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人的資本経営には働き手の意見を十分反映すべきだ

2022年07月19日 山本大介


「人的資本経営」が広がる兆し
 「SDGs経営」「ESG経営」に続き、「人的資本経営」というコンセプトワードの引用が広がりそうだ。Googleトレンドで「人的資本」の検索傾向を調べてみると、2022年1月以降、それまでに比べ明らかな検索回数上昇傾向が見られる。重要な背景には経済産業省が進めてきた「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」「人的資本経営の実現に向けた検討会」(以下「研究会・検討会」)や、人的資本に関する情報開示のガイドラインを示すISO30414について日本国内でも知られるようになってきたことがある。
 日本総研においても人的資本経営に関する調査・研究を精力的に行っており、「人的資本に関する情報開示の動向」や「人的資本経営概論 ~従来の経営スタイルとの比較を通じた理解~」、「人的資本経営概論 ~経営戦略と人材戦略の連動~」などの記事を公開しているので、ご関心のある方はぜひご覧いただきたい。
 さて「人的資本経営」というコンセプトワードが世の中で広がってくると、それに対してさまざまな立場の主体(投資家、経営者、労働者、研究者など)が異なる視点からの示唆・提言を持ち込んでくる。今後、「人的資本経営」を流行にとどまらせず普遍的な経営コンセプトに昇華するためには多様な立場からの提言を適切かつ偏りなく取り込まなければならない。本稿では特に働き手(ここでは「経営者」という言葉との対比色が強い「労働者」ではなく、より主体性を意識して「働き手」という)の立場から問題提起したい。

「人的資本経営」のコンセプトに関する留意点
 このところの日本国内でとりまとめが進んできた人的資本経営のコンセプトについては、ESG投資の拡大に伴う非財務情報開示の動きに併せ、企業経営における無形資産としての人材価値を評価しようとする意向が欧米の投資家の間で高まる中で、経済産業省主導で先に示した「研究会・検討会」が大きな流れを作ってきた。そうした経緯もあってその内容は投資家や経営者にとって特に重要な示唆・ガイドを含んでいる。
 一方で、人的資本とはすなわち今を生きている人間であって、それぞれが主体的意思を持つ存在だ。そのため、投資家や経営者が働き手を「人的資本としてどのように認識しているか」とは別に、働き手自身の意思、意向が人的資本経営の推進に大きく影響する。「研究会」でもこの点は「多様な個人」という表現で議論されてきたが、実際のところ研究会には「多様な個人」側の意見を代表する委員は含まれていなかったため(社会政策の検討会ではないためある種当然のことだった)、全体としては投資家や経営者側の視点でのとりまとめになっている面はある。人的資本の概念や研究自体は長い歴史があり(※1)、日本を含め各国の教育政策や労働政策に活用されてきたが、今回の「人的資本経営」に関しては経済産業省のリードという形になっている。
 ただ、人的資本経営が投資家・経営者視点でのコンセプトであるという認識が一般に広まると、ともすれば「個々の人材の価値を簡便に将来キャッシュフローに置き換えて見える化しようとするものだ」という極端な誤解によって人的資本経営の本来の狙いが達成できなくなってしまうような事態も起こり得ると懸念している。当然ながら、多様な個人を前提にする社会であれば、人の価値はその企業にとっての将来キャッシュフローにとどまらない。その個人の職場が含まれる企業だけでなく、普段の生活や社外活動による社会へのインパクトも価値のひとつであろうし、あるいはそもそも「インパクトのあるなしに関わらず、『一個人』としての価値は同等である」という考え方も大事だろう。人的資本経営は基本的にはその企業の戦略上の価値をみるものだが、しかしながらそれ故に「あなたは社会的には当然価値があるが、わが社の現在の戦略にとっては大きな価値はない」という人をどう遇していくのかは各企業にとって難しい判断だ。

働き手は人的資本経営に対して理解を深め、検討段階から参画すべき
 働き手側は、人的資本経営が投資家・経営者サイドから提起されたものであることを踏まえ、その本質や起こり得る展開について十分な理解に努める必要がある。
 企業ごとに人的資本経営のスタンス、推進方法は異なるだろうが、働き手は「自分たちの価値が経営者によって評価されること」に関してはもっと敏感になっても良いはずだ。主体的な働き手たちの価値評価が経営者側の物差しによってのみなされる、というのはバランスが良くない。少なくとも価値評価基準の策定に際しては自分たちの意見をもっと発信して良いだろう。人的資本の価値評価のベースはこれまでの人事考課とは全く異なるものだ。例えば女性管理職の増加に関しても、「男女同一の考課基準で『自然に』増やすべきだ」という考え方と「目標から逆算し、女性管理職候補を『重点的に』育成・選抜を行うべきだ」という考え方がある。仮に後者が企業の人的資本の価値評価が高くなるとすれば、経営層としてその方向に進むと意思決定できるとしても、働き手側からすると丁寧な説明や何らかの補完的な運用を求めたいところではないか。
 働き手にとって注意を払うべきことは価値評価だけではない。人材育成に関しても各企業で考え方が分かれるところだろう。 人材育成それ自体は企業にとって目的ではないので、極端には人材育成を一切しなくても「採用と配置転換」だけで自社が有する人的資本の価値を高めるという方針をとることも可能だ。専門技能人材が中心のプロフェッショナルファームの類いはこれに近い経営スタイルのケースもあるだろう。
 より実践的に考えれば、後々の戦略の実行不全あるいは人事的なトラブルを防ぐという観点からは、人的資本経営を進める企業はそのスタンスや推進方法について働き手側に案を開示し、働き手側は十分理解した上で自らが主体的に参画し得る内容への追加・修正していく活動を行うべきだろう。これは必ずしも労働組合が団体交渉権を行使する労使間協議の形をとる必要はなく、検討プロジェクトの中で働き手としての従業員の意見を十二分に取り込む工夫を行うスタイルでも良い。労使間協議は組織活動として勝った、負けたの条件交渉になりがちだが、人的資本経営の検討に際しては、個々の従業員の思いや柔軟な要望を反映させる細やかな心配りがなされるほうが良いだろう。

より発展的な議論に向けて
 人的資本経営に関してはまだ実践が始まったばかりであり、多くの論点が残されている。筆者が容易に思いつくだけでも
 ①「人材/働き手のかたまり」としての各企業単位の人的資本評価と、個々人の人材価値評価をどうリンクさせるか
 ②学校教育や職業教育機関の役割は日本の人的資本経営の広がりに際しどう変化すべきか
 ③社会価値の増大に対する責任を企業はどこまで負うべきか
 ④人的資本経営の実践コストは顧客に転嫁すべきか
などが挙げられる。ただしこれらは各企業が単独で答えを出せるようなものではなく、経済・社会の広い関係者が互いに知恵を持ち寄って検討を進めるべきだろう。

(※1) 例えば、赤堀(2012) 日本労働研究雑誌 No.621, 8-11 が過去の人的資本の研究についてレビューしている。
以上

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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