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上場鉄道会社における人権尊重の取り組みの情報開示状況

2025年03月07日 山口真弥


1.日本におけるビジネスと人権
 2011年に国連で「ビジネスと人権に関する指導原則」が策定され、企業活動における人権尊重の指針として国際社会で用いられており、一部の欧米諸国では、各企業に対し人権尊重への取り組みを求める法律を導入する動きも見られる。
 このような「ビジネスと人権」に対する国際社会の要請が高まる中、日本では2020年10月、企業活動における人権尊重の促進を図るため、「ビジネスと人権に関する行動計画(2020-2025)」が策定された。行動計画では、「ビジネスと人権」という観点から、企業が人権デュー・ディリジェンス(以下、人権DD)のプロセスを導入することを期待している。

2.企業が配慮すべき主要な人権リスク
 これまで多くの日本企業が主な人権リスクと捉えてきたのは、パワハラやセクハラ、同和問題、消費者の権利といった、自社の従業員や直接の顧客との間に起こり得る問題であった。しかし、「ビジネスと人権」では、図表1に示すように、従来の責任範囲を超えて、原料の生産から開発、製品・サービスの使用、廃棄に至るまでのサプライチェーン全体で発生し得る人権侵害も自社の責任とされる。さらに、消費者、広告の受け手、直接の取引関係にはない地域住民等に対して、企業活動が及ぼす影響を認識しながら、あらゆる人権侵害の可能性を考慮した事業活動を行うことが企業の社会に対する責任として求められている。企業活動に関連する主な人権リスクは図表2のとおり。




3.上場鉄道会社の人権尊重の取り組み
 日本のビジネスと人権に関する行動計画も最終年にさしかかり、日本企業でも人権DDの取り組みと開示は進みつつある。図表1、2でも示したように、企業が考慮すべき人権リスクの範囲は拡大しており、人権に関するリスクマネジメントシステムの有無が問われている。
 上記の問題意識から、筆者はさまざまな業種で人権リスクへの対応状況を調査しているが、今回は筆者の出身業界でもある鉄道業界をとり上げたい。鉄道は地域に広く関わる事業を行っているため、関係する従業員や顧客が多様であり、人権リスクに配慮する場面がこれまでは多かった。一方で、規模が小さい鉄道会社は「ビジネスと人権」のような新しい仕組みへのマネジメントシステムの整備が追いついていないという状況も推察される。そこで、今回、人権尊重の取り組みとその開示状況を検証するために、上場鉄道会社を対象に調査を実施した。

4.調査方法
 調査対象企業は、東証プライム市場、スタンダード市場に陸運業で上場している企業のうち、鉄道事業を中核事業としている鉄道会社25社とした。また、鉄道会社を子会社に持つ持株会社については、その持株会社を調査対象とした。
 これら25社のHP、統合報告書や有価証券報告書などに、人権に関する取り組みが開示されているかを調査した。(2025年1月31日時点)
 調査の枠組みは、『令和2年度法務省委託 今企業に求められる「ビジネスと人権」への対応 「ビジネスと人権に関する調査研究」報告書(詳細版)』に記載の、「自社事業による人権への負の影響を防止・軽減する取り組み」の枠組みをもとに、筆者が一部加筆したものを用いた(図表3)。



5.調査結果
 調査結果は図表4のとおり。本調査では取り組みの開示の有無を調査した。



5.1.①人権方針の策定
 人権方針を策定し、開示している企業は68%であった。人権方針の策定は、企業における人権尊重の取り組みの出発地点であるため、未策定の企業はまず方針の策定から取り組んではどうか。また、策定はしているものの自社HP等で未開示の企業は、取引先や投資家などのステークホルダーへ自社の姿勢を示すためにも積極的に開示すべきである。

5.2.②人権インパクト・アセスメント
 人権インパクト・アセスメントの取り組みを開示している企業は32%であった。他の項目に比べても低い割合であり、各企業にとって取り組む、または開示することが困難と感じていると推察される。
 アセスメントは、自社が関与している、または関与している可能性のある人権への負の影響を特定し、それらがもたらす「深刻度」と「発生可能性」を評価し、対応の優先順位づけを行う手順が一般的である。図表1で示した全てのステークホルダーを対象とした負の影響の評価は困難であっても、苦情処理メカニズムに寄せられた情報の分析、従業員への定期的なアンケート・ヒアリング、労働組合との対話等により、自社に直接関わるステークホルダーから取り組みを進めて情報開示することが求められる。

