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新たな発展「地方の時代」に道筋をつける「構造改革第二期」の取組みへの視点 <第5 最終回>

出典:旬刊 国税解説 速報VOL/44 第1624号

「選択と集中」を実現するために

はじめに 前回まで、選択と集中による構造改革とその受け皿としての民間マーケットの必要性について述べてきた。公共団体は自らが最も得意とする業務、あるいは公共団体にしかできない業務に集中し、民間に任せられることはできる限り民間に委ねる、という理屈に今更反論する人はなかろう。問題は、どのように実現するか、である。ビジョンを語るだけでなく、実現するためのメカニズムをどう作るかを考えなくてはいけない。以下では、これを2つの観点から指摘したい。

1 住民参加と情報公開


 サッチャー政権の強制入札制度

まずは、民間との比較が可能な状況を作らなくてはいけない。CCT(強制競争入札:Compulsory Competitive Tendering)は、イギリスのサッチャー政権下で実施された、競争原理を行政サービスに導入することを目的にした政策である。自治体の業務のうち、中央政府が指定するものについて自治体と民間企業で競争入札を行い、落札した者がそのサービスを実施する、というものだ。応札に当たっては、対象となる業務部門を切り離してDSO(Direct Service Organizations)と呼ばれる機関を設立し、公共団体と民間企業が並んで応札する。こうした仕組みがあれば、公共側も民間と同等以上の効率性で業務を行わざるを得なくなる。ただし、競争の範囲を公共側が指定するような仕組みだと、形だけの取り組みとなってしまう可能性もある。現に、PFIでは、効果よりも、PFIをやっている、という実績を重視していると思われる事業も行われた。アウトソーシングにしてもPFIにしても、公共団体が作った枠組みに応じているだけでは、他により適した対象があっても、民間事業者がその業務を受託することはできない。そこで、民間から対象範囲を提案できるよう機能を強めれば、より広い範囲での効率化が可能となる。そのためには、公共団体のコスト構造を業務ごとに公開し、民間事業者がアウトソーシングの枠組みをプロポーザルできるような環境を作らなくてはいけない。プロポーザルの内容は一つ一つの業務でもいいし、いくつかの業務を包括的に実施するものでもいい。公共団体は民間事業者からの提案が可能なものであれば、実施のための手続きを進め、受け入れられないものであれば、その理由を公開するようにする。プロポーザルの結果実施される業務に応募するのは他の公共団体であってもいい。持てる資源を有効に使っている公共団体があれば、それを普及することの意義はある。

 住民ニーズを反映する仕組み

それに加えて、住民のニーズが政策に反映する仕組みを作る。民間委託が進まない一方で、公共サービスに対する住民の満足度が満たされているわけではない。例えば、環境問題、公教育の問題、福祉、医療、最近では安全面での問題等、どこの地域でも住民は様々なニーズを抱えている。公共団体が既存のサービスに固執していることの一つの理由は、新しいニーズに応えていかなくてはならない、という意識が弱いためではなかろうか。最近は、「公共団体はサービス産業である」という意識が普及しているが、住民の新しいニーズに確実に応えようという気持ちがあれば、外部に任せられるものは任せていこう、という意識が生まれるはずだ。そのためには、住民のニーズが吸い上げられ、これを満たすことをコミットする、という構造が必要だ。まず、ニーズを政策に反映するには、それが体系づけた形で表現されていなければいけないから、第三者的な立場にある調査機関等が住民ニーズを体系的に取りまとめて、公共団体に提示できるような仕組みがあるといい。
今でも、公共団体の予算で数々の調査・検討が行われているが、その内容がお手盛りになることは少なくない。公共団体から独立した専門機関の協力を得て住民主導の提案を示し、できるものに対しては首長が実現を公約し、その結果を持って住民の審判を受けることになれば、公共団体も住民ニーズに応えることに必死にならざるを得ない。その結果、公共側の選択と集中が進む。
こうした仕組みの実現は住民が行政運営にいかに参加するか、にかかっている。最近では、NPOの活動も活発になっているし、オンブズマンの制度もあるが、日頃、公共団体側に立って仕事をする機会が多い立場から言うと、行政運営に対する住民側からのプレッシャーはまだまだ十分とは思えない。政策を実施するに当たって、議会筋への説明は大きなテーマとなるが、住民へのダイレクトな説明に同じだけの労力が払われているようには見えないのだ。

