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「変わるときは外圧」と2022年

2022年04月12日 足達英一郎


 英国の経済誌『Economist』は昨年12月、ほぼ10年ぶりとなる日本特集を組んだ(2021年12月11日号)。特集は「Special Report Japan: On the Front Line」というタイトルが付けられた。「課題先進国」という形容を引用しつつ、今後、他国が直面するだろう数々の挑戦の先駆けを担っているという記事だった。そして、日本は、他国が学ぶための成功と失敗の両方のモデルとして機能すると、前向きなエールを送ってくれていた。

 もっとも、自分が印象に残ったのは、記事が「日本は時間がかかるが、変化する国だ」のように指摘していた部分で、その指摘に、自分は俄かには肯くことができなかった。もっと言えば、「日本は変わっているのか」「日本は変わっていけるのか」という問いが、この30年以上、自分の中には消えずにある。同時に、「変化などできれば起きてほしくない」という潜在意識が、自分のなかにも忍び込んでいることを自白せずにはいられない。

 先日、同僚が興味深いことを調べてくれた。日本の国立社会保障・人口問題研究所が5年毎に「人口移動調査」という調査を行っている。このなかには、引っ越し回数に関する設問があり、2016年に実施された第8回調査では有効回答122,851人の平均は3.04回と報告されている。これに対して、米国では、平均的な米国人が生涯にわたって引っ越しする回数は平均11.7回だという("2021 Moving Industry Statistics")。

 独立行政法人労働政策研究・研修機構が出版している「データブック国際労働比較2018」には、主要国の従業員の平均勤続年数が報告されている。これによれば、男性従業員の平均勤続年数では、米国が4.3年、英国が8.2年、ドイツが11.0年、フランスが11.3年、イタリアが12.5年に対して、日本は13.3年で最長である。

 総じて、住まいも変わらない、勤め先も変わらないという世の中で、人々は「昨日と同じように今日を過ごせたことに感謝し、今日と同じように平穏な明日が来ること」を願って生きている。

 そうした空気の中で、「日本に変化が起きるのは、外圧によってである」という通説もよく知られている。「外圧がないと変われないなどというのは敗北主義の呪縛だ」という批判もあるものの、最近も、本郷和人東京大学史料編纂所教授が「日本史の法則」(河出新書/発売日:2021.07.27)のなかで「日本の歴史は、ぬるい――変わるときは外圧」と書いておられる。

 一般的には「ペリー来航から明治維新(1868年)を経て、その後の文明開化と富国強兵を掲げるようになった変化」と、「満州事変から敗戦(1945年)を経て、その後の平和主義と経済大国を掲げるようになった変化」が、よく引き合いに出される。ここで、興味深いのは、文明開化と富国強兵として始まった変化が常識になり、いつの間にか次の外圧を生んでしまったという関係性ではないだろうか。もし歴史が繰り返すのであれば、平和主義と経済大国という日常から引き起こされる次の外圧を想像してみることは、あながち無駄ではないかもしれない。

 奇しくも、今年は明治維新から154年、敗戦から77年である。とはいえ、77年という周期は偶然に過ぎず、「開国や占領と同じような外圧がいまあるようには感じられない」「経済摩擦と市場開放の外圧は、以前のほうがもっと大きかった」という反論は当然、あろう。

 ただし、特定の勢力による意図的な外圧だけでなく、終わらない感染症の流行や地政学的リスクの高まりが、人・資源・食糧の移動を大きく妨げる事態までを外圧と捉えるのならば、77年前を起点にした平和主義と経済大国の前提が大いに揺らいでいることを認めざるを得ない。果たして、今回のステルス型ともいえる外圧を受けて、日本の何が変わり、次にどんな目標が掲げられるのか。見通しを述べることは未だできないが、2022年を未来の歴史学者が日本にとって特別となる年だったと評するのは確かではないかと予感している。


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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