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非言語の力 ~「言語化」時代における居場所~

2025年03月25日 竜石堂未来


 小学校から大学まで吹奏楽やオーケストラの部活で音楽を続けてきた。楽器の名手ではないし、特別好きな作曲家や曲があるわけでもない。ただ、音楽を通して人とつながれる感覚が心地よくて続けてきたのだと思う。
 音楽は非言語の体験である。音づくりの過程で言葉が必要な場面もあるが、演奏中には言葉はつかえない。身体の動きや表情、音のみで指揮者や他の奏者とコミュニケーションを取る。言葉に頼れないからこそ、言葉を介さないコミュニケーションでは、国や文化、個人の背景を超えたつながりが生まれ得るのだということをたびたび感じてきた。

 音楽の体験は、身体的な感覚を通じて多様な人や世界とつながれる実感を私に与えてくれた。言語に頼らずとも人は通じ合えるのだという実感を持てたことは私にはとても大きなことだった。戦争が起き、社会の分断が広がる中でも希望を失わずに生きてこられたのは、このような音楽での体験があったからだと今になってみれば思う。だから私は、非言語で人とのつながりを実感できる音楽的なコミュニケーションが、これからはとても重要になると考える。

 非言語の、音楽的なコミュニケーションの特徴は、それを共有している人の間に共感を育てることにある。歌が集団の一体感を高めるように、言葉が通じなくても、共感ベースで人とのつながりをつくることが、音楽的なコミュニケーションには可能だ。共感ベースでのつながりは、助け合いにも発展しやすい。だから、共感でつながる関係性に包まれると、人は安心できる。ここにいていいんだと思え、居場所を感じることができる。私が音楽から得ていたのは、この安心感であり、居場所の感覚だと思う。

 これに対し、言語的なコミュニケーションは、人と人との情報伝達のためにあると言える。人類は言葉を使うことで、他者に情報を伝え、文明を発達させてきた。その一つの到達点であるインターネットは情報伝達能力を飛躍的に発展させ、目の前にいない他者に対してもインタラクティブなやり取りを可能にした。とりわけチャット、メール、SNS等のテキストベースのコミュニケーションは、不特定多数の人に情報を伝達する上で、とても便利で効率的だ。
 一方で、テキストベースでのコミュニケーションには、言外の重要な意味が抜け落ちてしまうという重大な欠点がある。これは、偏見や分断を助長する恐れがあると私は考える。通常、対面のコミュニケーションの場面では、情報伝達を目的とする言語的なコミュニケーションであっても、声色や表情、しぐさや目の動きなどの非言語の手段により言語を補いながらコミュニケーションしている。同じ言葉でも、言い方や表情、相手との関係性によって意味が変わるということは誰しも経験があるだろう。しかし、テキストベースのコミュニケーションでは、非言語的な部分に含まれる発信者の意図や人となりが伝わらないため、受け手の共感をうまく引き出せない。受け手が発信者の状況を理解したとしても共感が伴わなければ、発信者のためになる行動を起こすとは限らない。むしろ、偏見による差別や攻撃行動、あるいは心理の裏をかくような虚偽や詐欺行動を行う危険性がある。テキストベースのコミュニケーションが独占的な地位を占め、共感なき他者理解が広がることは、とても危険なことなのだ。

 テキストベースのコミュニケーションは私たちの意識や心理にも影響を与えている。三省堂主催の「今年の新語2024」大賞に「言語化」が選ばれたが、近年、「言語化」は私を含め、若い世代の中心的なテーマとなっている。テキストベースのコミュニケーションでは言語化しないと伝わらないため、自分の考えや思いをうまく言語化したいと思うことが増える。その影響で、あらゆる言語活動において、ちょっとした発言でも言語化の巧拙を評価されるのではないかという不安や、下手なことを言って失敗するかもしれない恐れから、常に緊張関係に晒される。そのような緊張関係は、SNSの存在によって助長される。SNSでは、極端な意見や過剰な表現、敵味方を二分する二項対立的な言葉を発信すると多くの人の反応を得やすい。だから、SNSの評価が欲しい人は、どうしてもそちらに流れる傾向がある。このような言語空間では、たとえ多くの人と相互に「フォロー」し合い、「いいね」し合っていたとしても、それらの「つながり」は脆く、人との温かいつながりや安心できるコミュニティとは言い難いだろう。

 若い世代はインターネット空間に居場所を感じている人の割合が高いという調査もあるため、インターネット空間が居場所になり得ないと言うつもりはない(※1)。だが、その一方で、若い世代の間で、孤独感を抱え、自殺する人が増えている事実も無視できない。内閣府の調査によると、「孤独感がある」と答えた人の割合は16歳~19歳で35.0%、20~29歳で45.3%になっている(※2)。また、厚生労働省によれば、小中高生の2024年の自殺者は527人で、統計のある1980年代以来最多になっている(※3)。これらの背景については詳細な調査をしないとわからないが、インターネット空間が安心して人とつながりを感じられる居場所になっているのであれば、孤独を感じたり、自殺に追い込まれたりする人がここまで増えることはないのではないかと感じる。

 やはり多くの人にとって、言語優位の世界を居場所とするのは難しいのではないだろうか。居場所を感じられるためには、言語ではなく、非言語で人とのつながりが実感できる機会、共感ベースで人とつながれる場所が必要なのである。世の中はますます言語優位になっているように感じるが、だからこそ非言語的な感覚で人とつながることが、人にとってどれだけ大切なことかを再認識する必要がある。それを社会としてどう担保していくかは今後の課題だが、言語の世界で行き場をなくし、息が詰まりそうになっている人がいたら、何はともあれ非言語の海に飛び込んでみるといいと思う。音楽以外にも非言語で人とつながれる世界はある。アートやスポーツなどはその一例だが、まずはじっくりと目の前の人と向き合ってみることもまた、非言語でのつながり体験となる。そういう機会、場面、場所は日常の至るところにある。それを取り戻していくことから、居場所づくりは始まるのだと思う。

(※1) 15~39歳を対象にしたこども家庭庁の「こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)」 では、インターネット空間が居場所となっているかという質問に対し、「そう思う」と回答した人は21.1%、「どちらかと言えばそう思う」まで含めると56.6%いた。これは、学校、職場、地域を居場所と感じる割合よりも高い。また、年齢が若くなるほどインターネット空間を居場所と感じている傾向があった。
(※2) 内閣官房孤独・孤立対策担当室「人々のつながりに関する基礎調査(令和5年)」
ここでの数値は、孤独感が「しばしばある・常にある」「時々ある」「たまにある」と答えた人を合計した割合。
(※3) 厚生労働省「警察庁の自殺統計に基づく自殺者数の推移等(令和6年暫定値)」


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※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

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