5.3.③予防/是正措置の実施
 予防/是正措置は、教育・研修の実施が60%、社内環境・制度の整備が32%、サプライチェーンの管理が56%の開示割合であった。
 教育・研修は、開示内容から、ハラスメント等の研修を実施している企業が多いことがうかがえた。今後は、こうした既存の研修を「ビジネスと人権」の目線で捉え、人権リスクに対する研修として実施していくことも重要となる。その際に、②人権インパクト・アセスメントの取り組みをあわせて実施し、自社を取り巻く人権リスクを正確にとらえたうえで教育・研修を実施することが必要である。
 社内環境・制度の整備は、他の項目に比べて開示割合が低かった。これは人権リスクを特定する②人権インパクト・アセスメントの割合が低いことにも一因がある。
 サプライチェーンの管理は、自社の調達・購買方針や、サプライヤーに遵守を期待する内容をまとめたガイドラインの策定が代表的かつ起点となる取り組みである。人権方針と同じく、まずは方針等を策定して公開することから取り組むべきである。そのうえで、サプライヤーにそれらを理解してもらうための対話等が求められている。

5.4.④モニタリングの実施
 モニタリングの実施の開示割合は40%であった。②人権インパクト・アセスメント、③予防/是正措置がされていなければモニタリングも実施できないため、低い割合となった。②、③で実施した施策の効果の有無の測定だけでなく、そこからさらに次の取り組みを進めるために必要な要素を得ることも重要である。

5.5.⑤外部への情報公開
 外部への情報公開は68%であった。①人権方針の策定とあわせて、まずはこれらが100%になることが望ましい。

5.6.⑥苦情処理メカニズムの整備
 苦情処理メカニズムの整備は、社内向けが64%、サプライチェーン向けが32%の開示割合であった。特に、サプライチェーンを含むステークホルダー向けの苦情処理メカニズムの整備が進んでいないことがうかがえる。
 「ビジネスと人権」における苦情処理メカニズムは、8つの要件を備えることが求められている(図表5)。これらの要件をすべて備えた仕組みをはじめから構築することは困難であり、今回の調査対象企業に限らず、既存の通報制度を苦情処理メカニズムと位置付けている企業も多くみられる。これらの対応を専門に行っている機関も存在するため、自社での整備が困難な場合は外部機関を活用することも検討し、最終的には要件を満たす苦情処理メカニズムを整備していくことが必要となる。



5.総括
 鉄道業界でみると、人権尊重の取り組みを一定の水準まで進めている企業と、まだ思うように進められていない企業が混在しているという結果であった。特に、②人権インパクト・アセスメント、③-2予防/是正措置の実施(社内環境・制度の整備)、④モニタリングの実施、⑥-2苦情処理メカニズムの整備(サプライチェーン向け)の取り組みを進められていない企業が多いことがうかがえた。また、中小規模の鉄道会社は、大手に比べて取り組みが進んでいないこともあり、マネジメントシステムの整備が追い付いていないことが推察される。
 本調査では、人権尊重の取り組みの開示の有無だけに焦点を当てた。同じ項目でも取り組み内容の水準は企業によって異なり、高水準で人権尊重の取り組みを実施している企業も散見された。取り組みを実施・開示できていない企業は、こうした同業他社を参考に、まずは人権方針の策定や社内で既に実施している取り組みを積極的に開示することが望ましい。取り組みを進めているがまだ全ての項目を実施・開示できていない、十分な水準でないと考えている企業は、同じく高水準の同業他社を参考にして取り組みを磨き上げていくことが期待される。同業他社と比べて高水準で人権尊重の取り組みを実施している企業は、人権尊重の取り組みへの感度が高い他の業界(アパレル、電子部品、同じインフラである航空等)の企業を参考にし、さらに磨き上げていってはどうだろうか。
 人権尊重の取り組みは、全ての人の人権を守ると同時に、自社が人権侵害に加担しないための、経営において重要なリスクマネジメントの一つである。鉄道の安全・安定運行のための取り組みに終わりがないように人権尊重の取り組みも終わりがないものではあるが、欧州では企業の人権尊重の取り組みを法制化する動きが見られる状況からも、今後はさらに重要性が増すと考えられる分野でもあり、継続的な取り組みと水準向上が期待される。

注意事項
筆者および日本総研はリスクマネジメントシステムの観点からビジネスと人権について調査・研究を実施しているが、各社の人権尊重の取組みの適切性の保証は行っていない。

参考文献
・ビジネスと人権に関する行動計画に係る関係府省庁連絡会議[2020].『「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)』
・公益財団法人 人権教育啓発推進センター[2021].『令和2年度法務省委託 今企業に求められる「ビジネスと人権」への対応 「ビジネスと人権に関する調査研究」報告書(詳細版)』
・公益財団法人 人権教育啓発推進センター[2024].『令和2年度法務省委託 今企業に求められる「ビジネスと人権」への対応 「ビジネスと人権に関する調査研究」報告書(詳細版)』
・各企業HP、統合報告書、有価証券報告書等開示資料

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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