 公開情報の範囲と質

行政運営への住民の参加については、NPOの活性化、電子会議室のような議論の場づくり、ホームページの運営等、様々行われているが、何よりも重要なのは情報公開である。情報公開については2つの観点から継続的な改善を行っていかなくてはならない。一つは範囲である。最近、公的な事業におけるコスト評価のデータ公開を要求したところ、公正な競争を阻害する、との理由で公開が拒否されたことがある。コスト評価の実態を知っている者から見れば、不合理な理由であることは容易に指摘できるのだが、情報公開の範囲を広げるためのフォロー体制が十分にできていない。公開内容を評価するための人的なネットワークを充実させると共に、情報の公開を請求した事実やそれに対する公共側の反応も公開されれば、公共側の姿勢をより厳しく監視することができる。2つ目は、情報の質である。例えば、自治体の財務情報を公開しても、それがどの程度悪いのか、全国で相対的にどのくらいの位置にいるのかは分かりにくい。そこで、一団体の情報だけでなく、他団体との比較など相対的な位置づけが分かるような資料を提示すれば住民等の理解が進む。第三者的な立場にある専門家の評価も公開すれば、より効果的だ。<\p>

 プロセス情報の開示

もう1つ指摘したいのはプロセス情報の開示だ。例えば、赤字になった団体があったとした場合、それは何らかの政策判断の結果である。財政が苦しいにも拘らず、公共事業に資金を投じたのかもしれないし、役割を終えた補助金を切らないという決断があったのかもしれない。そうしたプロセスの情報をできるだけ開示することでその団体がどのような価値判断で運営されてきたのかが分かる。プロセスという意味では、審議会、委員会、懇談会、といった有識者を招いた検討に関する情報の公開も重要だ。最近、こうした場の情報については開示の内容、タイミングともに改善しつつあることは確かだが、開示の内容についてはまだまだ恣意性を払拭できていない。第三者を交えた検討会が政策に影響を与える割には、住民にとって十分に開かれたものにはなっていないケースが少なからずある。政策に影響を与える検討の場については、参加者が行政職員であろうが第三者であろうが、完全公開を原則とすべきである。先進的な公共団体では積極的な情報に対して意識の高い人もいるが、できれば多くを知らせたくない、という行政マンも少なくない。例えば、コスト情報の開示を拒んだ先の例は、営業情報の守秘という理由が拡大解釈されたケースであると考えられる。情報公開を進めても、住民がどれだけ評価し、反応するのか、という指摘はあるが、情報公開は受け手の状況を見て行うものではない。できる限り多くの情報を公開することで公共団体と住民との新しい関係が築かれていく、と受け止めなくてはいけない。

2 裁量と経営責任

住民参加と情報公開に続いて言えるのは、公共団体の経営の裁量と責任である。民間企業の経営モラルを支えているのは、結局のところ市場である。まずは単純な見方として、市場競争があるからこそ、少しでも効率的で付加価値の高い経営をしようという意識が働くようになる。もう一歩突っ込んで考えれば、市場の監視機能が、目先の利益だけでは計れない企業の行動についてもモラルを要請している。最近、日本ではCSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)やSRI(Socially Responsible Investment=社会的責任投資)が注目されている。営利機関としての企業の業績だけでなく、環境、雇用等に配慮した企業行動を評価しようという動きが出てきているのである。従来も、企業には社会に貢献できる活動をしようという意識はあったが、昨今の動きはこれをマーケットととして評価しようというものと捉えることができる。これによって、広い意味での市場が企業の経営モラルに影響を与えるようになる。公共団体は民間企業に比べて独占的立場にある上、財務的にも容易に破綻しない構造にある。そこで優れた民間企業と同じレベルの経営的なモラルを維持しようと思えば、民間企業における市場に相当する環境を作り上げなくてはいけない。前述した二つの市場の効果のうち、社会的な責任に対しては、住民参加と情報公開がそれに当たると言える。これについては、いまだ十分とは言えないまでも、改善されつつあるし、一定の共通理解が成立している。<\p>

