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認知症基本法施行へ 「共生社会」の実現に向け、自治体や企業が果たすべき役割

2024年01月19日 紀伊信之


認知症基本法の施行から「認知症施策推進基本計画」の策定へ
 「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」(以下、認知症基本法)が2024年1月1日に施行された。背景には、2025年には700万人(高齢者の5人に1人)に達すると言われる認知症の人の増加がある。先行して基本法が成立したがんや脳卒中・循環器病と同じくらい、誰にとっても身近な問題となった認知症に対して、国・自治体のみならず、産業界やアカデミア、そして国民全体で、認知症と向き合うべく成立したものだ。認知症基本法では、法律名にある通り「共生社会の実現」という認知症に関する政策分野の理念・方向性が示されている。従来の国の基本計画である認知症施策推進大綱等と比べて、特徴・ポイントとして次のような点が挙げられる。
・「認知症の人を含めた国民一人一人がその個性と能力を十分に発揮し、相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会」として、ケアする・されるという関係性から脱却した、認知症の人を含む「共生社会」という社会像が強調されたこと
・「全ての認知症の人が、基本的人権を享有する個人として、自らの意思によって日常生活及び社会生活を営むことができるようにすること」とあるように、人権ベースの考え方が貫かれていること
・政策形成や社会づくり、研究開発など、さまざまな局面における「当事者参画」が強く意識されていること

 今後、認知症基本法に基づき、政府に設置される「認知症施策推進本部」や、認知症の人や家族も構成員とする「認知症施策推進関係者会議」において、具体的な施策が検討され、「認知症施策推進基本計画」として決定されていく予定である。
 また、政府は、認知症基本法の施行に先立ち、総理を議長とし、当事者や有識者を構成員とする「認知症と向き合う『幸齢社会』実現会議」を2023年9月に立ち上げ、検討を重ねてきている。ここでは、「認知症の本人の姿と声を通じて『新しい認知症観』を伝えていく」こと、「幅広い業種の企業が『経営戦略の一環として』認知症バリアフリーに取り組む」こと等の重要性が掲げられたほか、独居高齢者の意思決定支援等の課題も提示されるなど、従来の認知症施策推進大綱から、より踏み込んだ内容となっている。
 こうした認知症基本法の内容や、「幸齢社会」実現会議の内容を踏まえ、自治体や企業は今後、「認知症」というテーマへどのように向き合っていけば良いであろうか。

