する」などである。

2. 経過に関する情報を収集する
 目的が達成されるまでの期間にわたり、マネジャーは組織のパフォーマンス状態に関する情報を収集する。――例えば、5,000人の患者を診察し終わったのか。

3. 修正行動をとる
 この第3ステップは常に必要というわけではない。しかし、仮に第2ステップで組織目的が未だに達成出来ていないということが明らかになったならば、マネジャーはギャップを埋めるような改善策を実行に移すことになるだろう。前述の例を用いれば、四半期末時点で診察した患者が5,000人に至っていなかった場合、マネジャーはその原因を分析し明らかにすることになる。スタッフが不足しているというのであれば、医者や看護婦をもっと採用することになるかもしれない。もし来院する患者がそもそも少なすぎる、ということであれば別の手を打たねばならないのかもしれない。

 どんなフィードバックシステムでもサーモスタットを暗黙的モデルとしている。サーモスタットは、基準温度が設定されれば(例えば、20度)、現在の温度を確認するために周りの環境をモニタリングする。そして、結果的にその温度が基準値から外れている場合には、ヒーターやエアコンによる調整を図るというアクションをとる。極めて複雑な行政組織のマネジメントは、この例(サーモスタット)で全て説明がつくというわけではない。

 サーモスタットが基準値からの外れを察知したときには、それに続くアクション(エアコンあるいはヒーターを起動させる)は自動的になされる。一方の行政組織では、そうはいかない。目標値への不足分は、決まった手段で自動的に埋められるものではなく、マネジャーの創造的で非定型的な対応が要求されることが多いのである。それでもなお、この基本的なフィードバックモデルはマネジメントの本質を言い表わしている。組織を方向づけていくためには、マネジャーはまずは自分たちがどこへ行きたいのかを知る必要があるし、その上で、自分たちがどこまで進んでいるのかを何らかの情報によって常に確認する必要がある。サーモスタットの例を借りて、さらに言うならば、最初に決めた基準値がはたして今もって適切かどうかを常に再確認させるメカニズムも持たなければならない。

 このように、マネジメントシステムの基本原理は極めてシンプルなものである。それをわが国の行政機関に導入していくことは、その気さえあれば、それほど難しいことでもない。旧来の行政運営メカニズムを温存しつつ、流行の行政評価制度をアドオンするという芸当に比べれば、技術的にも精神的にも易しい作業といってよいだろう。ただ一つ必要なことは、これまで、行政組織を動かしてきた論理(具体的には、諸計画、予算・決算、定員管理、人事評価等々)の抜本的な変革を拒まない意識を持つことである。実は、これが一番難しいことかもしれない。そうした意識を、特に、トップから一部のミドルが持てるかどうかがポイントである。

 行政評価が万能でないように、マネジメントシステムも万能ではない。行政評価とマネジメントシステムは、現段階でどちらが優れているというものではなく、相互に補完しあう中で将来的には融合していくものであろう。ただ、敢えて言うならば、マネジメントシステムが欠落した状況下では、行政評価の本来の機能も十分ワークしない可能性が高いため、マネジメントシステムの検討を先行的に行う価値がありはしないか、ということである。何が必要かは、その自治体の状況に依存する。行政評価を導入するかしないか、マネジメントシステムの開発を行うかどうか等々、何を選択するかは、「自分たちはどこへ行きたいのか」を先ずは明確化することから始めなければならないだろう。
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