 財政モラルの改善

一方、市場の効果の一つである財政モラルについては、改善の方向性が合意されているようには見えない。そして、この点こそが、PFIやアウトソーシングなどが拡大しない大きな要因となってきた。これまで、公共団体の財政は国の事前監視のシステムによって管理されてきた。しかしながら、国と地方自治体を合わせた長期債務が700兆円に達し、特殊法人を含めた公的な債務は1000兆円にも達するという事実は、この管理システムが既に機能していないことを示している。社会が発展し、地方自治体や特殊法人が提供するサービスが多様になるにしたがって、国の能力に依存しすぎたシステムで全てを管理することは無理だったということだ。そこで、個別の団体の裁量と責任に基づいた財務管理が必要になっているのだ。しかしながら、地方自治体については、財源移転の裁量拡大に向けた議論はなされているものの、財政運営責任の議論が並行的に進んでいるようには見えない。例えば、財源問題が議論されているにもかかわらず、主要な資金調達である公債の改革の方向性は見えていない。筆者は、以前から、日本の公共団体の財政を悪化させた原因の一つが公共投資なのだから、公的なプロジェクトボンドなどを導入することによって、プロジェクトベースの財政モラルを向上すべきだと述べてきた。PFIもこれに替わる取り組みと評価することができるが、アメリカではレベニューボンドと呼ばれる公的なプロジェクトボンドが多用されている。ただし、こうした財政手段を普及していくためには、公的なプロジェクトに対する認識を大きく転換しなくてはいけない。公的なプロジェクトに対する認識を大きく転換しなくてはいけない。公的なプロジェクトであっても、上手くいかなければ元金は保証されない、という認識を普及することだ。実際にアメリカでは、レベニューボンドによって実施されたプロジェクトが破綻することは珍しくない。公共団体に対して真剣に財政モラルを求めるのであれば、国民の側も公的な財政システムに対する過大な期待は改めなくてはいけないのである。<\p>

 財政再建への正しい認識

裁量性を高めた経営の結果、財政が悪化した団体に対する再建の仕組みを明確にすることも重要だ。地方自治体については、公債制限比率についても、かつて警戒ラインと言われたレベルがなし崩し的に後退してきた。また、本来経済レベルの異なる地域の財政力を平準化することを目的としている地方交付税は自治体財政の補填に使われ、返済が不安視される巨額の債務を積み上げるに至っている。こうしたモラルダウンを改善するためには、地方交付税や財政モラルのための指標を本来の姿に戻し、その結果、財政が破綻した団体に対しては国が責任を持って再建に当たる、という姿勢で取り組みを始めることが必要だ。そのためには、まず再建に対する正しい理解を普及しなくてはいけない。例えば、財政再建団体への転落が危ぶまれている自治体では、財政再建団体になると財政面で様々な制約が生じ、地域運営に支障を来たす、という説明がなされていることがある。しかしながら、日本の財政再建のシステムは、債務の返済や基本的な歳出を国が支えながら財政を再建し、再建の過程で住民生活が圧迫されないようにする仕組みと理解している。日本には、まだまだ再建は恥ずかしいものという理解があることが、再建に対する誤った理解を普及しているように思われる。しかし、公共財政がここまで危機的な状況に陥った段階で、最も批判されるべきなのは問題の隠蔽や先送りである。過去の負債をきちんと整理した結果として再建に至るのは、将来を考えるのであれば賞賛されることもあり得るはずだ。再建に対する正しい理解があってこそ、本腰を入れた改革もできるし、裁量を高めた財政運営も可能となるのである。

 おわりに

本連載では、特に自治体を念頭において、一層の構造改革を進めていくための方策を述べてきた。そのためには、財政評価、アウトソーシングやPFIのような民間との協働事業、あるいは監視システム等、様々な取り組みが考えられる。しかしながら、財政運営に対する責任と破綻した場合の対処の措置が明確になっていない中では、いかなる手法も形骸化し得る。例えば数年前、多くの自治体で行われたバランスシートづくりは、バランスシートの改革には結びつかなかった。PFIでは、不要不急の事業に免罪符を与える結果になったケースもある。官民を問わず、財政運営責任こそは全ての改革のベースといえるのである。2003年の後半になって、民間セクターはようやく本格的な回復を予感させる過程に入ってきた。今や、巨額の公的債務が日本経済の最大のアキレス腱になっているとも言える。景気が回復過程に入った今こそ、本格的な改革への取り組みに期待したい。(完)

 

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