自治体 ~認知症基本法のフィルターで各種施策を再検証し、アップデートする発想を
 認知症基本法では、都道府県・市町村にも、認知症に関する都道府県計画・市町村計画の策定が努力義務化されており、既に一部の自治体では検討が始まっている。今後、各自治体が基本計画を検討するにあたり、留意すべきこととして、次の3点を提言したい。
 第一に介護保険事業計画(高齢者福祉計画)と「別物」としてではなく、これらの計画との関連性を意識して一体的な検討を行うべきである。介護が必要になる原因のトップは認知症であり、公的介護サービスの利用者のかなりの部分は認知症の人でもあるからだ。しかし、現時点でも、認知症に関連する事業と介護予防等に関わる事業がそれぞれ存在するために、これらがバラバラに行われてしまっていることも少なくない。本来、これらは一体的に検討・実施すべきものである。例えば、介護予防として取り組まれる地域の「通いの場」が、認知症になっても通い続けられるものであれば、認知症になってからの「社会参加」につながる。生活支援コーディネーターが進めるべき、民間企業を含めた地域資源づくりも、「認知症になっても暮らしやすい地域づくり」という観点で実施されれば、それはまさに「認知症バリアフリー」の推進となる。「幸齢社会」実現会議で、「認知症総合支援事業と介護予防・日常生活支援総合事業等の一層の連携が重要」という指摘があるのも、こうした背景によるものだろう。このように、今後の各自治体における検討は、介護保険事業計画等に基づき進められてきた施策について、認知症基本法というフィルターで再検証し、アップデートする、という発想で進めるべきである。
 第二に、こうした検証・アップデートは、真の意味で「当事者参画」で進めるべきである。認知症基本法においても計画策定プロセスにおける本人・家族の意見収集が義務付けられているが、表層的・形式的に「声を聴く」ことにとどまってはならない。多くの自治体で介護保険事業計画等の策定時には住民向けアンケート調査等は実施されているが、現時点で声を上げにくい「認知症の人の声」を意識的に計画や施策に取り入れている自治体は多くはない。その結果、ケアする側・支援者、供給者の目線で組み立てられている可能性のある各種施策を、当事者目線でアップデートすることこそが、各自治体で基本計画を立案・推進する意義でもあるはずだ。「声を聞ける当事者がいない」という声もよく耳にするが、当事者としてのニーズを把握すべきは、「認知症希望大使」のような人前に立って発信活動を行う本人だけではない。本人ミーティング(※1)やチームオレンジ(※2)等に加え、地域の介護事業者等とも連携しながら、介護保険サービスを利用しているような「普通の」認知症の人を含め、多様な認知症の人のニーズ・声を拾い上げる取り組みが求められる。
 第三に、各自治体は、共生社会の要となる偏見の解消・普及啓発に向けて、従来の手法にとどまらない発想で取り組むべきである。「幸齢社会」実現会議では、「知識や情報のみでなく、前向きに自分らしく生きている本人自身が自らの姿と声を通じて『新しい認知症観』をありのままに伝えていくことが非常に有効」とされている。啓発については、講演等のイベントに偏る傾向があるが、認知症に関心のある人に限らず、「多くの住民が実際に本人に触れあう機会をつくる」という発想に立った啓発活動が重要である。特に、学校教育などを含め、子供の頃から認知症の人に触れあう機会を確保することには、縦割りを超えた自治体の役割が期待される。

生活に密着する多くの民間企業 ~認知症を事業機会として捉える発想を
 認知症への積極的な対応は、企業にとって、CSR的な社会貢献活動にとどまらず、今後成長するビジネスや事業につながる可能性が大きい。
 注目すべきは日本国内だけで2025年には700万人に上ると言われるそのボリュームである。そのうち多くは介護施設ではなく、在宅で生活をしており、未婚率の上昇に伴い、今後は独居の認知症高齢者も間違いなく増えていく。こうした人々のさまざまな生活における課題の解決は、ベンチャーやスタートアップにとっては大きなビジネスチャンスである。実際、「エイジテック」関連で注目される企業の中で、決済アプリのKAERUなど認知症関連企業は一角を占めており、今後そうした企業はますます増えていくだろう。
 また、小売・金融・交通等、生活に密着した各サービス事業者においては、認知症を含めた高齢者への対応を怠ることは、既存顧客の離反や、ビジネス規模の縮小を意味する。日本の高齢化率は29%を超えており、そのうちの5人に1人が認知症となる時代が目前に迫っている。こうした中で、顧客の認知機能の低下への配慮が不十分だと、従来の顧客を失うことになる。逆に「認知症になっても使いやすい・使い続けられる」店・製品・サービスはそのことによって顧客から選ばれ、収益につながる可能性がある。
 小売業では「スローショッピング」等、認知症の人へ配慮した対応が広がりつつあるが、実際にスローレジやスタッフによる買物のサポートに注力しているコンビニエンスストアでは、こうした取り組みが近隣の住民から支持され、わざわざタクシーに乗って来店する人がいるなど、認知症対応という地域貢献とビジネスが両立している例もある。「買い物した後の重い荷物を自宅まで届けるサービス」のような高齢者対応で成果をあげている小売業も増えているが、こうした身体的な衰え(フレイル)への対応だけでなく、認知機能低下への対応にも着目すべきだろう。
 メーカーにおいても、ビジネスとして認知症対応に取り組む例が出始めている。ガス機器メーカーのリンナイは福岡市や西部ガス、メディヴァとともに、認知症当事者の声を取り入れつつ、「高齢者や認知症の方に配慮したガスコンロ」を開発し、2024年2月に販売する。認知症になると、火の消し忘れによる火事を心配してIHコンロに切り替えることが多い。これに対して、新たなガスコンロは「高齢になっても慣れ親しんだガス火調理を続けられる」ことを目指した製品である。
 こうした製品・サービスは、今後高齢化が進むアジア諸国をはじめとしたグローバルな市場への展開も期待できることに加え、子供や障がいのある人等、多様な人々にとっても使いやすいユニバーサルなものとなる可能性もある。
 認知症特有の課題解決に着目するベンチャー・スタートアップであれ、高齢者顧客を意識した大企業であれ、いずれにしてもユーザーニーズを捉えた製品・サービスを開発・投入することが不可欠である。この際に、当事者の声を開発に生かすこと、すなわち認知症の当事者参画が大きな武器になると考えられる。介護事業者以外の民間企業が認知症当事者と接点を持つことは一般的にはハードルが高いかもしれないが、日本総研が事務局を務める経済産業省の「オレンジイノベーション・プロジェクト」や、福岡市等の自治体において、企業と当事者との共創・マッチングを支援する取り組みも広がりつつある。こうした仕組みを活用することもニーズを把握する方策の一つである。

介護事業者 ~「新しい認知症観」に基づくサービス提供体制の再検討を
 認知症基本法の成立・施行は、介護業界ではあまり大きな話題になっていないような印象を受ける。既に利用者の多くが認知症の人であり、さまざまな面で「対応済み」と考える事業者が多いからかもしれない。
 しかし、介護事業者こそ、「幸齢社会」実現会議で掲げられた「認知症になったら何もできなくなるのではなく、できること・やりたいことが多くあること、住み慣れた地域で仲間とつながりながら、役割を果たし、自分らしく暮らしたいという希望があること」という「新しい認知症観」に基づくケアが提供できているか、いま一度振り返る必要があるだろう。
 認知症ケアといったときに、BPSD(行動・心理症状)の軽減等、狭義に捉えていないだろうか。また、利用者・入居者に対して、認知症という症状で安易にラベリングしていないだろうか。
 ある著名な介護事業経営者は、「あえて、うちは『認知症ケア』と思ってケアをやっていない。認知症があろうとなかろうと、その人のやりたいことができるようにするのがケアの仕事だ」と言い切る。こうした事業所では、認知症の人が、料理や庭木仕事など、それぞれのできることを生かし、役割を持って生き生きと暮らしている。当然、介護職はやりがいを感じ、人材不足が続く中でも、安定して人材を確保できている。
 「新しい認知症観」に基づくサービス提供体制を構築することは、構造的な人材不足が続く介護業界各社・各法人にとっても重要な意味がある。

認知症と向き合うことから始まる「誰もが生きやすい社会」へのアップデート
 認知症はアルツハイマー病をはじめとするさまざまな疾患により、認知機能が低下することによって「生活するうえで支障が出ている状態」である。生活における支障の多くは、本人と接する社会の側が認知症の人への対応ができていないことに起因する。求められているのは、高齢者の5人に1人が認知症になっても、希望と尊厳を持って暮らせるための、社会全体のアップデートである。
 そうした社会は、認知症の人の限らず、疾患を含めて人が持つ多様な側面を認め合う「誰もが生きやすい社会」でもあるはずだ。しかし、その実現には、産官学、さまざまなステークホルダーが認知症と向き合い、取り組みを進めることが求められる。認知症基本法の施行が、こうした取り組みの契機となることを期待したい。

(※1) 認知症の本人が集い、本人同士が主になって、自らの体験や希望、必要としていることを語り合い、自分たちのこれからのよりよい暮らし、暮らしやすい地域のあり方を一緒に話し合う場
(※2) 認知症と思われる初期の段階から、心理面・生活面の支援として、地域において把握した認知症の方の悩みや家族の身近な生活支援ニーズ等と認知症サポーターを中心とした支援者をつなぐ仕組み。

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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